田村伊知朗
(その二)より続く。
4. 自然との調和
ここでの自然概念には、人間的自然も包摂されている。人間は様々な欲求を持っている。その欲求に応じて、その外観も異なる。人間は鞄を持った旅行者、自転車を使用するサイクリスト、育児をする女性としても現象する。路面電車はこのような人間にも配慮している。それは路面電車の内部構造にも現れている。最後尾車両の最後部扉が彼らのために準備されている。この扉は他のそれと異なり、すべて低床扉となっている。すべての扉を低床にする必要はない。少数の乗客だけが、その配慮を希望している。自転車、乳母車等は、歩行という人間の原初的交通手段と親和的である。また、この扉周辺には、持ち込まれた大きな荷物等のために椅子等が撤去されている。通常の座席配置と異なっている。
また、すべての電停に喫煙所が設置されている。
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少数の喫煙者に配慮している。ちなみに、路面電車の電停だけではなく、ドイツ鉄道の駅は全面禁煙である。煙草から自由な空間を標榜しながら、煙草の灰皿が設置されている。開放された空間において人間の欲求に対応しようとしている。多元的な人間的自然を一元化しない。全面禁煙という思想と、一部喫煙可能という思想は両立する。また、ドイツではイスラム教徒も多い。前述の移民、難民の多くはイスラム教徒である。彼らの経典によれば、飲酒は禁止されているが、煙草は許容されている。禁煙思想から自由である。文化的多様性の観点からも、喫煙は許容されている。
さらに、人間的自然だけではなく、環境的自然にも言及してみよう。路面電車軌道間は緑化されている。有毒排気ガスを排除するために、物資の輸送も路面電車によって担われている場合もある。ドレスデン市の貨物駅から、フォルクスワーゲン工場への自動車部品の輸送は著名である。 7 もちろん、それは限られた都市における限られた路線でしかない。しかし、未来における課題として考慮されるべきであろう。
5. おわりに
これまで、路面電車による市民的な公共空間の形成を討究するために、ベルリン市とハレ市の事例を中心にして紹介してきた。路面電車を維持することによって、公共交通ひいては公共性を市民的空間において展開することができる。
もっとも、両都市に限定しても、路面電車に対する技術的措置がすべての電停設計において貫徹しているわけではない。しかし、そのような事例が存在していることも事実である。その背景には、公共交通による公共性の形成に対する市民的な合意が存在する。ドイツにおいて公共交通とりわけ路面電車を維持するために、財政措置も含めて様々な措置がなされている。
近代社会はある思想を一元化しようとする。しかし、一元化すれば、自然そして人間的自然と矛盾する。たとえば、本邦における禁煙思想がその典型である。すべての社会的空間から紫煙を排除しようとする。しかし、ドイツは全面禁煙を標榜しながら、喫煙所を廃止することはない。当然のことながら、本稿が全面喫煙を主張しているわけではない。また、低床扉もすべて車両がそうである必要はない。ある思想は一元的に実現されるべきではない。人間的自然に配慮すべきであると、主張しているにすぎない。そのような思考形式をドイツの公共交通に関する政策から学ぶこともできよう。
注
7. Vgl. CarGoTram (Dresden). In: Wikipedia.
https://de.wikipedia.org/wiki/CarGoTram_(Dresden). [Datum: 25.04.2016]
画像出典
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Halle, Neustadt. [Datum: 26.09.2015]
画像出典において地名と日付だけが、記述されている場合がある。それは、私が撮影した写真を表している。
注釈
本稿は、2016年2月6日に函館日独協会(事務局:函館五島軒本店)において実施された講演内容に基づいている。そのレジュメを文章化し、加筆、修正した。また、本記事は、すでにホームページ「田村伊知朗 政治学研究室」に掲載されている。
「路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして」
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/05/post-5762.html(その三)
本記事の転載は自由であるが、著者名、題名、サイト名とアドレスを明記することが必要である。
(たむらいちろう 近代思想史専攻)
(pubspace-x3237,2016.05.30)