身体を巡る省察(1) 心の暴走を抑える身体 2019/01/01 by Ω No comments 高橋一行 今までカントやヘーゲルに即して論じて来た問題を、今度は精神の病の現状に即して、数回論じたい。分量は短いが、「病の精神哲学」の本論となる。 第1回目は、与那覇潤『知性は死なない - 平成の鬱を超 Continue reading →
ラカンの鬱論 『他者の所有』補遺(7) 2016/06/30 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (6)より続く 「アガンベン論(1) – (5)」で、鬱を論じている。所有論の帰結として、喪失の病である鬱に言及し、またアガンベンの論を、「所有しないということ」を主張しているものだ Continue reading →
「怠惰または鬱」アガンベンを読む(4) -『他者の所有』補遺(4) – 2016/03/29 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (3)より続く アガンベンは、『スタンツェ』(1977)において、中世の修道院における鬱を論じている(注1)。それは「白昼のダイモン」と呼ばれ、怠惰、陰鬱、生の倦怠、無為とも呼ばれる。「僧院の中で行われるあら Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (1) 鬱と所有論 2014/09/18 by 高橋一行 One comment 高橋一行 補遺-3より続く 「ヘーゲルを読む」で展開した内容を、今度は、ヘーゲルを離れて論じてみたい。そのことで、このテーマを、今までとは別の観点から深めることができると思う。 また、中にはすでに「公共空間X」に「想い Continue reading →
他者の病 2014/04/21 by 高橋 一行 No comments 高橋一行 身内が鬱になり、看病をしている内に、私自身、鬱を発症したのではないかと思うようになる。私は、親子や兄弟、または夫婦や恋人同士で鬱という組み合わせをいくつも知っている。鬱はうつる。あるいは、人は他 Continue reading →