七百分の一天使――『のんちゃん』

森忠明

 
   成人式の日に築地本願寺で通夜があった。私の高校時代のK先生(数学担当)が、六十三歳で病死したのだ。久しぶりに会した元同級生十人は「ちょっとお茶でも」と有楽町へ流れた。喫茶店の席につくやいなや、放送作家になっているTがでかい声で言った。「先生に一番迷惑をかけたのは森だなあ」。手話の名人になっているA女史がつられたように「そう、森君が一番先生を泣かしてる!」
   劣等生だったことを自慢するつもりはないけれど、私が非常に良くない生徒だったのは、小学生の頃からで、厄介をかけたのはK先生ばかりにではない。
   この連載の一回目に高所恐怖症であることを白状したが、もう二つ、私には広場恐怖(アゴラフォビア)と閉所恐怖(クラウストロフォビア)の気があり、校庭(広場)と教室(閉所)が苦手なのである。
   小学校五、六年は不登校。祖父の行きつけの温泉などで過ごすあいだ、幼なじみからの電話や手紙はありがたかった。中学は校内新聞(月刊)づくりに没頭したので成績は芳しくなかったが、顧問の先生に可愛がられた。高校は都立でも、偏差値が最低だったから、コンプレックスを持つ者が多かったけれど、詩や華道をサシで指導してくれる先生方と出会えて幸せだった。晴天の日にはエスケープ、山登りや川遊びを楽しみ、「”性来豆腐と数学を好まず”って尾崎紅葉も書いてますねえ」などとうそぶき、K先生を腐らせたりした。

   百貨店の幹部社員になっているMは、苦汁をなめるような顔でコーヒーをすすり「赤点だらけの森がなんで卒業できたのか不思議だ」と言った。するとパソコンのソフト会社の社長になっているCが「数学の”追試の追試”を一人で受けた森のところにオレが忍び込んでな、教えてやったからさ」と秘密を公開してしまう。そういえば、あの”追試の追試”の試験官をしていたモロズミ先生が、単なる小用でか、Cが忍び込むチャンスを与えようとしたのか、五分ぐらい教室を外したのだった。でなければ私は高校四年生?をやっていただろう。
   「コンニチあるのは、皆様の情けのおかげです」。頭を下げた私の口調はおどけていても、善い級友と師とに恵まれた強運を、身に染みて感じていたのである。

   『のんちゃん』(ただのゆみこ・作、小峰書店・一二〇〇円、九六年十月刊)のフルネームはさとうのぶひろ、小学四年生。ダウン症候群による知能障害者ということになっていて、先生や級友たちにあれこれ面倒をかけるのだが、私のように邪悪でひねこびれた生徒ではないから、周りのみんなを純粋な献身や、真の共賛へいざなう、まったく貴重な存在なのだ。
   校長室、養護室、用務員室をつぎつぎに急襲、そこの主と仲よしになってしまうのんちゃん。小四の夏、校長室の出目金と自分ちの鮒とを無断で取りかえっこした私とくらべたら罪は無い。運動会ではノロノロ、音楽は調子っぱずれ、学芸会では目立ちすぎののんちゃん。いやな行事を平気でサボっていた私とくらべたら真面目そのもの。先生に叱られた同級生のりょう君を「いーよ、いーよ」となぐさめるのんちゃん。他者の失敗を嘲笑しがちの私とくらべたら聖小児のようだ。道路の損所を見つめながら「いたい?いたい?」といたわるのんちゃん。ひとし君に毎朝チューをして熱愛を伝えるのんちゃん。物との、人との、本来的で完全な交信の仕方を、鮮烈に思いださせてくれるのんちゃん。
   〈ダウン症候群は六百人か七百人に一人の割合であらわれ〉〈性格はほがらか、素直で、音楽や踊りを好む〉と医学書は記す。
   それはつまり、七百人に一人の割合で〈天使〉が誕生するという、うれしい報告でもあるのではないか。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x9681,2023.02.28)