親のまずさ――『ムクドリの子育て日記』

森忠明

 
   独身主義を唱えながら童話を書いていた私に、寺山修司はこう言った。
   「自分の子どもを育てたことがないアンデルセンや宮沢賢治の童話なんて信じられないね。父親になった 忠明ちゅうめいのなら読んでもいいけどさ」
   師の考えは尊重しなければならない。私は結婚して父親になり、七年間娘を育ててきた。と書けばウソになる。育ててくれたのは保育園のすばらしい保母さんたちで、私が教えたのは本のぺージの正しいめくり方ぐらいのものだ。
   七月十九日。ある詩人の三回忌法要に出席したら、教育者と医者が多く、話題は神戸における少年殺害事件に終始。私立中学の校長S氏は「容疑者の親が子育てに失敗したんです。特に母親に欠陥があったと思う。だいたい今の母親たちは自分の子の弁当をつくるのを面倒くさがるんだから」と発言。名刺にリハビリテーションセンター局長とあるW氏は首をひねり「ぼくは父親のほうが責任重大のような気がします。同性として息子の変調に早く気づくはずだし、気づいてオビエて、なんとか対処するべきでしょ。男親は自分にも息子にも甘かったんじゃないかな」
   会の終わりに詩人の奥様が礼の言葉を述べた。その中で印象的だったのは、次のような”教育論”だった。
   「(亡夫の)ただ一つの注文は『子どもらが学校から帰って、ただいまと言った時、必ずおかえりとこたえてやってくれ』ということでした。ですからわたしが働きにでるのを許しません。息子たちはわたしを終日完全留守番業なんてからかいました。他には教育のビジョンもポリシーも無かったですね、あの人には」

   親の真の役割とは何か、決定的には分からない私にも「おかえり」ぐらいは言ってやれそうなので安心した。それでも少し不安なので「パパの悪い点をまとめて書きだせ。反省と研究の材料にする」と娘にメモ帳を差しだした。娘は母親と相談しながら父親の短所を七つ指摘。1、たんすのなかを、せいとんしない。2、きぶんや。3、びじんによわい。4、やくそくをやぶりがち。5、たばこを、すぐすう。6、あかしんごうでもわたる。7、みえっぱり。
   「改善につとめよう」と約束した。すると妻が「三十過ぎの男に意見しても効き目がないっていうわね」と皮肉った。
   文芸評論の大家だった河上徹太郎氏は、十二歳の頃から父親の鉄砲撃ちについて歩いたそうで、「親爺の撃ち方のまずさが僕にはわかるんだな。だから二十歳になって自分で銃を握ると、もう親爺よりずっとうまいんですね。人のまずさがわかるということは大事なことなんですよ、うまさがわかるよりはね」と語っている。娘には私の生き方のまずさを分かってもらうほかないようだ。

   『ムクドリの子育て日記』(河本祥子こうもとさちこ・作、福音館書店、本体一三〇〇円、九七年四月刊)は、ムクドリ夫婦の迷いのない?養育ぶりを、簡潔な散文と的確な絵で記録している。文学偏重というか、ロマンチシズムに浸かりすぎている私は、この理科系的で機能的な文章を、とても新鮮に感じた。
   たけし君の家の戸ぶくろに、つがいのムクドリがやってきて巣作りをはじめたのは四月一日。そこで生まれた五羽が飛び去る六月一日まで、たけし君とお母さんの観察が続く。
   つがいが運びこんだ巣材はビニールのきれはしなど十種類以上。餌はミミズやクモなど二十種類近く。圧巻は、ヒナと同じ大きさのカナヘビを、ヒナの口につっこんで食べさせる場面。目を白黒させながらもなんとか呑みこむ様子は感動的だ。
   鳥でさえこんなに賢く子育てしてるのに人間ときたら―といったふうな情調過剰の思い入れが無いところが気持ち良い。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x12925,2025.03.31)