北原白秋の弟子で、新美南吉のガールフレンドであった童謡詩人清水たみ子先生は、私と同じ町に長くお住まいだ。八十二歳の今も後進の指導や文学賞の選考委員などで御多忙、電話をかけると不在のことが多い。兄弟子の故・与田凖一氏が編まれた「日本童謡集」(岩波文庫)に載っている「雀の卵」という詩は、清水先生の代表作だろう。昭和七年一月号の「赤い鳥」に発表されたもの。
〈あさりは雀の卵だと、/小さい私は思ってた。/海にうまれる貝だって、/いくらみんなが言ったって、/きつとそうだと思ってた。/だあれも見てない朝早く、/雀がおとしていくんだと、/私はいつも思ってた。〉
最近の噂では、まど・みちお氏と仲良く手をつないで歩いていた、という。白秋門下同士の、その麗しいデートを私も拝見したかった。
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六年前、先生の詩集「かたつむりの詩」(かど創房)と拙作が赤い鳥文学賞をあらそい、先生の本が受賞したのだが、何か悪いことでもしたかのようにうつむき「森さんの邪魔をして申しわけない」を繰り返された。十一年前には、まど・みちお氏の「しゃっくりうた」(理論社)と拙作が小学館文学賞の最終候補になった。当然まど氏が受賞し、私に不服はなかったけれど賞金は欲しかった。後日、選考経過を記したパンフレットみたいなのが送られてきて、そこに印刷されたまど氏の受賞のことばを読んだ私は、巨匠のはにかみと優しさを知って感動した。まど氏はこう書いている。
〈—おしまいにかっこうをつけさせていただきたいのですが、将来性皆無の老人の受賞が、無限の将来性にかがやく若い才能のおひとりを犠牲にしたのだろうと、そのことを心苦しく申し訳なく思います。〉
駆け出しのぺえぺえと比較されながら受賞した両大家にしてみれば、さぞ不愉快だったろうと推量し、お気の毒だと思ったのだが、私の数少ないファンは私を気の毒がり「森さんてイジメられやすい人なんですね」とか「無冠のほうが森忠明らしいや」とか慰めてくれた。ところが、新美南吉賞や野間児童文芸賞をもらったら「森さんも賞なんか取っちゃって、タダの作家になっちゃった」などと、今度はイジメる側にまわり「他の作家をひいきすることにしました」なんて年賀状に書いてくる人もあらわれた。カントじゃないけれど、人間には“根本悪”のようなものがあり、何彼につけてイジメたくなるものらしい。「校定新美南吉全集」(大日本図書)第十一巻には、南吉の昭和十二年の日記が収録されていて、二月二十一日には次の記述がある。現代かなづかいにして写す。
〈—例えば清水たみ子に冷淡な手紙を書くとき、又稲生にこちらの景気のいいのを見せるとき、(略)われわれ人間という者は本能的に他人を痛める欲望を持っているものではあるまいか。〉
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『非・バランス』(魚住直子・作、野村俊夫・装画、菊池信義・装丁、講談社、本体一四五六円、九六年六月刊)の話者である少女の「わたし」は、小五の時仲間はずれになり、級友たちの執拗なイジメに耐えてきた。「中学にはいったら、べつの人間に生まれ変わろう」と決め、“孤立作戦”を実行するが、たちまち茶髪三人組に「口なし—」と罵られる。うっぷんを晴らすためにイジメた相手に無言電話をかけ続ける「わたし」。ある日、万引きに失敗して逃げ惑う「わたし」を助けてくれる二十八歳の独身OL。そのサラさんという女性にも陰湿なイジメの過去(希望をかなえてくれない会社へのいやがらせ)があった。
新人らしからぬ現実凝視の深さと、詩人的資質によって、現代人に内攻する不安性憤怒や無支持コンプレックスといった暗夜をリアルに描き、朝日が昇る方角を指し示している。
(もりただあき)
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
(pubspace-x12234,2024.11.30)