身体という他者

高橋一行

   
                          
沖縄空手を習っている。20代前半に、別の流派の空手を習い、その後長く間隔を空けて、30代後半になって、今の流派の門を叩き、その後、外国にいた時期を除いても、もう、10数年になる。
年に、二、三度は、本部道場のある沖縄に出かける。そこには、達人がたくさんいる。そして、彼ら達人の隣りで練習をしていると、時々、気付かぬ内に、その達人の動きに、私の身体が反応していることがある。つまり、私の筋肉も、達人のそれのように、しなやかに伸び、腰は安定し、足の裏は床板に馴染み、力強く、技を繰り出す。私の身体は、意識を超えて、見事な演武をしている。この感覚は楽しい。もはや自分の身体ではない。それは私の意識を媒介せずに、他者の身体と共鳴し、他者と同化する。
また、時に、人前で演舞をすることもある。多くの人が見ており、私は緊張し、しかし、演武が始まると、すぐに気持ちが乗って来て、あとはもう無意識に身体が動いている。ふと意識が戻って、落ち着いてと自分に言い聞かせ、また、これで前半はうまくやった、これから後半だと、その程度には意識がある。しかし、すぐにまた、無意識の世界に入って行く。そうして気付くと、演武が終わっている。この感覚も楽しい。無意識である限り、つまり私が意識しているのではないという意味で、この身体の動きは他者のものだと思う。
ここのところ、ヘーゲルの身体論に取り組んでいた。私はまず、身体を所有し、身体は私に同化して、私のものとなり、今度は、私は、その身体を使って、対象に働きかけ、その対象を自分のものにするという、ロック的な所有観をヘーゲルもまた採用している。しかしヘーゲルの場合、それで終わらない。つまり、それほど単純ではない。身体は、私のものになるが、しかし、そこで他者性を失わず、他者のままでもある。つまり、それは、私の言うことを聞かない。私の身体は、私の思うようには動かない。そういうことは、空手の練習をすると、良く分かる。意識が先行して、前のめりになるが、足は付いて来られず、転んでしまう。自分では、背筋を伸ばしていると思っているのに、猫背になっていると注意をされる。これはもう、私の身体ではないと思うのがしばしばである。
しかし、先に述べたように、私の意志とは別に、私の思惑を超えて、見事に身体が動くときもあり、そういう時も、これは私の身体ではないと思う。
所有論として、身体を見た場合、ヘーゲルの論点において、決定的な観点は、所有物の放棄という概念である。つまり、所有物は、自分のものになり、しかし、いずれは他人のものになる。他人のものになるときにこそ、その物を真に所有していたことになるというのが、ヘーゲルの論理だ。とすると、身体の放棄とは何か。例えば売買春や、自らが奴隷になる、または奴隷を所有するということが、理論的に可能で、かつ現実的にもそういうことはあるのだけれども、それを私たちは、道徳的にも法的にもしてはいけないとし、そのことで、社会を構築する。身体の放棄という事態を巡って、規範や人間関係が見直される。そういうことを考えても良い。
また、ヘーゲルが考えているのは、死において、身体は、放棄され、個と類は一体化する。死という、最も手強い他者に、自分の身体を手渡すことで、私の個体性は消え、人類の一員として、永遠の生を生きる。ヘーゲルの身体論の要点は、そんなところか。しかし、それだけが、身体の放棄なのだろうか。
 
瞬間的であれ、身体が自分のものでなくなるという感覚が貴重である。上で述べたような感覚は、実はいくらでもある。むしろ、そういう感覚があって、そういう経験を経て、私たちは、自分の身体を自分のものだと思っているのではないか。自分のものでない身体をあらためて、自分のものだと感じるのではないか。
 
ヘーゲルに、案外身体性があるという議論を、私はしている。しかし案外あるというだけの話で、ヘーゲルは、身体について考察した思想家ではない。身体について考えるのに、従って私は、別の、様々な文献に依拠することになる。
木村洋二(『視線と「私」』)に拠ると、身体を主体の単なる客体と見るのではなく、無意識を伴う全体としてとらえる身体論が流行ったのは、1980年代のことである。私だとか、主体だとかを、ひたすら追い求めた結果、行き着くところは、身体である。そしてさらに、そこから、他者論に進むのが、その後の、現代思想の流れである。
手元にある、市川浩の『精神としての身体』は、1975年で、その後、例えば、菅孝行の『身体論』は1983年に出ている。野口三千三の体操論も、その頃、流行っている。野口春哉の整体協会に、私が入会したのは、最初の子どもが生まれる前で、これも、1980年代。以後、三人の子どもは、生まれたときから、ここの会員だ。いつか、野口整体については、何か書くべきだと思っているけれども、相変わらず、気が多く、実際に取り掛かることができない。ただ、以下のことは、すぐに言うことができる。この独特の身体観は、ひとつは、無意識を取り入れたことにあると思う。つまり無意識の身体の動きを重視している。活元という表現をするのだが、身体が無意識のうちに動いて、身体の歪みを調節する。また人と一緒に、その無意識の動きを発現させるべく、定期的に、集まりもある。子どもが小さい時には、ずいぶんと通ったが、今は妻が時々出かけて行くくらいの付き合いになってしまった。しかし、その身体観は、私の根本的な思想を支えているように思う。
 
さて、時々沖縄に出かけると書いた。以下は、前回の沖縄行の体験談である。金曜の昼までに仕事を終えて、そのまま羽田に行って、沖縄に入り、夕方から夜遅くまで、たっぷりと、また翌日は一日中、空手の練習をして、さて、日曜の朝も、早く起きて、軽く練習をして、昼から皆が道場に集まって来る。いよいよ、演武会が始まる。一体、そのくらい練習すると、もう、筋肉痛を感じるといったことは、越えてしまって、本番では、まったく無意識に、体が動いている。その感覚は心地良い。先の、達人と共振する経験や、人前での演武での無意識の動きは、この時にしか得られない。この程度に練習を経たのちに、達する境地である。
しかし私も若くはなく、これだけ無理をすると、後が大変だ。苦しむのは、帰京して、翌月曜になってから。全身の筋肉が痛み、筋がこわばっている。咳をすると、背中の筋に激痛が走る。仕事の最中に、大きな咳が出て、激痛のあまり、その場にうずくまってしまう。
やむなく医者に行く。外科でレントゲンを撮ってもらうが、何も異常はないと言われる。そこでは痛み止めの薬だけもらって、続けて耳鼻科に行き、今度は咳止めをもらって帰る。歯医者以外の医者に掛かるなんて、何年振りかと思う。
そういう後始末も含めて、ずいぶんと自分の身体に付き合わされる。面倒だが、仕方ない。こいつは、最も親しい友人なので、この程度の付き合いは、行き掛かり上、避ける訳には行かないと思う。
最近は、給料をもらっている職場での仕事が忙しくなり、また何とか早く、本を書き上げたいという思いも強く、病気の母親のことも気になるので、昔から関わっていた、複数の研究会には徐々に出なくなり、近所での飲みの付き合いも減らし、外国に遊びに出かけるのも極力減らして、残ったのは、この「公共空間X」の付き合いと、空手の練習だけだ。今回は、その後者の話。
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x1076,2014.07.11)