アルベール・カミュ作品に読まれるマグリブ風―読書ノート(上)

石塚正英

  
はじめに 
  
   アルベール・カミュ(1913-60)は、生まれ育ちからすればフランス人ではない。アルジェリア人、いやマグリブ人である。カミュが生まれた北アフリカ(西アラブ)を、古来マグリブと称した。アラブ系やそれ以前のアマズィク(ベルベル)系の先住諸民族がたくましく生きながらえてきた生活圏である。古代からの広域ベルベル言語圏は11世紀頃から急速にイスラム化したが、その文化圏は現在もモーリタニア・モロッコ・アルジェリア・チュニジアに及ぶ。カミュは、フランス領アルジェリアのアルジェにて、フランス人の父とスペイン人の母から生まれたものの、父は翌年に戦死する。その後はアルジェにある母の実家で育つ。厳密に言うと、フランス語は彼の母国語であっても母語ではない。遊び場ではアラブ語とベルベル語とフランス語が飛び交った。フランス語は学校で習ってようやくきちんと覚えたのである。カミュはマグリブ文化の只中で成長したのである。以下に一般的な人物紹介をしておく。
   仏領アルジェリア出身のフランス人作家。家庭の貧困や結核に苦しみながらアルジェ大学卒業後、新聞記者を経て1942年に小説『異邦人』と思索書『シーシュポスの神話』を刊行。戦中・戦後はパリでレジスタンス系の『コンバ』編集に係わり論説を発表した。1947年に小説『ペスト』で高い評価を得たほか、長篇『転落』、短篇集『追放と王国』、戯曲『戒厳令』『正義の人びと』、思索書『反抗的人間』などを発表し、1957年ノーベル文学賞を受賞した。1960年1月、当時の居住地ルールマラン(南仏)からパリに向かう途上、交通事故死した。
   マグリブの文物風土を考察の対象に含めないカミュ論を、私は物足りなく思ってきた。本稿は、祖先をフランス本国にもちつつマグリブ文化を吸収して育ったカミュ、およびその育成の結果として形成されたカミュの〔不条理〕を炙り出すことを目的になされたカミュ作品の読書ノートである。執筆の手順として、まずは必要箇所を引用し、それに続いてコメントを付している。今回メモに用いた作品は以下のとおりである。
① 「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」(Métaphysique chrétienne et Néoplatonisme)1936年、大久保輝臣/高畠正明/滝田文彦訳『カミュ全集1』新潮社、1972年
② 「裏と表」(L’Envers et l’Endroit)1937年、同上
③ 「結婚」(Noces)1939年、同上
④ 『異邦人』(L’Étranger, Gallimard, 1957)1942年、窪田啓作訳『異邦人』新潮社、2011年
⑤ 『シーシュポスの神話』(Le Mythe de Sisyphe, internet archive, Edition numérique, 2020)1942年、清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮社、2011年
⑥ 『カリギュラ』(Caligula suivi de Le Malentendu, Nouvelles Versions Gallimard, 1958)1944年、渡辺守章訳『カミュII』新潮社、1993年
⑦ 『反抗的人間』(L’Homme révolté, Gallimard, 1951.)1951年、同上
⑧ 佐藤朔編訳『革命か反抗か―カミュ・サルトル論争』新潮社、2015年。
⑨ 『追放と王国』(L’Exil et le Royaume, Gallimard, 1957)、大久保敏彦・窪田啓作訳『転落・追放と王国』新潮社、2003年

   翻訳本によってはやや古めかしい訳語や文体が散見されるので、原文にあたって必要最小限の改訳を施している。〔 〕と下線は私の補足であり、/は改行を示す。引用文末の数字は訳本と原書の当該頁数である。フランス語原書はすべてインターネットからダウンロードして参照した。原書に当たることが出来なかった作品については訳本の当該頁数のみを記載。また、オリヴィエ・トッド、有田英也/稲田晴年訳『アルベール・カミュ〈ある一生〉』(毎日新聞社、2001年 原書“Albert Camus, Une Vie”は1996年刊)をはじめ関連参考文献からも適宜の引用・コメントを行っている。
   ところで、カミュの作品に描かれた人物ないし人物群からカミュの個性と思想性を判読することに関して、悩ましい箇所がないわけではない。複数突き合わせるとけっこう矛盾する場合がある。しかし、それもカミュの個性と思想とみて摘要作業を進めてみた。ただし、カミュ自身は次のように考えている。「作中人物が、それを創造した小説家であることは、絶対にない。ところが、小説家が同時にその全作中人物(le romancier soit tous ses personnages à la fois)であることは、大いにありうる」(『反抗的人間』439頁、p.55.)。「小説家が同時にその全作中人物である」ということは、個々の登場人物とは対応していないが、登場人物全員を一括するならば、それは作者に一致する、ということだ。それはあたりまえのことだ。
   
一 マグリブのアルジェに育つ
   
〔引用1-1〕『カミュ全集1』「裏と表」(魂のなかの死)――〔殺人事件が起きたプラハのある宿にて〕ただ一度だけ廊下で、押し殺した声が、女の声が、ドイツ語で、《とてもいいひとだったのに》というのがきこえた。そのときぼくは、ぼくの故郷の町を、地中海の海辺を、また、若くて美しい女たちにみちあふれ、緑の光に染まってとてもおだやかなぼくの大好きな夏の夕べを、絶望的に思い浮べてみるのだった。ここ数日来、ぼくはただのひとことも発していなかった。そして心は、押えられた叫びや反抗で張り裂けんばかりだった。174頁
〔コメント1-1〕「ぼくの故郷の町を、地中海の海辺を」と言っている。カミュはアルジェリアを祖国としている。「若くて美しい女たちにみちあふれ、緑の光に染まってとてもおだやかなぼくの大好きな夏の夕べ」とあるが、アルジェリアにおけるそのような営みは特別な背景ではなかった。たとえば『異邦人』にはこう描写されている。「空には既に陽の光が満ちていた。それは大地にのしかかって来て、暑さが急速に増した。なぜだがわからなかったが、我々は歩き出すまでに、ずいぶん長く待った。喪服を着ていて暑かった」(『異邦人』18頁、L’Étranger, p.24-25.)ようするに、灼熱の陽光は、カミュにとって生き死にを決定するほど過酷な要因ではなく、作品の演出効果を増す要因だったのである。何としても避けるべきハザードでなく乗り越えていくべきリスクだった、と思われる。「背教者」にはこう書かれている。「私はタガーサから一時間のここまで追われ、崩れた岩間に隠れ、古ぼけた小銃にまたがっている。砂漠に陽が昇る。まだひどく寒い。まもなくひどい暑さになるだろう。この土地では気が変になる(cette terre rend fou)」(『転落・追放と王国』、193頁)。アルジェリアという砂漠を含む過酷な風土がカミュとその作品に大きな要因となっていることは確かだが、カミュの懐く不条理はそれに影響されてではなく、それに抗してのことである。
   
〔引用1-2〕『カミュ全集1』「結婚」(チパサでの結婚)―― 春になると、チパサには神々が住み、そして神々は、陽光やアプサント〔ニガヨモギ〕の匂いのなかで語っている。海は銀の鎧を着、空はどぎついほど青く、廃墟は花におおわれ、光は積み重なった石のなかで煮えたぎる。ある時刻になると、野原は陽の光で黒ずむ。目は、まつ毛の先でふるえる光と色彩の雫のほかに、なにかを抱えようとするが無駄なのだ。まろやかな香りを放つ草花のおびただしい匂いが喉を刺激し、巨大な熱気のなかで息づまるようだ。遠景に、シュヌーア〔アルジェの近郊〕の黒々とした影の広がりを、ぼくは辛うじて望むことができる。それは村を囲む丘陵に根を下ろし、確実な、圧するようなリズムで揺れ動き、海のなかにまさにかがみこまんばかりだ。190頁
〔コメント1-2〕カミュが謳い上げるこの情景は自然そのものであって、神話の世界ではない。古代ローマの遺跡群が残ることからチパサ(荒廃した都市、廃墟)と呼ばれた風土に住む神々は、いわば野に暮らす自然の片鱗である。「アプサント」は、通常であればヨモギなどの薬草入りの蒸留酒(エッセンス)を意味するが、ここではヨモギそれ自体(ナチュラル)である。カミュが生まれた翌年に父が戦死したこともあって、彼の家は貧しかった。野原を散策するといった習慣はなく、「フランス人としての根を失ったまま、沈黙と貧困のなかで、アルベールの幼年時代が始まることになる」(井上正『アルベール・カミュ』清水書院、2002年、15頁)。だが、まさにそうであればこそ、カミュの感性はアルジェの大地に養分を得ていったのだろう。カミュは育ちからしてフランス人ではない。異邦人である。
   
〔引用1-3〕『カミュ全集1』「結婚」(チパサでの結婚)―― ぼくの全身を奪い去るのは、自然と海のあの偉大な放縦だ。この廃墟と春との結婚で、廃墟はふたたび石と化し、人間の手が加えた光沢を失って自然に還ってしまった。この放蕩娘の帰還を祝って、自然は惜しみなく花をふりまいた。広場の石畳のあいだで、ヘリオトロープが丸くて白いその顔をのぞかせ、真っ赤なジェラニウムが、かつては家だったり、寺院だったり、公共広場であった所に、その血を注いでいる。多くの知恵によって神に導かれる人間のように、多くの歳月が、廃墟を、彼らの母なる家に導いたのだ。200頁
〔コメント1-3〕「廃墟と春との結婚」とある。また、廃墟とは「かつては家だったり、寺院だったり、公共広場であった所」である。よってこの結婚とは自然に還る儀式のようだ。カミュにとってマグリブそれ自体が廃墟のごとくだったのだろう。そもそも遊牧の先住民にとって廃墟とは何か。それは自然以外の何ものでもありはしない。人工物は壊れて飛ばされて、流れて沈んで、「放浪娘」のごとくここかしこを楽しんで、「自然に還ってしまった」のである。杜甫の詩「春望」(国破れて山河あり)を思い出す。ところで、カミュはスペインやフランス南部で盛んなカーニバルのような乱痴気騒ぎはあまり好まないようだ。最後に女神を焼き殺しはするものの、それは自然の再生を物語っており、不条理とは縁がないのか。
   
〔引用1-4〕『カミュ全集1』「結婚」(アルジェの夏)―― ここ〔アルジェリア〕では、知性は、イタリアのようにしかるべき地位を占めてはいない。この人種は精神には無縁なのだ。この人種には肉体の崇拝と讃美がある。(中略)といっても、ここには過去のない民衆がいる。伝統のない、しかしながら詩のなくはない民衆だ。――が、それもぼくがよくその特質を知っている詩で、残酷で、肉欲的で、やさしさからはほど遠い。それは、たった一つ、あの彼らの空の詩それ自体であり、ぼくを感動させぼくを惹きつける正真正銘たった一つの詩なのだ。文明化された民衆の反対とは、創造者である民衆のことだ。海辺で気取って歩いているこの野生人たち。その彼らは、自分たちはそれとは知らずに、いま、ある一つの文化の顔を造りあげている最中なのだという突飛な希望をぼくはいだいている。219頁
〔コメント1-4〕アルジェリアを含むマグリブの文物風土をもっとも簡潔に、しかも余すところなく描写できている。その昔、3世紀前半頃に活躍した哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスは、『ギリシア哲学者列伝』(加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝(上)』岩波文庫、2007年)の中で、マグリブの哲学者アリスティッポスについて以下の描写を残している。アリスティッポスは「哲学者にはどんな長所があるかと、あるとき訊ねられて、「法律がすべて廃止されるようなことがあっても、我々はいまと同じような生きかたをするだろうということだ」と彼は答えた」(174頁)。「無教養な者であるよりも乞食である方がましだと彼は言った。なぜなら、乞食に欠けているのはお金だけれど、無教養な者には人間性が欠けているからだと」(175頁)。「アリスティッポスの教えを忠実に守り、「キュレネ学派」と称されていた人たちは、次のような学説を採用していた。すなわち彼らは、苦痛と快楽という二つの(心の)情態(パトス)を想定し、快楽の方は、(心の)滑らかな動きであるが、苦痛は、ざらざらした(粗い)動きであるとした。/そして快楽と快楽との間には(質的な)相違はなく、またある快楽が他の快楽よりもより快適であることもないとした。また快楽はすべての生物にとって好ましいものであるが、苦痛は反撥をひきおこすとした」(189頁)。
   
二 マグリブのハイブリッド思索者
   
〔引用2-1〕『カミュ全集1』「結婚」(チパサでの結婚)―― まことに貧しいのは神話を必要とする人びとだ。ここでは神々が、一日の運行のなかで、床をしつらえ、あるいは目印をこしらえる。ぼくは書き、そしていう。「これこそ赤いもの、青いもの、緑色。これが海、山、花だ」と。そして、ぼくが鼻の下で乳香のたまを潰すのが好きだからといって、なんでディオニュソスについて語る必要があるだろう? のちになってぼくが存分に想うあの古(いにしえ)の讃歌、《地上の生きものにして、これらの事物を見たるものこそ幸いなれ》という讃歌にしたところで、果してデメテルのものだろうか? 見ること、この地上で見ることだ。いかにして教訓を忘れよう? エレウシスの秘儀では、凝視することで足りていたのだ。ここでもまたぼくは、じゆうぶんに世界に近づくことなど決してありえぬことを知っている。ぼくは裸にならなければいけない。それから、大地の精気の香りをまだいっぱい身につけたまま海に飛びこみ、海中でその精気を洗い落し、大地と海が長いあいだ唇と唇を重ねて恋い焦がれているあの固い抱擁を、ぼくの肌の上で結ばなければいけないのだ。201頁
〔コメント2-1〕ここでカミュが引き合いに出している神話、それは私にすれば「ロゴス神話」である。対して、「この地上で見る」もの、それは私にすれば「ミュトス神話」である。この二つは類型を異にする物語である。まず、「神話(ミュトス、mythos)」という語についての定義を下す。あるがままの現象を語るのがミュトス、ミュトス神話である。例えば、ハトを見たらハトと意識しそのように語り記す。ミュトスの世界では、ハトを神とする人はハトそれ自体が端的に神である。それに対して、あるがままの現象に対してその意味や概念を語るのがロゴス(logos)、ロゴス神話である。例えば、ハトを見たら平和を意識しそのように語り記す。ロゴスの世界では、ハトを神とする人はその動物の背後か深部に真善美、正義や平和の本質を見抜く。ハトはそうした本質の眷属(使い・代理)である。ロゴスは明らかに反ミュトスなのである。確立したギリシア神話の世界では、ミュトスは存在しないか、極度に衰退している。けっきょく、現代人が常識として知っている神話はミュトスでなくロゴスなのである。チパサではロゴス神話は無意味である。それを必要とする人は自然の感性を解さない「まことに貧しい」心根の人たちなのである。
   ところで、私は、感性をもとに構築された自意識(思念)を造語で「感念」としている。理性知に一致する思念を「理念(Idee)」とするならば、身体知・感性知に一致する思念は「感念(Sinn)」となる。理念が精神に発するとすれば、感念は身体に発する。例えば理性派のヘーゲルには「理念」は理性・理性知とセットになる。しかし芸術家ミロのように、理性以上に感性を生きる指針とする非理性的な人々には「理念」でなく「感念」が意味をもつ。文字をもたないケースもある非ヨーロッパ諸民族の数千年にわたる文化活動、それは理性知ではなく、自然的(フィジカル)な感性知・身体知と一致する。外国語と比べるならば、ドイツ語の“Sinn”には、当たらずとも遠からずの概念が備わっていると思っている。それらを連合させれば「感念」を表現できるだろう。半自然的(メソフィジカル)な精神に発する理念に対する、身体に発する感念という捉え方の重みは「感」にある。
   
〔引用2-2〕『カミュ全集1』「結婚」(チパサでの結婚)―― いま、樹々に小鳥が群がった。大地は、闇に没するまえにゆっくりと息づいていた。もうじき一番星とともに、夜が世界の情景にその帳を下ろすだろう。昼間のきらびやかな神々は、やがて彼らの日々の死にたちかえるのだ。だが、別の神々がやってくる。そしてもっと暗くなるために、彼らの荒廃した顔が、一方では大地のさなかで生れてくるのだ。/いまは少なくとも砂浜でくだける絶えざる波の音が、金の花粉の舞っている大気をぬってぼくのところまできこえていた。海、野原、沈黙、この大地の香気。ぼくは、一つの匂いある生に満たされていた。そしてぼくは、世界の、もう黄金色に色づいた果実にかぶりつき、その甘い強烈な果汁が唇のあたりにこぼれるのを感じて動転するのだった。そうだ。大切なものはぼくでもなければ世界でもなかった。ただ単に、調和であり、沈黙だった。そしてその沈黙は、世界からぼくに向って、愛を生ませたのだ。204頁
〔コメント2-2〕日没とともに昼間の神々は死に、それとは別に、「大地のさなかで生れてくる」「荒廃した顔」の神々がやってくるようだ。昼間の神々は、「陽光やアプサント〔ヨモギ〕の匂いのなかで語っている」(190頁)のだが、闇夜の神々はその正反対なのだろうか。ここには何も説明や解釈は記されていない。ただし、「生きることへの愛」に記されている言葉、「生きることへの絶望なくして、生きることへの愛はない」(182頁)にヒントがあるような気がしている。闇夜の神々は、昼間の神々との調和を実現することになるのだろう。
   
〔引用2-3〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― 人生に対するこうした純粋に理性的な観念--世界はすべて理解されうる--は、「道徳的知性主義」へと導いていく。すなわち、徳とは学ばれるものである。常にはっきりそうとは言わないが、ギリシア哲学者はすべて賢人を神と同等の者とみなしている。そして神は一つのより高度の知恵にすぎない以上、超自然なものは存在しない。全宇宙は人間とその努力の回りにある。したがって、道徳的悪とは無知ないしは誤謬であるとすれば、どうしてこのような態度のうちに「贖罪」や「罪」の観念がはいりこむ余地があろう?/かつまた物質的秩序においては、ギリシア人は依然として永遠かつ必然的な循環的世界を信じていたのであり、そうした世界は「無からの(エクス・ニヒロ)」創造、したがって世界の終末の観念と相容れぬものであった。8頁
〔コメント2-3〕この論文はカミュの高等教育修了論文(1936年)である。それほどユニークではないかも知れないが、ギリシア世界の神に「超自然なものは存在しない」としているところが目に止まる。ギリシア人は、変化するものには価値はない、永遠的で普遍的なものにこそ価値があると考えた。したがって、歴史にしても今日の我々が当然とみなすような変化するものとしての歴史は軽視し、変化の根底を貫いているもの、繰り返し出現してくるものの発見につとめた。さて、それはプラトンの言い回しでは「イデア」に関連する。私にすれば、イデアは紛れもない超自然である。完成されたヘブライ世界では、神は無からさまざまな物質や現象を生みだし、そのすべてを無に戻すことができる。それもまた超自然ではある。カミュは、超自然をヘブライズムに認めつつヘレニズムには認めない。なぜか、彼はマグリブに育ったからである。なお、未完成のヘブライ世界では、神は箱に入って信徒によって持ち運ばれた。拙著『価値転倒の社会哲学―ド゠ブロスを基点に』社会評論社、2020年、参照。
   
〔引用2-4〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― ある歴史的観点からすれば、キリスト教の主張はパレスティナに生まれ、ユダヤ思想の中に挿入される宗教的運動である。決定することの困難なある時期、だが確実にパウロが原則的は異邦人の入会を認め、彼らに割礼を受けることを免除したころ、キリスト教はユダヤ教から分離する。1世紀の終り、ヨハネは「主」と「精霊」の一致を宣する。117年と130年のあいだにおいて、バルナバの書簡はすでに確固として反ユダヤ的である。これは重要な点である。キリスト教思想はここでその起源とたもとを分ち、完全にギリシア・ローマ世界に流れ込む。そして、すでに不安と神秘宗教によって用意の整っていたギリシア・ローマ世界は、ついにキリスト教を受け入れるにいたる。11頁
〔コメント2-4〕「バルナバの書簡」以前のキリスト教は、磔刑から約100年間、ユダヤ教徒の共通性を保持していた。そうであれば福音書にはその形跡が読まれるはずだが、むしろユダヤ以前の物語が残存している。たとえばイエスと弟子たちによる麦穂摘みであり、最後の晩餐である。よってキリスト教は、都合3種の価値転倒を内部に含み持っていることになる。①先史の精神(シリア・地中海沿岸に営まれた無所有と肉の共有)、②ユダヤの精神(砂漠の世界)、③パウロの精神(福音の世界)。カミュは不用意に用いているが、「神秘宗教」こそ本来は神秘でも何でもない。シリアやエジプト各地から伝わる儀礼的思想は、一方ではミレトスの自然哲学を育み、他方ではオリンポスの神統記を準備したのである。「神秘」を漠然と観念していたカミュだったから、マグリブに伝わる種々の神秘思想(価値転倒の結果)がカミュの不条理観を醸し出していったのかもしれない。
   
〔引用2-5〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― キリスト教の発展には三つの契機がある。発展の源泉である福音的キリスト教、言と肉体の和解のうちに発展が成就するアウグスティヌスの教義、認識と救霊の同一化を試みて発展がそれて行く脇道――すなわちグノーシス説においていちばん完全な実例が見出される異端である。(中略)福音的キリスト教はいっさいの思弁を排撃し、当初から「受肉」のテーマを明確にしている。グノーシスは「贖罪」と知識が混合する特殊な一解決を追求する。ネオプラトニズムは理性主義と神秘主義を和解させようと試みることによって目的に到達しょうとし、その表現形式の助けを借りて、キリスト教教義が聖アウグスティヌスにおいて「受肉」の形而上学として成立することを可能ならしめる。同時にまた、ネオプラトニズムはここで証拠としての学説の役を果している。ネオプラトニズムに生気をあたえるのはキリスト教思想を動かすのとおなじものである、だが受肉の観念は、ネオプラトニズムとは無縁である。12頁
〔コメント2-5〕ここに記されている「福音的キリスト教」にして受肉と関連するのは、四人の福音記者のうち初期のマタイ、あるいは二代のマルコを指すと見ていい。また、ネオプラトニズムと関連するのはヨハネである。ヨハネ福音書の1:1は以下のように始まっている。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。「言」つまり言葉は観念をつくる道具であり観念そのものでもある。受肉は言葉を介さないので、それはネオプラトニズムと触れ合うところがない。そういった説明は、ここではあまり意味がない。カミュとの接点は、俄然、アウグスティヌスとの間に介在している。二人ともマグリブの人なのである。カミュの不条理は回心前のアウグスティヌス、あるいは母親モニカの心的態度に匹敵する。拙稿「マグリブ文化に垣間見える原初性―アウグスティヌスの母をヒントに」、拙著『人類の内なる原初性―アリスティッポスからシュペングラーへ』柘植書房新社、2026年、第7章、参照。
   
〔引用2-6〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― キリスト教がキリストの具体的人格とその死を中心に形成されている事実は、一般に深く気づかれていない。人はイエスを一つの抽象ないしは象徴とみなしている。だが真のキリスト教徒は、この殉教した肉体の勝利を実現した人々である。イエスは人間であるがゆえに、その死に強調の焦点が合わされた。肉体的にこれ以上恐ろしい死はほとんどない。手が引き裂かれ、関節にひびがはいったある種のカタルーニャの彫刻を思い描くことによって、キリスト教が象徴にまで高めた恐ろしい拷問のイメージを想像することができるだろう。15頁
〔コメント2-6〕「イエスは人間であるがゆえに、その死に強調の焦点が合わされた。肉体的にこれ以上恐ろしい死はほとんどない」というフレーズは、イエスが神の子であるよりも人間であることを物語っている。また、「キリスト教が象徴にまで高めた恐ろしい拷問のイメージ」とは、むろん磔刑とその像のことなのだろう。キリスト教を象徴する物象のトップは磔刑像とマリア像と文字(聖書)である。それなくして信仰は築けないし維持できない。ヨーロッパ以外の地に布教を行うに際して、偶然ながら先住民が十字や女神の象形を崇拜していると、それは容易にキリスト教と習合した。カミュはそうしたシンクレティズムを、マニ教などの遺風を通じてマグリブで見聞きしていたはずである。
   
〔引用2-7〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― アウグスティヌスの思想において強く心を打つのは、短い年月のあいだに、キリスト教思想のためらいと回帰を集約していることである。非常に情熱的かつ官能的であるアウグスティヌスは、禁欲を守ることができないのを怖れて、長いあいだ回心を引き延ばしている。同時にまた、彼は合理的真理を愛している。この理性への配慮が、彼をカルタゴで放縦な肉欲の生活のあいだにもマニ教の信者とならせたのである。多くの点でマニ教はグノーシス主義を受けついだものにすぎなかったが、マニ教は証明を可能にするもののように見えた。それが聖アウグスティヌスを引きつけたのである。82頁
〔コメント2-7〕カルタゴでの「放縦な肉欲の生活」というが、「放縦」という言い回しは何を基準にしているのだろうか。後世のカトリック的倫理観や性道徳から評価しているのではないだろうか。古代ローマの支配下にあっても、マグリブはマグリブだった。カミュよ、君だって、そのマグリブに生まれ成長してアルジェ大学にこの卒業論文を提出したのではないのか! 君はフランス人ではない、アウグスティヌスと同様、マグリブ人なのだ。
   
〔引用2-8〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― だが同時に彼〔アウグスティヌス〕の心は、悪の問題につきまとわれる。「わたしは悪がどこからくるのかを探して、そこから抜け出せなかった」そしてまた彼は、死の観念につきまとわれる。「わたしは真理を発見することなく、死の怖れによってさいなまれていた」。論理的一貰性に対する欲求から言えばギリシア人、感受性の不安から言えばキリスト教徒として、彼は長いあいだキリスト教から離れていた。聖アウグスティヌスの心を説得したのは、同時に聖アンブロシウスの寓意的方法と、ネオプラトニズムの思想だった。82頁
〔コメント2-8〕「感受性の不安から言えばキリスト教徒として」ではないはずである。先史以来のマグリブ風価値観――遊牧的・農耕的生活原理――こそ、キリスト教の受容にあたって生じてきた「感受性の不安」だったはずである。先史の精神は文明を支えて現代に及んでいる。それを体現する人々をさして、まるでカミュの不条理だとささやく人はいないだろうか。
   
〔引用2-9〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― 肉。――事実「言」は肉となり、その肉体は現実の聖のものであって、女から生まれた。肉体と言とのこの結合は破壊できないものである。人とキリストは一体である、――ここにこそキリスト教の全神秘がある。「言葉が肉となったというのは、言が堕落して肉体にはいったということではなく、肉体が自ら堕落しないよう言に結びついたことなのである……人となった神、神であるその人、それは神性と人性の混合の所産ではなく、位格の一体性に由来するものなのである」ここで特筆しなければならないのは、聖アウグスティヌスの言葉の観念がプロティノス的であればあるほど、言葉と肉との結合がより奇蹟的になるという意味で、アウグスティヌスはネオプラトニズムから離れて行く。90頁
〔コメント2-9〕アウグスティヌスが為した「奇蹟」は言葉(ロゴス)と「肉との結合」であって、両者の分離や対立ではない。その奇蹟を実現できたのは、彼がマグリブ風に育ったからである、と私は思っている。若い頃に夢中になったマニ教は、彼の思想形成における基盤である。マニ教に幻滅してネオプラトニズムに回心したという経緯を誤解してはならない。彼にとってマニ教は消えることなきマグレブ精神であって、リチャード・ドーキンスの用語で形容すると、身体に刷り込まれたミーム(文化遺伝子)である。彼と似たような思想形成を辿った人物として、ソクラテスの時代にマグリブからアテネに出て活躍したアリスティッポスがいる。彼は、故郷キュレネーでいわゆるキュレネー学派を育てた。その思想傾向はギリシア的というよりもマグリブ的だった。彼らはきっと心身ともに遊牧的な性格に育ったのだろう。
   
〔引用2-10〕「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」―― それはともあれ、聖アウグスティヌスの死とともに、キリスト教は哲学として成立した。今やキリスト教は、すべてが崩れ去る動乱に抵抗しうるほど充分に武装されている。長い年月のあいだ、それは西欧世界の不幸に対する唯一の共通の希望、唯一の効果的楯としてとどまることになる。キリスト教思想はそのことによって普遍性(カトリック)をかち得ていったのだった。95-96頁
〔コメント2-10〕「聖アウグスティヌスの死とともに、キリスト教は哲学として成立した」とは言え、根を断つことにはならなかった。先史世界の儀礼文化が存在し、その後もながく残存し続けていく。その一例はカトリックにおける聖体拝領に観察される。パンをキリストの肉として食する儀礼信仰は、マグレブというよりはシリア一帯の習俗と言ったほうが正しい。ヘロドトスは『歴史』にこう書き残している。「マッサゲタイの国では、(生きていられる)年齢の制限というものが格別あるわけではないが、非常な高齢に達すると、縁者が集まってきてその男を殺し、それと一緒に家畜も屠って、肉を煮て一同で食べてしまう。こうなるのがこの国では最も仕合せなことであるとされており、病死したものは食わずに地中に埋め、殺されるまで生きのびられなかったのは、不幸であったと気の毒がるのである」(ヘロドトス、松平千秋訳『歴史』上巻、岩波文庫、1991年(初1971年)、巻1-216、巻3-38、159頁)。ほかに、14世紀のカトリック聖人ヤン・ネポムツキーにまつわる腐らない舌(肉遺物)の崇拝もながく持続し、1961年にようやくローマ教皇庁が公式に否定するに至ったほどである。拙稿「聖ヤン・ネポムツキーの舌―物神崇拝」、拙著『量子力学の陰日向―文明を支える原初性』社会評論社、2016年、第10章、参照。
   
〔引用2-11〕『カミュ全集1』「結婚」(アルジェの夏)―― 2000年たってはじめて、肉体は浜辺で裸にされた。20世紀にわたり、人間は、ギリシア人の天衣無縫と素朴さを行儀よく良くさせ、肉をかくし、衣服を複雑にすることに汲々としてきた。いま、こうした歴史を超えて、地中海の浜辺でくりひろげられる若人の競争は、デロスの競技者たちの素晴らしい身振りと一つになるのだ。そして、いくつかの肉体のかたわらで、このように肉体で生きていると、肉体にはそれなりのニュアンスが、生命が、そしてさらに、ナンセンスを怖れずにいうならば、肉体には固有な心理があることに気づくのだ。214頁
〔コメント2-11〕文末に以下の原注が付されている。「ジッドが肉体を賞揚するそのほめかたがぼくには気に入らぬといったら、ぼくは物笑いのたねになるだろうか? かれは肉欲を押えることを肉体に要求し、その結果一層肉欲を研ぎすます」(223頁)。ここに記されているジッドとは、マグリブをこよなく愛したフランス人作家アンドレ・ジッド(1869-1951)である。ジッドは従姉への近親愛が強く、肉欲よりも情緒的な欲求に動かされている。ジッドは、自伝的作品で以下のように記述している。母の死後、「今や、私のすがるべきものとては、従姉に対する愛以外、何一つ残されていなかった。彼女と結婚しようとする私の意志のみが私の生活の指針だった。私は、むろん、彼女を愛していた。このことだけが私には確かだった、それのみか私には自分が自分を愛している以上に、自分は彼女を愛しているとさえ感じた。彼女に結婚を申込んだとき、私は自分のこと以上に彼女のことを考えていた。特に私は、多くの危険があることなぞはまるで気にかけずに、彼女を自分の後に従えてゆきたいという希望の大きさから来る催眠術にかかっていた。(中略)私は、自分の身も心も彼女に捧げうると信じきっていた。そして少しの留保もなしにそれを実行した。このしばらく後、私たちは婚約する至った」(Si le grain ne meurt, 1926, p.323. アンドレ・ジッド、堀口大學訳『一粒の麦もし死なずば』新潮社、1987(初1969)年、394-395頁)。なお、カミュがジッドを評価している箇所(カミュ゠グルニエ往復書簡、1932年5月20日)を引用する。「ぼくのジッド好きは彼の『日記』を読んで倍増しました。彼は人間的ではありませんか。読後も他の作家にましてジッドが好きです。その反作用でコクトーが大嫌いです」(オリヴィエ・トッド、有田英也/稲田晴年訳『アルベール・カミュ〈ある一生〉』毎日新聞社、2001年、68頁)。
   なお、ジッドがマグリブに癒しを得ていたとみられる傍証を、ジッド研究者西村晶絵『アンドレ・ジッドとキリスト教』(彩流社、2022年)から引用する。「1893年の北アフリカ旅行での、病とその回復という経験から、ジッドは自身の生を謳歌することの重要性に目覚める。また1895年のアフリカ旅行の際に自身のセクシュアリティの確信を得たことで、彼は「病」を一つの個性として捉え直し、そうした個性を解放することの正当性を、キリスト教思想のなかで論じようと試みた」(402頁)。
   
〔引用2-12〕『カミュ全集1』「結婚」(砂漠)―― 魂の不滅ということは、実際、多くの分別ある人びとの精神を奪っている。だがそれは、彼らが、その樹液を使い果してしまう前に、彼らに与えられている唯一の真実、すなわち肉体を拒否してしまうからだ。なぜなら肉体は、彼らに問題を提起したりはしない。あるいは少なくとも、彼らは、肉体が提案する唯一の解決を識っているからだ。つまりそれは、朽ち果てるに違いない真実だし、だからこそそれは、彼らがあえてまともに凝視しょうとはせぬあるほろ苦さと気高さをまとっているのだ。分別ある精神(こころ)の持主たちは、肉体よりも詩を好む。なぜなら詩は魂の問題だからだ。あるいは人びとは、ぼくが洒落をいっていると感じるだろう。だが人びとは同時に、ぼくが真実から、ただ、より高度な詩を確立したいだけなのだということをわかってくれよう。その詩とは、チマブエからフランチェスカにいたるイタリアの画家たちが、トスカナの風景のなかで培ったあの黒い焔であり、それはちょうど、大地に投げだされた人間の明晰な抗議のようなものなのだ。そしてその大地の輝きと光は、休みなく、一人の存在しない神について人間に語っている。226頁
〔コメント2-12〕カミュは「魂の不滅」に疑いを示し、肉体を「朽ち果てるに違いない真実」としている。魂は肉体と同様、朽ち果てるかも知れないと考えているのだろうか。いや、そうではなく、いずれにせよ極端捉え方を拒否しているのだと思われる。「存在しない神」との言い回し――神は存在するようでいて存在しない――がそのことを如実に示している。神だけの神は存在しないが、人間が観念しているだけの神、あるいは、肉体の中の神、肉体としての神は別だ、というようにも聞こえる。そうであれば、カミュの眼前に捉えられるアルジェの自然環境が神ということになってくる。
   
〔引用2-13〕『カミュ全集1』「結婚」(砂漠)―― 柱廓と花々のあいだにとじこめられたフランシスコ派の僧たちの生と、一年中を陽に当って過すアルジェのパドヴァニ海岸の青年たちの生に、ぼくは、ある共通の響きを感じていたのだ。もし彼らが裸になる(se dépouillent)としたら、それはより偉大な生活のためだ。(そして、別の世の生のためではない)。それこそ少なくとも、《無一物になる》(dénuement)という言葉の価値ある唯一の使い道だ。裸になる(être nu)ということには、常に肉体の自由という意味がある。そして、手と花々との一致――大地と、人間的なものから解き放た(231)れた人間の愛にみちた和合――ああ! もしそうした和合がすでにぼくの宗教となっているのでなかったら、ぼくはきっとそれに回心するだろう。230-231頁
〔コメント2-13〕「手と花の一致」とは、人間と自然の一致を意味する。「肉体の自由」とは人間つまり自然の自由でもある。「そうした和合」とは自然崇拝の一種であり、現代の言い回しだと〔自然の権利〕ということになる。――自然に権利のようなものはあるか。草木に生命はある。しかし感情はない。では、動物はどうか? 生命もあれば感情もある。では、自然には、人間の人権にあたるものはあるか? 生態系を一つの生命とみなす立場からすれば、自然にも生きる権利はある。自然が滅べば、その一部である人間も滅ぶ。自然を生かすことはすなわち人間を生かすことになる。
   
〔引用2-14〕『追放と王国』(背教者)―― わけがわからぬ。この頭の中を整理せねばならぬ。奴らが私の舌を切り取って以来、自分にもわからぬ、もう一つの別の舌が、休みなしに私の頭蓋の中で動いている。何かが、あるいは誰かがしゃべる。そいつは急に黙りこむ。かと思うとまた始まる。ああ、しゃべりもしない、あまり多くのことが私には聞える。ああ、煮えくりかえる。私が口を開いても、小石のこすれる音みたいなのだ。秩序を、とにかく何かの秩序を、と舌の奴が言う。しかも同時に別のこともしゃべる。193頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-14〕主人公の語り部は舌を切られた人物として登場する。その点について井上はこう解説している。「ここでは、未開民族に舌を切り取られたヨーロッパ人の宣教師が、それまでの二元論的な価値観を一挙に失い、善悪の境目がなく、呪術と暴力が支配するもとで、生のエネルギーだけで生きる未開人の暗黒の世界に心情的に同意していく過程が表現されている。(中略)『背教者』の主人公は、未開人の儀式を通じて、こうした〔文明的ヨーロッパ〕世界から自らを追放するのだ。野性に生きる原地人の暴力にさいなまれ、肉体的苦痛にほんろうされる日常を生きなければならないが、少なくとも、ヨーロッパの贋物の甲冑としてのイデオロギーからは解放されている。むしろ、憎悪の感情にさえ自己同一性が見いだされる日々に陶酔しているのだ。もはや二重ではない世界」(井上、前掲書、196頁、197頁)。
   それは一種のアジールだろう。辺境とか周縁とかにかかわる議論に接すると、私はついつい「アジール」という言葉を思い出す。オルトヴィン・ヘンスラー、舟木徹男訳『アジール―その歴史と諸形態』(国書刊行会、2010年、17頁)によると、アジール法とは、「一人の人間が、特定の空間、人間、ないし時間と関係することによって、持続的あるいは一時的に不可侵なものとなる、その拘束力をそなえた形態」であると理解できる。訳者は“Asylrecht”を「アジール法」と訳しているが、私は「アジール権」としたい。また、「法」は国家に相応しい訳語だから、国家成立以前の社会には不似合いである。対して「権」は正義、公正、道理、当然など、国家的でない意味が多い。ただし、ヘンスラーは国家成立以後にもアジールを認めているので、その段階では「法」が訳語として相応しいかもしれない。私もアジールを現代にまで通用する儀礼概念としているが、その理由は、文明を支える原初、文明期への原初の残存ということである。ヘンスラーのようにアジールを進化的・発展的に転換していくものとは見ていない。文明に特化したアジールを認めているわけではない。文明期に存在するアジールは原初的形態の残存である。よって、カミュの思想にはアジールがよく似合うのである。
   
〔引用2-15〕『追放と王国』(背教者)――私はタガーサから一時間のここまで追われ、崩れた岩間に隠れ、古ぼけた小銃にまたがっている。砂漠に陽が昇る。まだひどく寒い。まもなくひどい暑さになるだろう。この土地では気が変になる(cette terre rend fou)。193頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-15〕アルジェリアという砂漠を含む過酷な風土がカミュとその作品に大きな要因となっていることは確かだが、カミュの懐く不条理はそれに影響されてのことでなく、それに抗してのことである。
   
〔引用2-16〕『追放と王国』(背教者)――宣教師に対し、その師たちに対し、私を裏切ったわが師たちに対し、汚れたヨーロッパに対し、私は決済をつけなければならぬ。誰も彼も私を裏切った(tout le monde m’a trompé)。布教団の連中は、口を開けばこの言葉しか出てこなかった。未開人(sauvage)のところへ出向いては、こう言うのだ。「これぞわが救い主。彼を視よ。このひとは叩かず人を殺めず、優しき声音もて命じ、もう一つの頬を差し出す。これぞ救い主のうちにて最も大いなる救い主。彼を選べ。彼により予のいかに善良となりしかを見よ。予を侮辱せよ。諸君はその証拠を見るだろう」そうだ、私はとにかくそのとおり信じた。195頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-16〕舌を切られたものの不思議な別の舌があって、それを使う語り手はヨーロッパ人を憎悪している。砂漠でのヨーロパ人の布教を嘲笑してみせる。けれども、砂漠の遊牧民を尊敬しているわけでもない。そのはざまにあって、とりあえずは砂漠のダカーサにやってきたのだが、住民に捉えられて拷問され、彼らが造った神〔物神(ものがみ、fétiche)〕の崇拝を強いられる。しかし、この筋書きのみでは、カミュは物神崇拝の内実を知らないままである。けっこうヨーロッパの布教者と同じ目線でみている節がある。
   
〔引用2-17〕『追放と王国』(背教者)―― アルジェで、神学校から逃げだしたとき、この野蛮人ども(barbare)を違ったふうに想像していた。私の夢想の中で、真実なのは一つだけだった。奴らは邪悪(méchant)だということだ。199頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-17〕「邪悪」な野蛮人とは、物神を崇拝する粗野な先住民のことなのだが、さて彼らはヨーロッパ人よりも邪悪なのだろうか。また、「邪悪」とは何を指すのだろうか。彼らは黒人奴隷を駆使して岩塩を採掘している。けれどもヨーロッパ人にすれば先住民に過ぎない。ヨーロッパ人は先住民の汚れや悪党(evil)をいともたやすく穢れや悪魔(devil)にすり替えてしまう。
   
〔引用2-18〕『追放と王国』(背教者)―― 陽は中天にあった。鉄の太陽に打たれて、空は白熱化した鉄板のように、長々と鳴りひびいた。あれは同じ沈黙だった。奴らは私を眺めていた。時が過ぎた。が、それでも私を見つめることをやめない。私はもう奴らの視線が耐えきれなくなっていた。私の喘ぎはますます激しくなった。私はついに涙を流した。とにわかに奴らは黙ったまま私に背を向けて、一同揃って同じ方角に立ち去った。脆いたまま、私はただ、赤と黒のサンダルをはいて、塩にひかる足が黒っほい長衣を蹴あげるのを、足先を少しくあげ、踵が軽く地面を蹴るのを見ていた。広場が空になったとき、私は物神の家へ搬ばれた。/今日岩陰に隠れているように躍って、(私の頭上の火は石の厚みをさし通す)私は数日を物神の家のもの陰に過した。203頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-18〕背教の瞬間だが、物神崇拝の開始でもある。ここに記されている「物神」は本物であり、代理物ではない。当該民族にとってオンリーワンである。たとえば、カメルーンの先住民族バンワ人が崇拜してきた木彫の神像がヨーロッパ人に略奪され、現在ケルン市のラウテンシュトラウフ・ヨースト博物館に所蔵されている。それを王族が見学に来たときのことである。木彫像の前に立つや、一人の女性が「オネーェウ」、「オネーヒン」と数回叫んだ後、「ゴンドバン!」と連呼した。この木彫像こそ、ほかに還ることの出来ない彼らの物神、すなわちフェティシュ(fetish)だったのである。
   
〔引用2-19〕『追放と王国』(背教者)――夕方、儀式が始まり、私は時にはなぐられ、時にはなぐられずに済んだ。が、いつも変らずに私は物神に仕えていた。その物神の姿は私にとって、記憶の中にまた今は希望の中に、鉄で刻みあげられている。かつていかなる神も彼ほど私にとり憑き、これほど私を屈伏せしめたことはない。日夜を分たず、私の全生活がこの神に献けられていた。苦痛も苦痛の欠如も(これは歓喜ではないか)、ひとしく彼に負うていた。さらには、そうだ欲望までも。208頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-19〕物神(fetish)は人の手で造られはするが、人に取り憑かない。物神崇拝(fetishism)は本来の宗教以前のもので、本来の宗教の出発点である偶像崇拝(idolatry)が存在するよりも古い。宗教でないフェティシズムと宗教の一形態である偶像崇拝との相違は決定的で、例えば前者においては崇拝者が自らの手で可視の神体すなわちフェティシュを個物(自然物)の中から選びとるが、後者において神は不可視のものとして個物(偶像)の背後に潜む。つまり前者では個物それ自体が端的にフェティシュ神であるのに対し、後者において個物はいわば神の代理か偶像かである。また、フェティシズムにおいてフェティシュは、信徒の要求に応えられなければ虐待されるか打ち棄てられるかするが、偶像崇拝において神霊は信徒に対し絶対者なのである。
   
〔引用2-20〕『追放と王国』(背教者)―― 私は死ななかった。若い憎しみは、ある日、私が立ちあがると同時に、立ちあがり、奥の扉に向かって歩み、扉を開き、私の背後で扉をしめた。私は自分の味方を憎んでいた。物神(le fétiche)はそこにいた。私のいたその穴蔵の奥で、私は祈り以上のことをした。私は物神を信じたのだ。私はこれまでに信じたいっさいを否定した。そうだ。物神は力であり権力だった(il était la force et la puissance)。人はこれを打ち毀すことはできる。しかしこれを改宗させることはできない。物神は錆びてうつろな目で私の頭上を眺めていた。そうだ。彼は師父であり、唯一の救い主であった。その論議の余地なき属性は悪意であった。善の師は存在しない。211頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-20〕人は物神を「打ち毀すことはできる。しかしこれを改宗させることはできない」ということは、個体の物神は破壊されても崇拝の対象としては常に再生産される、ということである。役立たずの物神は棄てられ、あらたに諸物から選定される。
   
〔引用2-21〕『追放と王国』(背教者)―― 善の支配は不可能なのだ。悪だけが自己の限界まで徹底することができ、絶対的に支配することができる。その日に見える王国を打ち樹てるために悪にこそ仕えなければならぬ。その後はどうなるか。何はともあれ、ただ悪だけが存在する(seul le mal est présent)。ヨーロッパと理性を倒せ。名誉と十字架を倒せ。そうだ、私はわが師たちの宗教に改宗せねばならなかった。そうだ、私は奴隷だった。しかしもし私もまた悪党なら、足棚を挟められた足としゃべれない口とにもかかわらず、私はもはや奴隷ではあるまい。212頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-21〕「善」はヨーロッパ人の、「悪」は遊牧民の喩えだろう。たとえば、1531年12月、侵略者スペイン人の先住民対策として、メキシコのグアダルーペ近郊に褐色のマリアを出現させた。善なるグアダルーペの聖母像である。ところが、先住民の鉱夫たちは坑道の入口に悪魔像を立てて抵抗し、聖母像に対しても地元の地母神として受け入れたのだった。それはスペイン人には悪であって近寄りがたいものとなった。坑道の外ではキリストを中では悪魔を崇拝したわけである。拙稿「アジール―坑道の外ではキリストを中では悪魔を崇拝」、拙著『原初性に基づく知の錬成―アインシュタイン・戦争・ドヤ街生活圏』社会評論社、2023年、第21章、参照。
   
〔引用2-22〕『追放と王国』(背教者)―― そうだ、物神だけが権力を持つ。彼はこの世の唯一の神だ。憎悪は彼の命令である(Oui, le fétiche seul a la puissance, il est le dieu unique de ce monde)。あらゆる生の泉であり、爽やかな水である。口を冷やし胃を燃やす薄荷のように爽やかな。/私はそのとき変った。奴らはそのことを理解した。奴らに出会うと私はその手にくちづけた。私は奴らの身うちに入った。倦まず奴らを讃嘆した。私は奴らに信を置いた。奴らが私を傷つけたように、私の仲間を傷つけることを期待していた。宣教師が来ることを知ったとき、私は自分がなすべきことを悟った。213頁、(web上の原文にページ番号なし)
〔コメント2-22〕背教者はついに「奴らの身うちに入った。倦まず奴らを讃嘆した。私は奴らに信を置いた」。私にすれば、カミュは物神=フェティシュを等身大に描いている。それは文明の産物でなく先史時代からの遺物なのである。その代表は商品である。専門用語で言うと交換価値である。現代人の大半は、交換価値としての物神に欲求充足の課題を科している。貨幣経済に取り込まれていない人々だけは、先史由来の生活を営んで今日に至っている。その一例はアマゾン流域のピダハン人である。D.L.エヴェレット、屋代通子訳『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房、2012年、125頁)には以下の記述が読まれる。「親族を表す言葉はピダハンには次に挙げる数語しかない。世界でも稀に見るあっさりした親戚関係だ。(中略)ピダハンの言葉には「いとこ」を表す語がないため、予想どおりいとことの婚姻には制限がない。そしておそらくxahaigí〔アハイギー、同胞〕があいまいな語であるせいか、半分血のつながっている女性と結婚する男性もいる」。なんと、ブラジルのアマゾナス州に現存する民族ピダハンは、原初的なライフスタイルを維持しつつも血縁に縛られてはいない。「いとこ」どころか、「兄弟姉妹」を表わす言葉もないようである。それから、血縁であれば当然ながら発生するはずの近親婚禁忌(インセスト・タブー)を欠いている。近親(兄弟姉妹)婚という概念や倫理があってそれを破るとか守るとかではない。モーガンの調査結果を快く思わない人類学者たちが、人類社会の端緒に存在していたはずがないとしていた無規律婚(プロミスキティー promiscuity)が、ピダハン社会では現代にまで文化慣性として残存しているのである。カミュの概念「不条理」を説明するのに、私の場合、ピダハンは最適と思っている。拙稿「兄弟姉妹婚の残影―アマゾン流域のピダハン社会」(webジャーナル「公共空間X」2026.07.04 http://pubspace-x.net/pubspace/archives/15532参照。
 
(いしづかまさひで)
 
(pubspace-x16457, 2026.10.18)