現代ギリシャ文学ノート(3) ――エーゲ海とその変容(オディッセアス・エリティスについて)――

茂木政敏

  
 

 エーゲ海
 

無数の島々
その泡立つ舳先
夢の鷗どり
いや高きマストに水夫の揺らす

 

その歌
旅の水平線
こだまする郷愁
濡れそぼつ岩に許婚者の待つ

 

その船
気ままな季節風
希望の三角帆
よく凪いだ漣に島の揺する
到着。
(…)  (p18-19)

 

 
 2006年の夏に、東千尋先生によりオディッセアス・エリティスΟδυσσέας Ελύτης(1911~1996)の日希対訳詩集が出版された。この「ジュエリーのような本」の東京での出現に目を見張ったのは日本ではなく、むしろギリシャ側で、いくつか出版物で紹介された挙げ句、ギリシャで再刊する企画ももちこまれていた。
 あれから九年たった2015年の春、日本語訳部分を大幅に増補した新版『オディッセアス・エリティス詩集』が土曜美術者出版販売から刊行された。この増補作業には筆者も関わり、あまつさえ訳者一覧に顔を出しているくらいだから、賛辞めいた書評を綴る権利は失っている。この訳書の評価については、今エリティスを読んでいる顕在的読者、ならびにこれから読むであろう潜在的読者の手に委ねるしかないのだが、関係者の一人としてここで証言しておきたいのは、東千尋先生、志村亜紗子氏、さらにはユリータ・イリオプールゥ女史がこの増補で特にこだわったのは、エリティスの全体像を可能な限り日本に伝えることだった。
 
 かくて、1930年代の『定位』から95年にポルト・ラファリで書かれた『悲しみの西』まで、エリティス生涯にわたる詩業を一望する訳詩集が日本に現れた。
 60年に及ぶ彼の歩みを一望するとき、エリティスは新たな風貌をもって私たちに迫ってくる。それは未知の様相が追加されたというより、今まで当たり前のことと受け流していた事柄こそ実は注視と熟慮を要求していると気づき、思いもよらなかった切迫感と斬新さをもって詩人が私たちに再び迫ってくるということだ。
 たとえばエリティス全詩を一望した時に、人は「オディッセアス・エリティスはいつ何時もオディッセアス・エリティスだった」と感動をもって呟くことになるだろう。一見、当たり前すぎる同語反復だが、人生で常に自分自身でありつづけることがどれほど難しいか、今一度思い起こしていただきたい。にもかかわらずエリティスは常に彼自身でありつづけ、彼以外の何者でない言葉の使い手でありつづけた。
 現に、冒頭に引用した彼24歳の処女作「エーゲ海」にしても、そこには、彼以外誰も持ちえない透徹した眼差しに満ちている。エリティスの全作品は、永遠がついに彼を彼自身にした過程として読み替えることができるだろう。そこにあっては、ジョイスが、ゴダールが、あるいはカヴァフィスやリッツォスがそうであったように、どの作品までが傑作で、どれが駄作かなど、全くの愚問である。
 
 あるいはまた、彼がギリシャに生まれ、二十世紀と呼ばれる時代を生きていたという素朴な事実に、私たちは思いもよらなかった驚きと畏怖の念をもって向き合うこととなるだろう。なるほど私たちは以前からこうした彼の伝記的事実を知っていた。しかし、社会的状況をほとんど直接語らない彼の詩編、「戦争のときの鳥の囀り」(p.200)を前にして、これら事実を抽象的にわかった気になるばかりで、本気で注視しようとしてこなかった。エリティスとは濁世には目もくれぬ高踏な自然崇拝者と信じて、軽く受け流してきた。
 だが、どうだろう。60年におよぶ彼の詩業を俯瞰すると、その作品一つ一つが、悲惨と荒廃を極めた二十世紀小国ギリシャの運命と軌を一にしていることに気づかされる。時代に目を向けなかったどころではない。あまりに透徹した眼差しを時代と状況に向けていたゆえに、ついには特定の時代をも超えて人類史全てに通底する深層を抉り出してしまう「鳥の囀り」だったのだ。
 
 たとえば、1942年から43年にかけての冬、アテネで書かれた第二詩集『原始 太陽』の、以下のような一節は、どうだろう。
 

だれもぼくらの運命を語らない、それでいいのだ
ぼくらは太陽の運命を語ろう、それでいいのだ。(p.80)

 
 一見、ここには楽天的な太陽賛美しかないように見える。だが、思い出してもいただきたい。これを書いていた時、確実に「万能の太陽は(…)世界を棄て」(p.92)ていた。
 ナチス占領下の食料調達と極寒に飢餓が極限に達した当時のアテネは、路上に転がる餓死者を回収する専用トラックが徘徊していた。そもそもエリティス自身も、陸軍少尉として出征したアルバニア戦線で戦病死しかけて、前年ようやくアテネに戻れたばかりだった。つまり、この詩句は、つい今しがた戦場で死にかけた男が餓死者の転がる地獄の町で書きつけた言葉である。
 そう考えれば、太陽輝く限りけっして詩筆を手放さないというこの詩句は、楽天さとは異質な重みをもっていることがわかる。ここに読みとるべきは、こちらが彼に期待する自然崇拝などではなく、戦争という災禍のなかで絶望と希望とに引き裂かれた人間の内なるドラマである。
 同様のことが、ギリシャ内戦の時代に着想され、十年の沈思ののちに完成した『アクシオン・エスティ』についても言える。軍事政権を尻目にパリで書きつけられた「ヴィラ・ナターシャ」や『光の樹と十四番目の美』についても言える。『マリア・ネフェリ』は、「水瓶座の時代」の到来を夢見た熱き年月の内奥について何かしら証言しているだろう。今回初めて日本語に抄訳された『見えざる春の日記』、『小さな船員』、『オクソペトラの悲歌』といったエリティス晩年の作品を前にすると、日本では経済的爛熟とその霧散でのみ語られがちな80、90年代が実は精神的荒廃において特筆すべき歳月だったのではあるまいかなどとついつい思ったりしてしまう。
 
 だが、私たちにそれ以上の注視と熟慮を要求する彼の伝記的事実がある。一見すると最も素朴な事実だが、言葉を失わんばかりの驚きと切迫感をもって私たちに迫ってくる事柄がある。それは、彼がギリシャ人だったということだ。
 念のためにお断りしておくが、ここでいうギリシャ人をヨーロッパ南端の岬に住む住民といった機械的な解釈をして、やり過ごしてはならない。ここでいう「ギリシャ人」とは、むしろ詩編「コンスタンティノス・パレオロゴス帝の死と復活」末尾の叫び、「彼こそは/最後のギリシャ人!」と同様の意味に受け取っていただきたい。つまり、エリティスはギリシャなるものに徹底して忠実だったゆえに、ギリシャ人なのである。
 この自国への忠誠はあまりに徹底したものであり、すでに祖国愛、国粋主義といった枠組を大きく逸脱している。彼はギリシャなるものしか目に入らなかったからギリシャ詩人なのではない。その眼差しそのものが二重にも三重にもギリシャ的であるゆえ、ギリシャ詩人なのである。現に、彼の眼差しはあまりにも透徹し、あまりにも豊かであり、彼の眼球がたんなる視覚の受容器だったとは到底信じることが出来ないほどだ。
 
 オディッセアス・エリティスがギリシャ詩人だというのは、オリーブだの白亜の丘だの、こちらが期待するギリシャ的形象が頻出するからではない。エリティスのギリシャ性は、そこに登場する形象ではなく、むしろ詩全体を機能させるメカニズムに求めるべきだろう。たとえば、彼の詩編「夏のからだ」はギリシャ神話的だ。
 

 夏のからだ
 
なごりの雨音をきいて時が過ぎた
蟻と蜥蜴の頭上に
いま太陽が燃えつづける
果実はその口を彩り
大地にゆっくり穴があく
ひたひた滴る水辺に
一本の大きな草が太陽へむかって目を凝らしている!
 
誰だ、砂浜に仰臥して
いぶし銀のオリーブの葉を燻らせているあいつ
蝉はかれの耳の中で熱く
蟻は胸の上ではたらく
蜥蜴は腋下の草原をすべり
足の海藻の上を波がたゆたう
歌によせて小さなセイレーンの送りとどける波が――
 
おお、夏のからだ、日に焼け、
油と塩に浸食された
岩のからだ、心臓のふるえ
行李柳の髪を掻きやる風
縮毛のアフロディーテーの丘にバジルのあえかな吐息
天に満ちる星、生い茂る松葉、
からだ、日の深い吃水の船!
 
小雨が来る、はげしい雹が来る
雪嵐の爪に引っ掻かれた陸地がよぎり
荒波にふかぶかと暗む
丘は厚い雲の乳房に身をしずめる
だが何はさておききみは泰然と笑みをうかべ
不死の時間を再発見する
太陽は砂浜できみと再会し
空はきみの裸の健康と相まみえる。 (p.69-72)

 
 ご覧の通り、ここにギリシャ神話の人物はほとんど出てこない。にもかかわらず神話的だというのは、夏という無形の存在が一人の若者の肉体へ収斂していく様が、ギリシャ神話の変身譚を思わせるからだ。
 
 一つの形象がその形象を示すにとどまらず、別の事象、意味に通じているという「アナロジー(類推)」の一語は、「太陽形而上学」や「建築的創造」とともに、エリティス理解の重要な鍵語となるだろう。イリオブールゥ女史が日本の読者のために書き上げた本訳詩集序文が、エリティスの「多角的アナロジー」から書きおこされているのは、たんなる偶然ではない。
 エリティスにおける屋外の光景、たとえば太陽が、希望と絶望に引き裂かれた人間ドラマに通じていることは既に述べた。冒頭の「エーゲ海」にしても、そこに私たちが釘付けになるのは、美しい港町が書き込まれているからというより、その光景に見えざる彼方からの呼びかけが満ちているためだ。
 エリティスにあって自然は、その表現のスタートでありゴールであることは疑い入れない。しかし彼の手にかかると、それらはたんなる自然ではなくなる。エーゲ海はたんなる青い海ではなく、不死の鏡へ変貌する。花々も、鳥たちも、木々も、大地も、空も、光も、アナロジーを通じて精神的諸価値を私たちに指し示す。彼にあって自然は、われわれの世界を超えた見えざる宇宙を読み解くアルファベットへと変容する。
 この感性こそ、すぐれてギリシャ的なのではないだろうか。エリティス作品を前にしてするべきこととは、そこに登場するギリシャ的な風物を数え上げることではない。彼の感性におけるギリシャ性、眼差しそのものに内在しているギリシャ性に目を向けることだ。
 
 そもそもエリティスにあって詩を書くという行為そのものが、ギリシャなるものに忠誠を示す営為であり、その精神を現代へ継承する試みだった。
 エリティスがどうしても忽せにできないこと、それは、エーゲ海の浜辺ではるか昔アルキロコスとサッフォーとにより叙情詩が生み出され、そのギリシャ精神が途切れることなく今同じ浜辺に立つ自分にまで受け継がれていることである。彼にとってエーゲ海は精神的価値を結びついているだけではなく、詩文学そのものを生んだ母なる羊水でもある。
 ただしエリティスは、このギリシャ精神が貴族文化に流れていると見ていない。叙情詩をも生み出したギリシャ精神は、むしろ民衆文化に流れて現代にいたっていると考えている。
 この認識を私たちはたんなる個人的趣味嗜好といったもので片づけず、真面目な注視と熟考とを向けなければならない。なぜならここにこそ、人の眼差しをめぐる彼の批評的スタンスが隠されているからだ。
 
 ギリシャは、ヨーロッパ南端の岬にあるテーマパークではない。ギリシャがギリシャたる所以は、私たちがそこに期待する文化的コンテンツを供給するからではない。にもかかわらず、それを真のギリシャと錯覚してしまうのは、無意識にも私たちが、期待している意味以外を視界にいれないとする文化的抑圧を生きているからだ。私たちの眼差しはけっして自由ではなく、不自由さに縛られている。
 そうした文化的抑圧によって歪められたギリシャ像、奇形したギリシャ像は、なにも現代に限ったことではない。セフェリスが毎度口にしていたように「エル・グレコ一人を例外として、当のギリシャ人が誰も関わっていない」ルネサンス期ヨーロッパが思い描いた「古典主義」ギリシャがそうだ。
 エリティスは、そうした文化的抑圧を憎む。なぜならこうした悪が故国を歪め、さらには人類に悲惨と荒廃をもたらしていると大真面目に考えているからだ。全てを政治的選択で判断する人間を「政治人間」とでも評するのならば、詩人である彼は一貫して芸術人間であり、哲学人間ですらある。つまり、全てをものを見る、ものを考える、ものを作るという次元で判断する。
 彼が敵と位置づけるのは、ホワイトハウスでもクレムリンでもない。そうではなく、私たちに内在する損得勘定、隷属、日常的欺瞞、卑屈、軽薄、愚鈍といったものを、眼差しを抑圧する悪と見なし、人類共通の敵と見なす。そして、自らの営為をこれら悪との闘争、一種の革命と位置づける。
 もちろん、その革命は声高なスローガンの絶叫で果たされるものではない。人がものを見る、ものを作るという次元において、それは革命でも闘争でもない。詩人として彼の唱える革命とは、私たちの眼差しが歪み、悪に染まり、ついにはアウシュビッツとヒロシマにいたった時代に、一言も発しないマチスの静物画が新たな美を指し示し、人の眼差しの可能性、創造性を押し広げた、そういう意味での革命である。「私たちは悪と戦争の立場から革命を夢見た/マチスが明暗と濃淡の立場からそうしたように」(p.202-203)。
 
 そのうえで、詩人エリティスにとってギリシャは自らの拠って立つ所であり、その革命はギリシャ性による文化的抑圧に対する反抗あるいは解放といえる。同時に、太古から流れるギリシャ精神が現代人の眼差しに何を貢献しうるかという芸術的実践だったともいうことができるだろう。
 ただし、そこでいうギリシャ精神は、ルネサンスなど文化的抑圧の所産であるギリシャではない。そうした文化的抑圧から離れた民衆文化の側に営々と受け継がれてきたギリシャ精神である。
 具体的に言うならその系譜とは、古代詩からローマノス・メロードス(邦訳あり。『ローマノス・メロードスの賛歌』家入敏光訳、創文社、2000年)を経て、民衆歌、『エロトクリトス』、ソロモス、カルヴォス、パパディアマンディス(これまた邦訳あり。パパディアマンティス『女殺人者』横山潤訳、近代文藝社、2010年)、テオフィロス・ハジミハイルといったものになる。彼ら魔術師たちの所産について私たちは今後饒舌に語り合わなければならないだろうが、今とりあえず問題なのは固有名詞ではなく、眼差しの解放である。だから今ここでは、民衆文化に秘められたギリシャ精神についてエリティスの口真似をしてこう要約しよう。
 ――ルネサンス以降のヨーロッパが言う「古典主義」にギリシャ精神は継承されているのではない。そうではなく、潮風吹く海辺の町に建つ、白漆喰塗り固められた民家の庭先で可憐に咲いているゼラニウム花一輪を、驚きと感動をもって見つめる眼差しにこそ、かつてアポロン像を、サモトラケのニケを、聖母マリアのイコン画を創造した精神が息づいている、と。
 だが、もしこうした創造性がギリシャ精神だとすれば、エリティス自身も言っているように、もはや《ギリシャは地域・国籍の問題ではない》。
 
 《ギリシャは地域・国籍の問題ではない》。
 現に、エリティスが試みたギリシャ性の革命をギリシャ国民全員が理解しているわけではなく、相も変わらず期待している意味しか視界に入れまいとする文化的抑圧に無自覚、無頓着な輩も確実にいる。
 あれはちょうどエリティス生誕百年を迎えた2011年だったか、総選挙でさる立候補者が選挙ポスターに『アクシオン・エスティ』の一節を刷り込んだ。これにユリータ・イリオプールゥ女史が激昂し、裁判闘争する、しないの大騒ぎになったことがある。
 当然のことだろう。イリオプールゥ女史がなぜあれほど怒ったかといえば、彼の所属している政党が気に入らないとかそんなものではない。自分の期待している意味のみ抽出し、こともあろうにエリティス詩を政党のスローガン程度に利用されたことが我慢ならなかったのだ。事実、自分が期待している意味だけ読み取る態度をとるかぎり、エリティス詩のもつ宇宙的広がりは圧殺される。残念ながらギリシャ国民にも、眼差しにおけるギリシャ性に無自覚な者がいる。
 
 ところで、この小文でも再三名前を出しているユリータ・イリオプールゥ女史Ιουλίτα Ηλιοπούλουとは何者か?多くのエリティス関連書で登場する彼女についてここで少し紹介しておこう。
 1966年にアテネに生まれた彼女は大学在学時にエリティスに見いだされ、その晩年を公私にわたり支えた女性である。彼の没後はエリティス著作権者として精力的にその整理、普及にわたり、エリティス関連の催しのために今もギリシャ国内外を忙しく飛び回っている。
 「偉大な人に巡り合えた…だから、その人のためになんでもする」という心魂だけでも見上げた女性だが、彼女はそのことに甘んじない。「偉大な人に巡り合えた…だから、私は自分自身に磨きをかけていかなければいけないのだ」と思いひそめている点が彼女の偉大なところである。
 既にエリティス生前に詩集を刊行していた彼女は、その没後『オディッセウスへの祈り』、『一から二へ』といった詩集でギリシャのみならずヨーロッパ詩壇で注目される詩人へと成長する。近年は、『人形』、『家』といった散文や童話にも活動の幅を広げ、エリティス普及の多忙な日々のなか自らの研鑽にも怠りない。
 本訳詩集刊行に際しては、彼女から序文がいただけた。エリティス詩の精神的、倫理的側面を強調する高角度の論考で、いまだ現代ギリシャ詩といえば感覚的感受で自足している日本を思うと、はたして何人が読みえるのか。それを思うと不安だが、そうした不安が杞憂に終わることを今は祈っている。これほどの序文を寄せられたとは、彼女が日本に何事かを期待している顕れなのだろう。本訳詩集でエリティスに興味を持った方は、感覚的納得などより先に、彼女の寄せた序文を再三再四精読していただきたい。得るものがきっとあるだろう。
 
 それで、話を元に戻すと、ギリシャ国民が全員、眼差しの抑圧に自覚的なわけではない。他方で、ギリシャ国民でない者にも、人の眼差しの可能性を押し広げようとする者はいる。とりわけ、かつて奇形したギリシャ像を作ったヨーロッパ人の子孫のなかには、ギリシャ人以上に眼差しの革命を推し進めた者たちがいる。
 それは、エリュアールであり、ルヴェルディであり、ブルトンであり、ルネ・シャールである。ピカソであり、マチスであり、シュルレアリストたちである。ルネサンス的「古典主義」をいささかも信じていないエリティスは言う。《ハンス・アルプ知ってるか? すごい単純性だ。彼こそ古典主義彫刻家じゃないか?》
 
 エリティスのなかで、民衆文化へ流れたギリシャ精神は(当時の)ヨーロッパ前衛芸術と結節する。ソロモス、パパディアマンディスといった魔術師の系譜にエリュアールやルヴェルディが結節する。パナイヨティス・ゾグラーフォスやセオフィロス・ハジミハイルといった非遠近法絵画の系譜に、ピカソやマチスといった非遠近法絵画がつらなる。
 ヨーロッパ的文化観からの解放を目指すために、そのヨーロッパ文化の達成をも吸収し、場合によっては自らの武器とすること。大国文化の狭間で小国文化の意義を示すには、たんに地域性を強調すればいいのではない。大国文化の達成をも自らの武器に取り込むしたたかさが必要なのである。
 ここに大国ヨーロッパ文化の化け物じみた底力が見えてくるとともに、その狭間に生きる小国文化が抱える条件と可能性とが見えてくる。一ギリシャ人エリティスがヨーロッパの何に反抗し、そのためにヨーロッパの何を吸収して、自らの血肉にしたのかという問いは、ギリシャ‐ヨーロッパ文化の関係を考えるうえで、ひいては大国の狭間に生きる小国文化の意義と可能性を考えるうえで興味深い研究課題となるだろう。少なくともそれは、別にギリシャについてでなくても書ける貧困レポートのうずたかい堆積などより、よほど文化的な刺激と示唆に満ちている。
 まして、私たちもまた小国を生きているのだ。七十年前に手痛い打撃を受けて覇権大国になれないと思い知り、大国と大国の狭間で生きることを運命づけられた国に生きている。現代ギリシャに興味があるとかないとか、そういう個人的事情を抜きにしたところでも、エリティスの果たした達成に私たちは身につまされる思いで目を向けるべきなのではあるまいか。
 
 エリティスは徹底してギリシャ的な詩人である。
 なるほど、エリティスが考えるギリシャが真のギリシャなのか異論もあるだろう。そもそも、そこで言っている「真の」という言辞が何を意味しているのか、膝と膝を突き合わせて大いに議論しなければならない。しかし、彼が徹底してギリシャのギリシャたる所以にこだわり、それを自らの中核に据えたことに異論はないだろう。彼にとって、エーゲ海は美しい故郷にとどまらず、詩人として拠って立つ所だった。だから彼は言う。《エーゲ海は私にとって自然の一部というより、一種の署名である》。
 そして、「いつかこれらの海は復讐するだろう(p.175)」。彼の作品は、抑圧と隷属に縛られた私たちの鈍重な眼差しを是認、安心させるのではなく、むしろ揺さぶりをかけ、無垢と生気とを回復させる。
 ヨーロッパ文化が全地球上を蔽いつくし、小国文化にはたかだかテーマパークほどの意義しかないと平然と語られる今日でも、エリティスの作品は、人がものを見る、ものを考える、ものを作るという次元でギリシャが何を成しえるのか示す美しい実践であり、小国文化が人類に何を貢献うるのか示す優れた実例なのである。
 

 

 銀色の詩の贈り物
 
わたしは知っている、それらが何ものでもないことを
私の話す言葉に字母がないことを
 
太陽と波は文節の書法だ
きみがそれを読解するのは苦悩と流罪の時だけだ
 
祖国は西欧と東欧の重畳する壁絵
きみがそれを剥いで復元すると
たちまち牢獄へ入れられ
いつも自国の政権を通し数多の他国の政権に弁明させられる
 
いずれ災いのときはそうなる
だが想像してみよう。古い時代の脱穀場で――
いまならさしずめ集合住宅だ――遊ぶ子供たち
負けた子は
 
規則にしたがって他の子どもたちに告げ
ひとつの真実をあたえねばならぬ
そのときやっと皆はその手に小さい
 
銀色の詩の贈り物をもつことになる。(p.181-182)

 
 (文中、エリティス詩の引用は東千尋編訳『オディッセアス・エリティス詩集』(土曜美術社出版販売、2015年)により、該当頁数を示した。《 》内の引用は、1975年のイヴァール・イヴァスクによるインタヴューでのエリティスの発言であり、拙訳。
 本稿は『日本ギリシャ協会会報』第136号(2014年5月)に掲載されたものを若干の加筆のうえ転載したものである。この度の「公共空間X」への転載にあたっては、日本ギリシャ協会のご了解を頂いた。)
 
 (もぎまさとし)
(pubspace-x3182,2016.04.22)