絶景貧乏性――『空と話せる指定席』

森忠明

 
   昨春、初めて福岡タワーに昇った。生来の高所恐怖症と”絶景貧乏性”のために、展望台でのコーヒーを味わう余裕もなく、そそくさと降りてきた。
   高所恐怖症には同感してもらえても、勝手な造語の”絶景貧乏性”にうなずいてもらうには、少し説明を要するだろう。
   私が生まれ育った東京立川市は、今でこそインテリジェント・シティなどと称して、路上に現代アートを置きまくったり、ウィーン・フィルをむかえたりしているけれど、つい一昔前までは、軍都あがりのきな臭さがただよう無風流な町だった。冬に数回、白富士を遠望できるのが精々の、およそ風光明媚とは縁のない地点なのである。
   そんな所で四十八年も暮らしてきたせいか、由緒ある古都や絵ハガキにしたいような風景に接すると、”不吉な多幸”といった胸騒ぎにおそわれる。ひどい時はその美しさ(あるいは自然の非情さ?)に畏怖をおぼえ、予定を急に変更、終電や始発で帰ってきてしまうこともある。これを”絶景貧乏性”と名付けたわけだが、友人のひとりは「単なる劣等意識でしょ」と言い、もうひとりは「デリカシー自慢じゃないの」と冷笑する。

   生後すぐ親から離された子猿は、ある種の脳内物質が減少し、成長後の行動に異常をきたすらしい、というテレビ番親を見て、私は心配になった。子ども時代に山紫水明や清浄な大気に恵まれなかったものには、やはりある種の脳内物質が不足してるんではないか、と考えたのである。なにしろ、あの昭和三十年代、経済成長しょつぱなの頃、大人たちの欲望むきだしの悪環境の中で育ってきたのだから。
   でも、風に乱舞するハズレ車券と戯れていた子ども(私)には、それが我が前途を祝福する花吹雪に見えたことは真実である。
   「美に乏しく、いかがわしい町だって、入射角のとり方によっては詩も夢もあるだろう。ゆえに私は自分の生地を書きつづけてきたのだ」と見得を切りたいところだが、転居のための金策と他国への取材旅行が面倒だっただけのこと。
   五冊目の本を出した時分には「また立川が舞台ですかあ」などとうんざり顔だった人も、二十冊目あたりには「今度は立川のどの辺が」などとあきらめ顔になってくれた。
   「昔はこんな作家もいていいと思ったが、今はこんな作家こそいなくてはと思っている」と、なんだかヤケクソ気味にほめてくれたのは、御同業の童話作家皿海達哉氏。

   『空と話せる指定席』(加藤章子・作、藤川秀之・画、国土社・一八〇〇円、九六年十二月刊)は信州の絶景が主人公、と言ってもよい、実に麗しい短篇集。下諏訪生まれの作者は私のように屈折した郷土愛ではなく、素直で清々しい心境をもって地元と人間をつづっている。うらやましい、というより、それを通りこして憎らしいようなものである。
   表題作の「空と話せる指定席」では天狗岳が、「芒を見たい気分」では霧ケ峰が、「ニッポンサンケイの夜」と「花踏むころ」では諏訪湖周辺が物語の舞台になっている。「空と-」は、小学五年の女の子と大学三年の叔父が、雄大な山嶺にいどむことで、それまでのわだかまりから解き放たれるプロセスを丁寧に描出。
   あとがきに「信州はどこを向いても山ばかり。太陽も月も山から出て山に沈みます。山と湖と青い空のある町。ここが私の町。遠くに北アルプスを望み、近くに八ケ岳を眺め」と記してあって、ますます私をうらやましがらせた。
   四篇とも、さりげない愛の形象で、目立った趣向があるわけでもないのに、新しく、かつ正統の青春文学と思われた。明度高く、香気あふれる町に住む作家ならではの秀作。装画もすばらしい。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x9410,2022.12.31)