続 身体の変容1 脳・数学・心 

高橋一行

 
   新しいシリーズを始める。
   第1回目は、津田一郎の3冊の本を使う。すなわち、『心はすべて数学である』(2015/2023)、『脳のなかに数学を見る』(2016)、『脳から心が生まれる秘密』(2025)という著作を手掛かりに、以前から気になっている、脳論、数学論、心身論、進化論について数回に亘って書きたい。
   また、このテーマを今後も書き続けて、「続 身体の変容」という題で、連載したい。これは拙著『身体の変容 メタバース、ロボット、ヒトの身体』(社会評論社、2024)の続編として書くつもりである。今回のテーマのほか、以前少しだけ書いた武道論も本格的に展開したい。
   またすでに私は老いについて、昨年、全17回のシリーズ(2024/11/16 から2025/06/08 まで)を「公共空間X」に書いている(注1)。これは前半分をフランス・リヨンで書き、残りの半分は帰国してから書いたのである。残念なことに、あまり評判が良くなかったので、一旦打ち切ったが、私にはまだ未練があり、その続編も書きたいと思っている。それをこれから書くものと併せて、「続 身体の変容」としたい。
   差し当って、脳論、数学論、心身論、進化論、武道論、老い論を展開したいのだが、書いている内に他のテーマも取り挙げたくなるかもしれない。前著では、性や食といったテーマも扱っている。
 
   さて、ここから本論に入る。まずこの3冊の本の題名から次のことを考える。最初に私たちは「脳の中に数学を見る」ことになる。次いで、「脳から心が生まれる」のを確認する。するとここから「心はすべて数学である」と言えるのか。これは三段論法なのか。つまり普遍的な「大前提」に具体的な「小前提」を当てはめ、論理的な「結論」を導き出す演繹的な推論形式なのかと言えば、明らかにそうではない。では単にアナロジーが成り立つということなのか。
   まずここで数学とは複雑系とカオス理論のことであると津田は言っている。そういうことを確認する。その詳細はあとで書くことにして、さて、脳研究にはこの数学が必須で、脳はこの数学で解明できるということがまず著者の主張のひとつである。問題は、心は脳の働きなのだが、だからと言って、心はすべて数学であると持っていくことはできるのかということである。
   もうひとつの疑問が生じる。心の問題を数学で解決できるという津田の言い分は、理系の研究者が、人文科学や社会科学の問題をすべて自然科学の手法で解決できると考えてしまうという、良くあるタイプのものに思えてしまうのである。
   この問題については、津田の3冊の本を読んで、完全に疑念が払拭できたという訳ではないということをここで書いておく。しかし彼の言いたいことは大分分かったように思う。以下そのことを書いていく。
   さらにまた私は、ジジェクの著書『接続された脳とヘーゲル』(Hegel in a Wired Brain)を研究仲間とともに訳しており、その際にジジェクの脳論について、少し物足りないと思い、もっときちんと脳論を研究する必要性を感じている。具体的なことは、次回以降に述べる。また同時に「S. ジジェクを巡る思想家たち 第8回 数学篇」(2026/01/23)を書いている(注2)。今まで脳と数学を別々の問題として考えてきたのだが、ここにおいて両者がこんな風に繋がるというのは私にとって意外であった。
   そのことを以下、まとめていく。まずこの3冊の本に対して、次の様に略称を与える。すなわち、『心はすべて数学である』(以下、『心・数学』)、『脳のなかに数学を見る』(以下、『脳・数学』)、『脳から心が生まれる秘密』(以下、『脳・心』)。
   また私は複雑系とカオス理論に前から興味があり、論文も書いているが、そもそもそれらを津田の本で学んでいる(注3)。津田はこの分野の第一人者である。金子邦彦との共著『複雑系のカオス的シナリオ』は1996年の本である。私は30年前にこの本を読んだのだが、それは衝撃的だったのを覚えている。津田が脳研究にシフトしつつあったのは、知っていた。実際この時にすでに脳について少し触れている。この本の中で津田は、1984年から「脳の解釈学」を提唱していると書いている(金子・津田 p.208)。
   さて先に著者の言う数学とは、複雑系とカオス理論のことであると言った。そのことをまず『心・数学』から見ていく。
   著者は端的に、「複雑系とは、従来の物理学的方法の根幹をなしていた、システムを単純な要素に分解して、その要素の理解を集合させることでシステム全体の理解を行うという要素還元的方法ではシステムの理解ができないような系のこと」と言う(p.98)。システムが発展し、要素はそのシステムの中でのみ意味を持つ(p.102)。すべては関係性の中にあり、要素と要素は関係し、それらはその全体であるシステムの中で意味付けられているということである。
   これはまさにその通りと言うべきであって、ヘーゲル哲学においてもひとつひとつのカテゴリーは体系全体の中でのみ意味を持つのである。つまりヘーゲル哲学もまた複雑系であると私は思う。またそう考えると、津田の言うところは良く理解できる。
   またカオスについては、その説明は『脳・心』が分かり易い。
   まずカオスの説明として、「初期条件のわずかな違いが、長期的な結果に決定的な影響を及ぼす」というE. ローレンツの定義が紹介される(p.64)。様々な運動の軌跡は法則に従う。つまり決定論的に見えるのだが、しかしそれらの運動は非周期的であり、つまり二度と同じ軌跡を描くことはない。また次にどのような軌跡を描くのか、予測はできない。それは複雑なものであるが、しかしそれらの運動の全体を一定時間ののちに振り返ってみると、全体としては秩序の中にある。そういう運動をする。
   生物の身体はカオス的に運動する。そこに動的な秩序ができる。脳の場合もまた、脳全体から諸機能が分化し、それぞれが相互作用して、さらに脳全体が発達する。これはカオス的な運動である。
   また環境の多様さ、予測不可能な変化に、脳は対応し、そのことによってさらに発達する(p.102f.)。柔軟性と可塑性が脳の特徴である。
   しかしそこで確認しなければならないのは次のことである。まずカオスの運動が脳を創ったというのはその通りだと思う。カオス的な運動は自然界に実在し、かつ自然界を支配している。そのカオスが脳に働き掛けて、脳を発達させたというのが、津田の考えるところだ。そしてそこから心が生まれたと津田は自説を展開していく。さらにその心がカオスを認識する。こういう順番である。
   そこでさらに、「カオスはまさに脳という複雑系を複雑系のまま捉えるのに最も適したツール」だと津田は言う(p.121)。それはその通りだろう。しかしそのことと、「脳ではカオスが働く」(p.123)ということとはストレートに繋がるのか。脳にはカオスが働いているから、そこから心が生まれた。その心が自らの出自を確認すべく、カオス理論に向かう。そしてカオス理論が脳研究に最もふさわしいと思う。そういう風に考えるべきか。
   『心・数学』では次の様に言われている。「私は脳の機能はカオスの存在によって現れてくるという仮説をもって研究を続けて来ました。カオスの数学的表現の中に心が現れてくるのだと感じてきた。すると心は数学で表現できるということです」。この限りでは論理的な展開である。しかしだからと言って、この本の表題のように、「心はすべて数学である」とすぐには言えないだろう。心はカオスの運動が創った。心はカオス理論で記述できる。だからその限りで心はカオス的であると言っても良い。そういう話なのではないか。
   『脳・数学』がこのあたりについて最も分かり易い。先の二著は、新書で、分かり易く書こうとして、説明不足になっている。この本は数式がたくさん出てきて、その分厳密に書かれている。
   脳は周囲の人々の働き掛けによって発達する。人々の心を抽象化し、普遍的にしたものが数学で、その心=数学が脳を作っていく(序文)。こういう発想が津田にある。
   そしてこの複雑系とカオス理論が数式を使って説明される。ここがポイントとなるのだが、しかしここは割愛する。このふたつが重要で、津田が数学と言うとき、このふたつを念頭に置いているということが分かれば良い。
   この『脳・数学』の第5章ではカオスと脳が説明され、そこから、第6章でカオス遍歴が扱われる。ここが最も重要である。
   遍歴という言葉には次のような意味がある。まず旅程はあらかじめ決まっていない。あるカオス的な運動をする現象を取り挙げることにして、その現象は心のままにさ迷う旅をするのだが、しかし今までの旅から得たものや感じたものによって影響される。つまり旅の最初の時点で弱い意味付けはある。
   ここでアトラクターという概念が出てくる。アトラクターとは、周囲の軌道をそこに引き寄せる性質を持った集合のことである。現象がある軌道上を進んでいるとき、アトラクターに入ると、軌道はそこに引き寄せられてそこから出られなくなる。つまりそこで収束する。しかしアトラクターは揺らぎを持っていて、不安定になると、その現象の軌道はアトラクター間を遷移することがある。その軌道がアトラクターとアトラクターの間をカオス的に遷移していくということがあり得る。このアトラクター間のカオス的な遷移のことをカオス遍歴と言う。
   脳のニューラルネットワークの活動は、外部刺激に直接対応するのではなく、内部の中でイメージを創り、このイメージを外部の刺激に併せて呼び出し、外界を解釈しようとする。そうすると情報が処理されて収束し、アトラクターの形で脳に履歴として残る。そこに新しい刺激が来ると、脳は、この新しい刺激とそれと良く似た過去のアトラクターを探し出し、アトラクターの間を遷移していく。これがカオス遍歴で、ここで過去の記憶を辿って、この新しい刺激が今までのどの刺激とも異なる場合には、新しいアトラクターが創られる(『心・数学』p.124ff.)。
   このカオス遍歴を踏まえて、さらに脳と数学と心を説明していく。
   ここで複雑性とカオス理論というのは、あるシステムが他者から刺激を受けて、それを内部に取り入れて、内部で機能分化する、その仕組みを説明する。『心・数学』では、そのことが次のように説明される。「脳は他者とのコミュニケーションによって、ダイナミックに構造が変化していく」(p.117)。私はこれを脳の他者性と呼ぼうと思う。著者は、「私の脳は他者の心を通じてできている」とも言う(p.120)。
   もうひとつは脳の機能モジュールの分化で、情報が高い力学系を選び、低い力学系は捨てて行くというプロセスを繰り返して、システムが機能分化していく(p.119f.)。こうして脳は発展する。
   ここは次の様に言い換えられている。『脳・心』では、次の様になっている。心の創発の始まりは周囲とのコミュニケーションであると、ここでも他者の重要性について触れている(p.48)。
   また著者は、脳が大きくなり、そこで相転移が起きて、脳が劇的に変わり、心が生まれたととしている。しかしなぜ脳は大きくなったのか。津田はこのことについて何も触れていない。脳がたまたま偶然大きくなったから心が生まれたのか。脳が大きくなったから心が生まれたのではなく、心が生まれた原因を突き詰めて言ったら、脳が大きくなったことがその原因として考えられるということが分かったということなのである。ではなぜ脳は大きくなったのかということについて、津田は何も答えていない。
   自然人類学の教えるところでは、人が二足歩行をするようになって、重たい脳を支えられるようになったこと、人は未熟児で生まれて、乳児の間に脳に栄養を蓄えられるようになったことが挙げられるが、しかし脳が大きくなったから、そういうことが生じたのか、そういうことが起きたから、脳が大きくなったのか。そこは進化論的にきちんと考えねばならない。これが次回以降の課題である。
   さらに『脳・心』を見ていく。ここでいろいろな脳の特徴が説明される。
   まず脳は、必ずしも事実に即してではなく、脳が自分の中にある因果関係に合わせて物語を創ってしまう傾向がある(p.134)。また「記憶とは、常にダイナミックに変化している脳の活動状態の中で機能している」(p.137)。
   身体があること、無意識があること、意志があること、他者と共感すること、これが脳の特徴である。このように津田は言う。そして私は、これはヘーゲル理論そのものであると言いたい。
   ここから、人間は未来を決めて現在を選択するという考えが紹介される。未来を決めることで現在の自由が成立する。決定論的な世界観とは異なって、未来はカオス的に決められていくから、そこに人間の自由度があるということになる(p.194ff.)。私の言葉で言えば、未来はどうなるか分からず、しかしそのカオス性を理解して、現在の行動を決定していくべきだということになる。
   さらに現在を定めることで、過去の選択肢が生まれるとも言う。起こり得た過去は無数にあった。私たちはそのひとつを選択したに過ぎない(同)。これも私の言葉で言えば、過去を自由に解釈するのではなく、現在生じている結果を見て、そこから過去を構成していくということだ。
   『脳・数学』の第7章に進むと、次のような記述がある。脳は経験に関する物語を辻褄の合うように創り替える。自分の都合の良いように記憶を改竄する(p.102)。また、思考は、結論を前提に戻して再び推論することの繰り返しである(p.99)。
   これは私の言葉で言えば、脳は事後的に必然性を創り上げるということである。私たちは自分で創った物語の中に生きている。そしてこれらはまさにヘーゲルの論理なのである。
   ここで再度、次の問題を考える。
   脳にはカオスが作用している。脳がカオス的だということ。これらはすでに確認している。そしてこれは心がカオス的だということになる。
   この心と脳の関係について、津田は、それは数学と物理の関係であると言う。脳は実体のあるもので、それに対して心には実体がない(『脳・心』 p.30)。数学は、人間が思考し、編み出したもので、人間の頭の中にしかない。この心の働きを抽象化したものが数学であると言い換えられる(p.31f.)。数学は心の学問であるということになる。
   津田の言う数学はここでは唯名論=形式主義的に理解された数学のように思える。数学は心の中にあり、それは心の中にしかないもので、つまり実在はしないと考える。しかし先の記述では、カオスは実在するということになっている。つまり自然の中に、カオスの運動は実際に存在する。カオスは実在し、それを心は反映する。しかしそこのところで津田はあまり詰めて考えてはいないように思えてしまう。
   津田がどの様に数学を考えているのか、分からない。一昔前なら、中世哲学の実在論、唯名論に合わせて、数学は実在するのか、頭の中にある形式的なものなのかという議論があり、そこに直観で数学を理解すべきだという、両者の中間のような考え方が出てきて、それが今では主流であると私は整理している(ケルナー)。
   さらに次のような問題もある。
   「心の専門家だけで閉じて心の科学をやることは、心で心を語ることであって、自己言及になってしまうから不可能でしょう」と津田は言う(『心・数学』 p.87)。私は哲学が専門家だから、まさに心を心で語り、その自己言及性こそが心の特徴であると思っているから、自己言及だと心の研究が不可能であると言われてしまうと、どう返して良いのか分からない。やはりこの人は、自然科学が万能だと思っているのか。少なくとも人文学は自然科学の手助けがないと成り立たないと思っているのだろう。これは本稿の最初の方で、私が「もうひとつの疑問」として書いたことである。
   正直な私の印象として、これら3冊の本の内容は重複していて、その論点はここに挙げたものがすべてである。
   まず心は数学であるという表現は稚拙であると思う。心はカオス的に動く。それはそもそも生物がカオス的に進化して、心を生んだからである、ということに過ぎない。
   またカオス理論は数学のひとつとして展開されてきた。それを哲学的に記述し直すことは、私たち哲学者の重要な仕事だと思うが、そのためにもまずはその数学的な表現を十分に理解しなければならないし、その重要性を確認しなければならない。そこは確認して、その上でなお、哲学の重要性も私は主張したい。
   今回私は、複雑系とカオス理論の重要性については再確認させてもらった。さすがは第一人者による説明だと思う。しかし脳と心の関係、つまり心身問題については極度に単純化されているし、また数学とは何かという議論も素朴なものに留まっている。これについては、今後、このシリーズで深めていく。
   津田の本は、情報量は少ないが、しかしそれらを読むことで今後私が取り組むべきことが整理される(注4)。この些か短い本稿で、私は今後のこのシリーズの意図を書きたいと思ったのである。
   再び整理しておきたい。
   まず複雑系とカオス理論は、数学の可能性を示すものとして注目される。数学そのものが発展してきて、諸科学に活用される。ここでは特に脳研究に、複雑系とカオス理論が必須であるという前提で話を進めてきた。そのことを今回確認して、その上で、この脳研究は具体的に、現在どこまで進んでいるのかということを次回以降見てみたいと思う。
   またその際に、人間の意識を機械に移植しようという試みがあり、そういうことが可能なのかということが問われるべきである。先のジジェクの著者は、このことがテーマである。また同時に生成AIのように、人間の意識とは別の原理で発達してきた知能があり、それは人間の知能とどう異なっているのかということも問われるべきである。その際に、人間の知能は身体の一部としての脳が身体との関係を保ちつつ発展してきたものであるという観点は重要である。そこが機械の知能と大きな違いとなるだろう。
   また脳から発展してきた心の研究も、この脳から発展してきたという進化論的な観点が必須である。つまり脳には、生物の進化の過程の中で発達してきた痕跡が残されていて、そのことが私たちの心の在り方を形作っている。その進化論があらためて問われるべきである。そしてこの進化論の研究にも、複雑系とカオス理論を使うべきである。
   最後にもう一度脳研究とヘーゲル哲学の関係について書き、本稿を終えたいと思う。
   まずかねてから私は、ヘーゲル哲学は複雑系とカオス理論に近いと思っていた。システムは複雑系理論で説明され、その運動はカオス的である。私たちは過去に遡及して、事後的にそこに必然性を見出す。未来の事象はすべて偶然に委ねられているが、しかしそこに過去の出来事の影響が作用している。
   またシステムの運動と言ったときに、そこで考えられているのは、思考の運動であり、同時に存在の運動でもある。それはまさしくヘーゲル哲学がそうであるように、思考と存在の同一性に基づいていると考えるべきなのである。
   さらに先に触れたように、津田は脳の特徴として、「身体があること、無意識があること、意志があること、他者と共感すること」の4点を挙げているが、これもすべてヘーゲル哲学の特徴である。
   先ずヘーゲル理論において、身体への言及が重要な視点になることは、これは私にとって、重要な課題である(高橋2020、及び2024)。またその際に、他者が必然的に要請されることも、私の論点において、重要な位置を占めている。また脳研究においてこの他者性は、ソーシャルブレイン論やミラーニューロン論として、すでに十分な蓄積がある。それらは今後、参照していきたい。またジジェクの先に挙げた著作は、ラカンに言及しつつ、無意識の重要性を語っている。さらにヘーゲル『法哲学』は意志論から始まるということもここで挙げておこう。人間の意志が人間の世界を創るのである。
 

1 その第一回は、以下の通り。「老いの解釈学 第1回 リヨンでレヴィナスを読む」(2024/11/16)http://pubspace-x.net/pubspace/archives/12212
2 「S. ジジェクを巡る思想家たち 第8回 数学篇」(2026/01/23) http://pubspace-x.net/pubspace/archives/14539
3 「進化をシステム論から考える(9) 複雑系について」(2015/11/16) http://pubspace-x.net/pubspace/archives/2702
4 私は脳については、今までまとまったものを書いていない。かつて「進化をシステム論から考える」( (1)-(12), 2015/8/20 – 12/29)を連載したとき、その中のひとつの章にするつもりで、脳について書いたのだが、結論が不十分のように思えて没にしている。また以下が私の言語論で、そこに少々脳論にも触れている。
「ロボットの言葉と身体」(『身体の変容』7-2)
 さらにこれも短いものだが、脳への言及はある。「老いの解釈学 第17回 脳は老いるのか」(2025/06/08) http://pubspace-x.net/pubspace/archives/13354
 
参考文献
金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』、小学館、1998
金子邦彦・津田一郎『複雑系のカオス的シナリオ』(複雑系双書1)、朝倉書店、1996
ケルナー, S., 『数学の哲学』(論理学古典選集3)、山本新訳、公論社、1987
高橋一行「ヘーゲルの身体論」『政経論叢』Vol.88、No1・2、2020
—-   『身体の変容 メタバース、ロボット、ヒトの身体』、社会評論社、2024
津田一郎『心はすべて数学である』(初出2015)、文藝春秋、2023
—-   『脳のなかに数学を見る』、共立出版、2016
—-   『脳から心が生まれる秘密』、幻冬舎、2025
吉永良正『「複雑系」とは何か』、講談社、1996
Žižek, S., Hegel in a Wired Brain, Bloomsbury, 2020
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-x15115,2026.04.28)