森忠明
小五の春あたりから生きている喜びや楽しさが薄れてきた私は、重いウツ病みたいになり、登校できなくなった。慶応病院の神経科や民間療法に通い、早く立ち直ろうと焦っているうちに小学校の卒業の日がきてしまった。八十日以上休んだら留年という決まりだったので、五、六年生をやり直す覚悟でいた。なにしろ三百日以上休んでいたのだから。しかしなぜか落第せず、中学へ放り出されてしまった。大人たちがこさえた規則なんてのはいい加減なことを知った。
不登校の間、一度も教科書をひらいていないのだ、授業についてゆけるわけがない。なんとかついてゆけたのは図工(中二からは美術)だけだった。担当の川原隆先生は、ひげをはやしたミイラといった尊容で、さほどの出来ではない私の絵や工作に必ず九十八点をくださった。「どうせなら百点ください。たった二点ちがいでしょ」不満げに言うと「芸術作品に満点というのはないぞ。九十八点が最高なの」。先生はぶぜんとしてあごひげをひねった。
中三の美術は女性の教師だったが、その先生も私をえこひいきして、クラス全員が耳を疑うようなことを平気でしゃべった。
「あんたたちがかく絵とね、森くんがかく絵とくらべるとさ、あんたたちのはクズなのよね、クズ。どうしてかなあ、あの子の絵はいいんだよねえ」
中学の三年間を一日も休まずに通えたのは、かくのごとき度外れた励まし、というか、異常なひいきがあったおかげである。
一九七五年、川原先生をモデルにした本を献呈すると、すぐ文の返事がきた。
〈—いっきに読み通しました。相当ねり上げたね。感心した。ちょっぴり言わしてもらうとヒゲミイラなるあだ名はひどいと思うよ。さし絵のほう、いい画家とめぐり会ったね。九十八点かな。でも、なんか、やっぱりさびしいなあ。教え子のモデルになるなんて。僕は僕の作品で登場しなけりゃいけないんだ〉
◆
『画用紙の中のぼくの馬』(ウィリアム・H・ハーディング・作、清水奈緒子・訳、広野多珂子・絵、文研出版、本体一一六五円、九六年一月刊)の主人公アルビンは小学三年生。絵をかくのが大の苦手で、図画の時間は悪夢の中にいるようだ。たとえば馬をかくと「茶色のゼリーみたいに、ぐにゃぐにゃしたかたまりになってしま」い、級友たちにからかわれる。
担任のケーシー先生はアルビンの祖母くらいの年で、一見こわそうだけれど、水彩絵の具セットを貸してくれた上に付きっきりの指導。彼にはありがた迷惑でしかない。しかし先生の熱意にこたえて生き生きとした馬の絵を完成させる。
画家ドランは「物体の生気の再生」を要諦としたが、ケーシー先生も教育とは生徒の生気を呼び起こすことだと考えているのだろう。いつも灰色の服を着ている地味な先生が、鮮やかな彩色で少年の能力をひきだす、というのは意味深い。
(もりただあき)
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
(pubspace-x14254,2025.09.30)