鈴木望水
Ⅰ.詩人の誕生
―――世界を変えるなら、まずは自分自身が変わることから始めよう。
ケニー・アルカナ
現在のフランスで、最も注目すべき人物は誰かと聞かれたならば、私は躊躇することなく、ただちにケニー・アルカナ(Keny Arkana)の名前を挙げるであろう。特に、パリにおける2015年の二度のテロ事件を経て、彼女の存在はますます重要なものとなってきているのではないだろうか。ケニー・アルカナとはいったい何者であるかと言えば、女性ラッパー(rappeuse)だ。なぜ、一人のラッパーがそれほどにも重要なのか? それは、彼女の音楽が、現代において稀に見るほど人間的深みと普遍的な内容をもった芸術作品であるからだ。ケニーのラップは、極めて明確なメッセージを持っている。そして、社会的に虐げられた弱い人々の声を代弁している。この点で、ケニーの音楽は、政治と強く結びついていることは間違いない。だから、彼女のラップは、政治的なものと見なされる。けれども、これは一面的な見方だ。ケニー・アルカナにとって、音楽を創造するということと、政治的に闘うということは、同一の営みであって、この二つは決して切り離されることはないものである。そして、この二つの行為の根底にあるのは、真に人間として生きようという強い意志である。人間性を回復しようとする彼女の営みは、多くの人の心を打つ。実際に、どれだけの人が、彼女の音楽と活動に励まされ、勇気づけられ、魂を鼓舞されてきたことだろう。フランスだけではなく、世界中に、ケニー・アルカナを支持する若者が数多く存在しているという事実は、今日の世界における希望を示しているのではないだろうか。
ケニー・アルカナは、1982年にフランスで生まれた。Keny Arkanaという名前は芸名である。本名はわからない。ケニーの母親はフランス人であるが、父親がアルゼンチン出身であるから、移民の二世ということになる。生まれはパリであるが、その後、マルセイユで育った。彼女は、わずか12歳でラップを始めた。マルセイユを中心に、最初は、État Majorといったラップグループに参加していたが、その後は単独のラッパーとして活動するようになった。ケニーのラップは、若い時期から政治意識と一体化していたらしく、彼女は、すでに2004年に、反グローバリズムのためのマルセイユの政治的集団「人民の怒り」(La Rage du Peuple)に参加している。そして、2005年に、彼女はアルバム『素描/L’esquisse』を世に出している。これは、Mix-tapeと呼ばれるもので、正規の販売ルートを取らずに、非公式に、路上などで販売されたものである。その後、ケニーは、『セメントと美しい星との間で/Entre Ciment et Belle Étoile』(2006)、『不服従/Désobéissance』(2008)、『素描2/L’Esquisse 2』(2011)、『万物は太陽を廻る/Tout tourne autour du soleil』(2012)を出している。
ケニー・アルカナの最初のアルバム『素描』が出た2005年が、どのような年であったかは、フランスにおける移民たちの暴動の年として、人々の記憶するところだ。パリ北東部郊外で警官に追われた少年2名が変電所にて感電死し、1名が負傷した。少年たちは移民の子供たちであったが、警官たちが、彼らを正当な理由もなく追跡したことが事故につながった。よく知られているとおり、パリ郊外では、移民たちが、低所得者向けの不衛生で老朽化した団地にぎっしりと押し込められて生活している。こうした団地は、パリの郊外だけではなく、各都市部の郊外に、第二次世界大戦後の経済成長を支えた移民たちのための集合住宅として整備されていったものである。しかし、1970年代以後の経済格差の拡大とともに、移民たちの貧困化と低学歴化が進み、郊外は、次第にスラム化して行き、banlieuとか、citéなどと呼ばれて、現在に至っている。パリ中心部に代表される華やかな観光地と次第に荒んでゆく郊外の二極化。これが、現在のフランスの移民問題の地域的な構図となっている。そして、この構図を背景に、移民たちに対する根深い差別が存在している。低学歴と差別による就業率の低下や失業が、悪循環のようにスラム化と貧困を産み出し、非行や犯罪を引き起こしてゆく。こんなことから、一般的に、移民たちの生活する郊外が犯罪の巣窟と見られ、警察側からは行き過ぎた管理の対象とされている。少年たちの感電死の事件は、こうした状況のもとで発生したものだった。これを契機として、これまで貧困と差別に苦しんできた移民たちの不満が一気に爆発し、パリを中心に、騒乱状態となった。時の内務相ニコラ・サルコジは、暴動を引き起こしている移民の若者たちに対して、「ごろつき」(voyou)だとか、「くず」(racailles)と名指しし、移民たちが生活している集合住宅を「Kärcher(ドイツ製掃除機)で掃除する」と発言した。これが、さらにまた、移民たちの怒りに火をつけ、暴動は全国的に広まった。
ケニー・アルカナもこの暴動の翌年、サルコジの発言に引っかけた「ケルヒャーで掃除/Nettoyage au Kärcher」という曲で、「オーケー、クズを一掃するんだったら、エリゼ宮を掃除しに行こうぜ。・・・クズの最たる奴らが隠れているのはエリゼ宮だよ。」と政治家の腐敗を揶揄している。さらには、「憎しみの戦線/Le front de la haine」(ちなみに、heineは、NationalのNと同音で、この名称は国民戦線のことを指す)のvideo clipでは、移民排斥を掲げて躍進する極右政党の国民戦線(Front National)に対して、パレスチナの旗を身に着けて、中指を立てるという挑発的な姿を見せている。もともとフランスのラップは、移民たちが、それによって政治的な反抗を表現してきた歴史1があった。また、ケニー自身も、そうした政治的反抗を歌ってきたNTMやAssassinなどのラップを聞いて育ったと言っている2から、この暴動では、このような態度を表明するのは当然である。けれども、こうした側面は、ケニーの音楽が一つの現れをとったにすぎないと言えるだろう。彼女の音楽の世界はもっと深く、大きな広がりを持っている。
ケニー・アルカナがどのような子供時代を送ったかは、彼女の作る曲のところどころに表現されている。小学校時代に、手がつけられない<不良児>であったらしく、施設(foyer)に預けられたようだ。彼女の曲「バカヤロー/Eh Connard」では、この施設でケニーを指導していたとある監督者への憎しみが語られている。「あんたは言ったよね。あたしが16にもならずに、道端で野たれ死ぬだろうって。・・・・・・子供の家の監督者だって? 笑っちゃうよ。オヤジは、全部お見通しのつもりで、ことさら子供の未来と親の希望を奪うのさ。・・・・・・けれど、あたしは今もしっかり生きている。あんたの言うことなんか聞かないでよかったよ。・・・・・・あたしはあんたの言葉なんか馬鹿にしていたけど、あたしの母親はあんたの方を信じ込んだんだ。・・・・・・あんたは、母親に言ったよね。あたしの場合は取り返しがつかない、もう真っ当な道に戻れないって。」 この施設では、手のつけられない悪ガキを大人しくさせるには、調教で大人しくさせるか、あるいは、薬物を飲ませて黙らせる、というのが常套手段だったらしい。この曲には、子供に対する神経弛緩剤を使用していたことに対する告発が謳われている。彼女はこの施設からの逃亡を繰り返す。別の曲「重荷/Le Fardeau」は、こうした彼女の逃亡の際のひとつの光景であろうか。悲痛な歌声で語り出されるのは、ただ、日々の重圧を逃れるために、施設から逃げ出し、宿を転々とする日常のなかでの孤独な苦しみだ。人間にも失望し、神様をも見失った自滅寸前の少女が路上を彷徨い、しまいにはへたばって歩くこともできない姿を歌っている。「あたしは火事場から来た/J’viens de l’incendie」や「放蕩児の帰還/Le retour de l’enfant prodigue」によれば、ケニーは、13歳で路上で寝ることを覚え、14歳から13か月間、独房に入れられ、15歳で囚人服を着せられたと語っている。一度、世間がまっとうと考えている軌道から外れれば、どん底に落ちるしかない。落ちこぼれの道をたどるしかない。ケニーだけではない。多くの社会からの落伍者は、華やかな都市部からは隔離され、郊外に押し込められて、スラム化した郊外の団地にひしめきあって生きている。そこでは、貧困と犯罪と暴力沙汰が横行している。「諦める兄弟もたくさん。泣きわめく姉妹もたくさん。笑わなくなるガキもたくさん。恐れおののく親たちもたくさん。外で若い連中がシャブや泥棒稼業で終わるっていうのももううんざり。あたしは、この路上の暮らしってやつが大っ嫌いなんだ。あたしから多くの仲間を奪って行ったからね。・・・・・・ここじゃ、あたしの兄弟は互いに殺し合うのさ。奴らの間で嘲り合って、みんな腹に怒りを溜めこみ過ぎて、消耗するのさ。帰ってきて、出て行って、路上とムショの往復さ。」(「抜け出さないと/Faut qu’on s’en sorte」)
もちろん、こんなだったから、ケニーは、学校なんかにろくすっぽ通っていない。「バカヤロー」や「理解されない少女のオデュッセイア/Odyssée d’une Incomprise」にある通り、学校はケニーに必要なことを何も教えてくれなかったので、彼女は12歳で公教育を放棄している。つまり、彼女の学歴は、日本で言えば、小学校を卒業した程度ということになる。これはいわば、追放された放浪者のようなものだ。ケニー自身も、これを「追放の病/Le Syndrome de l’exclu」と語っている。この病は、どこからくるのか? 掘り下げてみると、病はとても根深い。彼女は、周囲の人々が何の疑問もなく生きている世界に同化することができなかった。学校通いをしていたときから、いつも自分の居場所がない感覚を持っていた。不良だと決め付けられ、世間からも怪しまれる。警官たちもいつも自分たちを追い立てる。郊外におかれた子供たちは、誰も彼も型通りに不良か犯罪者にしか見なされない。けれども、そのように扱う連中の価値観は、果たして本当に正しいのか? 何かがおかしい。こういう境遇に自分たちを閉じ込めているものがあるのではないか?
それだけではなく、ケニーは、自分とともにどん底に棲息している同じ仲間たちとも一緒にはなれない。彼ら、彼女らの間でもケニーはひとりぼっちだった。彼女の「追放者の病」がそうされるのだ。「あたしは、自分を苦しめる時代のなかで、あたしの悲しみの沈黙のようにひとりぼっち。あたしの足は遠くから来てたどり着いたからひとりぼっち。疲れ切っても立ったままで、どさっと倒れる前までは笑っていたのよ。どんなに長く?」と彼女の曲「私はひとりぼっち/Je suis la solitaire」が示すとおり、ケニーは、たったひとりぼっち。いわば人生の放浪者(Vagabondant dans la Vie)なのだった。
ケニーは、あえてたったひとりで考えた。「あたしたちは、街の中心から追い立てられて、あたしたちの権利も買い占められた。あまりに狡猾に植民地のようにされるので、みんな恐怖のなかでまとまらない。あたしたちがあまりにのろのろしているから、彼らの撒いた種の実が口のなかに入ってきちゃうんだ。けれどもあたしたちの頭を小突いているのは死刑執行人。あいつら、あたしたちの間に惨劇の毒を撒いて帰るだけ。そいつは路上で眠っているようにみえるけど、みんなを不幸にするの。建物を空っぽで静かになってからその価値がつくように、そいつは、家族や老人や子供をサツと監視カメラの間に駆り立てんだ。あたしたちの路地を殺菌するのに数年で十分。これは、社会的、文化的なアパルトヘイトだ・・・・・・あたしたちを庶民の街から追い出して、ゲットーに追い込み、あたしたちをスクラップにしようと競っているのは、銀行じゃないの。」(「通りはあたしたちのもの/La rue nous appartient」) と。こんな風に、考えて、考えて、次第にケニーには世の中の仕組みが見えてきた。自分たちを追いこんでいる「本当の敵」の姿が見えてきた。自分たちは、自分たちが自滅していると思い込ませている「本当の敵」の姿を見失っていたのだ。この本当の敵こそが、<バビロン>(Babylone)だ。ケニーはこの<バビロン>のカラクリを、自分の頭で、必死に理解したかったのだ。
<バビロン>というのは、レゲエ音楽やラップの世界では、富を独占する一部の人間のエゴイズムに支配された世界を指す。金持ちがますます富み、そういう連中は他人のことなぞ顧みずに富を貪り、貧者は収奪されてますます貧しくなる。このような仕組みこそが、まさしく現代の腐蝕した資本主義の姿である。この<バビロン>が、自分たちの悲惨さのうえに、帝国を築いて繁栄しているのだ。これこそが自分たちを追いつめている<システム>だ。この事実を伝えなければならない。そのためにも言葉が必要だ。幼い日々より、ケニーにはラップしかなかった。いや、彼女にとって、不満から自分を解き放つための言葉を与えてくれたのがラップだった。それは自分自身の変革の手段だった。ここで、彼女は生まれ変わるために一度死ぬのだ。というのも人は解体なしに構築はできないのだから(「理解されない少女のオデュッセイア」)。だから、自らが生まれ変わることによって、お互いを食み合い自滅していくどん底の世界から抜け出さないといけない。
ケニー・アルカナの2枚目のアルバムは『セメントと美しい星との間で』と銘打たれている。セメントは、ケニーたちが生活していた街路に張りめぐらされたコンクリートである。これは、ケニーの世界では、隙間もないほどに地上に張りめぐらされて、貫徹してゆく資本主義という利己的な<システム>を象徴している。例えば、彼女が育ったマルセイユはどうだろう。紀元前より移民を多く受け入れて栄えた漁民の街も、近頃は、ヨーロッパの文化の中心地(Capitale de la culture)とやらに選ばれて、昔ながらの人々の暮らしの哀愁も喜びもすっかり色あせ、大通りはやたらと小奇麗に様変わりし、観光客がはびこり、商業主義が氾濫している。その傍らで、貧しい住民は街の中心から郊外に追いやられ、至るところで警官や監視カメラに追い回されている。これでは、まるでアパルトヘイトだ。マルセイユは、「分断の中心地/Capitale de la rupture」となってしまった。ケニーは、闇夜のなかで、こうした街路のセメントの上をとぼとぼとひとりぼっちで歩く。けれども、夜空を見上げれば、月光が降り注ぎ、美しい星々が煌めき、時には流星にめぐり会うこともある。ケニーの曲には、月と星といった言葉がところどころにちりばめられている。「あたしのことを理解してくれて、慰めてくれるのは月だけ。月だけがあたしの成長を見ていてくれたの。人生はあたしを闇夜に放り込んで、ひとりだけにした。・・・・・・お星さま、あたしは怖いの。だから歌ってちょうだい。」(「あたしは一人ぼっち」)、「月明かりを進みながら。夜が明けるまで進みながら。」(「あたしは救ってまわる/Je passe le salut」)、「あたしは人となって、星に触れたかった。・・・・・・星空の下で恐怖に立ち向かいに出発した。・・・・・・あたしは自然に癒された。何故なら、あたしはひとりぼっちで、星座が躍るのを自分自身で見つめるために、あたしの痛みを和らげてくれる瞑想のために、信心深いままでいたから。」(「行間#2 : 12月20日/Entre les lignes#2:20.12」) こうした歌詞に見られるとおり、ケニーにとって、見上げればいつも煌々と照っている月は、闇夜のなかを手探りで彷徨う彼女が、頼りにし、時おり語りかけ、そして彼女を正しく導いてくれる<真理>の象徴なのではなかったか。そして、夜空に煌めく星々は、ラップを通して彼女が掴もうとした言葉の世界ではなかったか。
月にせよ、星々にせよ、人間を高く超えた存在である。ケニーはいつも高いところにある「天」(Le Ciel)を見上げていた。だから、彼女の視線は、自分たちを取りまいている、常識人たちのものの見方を超え出ていた。もちろん、これは「追放の病」を患った人間であるからこそ可能であったとも言える。ともかくも、彼女は、「あたしたちが信じるのは天の正義であって、奴らの正義じゃない。」(「あたしたちには通用しない/Ça nous correspond pas」)と言い得たし、「あんたたちのシステムなんかよりもっと高い正義があるんだ。」(「バカヤロー」)とも言うことができた。こうして、彼女は自分を取り囲む<システム>の価値観を完全に相対化し、かつ転倒してしまう。さらには、ケニーは、「あたしは、恍惚を再び見出すために天を見上げるんだ。」(「立ち上がれ/Elève-toi」)とも言っているから、この天は、宗教的な意味合いを持っており、彼女に作用してくる存在なのだった。そして、「天から吹いてくる智慧の風に吹かれて」(「行間:もう一滴/Entre les lignes:une goutte de plus」)、彼女は、賢くなるのだ。天から授かった「智慧はあたしに言ったんだ。天を見るために、汝を知れ、汝自身であれと」(「祈り/Prière」)と彼女が言うとおり、天を認識するということは、自らの存在に関する認識、即ち、覚醒にたどりつく。この時、ケニーの覚醒は言葉とともにあった。「あたしは世間に向かってあたしの苦しみを叫びたかった。10年たって、あたしはその苦しみを虹色のメッセージに昇華させたんだ。だって、天があたしを助けてくれたから。」(「放蕩児の帰還」) 貧困と差別とによって、社会から投げ出された移民たちは、自分たちを守るすべを持ち合わせていなかった。ケニーもそうした丸裸の人間である。しかも、彼女は、自分と同じ仲間たちに対しても異邦人たらざるを得ない。このように何の頼みもない、全きひとりの人間となったケニーに開示されてきたのは、空高くそびえる天という至高の存在であった。そして、この天を媒介として、ケニーは言葉の世界を再び見出したのだ。この時、言葉とは、ケニーが美しい夜空のもとで書き、その夜空に煌めく星々のように高められた詩句であった。その詩句で織りなしたラップは、言ってみれば彼女にとっては武器だった。「あたしはマイクで奴らを馬鹿にしてやる。あんな連中はたいしたことないんだ。あたしは高い存在にしか頭は下げない。」(「ゲームの外で/Hors Game」) だから、ケニーにとって、自らで作ったラップを歌うということは、自分たちを追い込んでいる「本当の敵」と闘うということであった。「ペンがあたしの武器。あたしの技は肺。・・・・・・内面が死んじまう前に、あたしに書かせてみな。あたしのなかの痛みを押し殺すためにはペンが武器なんだ。」(「フリースタイル/Style libre」) さらに、ラップは、同じ境遇にある仲間たちに呼びかけ、彼らを救済するためのものでもあった。「みんなで一緒にここから抜け出さないと。言葉を伝えに行こうよ。苦役、ムショ、ヤク、若死。こんなものもううんざりだよ。もう止めよう。だから、あたしは歌うんだ。」(「抜け出さないと」)
ケニー・アルカナの『素描2/L’Esquisse 2』に収められている「世評のかげで/À l’ombre des jugements」は、ケニーの世界を理解するうえで鍵となる重要な曲である。彼女の言葉の行使において、闘いと救済が結びついていることがこの曲によく示されている。曲名にある<jugements>という語は少し訳しにくいが、音楽をめぐって世間で流通する評判とも考えられるし、あるいは、ケニー自身に向けられた世間の決め付けや烙印のこととも言えるのかもしれない。前者の場合は、スポットライトを浴びるスターや世間でもてはやされる流行の華やかな世界から遠く離れた陰で音楽を営んできたケニーの一貫した態度を示すだろうし、後者の場合には、もちろん、「バカヤロー」に登場する、彼女を落伍者として扱った施設の責任者や、移民たちを「クズ」呼ばわりしたサルコジのような人物たちの偏見にさらされて生きてきたという意味にもとれる。そういった世評の「陰であたしは自分の言葉を研ぎ澄ますんだ。だって、天使があたしに言ったから。『君には言葉がある。兄弟たちに力を与えなさい。そして、自分をしっかり持って、君の鎖を解きなさい。君に親しい者たちを守ってまわりなさい。たとえ、そのことで高い地位の人々が怒ったとしても。』って。」さらに「あたしは、言葉を練るんだ。だって、天使があたしに言ったから。『君がうんざりしているのは多くの人には解っている。君の姉妹たちに力を与えなさい。自分をしっかり持って、システムに逆らい、素晴らしいものを見て、それが真実ならば書き写しなさい。』って。」 郊外に追い込まれ、貧しさのなかで、抑圧され、虐げられた人々の現実は厳しい。そういう人々だって、みんなが初めから悪く生まれてきたわけではない。けれども、そうした現実のなかで、いじけ切ってしまい、自分たちのなかにだけ閉じこもり、人間らしさを見失い、社会のどん底に落ちていく。ケニーは、この姿を、「どん底で、そいつは互いに喧嘩をしては、生き延び、ヤクを吸って、酒を飲んで、ニヤついてやがる。カッとなってはぶん殴るんだ。」と描く。「そいつ」と訳した<ça>は、フランス語では一般的に「それ」を意味する代名詞であって、彼、彼女といった、人を指し示す人称代名詞としては使われない。つまり、ケニーは「そいつ」という代名詞によって、人間ではなく、人間性を喪失してしまった、事物のような存在を表現しているのだ。こうした存在について、別の曲「目覚めよ/Réveillez-vous」や「祈り」では、はっきりと「疎外された人々」(peuple aliéné)とか「疎外」(l’Aliénation)という表現をしているし、さらには、「回帰への道/Les Chemins du retour」では、「半人間」(Demis-Hommes)とすら言っている。月や星々を見上げて育ったケニーのもとには、天から天使が舞い降りてきて、こうしたどん底におかれた人たちのために言葉を使いなさい、と囁くのだった。ケニーの曲には、「天使」(Ange)とか「守護天使」(Ange Gardien)という言葉が散見される。これは、天とケニーを繋いで、ケニーを言葉の行使まで導いていく霊的な存在なのだろう。そして、このような<spiritualité>を媒介にして、ケニーは驚くべき内的な変革を成し遂げるのだ。「放蕩児の帰還」において、「あたしは、あたしの怒りを愛に、そして、あたしの苦しみを非凡なものに変えるんだ。」とケニーは言っている。社会から落伍した自分たちがおかれているどん底のなかで、腹にため込んでいた<怒り>を、他者に対する<愛>への変換させるのだ。こうした<怒り>のなかには、「バカヤロー」に見られるような、彼女が収容されていた施設の監督者に対する激しい<憎しみ>をも含まれるのであろう。ケニーのラップの詩は、ケニーのなかで準備された「魂の状態」(état d’âme)において、この<怒り>や<憎しみ>が<愛>へと変換されるのと同時に生み出されてくるのだ。ここに、ケニー・アルカナのラップにおける詩的言語の形成と行使の原点がある。ケニーにとって、ラップの詩を作り、歌うことは、世の中のどん底において人間性を失った人々を救済することなのであり、それは、そうした疎外された人々を造り出している<システム>と闘うことだった。だから、彼女は、そういう人々を「救ってまわる」のだ。彼女の育った「マルセイユからパリへと、いたるところで」。
かくして、ケニー・アルカナの闘いが始まったのだ。
【注】
1 陣野俊史『フランス暴動 移民法とラップ・フランセ』河出書房新社(2006)を参照
2 Le Parisien : Le choc Keny Arkana, 13/01/2007
【備考】
ケニー・アルカナの曲のほとんどはYou Tubeにおいて視聴できる。本稿では、文中に引用した原曲名を、You Tube上のケニーの曲とリンクさせて、読者が容易に視聴できるように配慮した。また、引用した記事等のうち、インターネット上に掲載されているものも、同様にリンクさせて、読者が参照し易いようにした。
(すずきのぞみ)
(pubspace-x3864,2017.01.18)