片恋地獄篇—―『ごめん』

森忠明

 
   先週、地元のロータリークラブで講演をした後、会食していると、ワインをきこしめして赤い顔になった幹事のO氏が、「森さんの初恋はいつ頃ですか」と言った。「小学三年生の二学期かな。相手は同級生、つらい片思いでした」と答えたら、「ぼくもそう、小三なんだ。たしかダンテがベアトリーチェに出会った年齢ですよ、九歳か十歳は」。
   高級料亭の社長であるO氏は、六十歳の今も初恋の人を忘れられず、「夢の中でキスさせてもらおうとしたら肘鉄砲をくらいましてね。あー恥ずかしい」と、更に赤くなっていた。
   十年前の八月、立川駅前の画廊で個展をやっていた八十歳のS女史と知り合い、次女(モダン・ダンスの有名な踊り手)を留学させる時の苦労話などを伺うことができた。翌年その次女氏がアメリカから帰り、青山円形劇場でダンスコンサートを催し、私も招待された。S女史の友人山谷初男氏と飛び入り、でたらめに踊らせてもらって愉快だった。ダンサーの母とユニークな俳優といっしょに劇場を出て、渋谷のガード下の喫茶店に寄った。山谷氏が席を外すとS女史は暗い面持ちになって、初恋の人が戦死した日のショックを語りだした。
   「あれは私の片思いね。出征する前日。手も握ってくれなかった。いつまでも彼のことが忘れられないの」
   コーヒーに視線をおとしていた私には、初々しい乙女の独白のように聞こえた。

   小学三年生の秋口。高尾山へ遠足に行った私は、小粋なチェックのブラウスを腕まくりしていたKちゃんの美しさに気づいた。しかし、彼女は私を完全にネグレクト。寂しかった。中学でも同じクラスになり、毎夏校内プールで目にするワンピース型水着のまぶしさ。背泳が特技の彼女を”月”とすれば、金槌の私はさしずめ”スッポン”だな、と卑下するばかり。そのへんの悲しみを拙著「悪友ものがたり」(文研出版)では次のように書いた。
   〈でも、スッポンはカメと同じように泳ぎが得意な動物だから、泳ぎの下手なぼくはスッポン以下ということになる。もしかすると大昔、ニンゲンに生まれてくる前のぼくと杉原さんは、仲良く暮らしていたスッポンのオスとメスだったかもしれない。ところが杉原さんは、スッポンからニンゲンに生まれかわった時、記憶喪失症にかかって、ぼくを愛していたことを、すっかり忘れてしまった。いっぽうぼくは杉原さんを忘れなかったかわりに泳ぎ方を忘れてしまった。ニンゲンの片思いというのは、大昔、オスとメスで仲良く暮らしていたころのことを、相手に思い出してもらおうとすることなんだ〉

 
   『ごめん』(ひこ・田中・作、山崎英樹・装丁、偕成社、一八〇〇円、九六年一月刊)は、青春前期の性的惑乱という扱いにくいテーマに挑んだ力作長編。
   小学六年生の聖市くんが、中学二年生のナオコさんに心を奪われ悶える様子は、三十六、七年前の私とそっくりだ。冗漫でケタタマシイ文章や独り善がりの荒っぽさはいただけないが、安気な童心主義者をたじろがせる迫力と、新しいルードボーイ(愛すべき無作法少年)を造形しかけた手柄は認めたい。
   最も共感したのは〈俺の体の一部〉なのに意志に反する”モンスター”に悩んだり、夢精のみじめさに沈んだりする場面――〈俺、あれからもう二回も、寝ているあいだにパンツを汚してしまったもん。んで、それは風呂に入ったときに自分であらった。外にほすとかあちゃんに見られるから、夜、机のライトのカバーんとこにクリップでとめてかわかした。蛍光灯の光ってかわかないのやなあ、これが〉。この本を小学高学年で読みたかった。春機に伴う妄想の苦しみも軽くなり、私の片恋はいささか楽になったはずである。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x10262,2023.07.31)