科学者倫理を考える会
代表 石塚正英
2020年10月1日、菅義偉首相が日本学術会議の会員候補の任命を拒否するという一件が公表されました。この出来事から私は、世界大戦中の〔総力戦〕を思い出します。そして、歴史的背景としての〔総力戦〕体制の再来を想起します。科学技術は、次のようにして戦争に利用されてきました。
19世紀末までに、ヨーロッパ諸国では交通運輸を始め、様々な分野で科学技術の成果が実用化しました。例えば交通機関ではドイツのディーゼルが内燃機関の性能をアップさせ、スエズ運河やアメリカ横断鉄道、シベリア鉄道、パナマ運河などの開通とあいまって、船舶その他の大型運輸機械の動力に活用されました。また、ガソリン・エンジンの発明は自動車産業や航空機産業の発達を促しました。さらには、アメリカのベルが電話を発明しイタリアのマルコーニは無線電信機を発明しました。こうした科学技術の成果は、しかし、20世紀になると戦争に動員されることとなるのです。自動車は戦車に、航空機は戦闘機に、船舶は戦艦や潜水艦に応用された。また、戦場での大量殺傷用の毒ガスも製造されました。以後20世紀全般にわたって、いわば戦争が科学技術の産婆役を果たすことになるのでした。第二次世界大戦中、アメリカでは敵国諸機関の無電を読み解く技術が開発され、ドイツでは当初から軍事目的でロケットが開発されました。列強の科学者たちがしのぎを削って秘密裏に開発した原子力は、アメリカ政府によって爆弾として使用されました。こうして20世紀の戦争は、軍事力・経済力、そして科学技術力などの総合された戦争、いわゆる総力戦となるのでした。
1943年11月26日付『朝日新聞』には「全科学者を戦闘配置」という見出しの記事が読まれます。「深刻な科学戦の様相を次第に激化し来つた戦局の推移に対処し、政府はさきに科学技術の動員に関する総合的根本的方策の重要な一環として『科学研究の緊急整備方策要綱』を決定し、全国の大学、専門学校並に文部省直轄各種研究機関の学理研究力を挙げて当面の戦力増強に集約(以下省略)」する方針が記されています。
しかし、第二次世界大戦後、少なくとも日本は、科学・技術の戦争への総動員という国策を否定しました。その実行団体として、政府からの自主・独立性をもった日本学術会議が発足したのでした。日本学術会議が1950年4月に発した「戦争を目的とした科学の研究には絶対従わない決意の声明」の趣旨は明快です。政府が昨今平然と唱えるデュアルユース(軍民両用)は軍事研究促進を主要目的とし、戦闘目的がカモフラージュされており、「声明」の趣旨に鑑み、まったくもって論外であります。2020年11月27日付『毎日新聞』には「学術会議の独立提案」という見出しの記事が読まれます。「井上信治・科学技術担当相は26日、東京都内で日本学術会議の梶田隆章会長らと会談し、学術会議の組織形態について『国の機関からの切り離しについても検討していくべきだ』との意向を伝えた」とあります。
2020年11月24日付『毎日新聞』には、学術会議任命問題に関する全国世論調査の結果が報道されました。結果、「問題とは思わない」と回答した人は「若い世代ほど高かった」、「問題だ」と答えた人は、「若年層ほど低かった」とあります。由々しき現状です。それを考慮すると、私は懸念として、日本学術会議にまつわる以上の2件、〔任命〕と〔切り離し〕を政府が推し進めていく先に、歴史的背景としての〔総力戦〕体制の再来を想起します。(2020年11月27日)
★参考資料 川島祐一「総力戦-戦争状態を日常性に組み込むシステム-」、石塚正英編著『世界史プレゼンテーション』(社会評論社、2013年、所収)
総力戦とメディア戦略 戦闘員と非戦闘員との国際法上の区別を無視して戦われる軍事的手段による戦争をいう。そこでは軍事力だけでなく、交戦国の経済的、技術的さらに道徳的潜在力が全面的に動因される。国民生活のあらゆる部門が戦争遂行のために組織され、国民のあらゆる層がなんらかのかたちで戦争に直接関係する。したがって、打撃は軍事力だけではなく、前線背後の軍需生産はもとより食料ならびに工業生産全般の破壊、国民の日常生活の麻痺にまで向けられる。市民の基本的な権利の剥奪ないし制限が一般化し、政治的抑圧が日常化する。このような戦争では、敵国の軍事力ばかりか、およそ全国民生活の殲滅が最終的な目標とされる。また国民各層の戦意高揚、また敵国国民の戦争への意欲をそぐための宣伝戦、すなわち「心理戦」が重要な意味を持つ。心理戦の中で、国民の戦意高揚を目的としてプロパガンダが展開された。ナチ体制下のドイツで宣伝相を務めたゲッベルスは「プロパガンダは知的な内容に富む必要はない」と語っていたが、それは民主主義国家のメディア政策にも当てはまるものである。たとえば、冷戦体制化のトルーマン大統領期には「真実のキャンペーン」「自由の十字軍作戦」といった心理戦の中で、「自由」「真実」「民主主義」といった語を多用し国民を情熱的に駆り立てた。
「戦争の産業化」 クラウゼヴィッツによれば、戦争には本来的に極限への指向性が備わっているというが、戦争が相互の全面的な殲滅を目標とするまで戦われた例は歴史上むしろ稀である。戦争が総力戦のありさまを示した最初の顕著な例は第一次世界大戦であった。この戦争にしても最初から交戦国が総力戦として戦ったわけではない。開戦当初は、むしろ交戦国はいずれも18世紀以来ヨーロッパで通常化していた限定的な戦争を想起していた。すなわち数度の決定的な会戦ののちに双方が和平を試み始めるというかたちで終結するものと考えられていた。それが塹壕戦での膠着状態へと移行し、その結果、戦闘は消耗戦、すなわち大量の弾薬の消費による敵兵の大量殺戮を主要目標とするようになり、さらに戦車、飛行機、毒ガスなどの投入によって、戦争のありさまは一変する。勝敗は戦場で決定されるのではなく、国家の技術力、生産力に大きく左右されることになり「戦争の産業化」をもたらしたのである。1916年ドイツのルーデンドルフは、祖国救援奉仕法によりすべての男性に強制労働への動因を強行し、また経済封鎖に対抗して無制限潜水艦作戦を指示し、政治の実権をも握って国民総動員体制を築き上げた。この経験に基づき、戦後彼が発表した『国家総力戦』(1935)は、総力戦を「国家および国民の物質的精神的全能力を動員結集し、国家の総力として戦争に臨む」と規定し、「新聞、ラジオ、映画、その他各種の発表物、及び凡らゆる手段を尽くして、国民の団結を維持する事に努力するべきである。」と宣伝戦、思想戦の重要性を強調し、この概念を広く定着させることになった。
ルーデンドルフを早くから盟友のひとりとしたヒトラーは、総力戦の遂行と勝利をその主要な政治目標としていた。政治、経済、技術、文化、道徳など国民生活のあらゆる分野を戦争の完遂のために総動員することに、彼の政策のすべてが向けられた。こうして第二次世界大戦ははじめから総力戦として構想され、遂行された最初の戦争となった。確かに総力戦という言葉が用いられたのは1943年初頭のゲッベルスによる「総力戦演説」の頃からであったが、1939年9月ドイツのポーランド侵攻と同時にヒトラーは精神障害者の殺害を指示するなど、いっさいの道徳的準をも踏みにじって総動員体制を築き上げようとした。42・43年以降、ドイツ国内はもとよりドイツ占領地域のすべての労働力の総動員をすすめ、さらに43年以降、青年男女の祖国防衛への総動員も布告した。イギリスをはじめとする連合国も総力戦体制をとらざるをえなくなった。
二つの世界大戦後の戦争 核兵器の開発、大量備蓄により総力戦が交戦国の壊滅ばかりか地球全体の破壊にいたりかねないとの認識から、第二次世界大戦以後、全面的な総力戦といえる戦争は起こってはいない。その一方で、低強度紛争と呼ばれた地域紛争、内戦、テロ戦争といった国家を介さない戦争という形態での戦争があらわれてきた。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、イラン・イラク戦争などは、核兵器の使用を伴わないとはいえ、大量殺戮、物資の大量破壊と大量消耗、自然の破壊など第二次世界大戦をはるかに超える規模になっている。国民のあり方や軍隊の存在意義が今後さらに変化し、多様化していくだろう。国のあり方やその維持のために国民がどのような形で、参加していくべきか考える必要にせまられている。(川島祐一)
(いしづかまさひで:科学者倫理を考える会)
(pubspace-x7997,2020.11.28)