ヘーゲルを読む 補遺-1 「否定の否定」について(1)

高橋一行

6-2より続く

 まず、分かりやすいところで、エンゲルスの『自然弁証法』「弁証法」を参照する。量質転化、対立物の相互浸透、否定の否定と、みっつの法則が、弁証法の法則であるとし、それが、量質転化は、ヘーゲル「論理学」の第一部「存在論」から来ており、対立物の相互浸透は、第二部「本質論」から来ており、それに対して、最後の「否定の否定」は、「全体系の構築のための根本法則としての役割」を演じているとしている。
 ここでエンゲルスは、注意深く筆を進めていて、というのも、確かに、最初のふたつが、「存在論」、「本質論」の論理を要約したものだということは容易に首肯し得るし、そのつながりで言うと、「否定の否定」は、発展の論理だから、第三部「概念論」の論理であろうと思われるのだが、慎重なエンゲルスはそうは言わない。「否定の否定」という文言は、「存在論」で出て来るからである。つまり、定在のところ、無限を導出するところで扱われる。概念論で扱われるのではない。
 これはしかし、なぜ、「否定の否定」という言葉が、概念論のテーマではなかったのかという、大きな問題を提起する。
 また、以下、述べるように、「否定の否定」は無限を導出するための装置だが、では、概念論では如何にして無限が導出されるのかということ、及び、概念論で、無限判断が扱われるが、その無限判断と無限の関係はどうなっているのかという問題も、提起する。
 もう一箇所は、『自然弁証法』のメモにある。「論理学」を論じていて、定在のところで、否定概念を論じて、すぐに、「否定の否定」とあり、そこで引用されているのは、『精神現象学』である。「序文」の、「蕾が鼻になり、花が実になる」というヘーゲルの文言を、「否定の否定」だとしている。
 理解は容易である。蕾の定在を否定して、花になり、今度は花の定在を否定して、実になる。蕾が本来、潜在的に持っていたものが、具体的な姿で肯定される。しかし、これは確かに、「否定の否定」であるが、しかし何もわざわざ、そう呼ばなくても良いと私は思う。
この「否定の否定」は、マルクス主義の歴史では、一時期、ずいぶんともてはやされ、しかしスターリンによって、それは否定され、その後、スターリン批判とともに、復権した。まさに、「否定の否定」の「否定の否定」がなされている1。しかしそれだけの話だ。
 さらに、初期マルクスを見る。『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法及び哲学一般の批判」では、「否定の否定」は、肯定であるとし、それこそがヘーゲル哲学の根本で、それを解明しようということで、『精神現象学』が分析される。
 これも、『精神現象学』では、「否定の否定」という文言は使われていないということと併せて考える必要があるが、まず、詳しく、追っていく。すると、ここでマルクスは、フォイエルバッハを批判しつつ、次のように言う。「否定の否定の内に存している肯定(Position)、すなわち自己肯定と自己確証」とか、「彼は、絶対的肯定的なものであることを主張する否定の否定に対して、自己自身に基づいており、かつ積極的に(positiv)、自己自身の上に建てられた肯定的なもの(positiv)を対置する」という文言が出て来る。
 ヘーゲルの哲学が、単に論理的で、思弁的なものであって、人間の現実の歴史を扱っていないというような、マルクスの批判は、ここではどうでも良い。「運動し、産出する原理としての、否定性の弁証法」、つまり、労働の本質を捉え、人間自身を労働の成果として理解しようとするヘーゲル弁証法の特質が、『精神現象学』にあるとマルクスが考えていたことが重要だ。
 「ヘーゲルにあっては、否定の否定は、まさしく、仮象的本質の否定による真の本質の確証ではなく、・・・この仮象的本質を、人間の外にあって人間から独立な対象的存在としては、これを否認し、それを主体へと転化することである」とマルクスが言うとき、それは正しいと思う。
 
 さて、ここまでが、話の枕で、以下私は、次のことを論じたいと思う2
・「否定の否定」という言葉は、『精神現象学』には出て来ない。
・また、「否定の否定」は肯定であるという表現は、『大論理学』の初版では使われず、第二版の「定在」で使われる。
・「否定の否定」は案外、使用例が少ない。
・「否定の否定」は肯定という表現も極めて少ない。
・「否定の否定」は、肯定であると読めない個所もある。特に、「否定の否定」は定在であるとか、当為である、というところではそうなのではないか。
 
 このことを受けて、この補遺-1では、以下のことを考えるべきである。また、補遺-2で、「論理学」について、詳細に検討する。
1.イェーナ期に遡って、いつから、「否定の否定」という言葉が使われているのか、また、無限判断との関係はどうなっているのか、調べる。
2.『大論理学』第一部「存在論」の、とりわけ定在の部分が、初版と第二版で大幅に書き換えられている。その検討をする。
3.『エンチュクロペディー』の中の、「小論理学」の、ハイデルベルク版(H)とベルリンでの第三版(B3)の比較をする。
4.「否定の否定」とは何なのか。拙論の積極的展開をする。また『精神現象学』になぜ、「否定の否定」という表現がないのか。否定概念は、それが、『精神現象学』の基本概念であり、かつ、無限判断が、縦横に使われているので、そのこととの関連を考えたい。
 
 まず、ヘーゲルの年譜を書いておく。ヘーゲルは、1870年、シュトゥットガルトに生まれる。その後、チュービンゲン神学院に学び、卒業後、ベルン、フランクフルトでの家庭教師時代を経て、1801年から、1806年まで、イェーナ大学で私講師を務める。この時期を、イェーナ期と呼ぶ。その後、バンベルクの新聞編集者、ニュルンベルクのギムナジウム校長を務めて、1816年、46歳のときに、ハイデルベルク大学教授になり、1818年には、ベルリン大学に移る。その後、1831年に亡くなるまで、この地に留まる。
 以下、ヘーゲルのクロノロジーが要る。
 5-2でも書いたが、加藤尚武の指摘する、ヘーゲルのメインのラインは、以下の通り。まず、イェーナ期の3つの草稿群、すなわち、1803-4、1804-5、1805-6が残されている。また、『エンチュクロベディー』の3つの版、すなわち、1817 ハイデルベルク時代の初版(以下、H)、1827 ベルリンでの第二版(以下、B2)、1830 ベルリンでの第三版(以下、B3)がある。
この間にあり、かつ、このラインからは、はずれて、『精神現象学』(1807)がある。
 『大論理学』は、1812、1813、1816と、5年かけて、それぞれの部の初版が出る。イェーナ期と『エンチュクロペディー』(H)の間の時期である。第二版は、第一部の「存在論」のみ、1831年に改定され、しかし、ヘーゲルは、第二部、第三部の改定をする前に亡くなる。
 他の講義は、次の通り。これらは基本的に、上述のラインの中にあると言うべきだ。
『美学』1817-1829、『法哲学』1820、『宗教哲学』1821-1831、『歴史哲学』1822-1831
 
 以下、1.について
 すでに、イェーナ期の草稿(1804-5)に、「再び、肯定(affirmatio)である二重否定(duplix negatio)」という文言があるが3、これも、無限性の説明のときに言われていることであり、「否定の否定」は無限概念と併せて考えるべきことで、かつ、その発想を、ヘーゲルは早い内から持っていたと思う。従って、無限と無限判断の違いを明らかにするなどの作業を経た後に(補遺-2で扱う)、再度、考えたいと思う。
 イェーナ期にすでに、上述のように、「否定の否定」という言葉に類するものは使われているし、しかもそれが、肯定であると受け止められる文言も見付けられる。悪無限と真無限という言葉もある。しかし、使われ方を厳密に追う必要がある。ここでは、小坂田論文1997(『ヘーゲル研究No.3,1997』)を使う。小坂田は、ヘルマン・シュミッツに依拠しつつ、以下のように、議論している。
 定立、反定立、総合というトリアーデ、また「否定の否定」という考え方とは別の発想が、無限判断である。前者が、推理論的に、媒介を経て、統一に向かうのに対し、無限判断は、対立するものの無媒介の合一である。イェーナ期(1801-6)のヘーゲルには、このふたつの傾向が、併存している。
 無限判断には、アリストテレスの言う、他性、つまり、いかなる実体的同一性をも持たない他性という、特異な論理的な性格がある。
 また『精神現象学』(1807)では、精神と物質の媒介なき統一という、無限判断論が展開されている。「自己は物である」というのが、その原基的な表現である。そこから、その他の様々なヴァリエーションが出て来る。
 無限判断は、徹底的に否定的なものである。否定判断においては、述語の規定だけが否定されていたが、無限判断では、普遍的な領域までもが否定されている。そして徹底して否定的な判断によって、完全に、互いに深淵を隔てて対立するふたつのものが、結び付けられる。
 さて、では、なぜ、ヘーゲルはこのような判断を重視したのか。ここに無限の概念の重要性が現れる。無限判断が、無限と言われるのは、この強引な結び付きが、とにもかくにも、無限を垣間見させてくれるからである。イェーナ期におけるヘーゲルは、この無限判断で、何とかして、無限概念を捉えようとしたのである。
 しかし、この無限概念は、やがて否定的性格から肯定的性格へと転換する。『エンチュクロペディー』三版(1830)においては、明確に、あるものが、他者への移行の中で、自己関係し、「否定の否定」として、真無限が現れ、存在が回復され、その肯定的な性格が確認される。しかし、イェーナ期には、すでに、悪無限と真無限の区別はあるが、小坂田の言葉で言えば、「自己のもとにあるというねばり強さはなくて、反対への媒介されない逆転が強調される」(p.76)。
 ここでまとめに入る。イェーナ期には、ふたつの傾向が互いに戦っている。ひとつは、推理と媒介へと駆り立てて、「和解とねばり強さ」に駆り立てられていく傾向であり、もうひとつは、真理を、媒介されない衝突の中に、つまり無限判断の中に、つまり飛躍の中に見出す傾向である。そして一般的には、後者から前者へと、ヘーゲルは比重を移して行くと考えられている。しかし、両者あいまって、ヘーゲルの体系を成していることに注意すべきである。
 私の言い方では、前者に比重を移しているとは言え、後者の要素がなくなったのではなく、その体系の前提に、常に残っていて、そこを確認しなければならないと思う。
 補遺-2で、悪無限から真無限の導出、関係性の中の無限、個別と普遍の関係の中の無限を扱うが、そこでもこのことは確認される。
 もうひとつ、6-1で扱ったジジェクは、後者を強調しただけでなく、前者の中に、後者があること、後者こそが、ヘーゲルの体系の大前提であることを確認している。そしてその読み方は正しい。
 さらにもうひとつ、後者から前者への比重の移行とともに、以下に述べるように、『大論理学』の二版では、さらに、表現の簡易化がなされている。つまり、「否定の否定」と言うとき、すでに、その肯定性は、明らかである。しかし明確に、それを肯定であると言い切ることで、後者の無限判断性が、すっかり消えてしまう。そこはさらに、一歩、踏み込んだと言うべきで、しかし同時にそれは、ヘーゲルにとって、退歩であったと思う。
 
 以下、2.について。
 寺沢恒信訳『大論理学1』(1977)の解説が、『大論理学』第一部「存在論」の初版(1812)と、第二版(1831)の違いを説明している。
まず、このふたつは、相当に異なっている。とりわけ、「定在」の箇所が書き直されている。そして、その書き直し方について、寺沢氏は、第二版の方が、「あまりにも事柄を割り切りすぎており、きれいに形式を整えすぎている」(p.513)と言っている。私もそう思う。結論から書けば、寺沢氏は、第二版を書いた時に、ヘーゲルは老化していたのではないかと言っている。それは、まず、第二版は初版に比べて、形が整っているし、第二に、分かりやすく書こうという努力があり、そのことによく表れているというのである。つまり年を取って、難しいことを難しいままに放っておくことができなくなり、分かりやすい表現に治してしまった。そして、そのために、論理的な展開を犠牲にしてしまったということだ。
 具体的には、次のようなところに、それが現れている。ここは、次節で、詳細に展開するが、まず、初版から見て行くと、定在は、対他存在を止揚する運動として、それが否定的統一に至ることによって、定在するものとなる。あるいは、そのことを、あるものの存在は、他在の非存在にあるとも言っているし、他在の否定を通じての自己関係という言い方もする。これらはいずれも、「否定の否定」である。つまり、非定在、他在、対他存在などが、第一の否定であり、それがさらに否定されて、定在するものという、自立的な存在が成立する。
 この機構は、第二版でも変わらないのだが、しかし、そこでは、あるものは「否定の否定」として、存在するものであると言われ、そこでは、存在するという、肯定的側面が強調されている。初版では、第一の否定の、非定在、他在、対他存在などの説明が十分にあるのに、第二版では、それらが軽く素通りされて、すぐに「否定の否定」に行き、肯定的なものが成立する。初版では、定在から、非定在が導かれ、さらにそこから他在が出て来て、それがさらに否定されて、自立的な存在が成立するのだが、第二版では、この非定在や他在は、説明の後半部で、軽く扱われるだけである。
 このように言い換えても良い。初版においては、あるものの根底に否定的なものがあり、それは否定的なものであると同時に、「否定の否定」として、肯定的なものであり、それが定在するものを成立させ、そうして、その否定的契機と肯定的契機が、定在を次のカテゴリーに移行させるという説明があるのに、しかし、第二版では、そうではなく、あるものは、単に、「否定の否定」としてだけしか、捉えられていない。そこでは、非定在も、他在も、論理的に導出されていない。
ここがポイントのように思われる。つまり、「否定の否定」と言うためには、十分に否定概念が徹底され、その上で、それを否定するということが出て来て、かつ、それは、単なる肯定ではなく、否定概念が徹底された上での、高次の肯定なのに、第二版では、その説明が不十分で、単純に、分かりやすくしてしまっているのではないかということである。
  
以下は、3.について。
『ヘーゲル論理学研究』(No.6,7,8, 2000, 2001, 2002)に、ハイデルベルク版『エンチュクロペディー』(H)の「論理学」の部分の訳があり、また解説に、HとB2、B3との比較がある。以下、B3は、岩波文庫版『小論理学』を参照する。なお、B2とB3はそれほど変わらないので、ここでは、以下、HとB3とを比較する。
 まず、HとB3の一番の違いは、分量が増えていることである。Hは、288ページ、477節で、B3は、600ページ、577節である。 しかし、「論理学」の「存在論」の部分は、HとB3と、それほど大きな内容上の変更はなされていない。
 ここで、「否定の否定」に関して言えば、Hの48節と、B3の95節に、「存在が、否定の否定として回復させられる。この回復された存在が、対自存在である」と、両者、ほぼ同じ文言がある。
 ここで「回復(hergestellt)」されたということは、肯定なのではないか。
また、B3には、111節の冒頭に、「今や無限なもの、否定の否定としての肯定は、・・・」とあり、Hでそれに相当するのは、63節であるが、この文言はない。しかし、「自らの他在において、自己を止揚するのと同様に、この他在をも止揚してしまうような否定性である。このようにして、自己を自己自身へと関係付ける存在こそ、本質である」と、最後にあり、これは、B3の111節の最後と、同じである。つまり、B3の111節は、Hの63節に、その前半部分を増やし、付け加えたのである。確かに、「否定の否定は肯定」という表現は、B3にしかない。しかし、HとB3と共通する後半部は、他在という否定性がさらに否定されて、存在という肯定に至るのではないか。
このふたつの箇所から言えるのは、HとB3と、内容上の変化はなく、ただ、分量が後者の方が増えているということである。そのために、明瞭に、「否定の否定は肯定」と言われることになる。
その他、私が手にしている、岩波文庫版だと、B3の本文に加えて、補遺があり、そこには、明確に、「否定の否定は肯定」という文言があるが、これは、後に、ヘーゲルの弟子のノートからとったもので、本文にある訳ではない。
 なお、補足的に、と言うか、ついでに言えば、次のことが指摘できる。この、HからB3への、「論理学」の部分で、大きく変わっているのは、「予備概念」の本文を成す「客観に対する思想の三つの態度」のところで、その記述が大幅に増えている。すなわち、古い形而上学と、経験論とカント哲学、直接知に関する記述が、Hと比べて、B3で、格段に充実している。
 このことについて、先の訳者の一人である、小坂田英之は、ヘーゲルは、古代の懐疑主義を評価し、これと、近代に経験論とが調和することで、懐疑主義の否定概念が外面的なものから内面的なものになり、「論理的なもの」の第二の契機、「弁証法的側面、否定理性的な側面」が確立すると言っている(No.6, p.80)。このことが、B3で、よりはっきりとしている。
 どういうことかと言えば、「予備概念」には、Hでは13節から16節、B3でも79節から82節と、どちらも4節を使って、「論理的なものの三側面」についての記述がある。ここのあたりは、両者、ほとんど変わりがない。この論理的な三側面というのは、抽象的、すなわち悟性的側面、弁証法的、すなわち否定的理性の側面、思弁的、すなわち肯定的理性の側面である。とすると、小坂田がここで言っているのは、Hと比べて、B3において、ヘーゲルは、客観に対する思想をていねいに分析することで、論理的な側面の二番目の、弁証法的、すなわち否定的理性の側面を確立したということであり、ここに、ヘーゲル哲学における、否定的なものの重要性が、あらためて、確認できる。つまり、後期ヘーゲルにおいても、そのことが確認できる。すると、後期になって、ヘーゲルは思想を変化させて、否定性を軽視したということではなく、単に、より分かりやすく、書き換えているだけであると、ここでも言うことができる。
  
以下、4.について
このことについては、「ヘーゲルを読む」の全体の中で確認をしたい。またその際に、マルクスが、『経済学・哲学手稿』で、ヘーゲルの「否定の否定」という、「肯定的な関係」を、人間の労働の弁証法として取り出した時に、依拠していたのが、この『精神現象学』であったことは、注意されて良い。エンゲルスもまた、『反デューリング論』において、「否定の否定」の例を、『精神現象学』に求めている。つまり、「否定の否定」という言葉がなくても、その考え方は、『精神現象学』にあるということになる。
 「否定の否定」は無限を導出する原理である。マルクスが、その言葉が、その中で使われていないにもかかわらず、『精神現象学』の中に見出したのは、正しい。また、エンゲルスが、それを、ヘーゲルの根本法則と考えたのも、正しい。このことは、すでに、本稿第2章で扱った通りである。
 しかし実際には、この言葉は、「存在論」に、出て来る。それはそこで、無限が論じられるからである。これはさらに重要な問題を提起する。つまり、無限はヘーゲル哲学のキーワードなのに、なぜ、「存在論」で扱うのか。あたかも、ヘーゲルがそれほど、この概念を重視していないかのようである。しかし、「本質論」でも「概念論」でも、この概念は現われる。すると、「否定の否定」も、言葉こそないが、常に、つまり、『精神現象学』でも、「論理学」の「本質論」、「概念論」で、現れているはずだ。
 また、前述のマルクスとエンゲルスの著作の昔から指摘されているように、「否定の否定」は、「回復」、「反復」という言葉で説明されることも多いが、これはやはり、高次のレベルでの「肯定」と見るべきだということになる。
しかし同時に、私は、ジジェクに倣って、「否定の否定」は、実は無限判断であり、つまり、否定の徹底であると言うことができると思う。このことは、「ヘーゲルを読む」の、6-1と6-2で扱った。イェーナ期に、無限判断論的発想と、「否定の否定」的発想があり、後者が次第に優位になるにもかかわらず、実は、常に前者の発想が、ヘーゲルには残っているのである。ひとまず、ここまで言っておく。もっと詳細に議論を詰めるためには、「論理学」の読解が必要だ。
補遺-2へ続く
 

1. 三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』(講談社、1968)p.237ff.
2. この論点は、相馬千春氏との、私的なやり取りから得たものである。
3. 田辺振太郎訳は、ラッソン版を使っており、この時代を、1800/01としているが、最新の研究では、これは、1804/05である。
 
参考文献
F. エンゲルス『自然の弁証法1、2』菅原仰訳、1970、大月書店、Marx Engels Werke20, 1975, Diez Verlag
K. マルクス『経済学・哲学手稿』藤野渉訳、1963、大月書店、Marx Engels Gesamtausgabe2, 1982, Diez Verlag
 
以下はヘーゲル
『論理学・形而上学』田辺振太郎訳、1971、未来社、Hegel Gesammelte Werke(以下GW)7, 1971, Felix Meiner Verlag
『大論理学1(初版)』寺沢恒信訳、1977、以文社、GW21,
『大論理学 上巻の一、二、中巻、下巻』(上巻のみ、第二版)、武市健人訳、1956, 60,60, 61,岩波書店、GW11, 12,
「ハイデルベルク・エンチュクロペディー「論理学」」『ヘーゲル論理学研究』,No.6,7,8, 2000, 2001, 2002, GW13
『小論理学 上、下』松村一人訳、1951, 52、岩波書店、GW20