JR東日本という官僚組織における責任倫理

――東京支社・品川駅の遅延証明を盛岡支社・青森駅で発行するという感動的快挙――後日談における更なる感動

 

田村伊知朗

 
                                   
 JR東日本が巨大な官僚的組織であることは、世界的に知られている。この鉄道会社を2015年10月1日に利用した。その際の感動的快挙をここで記しておきたい。その感動は、品川駅の遅延証明を数日後、青森駅で発行するという神がかり的快挙に基づいている。
 事実経過を記しておこう。当日の予定では、海外から帰国後、成田空港から成田エクスプレス32号(成田空港発15時18分)に乗車して、品川駅に16時22分到着する予定であった。品川駅からタクシーを使用すれば、20分弱(高速使用)で羽田空港に到着するはずであった。ロスタイムを考慮しても、17時前には羽田空港に到着する予定であった。17時15分締め切りの手荷物検査場通過時間には、悠々間に合うはずであった。17時30分発の最終便に搭乗できたはずである。
 ところが、この電車が品川駅に到着したのは、29分遅れの16時51分であった。タクシー乗り場に到着した時には、すでに17時を過ぎていた。17時15分前に羽田空港に到着することは、ほぼ不可能であった。数分の違いで羽田空港に到着できるかもしれないという考えもあり、ここで混乱していた。
 品川駅で航空機利用を断念し、当日北海道に帰ることができるか否か照会した。担当者の返事によれば、それは可能とのことであった。はやぶさ31号(東京駅発18時20分)に乗って北海道に帰ることにした。新青森駅に到着したのは、21時37分であった。そこから接続普通列車(新青森発21時46分)に乗車して、青森駅に行った。到着したのは、21時52分であった。寝台急行「はまなす」(青森駅発22時18分)に乗車した。
 ここからは後日冷静になって考えたことである。品川駅で特急券と乗車券を持っていたので、有人改札駅で、その特急券に29分遅延と手書きで書いてもらい、ハンコをもらえばよかった。しかし、その手続きを忘れた。この行為に気づいたのは、新幹線車内、仙台駅周辺であった。そのとき、車掌が検札にきた。巡回車掌の提案によれば、函館駅ではなく、青森駅で遅延証明を依頼すべきである。青森駅で乗り換え時間が26分ほどあったからだ。JR東日本とJR北海道は別会社である。同一会社の方が、連絡体制は充実している。このような可能性を車掌は教示した。本案件が自分の処理能力を超えていることを明示した上で、どのようにすべきかを、的確に明示していた。
 青森駅で遅延証明を要求した。しかし、深夜でもあり、即座の対応は不可能であった。自分の住所と電話番号、及び成田エクスプレスの号数を書いたメモを緑の窓口担当者に渡した。この遅延証明の郵送を青森駅の担当者に依頼した。
 2015年10月7日郵送で遅延証明を受領した。「10月1日、成田エクスプレス32号、品川駅29分遅延」と明記されていた。書類の発行主体は、「青森駅」と明記されていた。つまり、東京支社管轄下の品川駅の遅延証明を、数日後、盛岡支社管轄下の青森駅でいただいた。
 このような事実は、日ごろ各種の官僚機構の末端と交渉しているビジネスマンにとって、驚愕の事実である。ある知人は、国家官僚と日々交渉している。彼にこの事実を電話で話したとき、絶句した。彼の仕事の大半は、窓口を盥回しされることである。的確な担当官を見出すことが、彼の唯一の仕事である。複雑な社会的欲求に対応して、官僚機構も細分化されている。そのような仕事をしているビジネスマンが一言、電話口でつぶやいた。「ありえない」。官僚組織と悪銭苦闘しているビジネスマンを感動させた。
 以下は、筆者の推定である。つまり、青森駅の担当者は、盛岡支社に連絡した。盛岡支社の担当者は、東日本旅客鉄道株式会社・鉄道事業本部に照会し、その事実を確認した。そして、直接的あるいは間接的に青森駅担当者に連絡した。
 膨大な時間と労力がこの間に費やされている。もし、ドイツ鉄道であれば、そのような仕事は管轄外であると盥回しされて仕舞であろう。本邦でも、JR東日本以外の官僚組織であれば、盥回しと先送り主義は得意技の一つである。「私の管轄外である」という言説は、末端の木端役人の常套句である。市民の立場からすれば、「誰の管轄か」ということは、わからない。多くの市民は、この言説に何度泣いたことであろうか。私も、数多く体験している。それは、「馬鹿役人」シリーズに数多く書いている。1
 管轄外の仕事に対する役人の行為規範は、新幹線の巡回車掌の行為において的確に示されている。市民からの問い合わせに対して、管轄外であることを明示することは、重要である。しかし、それだけにとどまらない。とどまっているかぎり、馬鹿役人と同様である。その依頼に対応可能な部署を明示することが、重要である。この意味において、この感動的快挙の隠された主役は、巡回車掌であるかもしれない。否、彼こそがこの快挙の主役である。彼の的確な提案がなければ、私の青森駅における行為も存在しなかった。
 私の依頼した仕事は、どのような管轄マニュアルに従っても青森駅担当者の管轄外である。にもかかわらず、可能な範囲で市民の依頼に対応しようとした。私は僥倖を得た。この依頼は、砂漠の中からコンタクトレンズを探して欲しいということに等しかった。小泉純一郎元総理の言説を借りれば、「感動した」。もちろん、このような僥倖をすべての人間が経験するわけではない。多くの人間が巡り合わないがゆえに、それは僥倖である。しかし、このような事実も厳然として存在している。奇跡は偶然に基づくのではない。奇跡が生じるためには、その背後に組織的活動が存在する。
 このような僥倖は、青森駅担当者の組織全体に対する責任倫理が発現されたことに由来している。この責任倫理は、明治以来から連綿と続く旧国鉄一家を支えた責任倫理でもあろう。鉄道の運行とそれに付随する業務に対して、管轄マニュアルを超えて対応している。このような責任倫理を担う人間が存在する。もちろん、多くの官僚機構の構成員は、この青森駅担当者とは異なるメンタリテートを持っている。彼は例外に属しているのかもしれない。
 
20151029――後日談、感謝の手紙の受領 
 この感動的快挙に関する感謝の手紙を、このブログ記事と共に。東日本旅客鉄道東京本社広報部長及び盛岡支社管轄下の青森駅担当者に送付した。もちろん、返信は期待していなかった。御笑覧いただければ、それで幸いであった。
 2015年10月29日、東日本旅客鉄道株式会社・サービス品質改革部から、それに対する感謝の手紙をいただいた。数千字に渡る長文の手紙であった。家宝にすべきである。神棚に飾って、感謝した。小泉純一郎元総理の言葉を再び借用しよう。感動した。
 日常生活には、様々な苦難に満ちている。楽しいことはほとんどない。それでも、感動するということはある。ささやかな喜びである。ここに記しておきたい。
 
追記
 東日本旅客鉄道株式会社のサービスに対する感謝あるいはその反対の苦情も含めて、広報部ではなく、サービス品質改革部に連絡すべきである。もっとも、正常に機能している組織において、組織外からの連絡は、しかるべき部署に伝達される。それは、官僚組織の管轄とそこにおける責任倫理に基づいた行為である。外部からの広報部宛の文書は、サービス品質改革部に転送された。この観点からしても、東日本旅客鉄道株式会社という官僚組織は正常に機能している。
 
 
1.田村伊知朗「北海道渡島総合振興局函館建設管理部長の対応――市民の提案に対応しない官僚機構」田村伊知朗『後期近代における公共交通と路面電車』
http://izl.moe-nifty.com/marquard/2014/10/post-4255.html. [Datum: 24.10.2014]参照。
 
本記事は、ホームページ「田村伊知朗 政治学研究室」に記載されている。
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2015/10/jr-0d3d.html
 
(本記事の転載は自由である)。
 
(たむらいちろう 近代思想史専攻)
 
(pubspace-x2687,2015.11.04)