若生のり子(NORIKO WAKO)
東日本大震災から半年後の2011年9月11日
東京・霞が関の経済産業省を囲む柵の外の広場に市民有志によってテントが設営されました。
昼夜毎日交代で座り込みを続ける12人が7年間続く「テントひろば」で多様な闘いをしました。
10月、「原発いらない福島の女たち」の座り込みを機にテントは3カ所に増え、
24時間体制の「脱原発運動」の拠点となっていきました
そこには全国さまざまな人人が支援物資を持って応援に駆けつけ
時々外国の方々も旅行の折に、わざわざ立ち寄りエールを送りに来ました。
「テントひろば」は原発と政治について議論する公共的な場所であるとともに、
避難を強いられた福島の人々も頻繁に立ち寄る出会いと交流の<心の拠り所>としても親しまれていきました。
映画の上映会や、会津の盆踊りである「かんしょ踊り」、ライブ演奏、勉強会、演劇、アートの展示、
川柳句会なども行なわれました。
国が訴えたテント設置の合法性を争った裁判で市民団体側の弁護団長を務めた河合弘之さんは
「亡国の官庁」経産省の責任を強く問い
「テントひろば」は、一番悪い経産省の喉元に匕首を突きつける闘い。
最終的な勝利を勝ち取るための要諦で、世論を喚起し続けることが、
全国の原発差し止めの訴訟にも影響を与える」と
・・・
2015年2月26日 東京地裁の判決は、
<テントの撤去や過去の土地使用料として1140万円の支払い>を命じました。
判決後、参議院会館では抗議集会が開かれ、テントに参加してきた市民ら400人が集りました。
郡山から駆けつけた「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さんは、
「福島のことを訴えることは罪ですか。原発はいらないと世界に訴えることはとがめられることなのですか」
「私たちが訴えていることは普通のことです」と時折、言葉を詰まらせながら訴えました。
・・・
テントは16年8月21日に強制撤去されました。
しかし、市民らは屈しなかった。
撤去以降も経産省玄関に向き合う歩道の端にイスを10個ほど並べて、真夏も、真冬も、雨風の日も、毎日、
意志ある市民による座りこみが続けられ、
2025年から、土、日、休日の座り込みを休みにしましたが、
毎週金曜日には脱原発に抗議の声を上げ続けています。
2012年1月27日撮影
代表の淵上太郎さん(2019年3月20日死去76歳)の決意
「原発事故がなければ、テントは必要なかった」と語り、国の原子力政策に反対し、たたかう決意をのべました。
「テントひろば」は、2011年9月11日、福島原発事故緊急会議に集まる人々を中心に初めての経産省包囲行動が成ったその日に建てられ、今年9月11日で1年となった。
地震と津波による東電福島第1原発の大事故は、福島県民を中心に筆舌に尽くしがたい深刻な被災をもたらした。原発が決して安全ではなく、事故後の東電や政府行政の対応も極めて不十分なものでしかなかった。だからこそ多くの人々が脱原発、反原発の要求を掲げて運動に立ち上がった。福島原発事故は収束していない。原発の安全性や事故の検証、原因の究明や責任の追求、損害の賠償など深刻な問題で未解決なまま、故郷に帰りたいという切ない願いを逆用して除染で復興といった本末転倒な政策がまかり通ろうとしている。
経産省前テントひろばは1周年を迎え、改めて「3・11福島原発大事故」の原点に還りつつ、脱原発、反原発の持続的な闘いの共同のひろばとしての役割を果たしていきたい。」
2012年5月5日42年ぶりに、5月5日「原発稼働ゼロ」になった。が
原発の現状(原子力規制委員会23年1月作成)
再稼働 10基
新規制基準合格 7基
廃炉 24基
停止中(進規制基準審査中も含む)
わこう のりこ (Artist)
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