この頃のこと、雑感。――綿井健陽氏、SEALDs、そしてママたち――

上之園幸子/相馬千春

皆様
「ノー・ウォー横浜展」、若生さんの作品も展示されていたのですね。教えていただけていたら、16日は鎌倉まで行ってたので、行けたかも。残念!でもこの記事から伝わってきます。
25日中野ゼロで、DAYsJAPAN主催の「いま戦争を考える」がありました。綿井健陽氏の映画「チグリスに浮かぶ平和」抜粋からの映像に、綿井さんの解説。
9.11以後、アフガン、イラクと続く戦争は絶対必要ない戦争だと強く思っていましたし、アメリカ介入でなんとかならないかという在日のイラクの方々(シーア派系)と口論したこともありましたが、昨夜アメリカに加担した日本を罵倒する人々の声を聴き、殺されたたくさん人々の――特に子供たち――映像を見るうち、私の中のイラク戦争風化に気づきゾッとしました。まだ10数年しかたっていないのに……。
綿井さんは、東富士に演習を見に来てる人々は、花火を見るような感じだと嘆いてましたが、綿井さんの映像――そして広河隆一氏の写真――は、あの戦争の記憶を呼び起こしてくれました!
最後のSEALDsの一員佐竹美紀さんのスピーチはすばらしかった!純なアイドルともいうべきすてきなお嬢さんでしたが、8ヶ月ばかり、ドイツ平和村に滞在し、世界で扮争の起こっていること、何よりも未来に生きるはずの子供たちが傷つけられ、殺されていることなど、彼女のいろいろな方面への想像力、これからももっともっと学びこうした問題にかかわっていこうとする意志の強さ。こういうステキな若者が、育っている!と、SEALDsの中でシュプレヒコールしていた時伝わる感じ以上に、感動しました。
会のあとどこかのマスメディアの取材を長々と受けているのを待って、公共空間Xというサイトで鈴木望水さんという人が、SEALDs擁護論書いてますから、読んでください。よかったら、今日の原稿でもいいし、投稿してください!とお願いしておきましたが。
変革のアソシエ内の川元先生の部落講座に来ているA君もSEALDsのメンバーで、先月横浜フィールドワークで一緒だったので、帰り夕食共にしながら、SEALDsについて話を聞きました!たしかそのときも公共空間Xのこと話しておいたのですが、今彼はSEALDsの活動と修士論文で忙しいかな?
では30日!

上之園幸子

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上之園様
最近、若い人たちが、運動を始めたことには、本当に勇気づけられますね。
25日は船橋でも戦争法案反対の街頭宣伝があって、これは船橋市議会の戦争法案に反対する議員(超党派13名)が主催したのですが、「安保関連法案に反対するママの会@千葉」のママ達も参加してくれました。
それで若いママのスピーチを聴いたんですが、運動の“センス”が昔とは本当に変わりましたね。
彼女はこう言うんです。
<集団的自衛権というのは、お友達がケンカをするから、自分も加勢しなくちゃならない、ということじゃないか?でも子供のケンカで自分の子供に「加勢しなさい」なんていうママは、わたしのママ友には一人もいない。「ケンカになりそうなら止めなさい」って教えるのがふつうじゃないか?子供に教えるのと反対のことを、どうして大人の世界でやろうとするのか?>
内田樹さんが
<これまで、ひとまえで「政治的に正しい言葉」を語る人たちにはつねに、……なにか、外来の、あるいは上位の「正しい理論」や「正しい政治的立場」を呼び出してきて、それを後ろ盾にして語るということがありました。でもSEALDsのみなさんの語る言葉には、そういうところがない。……自分たちがふだん学生生活や家庭生活のなかでふつうに口にしている言葉、ふつうに使っているロジック、それにもとづいてものごとの正否を判断している常識、そういう「手元にある道具」を使って、自分たちの政治的意見を述べている。こういう言葉づかいで政治について語る若者が出現したのは、戦後日本においてははじめてのことだと思います。>
http://blog.tatsuru.com/2015/08/24_0753.php
と言っていますが、私は、彼女の発言を聴いて、内田さんの言がぴったり当てはまっているなあ、と思いました。
ところで、1940年、東北大にいたカール・レーヴィットは、
<[日本人は]二階建ての家に住んでいるようなもので、階下では日本的に考えたり感じたりするし、二階にはプラトンからハイデッガーに至るまでのヨーロッパの学問が紐に通したように並べてある。そして、[レーヴィットのような]ヨーロッパ人の教師は、これで二階と階下を往き来する梯子はどこにあるのだろうかと、疑問に思う。>
と書いています。(『ヨーロッパのニヒリズム』跋文)
日本人は、二階の本棚から「正しい理論」や「正しい政治的立場」を引っ張りだしてきた――今でもそういうヒトはいますが――けれど、それは一階での暮らしの感覚とはどこかズレたままだった。
そんな日本人の「知のあり方」が、いま変わろうとしているのかもしれません。

相馬千春

(公共空間Xのメーリングリストでの応答を紹介しました。――編集部)

(うえのそのゆきこ/そうまちはる)
(pubspace-x2354,2015.08.29)