高橋一行
(9)より続く
金子邦彦を読み解いて行く。系全体でなされる相互作用がテーマになる。
著書の第5章から入るべきだろう(注1)。
本稿第8章で書いたように、生命は、自己複製をする、代謝系を有する、細胞という膜を持った個体であるという、三つの特性を持つ。始原的生命は、この三つがそろって初めて生命として存立するのだが、前生物の段階で、つまりまだ、この三つが、すべてそろっていない段階で、どのようにその機能を果たすのか。また、どのように、その機能を充実させていくのか、そこが問題となる。とりわけここでは、膜が存在して、その中に高分子があるという想定で、まだ、代謝と自己複製と機能分化がなされていない段階で、代謝と自己複製と、どのようにそれぞれの機能が生成して来たのか。そこが問われる。
具体的に書いて行く。
ここでは、まだ遺伝がDNAのシステムとして確立していない始原的な段階で、プロト細胞の中にいくつかの分子があり、分子が複製され、増殖して行くとする。そして、分子が増えて行くと、今度は、そのプロト細胞それ自体が、分裂し、増殖する。
その際に、プロト細胞内のある分子が、別の分子の遺伝情報を担うようになる。つまり、モノマーの配列が異なるために、様々な高分子が存在するのだが、その中に、複製の能力を持つものもあれば、触媒活性性を持つものもある。しかも、化学反応のゆらぎがあり、分子の複製能力も触媒活性能力も、ある変異率で変わって行く。
そのときに、この高分子の集団は、互いに触媒し合いながら、いい加減ではあるが、ある程度の、複製のシステムを作る。つまり、複製システムが完全なものとして成立する前に、多様で、いい加減な複製システムがあったという前提で、議論を進めて行く。
遺伝システムが要らないという訳ではないのだが、しかし、それが精密なシステムとして確立する前に、高分子の相互作用で、ある程度の分化や発生過程の仕組みがあったということにする。そのことをコンピューターシミュレーションで確認してみよう。
次のようなシミュレーションを考える。今、ひとつの系の中に、ふたつの種類の分子集団XとYがあり、互いに触媒し合っているとする。それぞれ、複製能力が異なり、早く増殖する分子とゆっくりするもののふたつがあるとしよう。当然、早く増殖するXの方が、総分子数は増えて行く。しかし、Xが増えすぎて、Yが駆逐されてしまうと、今度は、Xを触媒することができなくなる。互いに、ある程度の数を保ちつつ、触媒し合いながら、増殖をするしかない。
ここで、少数の分子Yが、構造変化を起こして、その活性能力が高まったとする。この分子Yに合成を助けられて、Xが増殖しやすくなり、これらの分子を持つ細胞の増殖に大きな影響を与える。
構造変化そのものは、ランダムに発生するから、Xの方が構造変化を起こすか、Yの方に起きるかは、等しい確率であるが、少数者の方に変化が起きた場合、その活性の能力が、細胞に与える影響は大きい。それは、逆に分子数の多い方に起きた変化は、平均すると、その能力が平準化されるからで、つまり、少数者の方が支配的な影響力を持つのである。ここで、少数者が、遺伝情報のための、コントロール特性を持つことが示される。
そして、この少数分子がコントロールする状態は進化可能性を有し、それを利用して、この少数分子を保存する機構が進化して来る。この、少数個しかない分子の成分が、その細胞をコントロールしている状態を、少数コントロール状態と呼ぶ。
この少数コントロール状態は、揺らぎを通じて実現され、まれにしか生じないのだが、しかし、一旦生じれば、淘汰を通じて、維持される。この保存性もまた、この状態の特徴のひとつである。
ここで重要なのは、遺伝情報の確立のために、必ずしも、DNAやRNAが成立していることが要求されるのではなく、その能力によって、自然に分子集団が分かれ、相互作用があって、役割分担が生じ、その中で、遺伝の機能に特化するものが出て来るということである。
ここで、先の問題、つまり、始原的生命について、遺伝情報が先か、複雑な代謝が先かという問題は、理論的には解決される(注2)。遺伝情報が先だと考えると、代謝が不十分で、安定性が保てないということがあり、また、代謝の方が先にあると考えると、情報が十分伝わらないということがあるのだが、ここでは、高分子集団がふたつに分かれ、多数者の方は、代謝の機能を担当し、遺伝の役割は少数者が担当するという分担がなされる。問題は解決し、かつ、物理的な、ただ単に運動論の帰結として、遺伝情報は進化することがここで示されている。つまり、系の中の分子集団の相互作用によって、役割分担がなされるということである。
ここで、金子の面白さは十分に出ている。モデルを作り、シミュレーションをし、数値計算の結果を出す。モデルは確率論的なもので、分裂と増殖が十分な回数なされた後に、それぞれの分子数がどのくらいのところで落ち着くか、グラフを描いて、収斂して行く先の値が見えて来る。
ここでは、細胞は、単に多くの化学成分が集まって、多くの反応が進行して行くシステムであると考え、そこから、如何に再帰的な生産をするのかということを考える。そこで、遺伝という性質が必要になるのだが、これが、化学反応の集積から如何に出現するかということが問われる。すると、化学分子の集合系の中から、その相互作用により、自然と分化が起き、役割分担が出て来る。このように進化が自然と、つまり、物理法則のみで、なされて行くことを考察するのである。
現在、生物は、核酸による正確な複製システムを持っているのだが、それらがいきなり生成するのではなく、まずは、上に述べた、相互作用系の必然として、分化過程が現れる。それが、まずは、いい加減な複製システムとして、機能する。これが生物の起源である。そしてさらに、機能分化して行くのである。
さて、第6章では、さらに複雑なモデルが使われる。先に、細胞内に、複製の能力と触媒活性の能力とが異なるふたつの集団、XとYとがあると仮定して、考えを進めて行った。しかし、実際には、細胞内に、分子の集団はふたつしかないということはなく、もっとたくさんあるはずである。普通、物理学が扱う数は、例えばアボガドロ数ならば、10の23乗という膨大なものだが、細胞内の総分子は、それほど大きな数ではなく、しかし、種類が多いという特徴を持つ。
今、いくつかの分子が、何種類の他の分子との反応に関係しているかということを調べる。ここでは、ある分子とある分子が、関係があるかどうかということだけに着目する。そしてひとつの分子が、何種類の分子と関係するかを数え上げる。分子によって、多くの分子と関係のあるものもあれば、少しの分子としか関わらないものもあるだろう。
ここで関係があるというのは、主として、触媒したり、されたりという相互関係を考えて良いし、また、ある成分が多いために、別の成分を多くすることになるという順序関係などがある。
ここから、合計n種類の分子との反応に関係した分子数がいくつあるかということから、ヒストグラムP(n)を作る。すると、ここで、べき法則が現れるのである。つまり、x軸をnとし、y軸をP(n)として、グラフを書くと、nのべき乗にP(n)が反比例するグラフが得られる。言い換えれば、nが多くなると、その分布は、十分早く減衰する。
このべき法則について、すでに本稿第9章で説明したが、さらに分かり易い例を挙げて注で補足しておく(注3)。
さて、ここで、べき法則が成り立つということは、複雑系が存立しているということである。つまり系全体で相互作用が働いているということだ。相互作用が、近隣のものとの作用だけでなく、系全体の中で考察されるべきである。その中で、少数の分子は、多くの分子と関係し、ハブとしての役割を持つ。そしてやや少数の分子は、やや多い分子と関係を持ち、ある範囲へのハブ、または準ハブとして役割を果たす。そしてそれより繋がりの少ない分子がたくさん存在するのである。そういう階層的な構造を持つ。
これは、ネットワークが履歴をもって、生成したて来たということでもある。新しく生成した分子は、すでによく繋がり易いものと、繋がりやすい。これは従って、単純なネットワークから、次第に複雑な構造を持つようになったということを示している。
このことを考えるために、以下のようなモデルを作ってみる。今、触媒反応のネットワークがある系を考え、如何に再帰的生産が可能かということを、次のようにシミュレーションしてみよう。
細胞内の分子数をNとし、分子の種類をkとする。また、ある種類の分子が、他の成分のどれかを触媒する確率をpとする。これで、これらのパラメーターに、様々な値を入れて、シミュレーションをしてみる。
すると、次のふたつのタイプと、その間を遍歴するタイプが見出される。
I 分子数Nが少なく、種類kが多い場合、安定的に再帰的な増殖は行われない。ある特定の種類の分子が多くなると、さらにそれは数を増し、次第に独り勝ちというべき状態になる。ところが、そうなると、その分子の合成を助ける触媒分子が不足し、その分子の増殖が維持されない。すると今度は、その分子によって、触媒される分子が増える。かくして、組み合わせが変わって行く。
II これに対して、細胞内の分子数が多く、種類が少ない場合、安定した再帰的な状態が続く。例えば、N=60000, k=500, p=0.01の場合、その組成を維持し続ける、再帰的な増殖状態が生まれ、安定したネットワークが作られる。この場合、5 – 10程度の成分が互いに触媒し合うネットワークを形成し、その相互触媒によって、複製が維持されている。
さて、このIやIIがずっと続く場合もあるのだが、IIが長期間続いた後で、不安定化し、Iになり、それが長く続いたのちに、再び安定したIIになるということがある。
こうして現れた、IIの状態は、先のIIとは異なり、つまり、Iを経験して、それを記憶している。そして次第に複雑なネットワークを形成するのである。
ここで触媒活性が最も大きな成分の分子数は少ない。というのは、活性が高いというのは、他の成分の複製を促進するからで、自らの数は相対的に少なくなるのである。
こうして、IIからIへ、またIからIIへという遷移は、少数しかない成分の変化が大きな影響を与える。少数しかないということは、変化が遅いということだが、このような成分が、多数の成分に大きな影響を与える。
系全体の相互作用が、このように進化の駆動因となる。安定した触媒ネットワーク構造が生じ、その後にそれが壊れ、また別のネットワークへと遍歴して行く。触媒ネットワークは進化する。ここに、ネットワークが持っている、今までの遍歴が利用される。つまり、量の少ない化学成分の揺らぎが、そのために増大する。そして、それが引き金となって、元の相互触媒関係が不安定化し、次の触媒ネットワークへと変化するのである。
注
1 『生命とは何か -複雑系生命科学へ-』は、12章から成る。最初の4章は、基礎概念の確認である。複雑系としての生命科学の入門編と言って良い。続いて、第5章から、11章まで、複製、遺伝、代謝、分化、発生、表現型の進化、種分化、適応といった、生命現象の基本的問題を扱う。最後に、第12章で、まとめをしている。本稿では、この、第5章から第11章までの中で、特に、典型的に複雑系の考え方を示していると思われるところを、抜き出して、説明をする。
2 厳密に言えば、これは、膜が最初にあると考える仮説のヴァリエーションである。そしてその膜の中にある高分子が、役割分担して、代謝を司るものと、複製を担当するものに、自然と別れて行くと考えている。
3 べき法則を、次の例で説明する。
ひとつの空港が、どのくらいの数の発着回数を持っているかということを見て行く。2014年のデータで、国内のすべての空港の発着回数を見る。すると、羽田空港が断然多く、18万5千回である。以下、福岡、那覇、伊丹、新千歳空港が、7万回前後で並ぶ。これに海外便も入れれば、成田や関西空港が上位に入る。このあたりは経験的に納得が行く。
一方で、空港は、資料に載っているものだけでも、100近くある。すでに使われなくなったものや、ヘリポートはここに数えない。すると、発着回数で言って、年間で数千回くらいのものが、たくさんある。
さて、ここで、但馬空港を例に挙げると、年間発着数は、2千回ほど。旅客数の順位で、国内78位である。これよりはちょっと多いくらいという規模の空港が、数で言えば多いのである。大半の空港が、この程度ということになる。
ここで、どうしてこのような法則が現れるのかということを考えてみる。するとこれは歴史を考えれば明らかで、古くからあるものは、そこが中心になって、日本の空港の歴史を作ってきており、発着数は多い。羽田空港の発足は1931年で、それ以前の航空学校の時代から、日本の航空界を牽引して来た。伊丹空港の開設は、1939年である。
さて、一方で、但馬飛行場は、1994年の開港である。伊丹との間に、発着それぞれ一日に2便しかない。
それで、考えるべきは以下のことである。新しく地方に空港を作ると、それは、別の、人口の少ない地方と関係を結ぶということはあり得ず、羽田か伊丹に繋げるだろう。すると、空港の数が増えると、ますます一部の空港の発着便が増えるのである。この論考に必要な限りで言えば、一部のハブ空港と言われる、発着便が際立って多い空港があり、その次に、準ハブ空港というものがあり、そのあとに、たくさんの数の、発着便の少ない飛行場がたくさん存在するということになる。これは空港がどのように発展して来たかという歴史を考えると、その理由が明らかになる。これがべき法則の典型である。つまり、x軸に発着数を考え、y軸にその発着数を持つ空港の数を考える。すると、x=18万の空港は、1しかなく、x=7万前後だと、4つある。以下、xが下がると、yの値は急増する。ここにグラフが書けるだろう。
以上の考察には、「平成26年空港別順位表 国土交通省航空局 2014年度」(http://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000185.html, 2015.12.1現在)の資料を使った。
参考文献
金子邦彦『生命とは何か -複雑系生命科学へ-』東京大学出版会、2009
(たかはしかずゆき 哲学者)
(11)へ続く
(pubspace-x2855,2015.12.29)