高橋一行
国際ヘーゲル学会が9月上旬にローマで開かれ、そこで研究発表をする。一週間ほど滞在する予定を立てている。観光地巡りをする余裕はないが、しかし学会会場とホテルの間を歩くだけでも、ローマという街について、いろいろと考えることになるだろうと思う。研究発表の準備だけでなく、ローマがどういうところなのか、下調べをしたいと思っている。
それでローマ時代で最も優れた思想家だと言われているキケロを読もうと思う。キケロには『老年について』という著作がある。ここのところ「老い」というテーマで書いているので、その続きとして、キケロの「老い」論を取り挙げる。
またこの「老い」論から、キケロの哲学とさらにはローマの哲学について、ヘーゲルがどう考えていたのかということをも考えてみたい。
角田幸彦はキケロを論じた本の第1章で、「ローマ精神史全体を支える5人の巨人として」、「キケロ、カエサル、セネカ、ウェルギリウス、タキトゥスを挙げるが、政治的人間の典型ローマにおいて、人間の自己開展の全幅が政治と緊迫に結び付いているのは、共和制末期の2人キケロ―とカエサルにおいてである」と言う。とりわけキケロは、「ヨーロッパ精神史の恩人中の恩人である」と言い、キケロがいなければ、西欧の市民社会は成立しなかったとまで書くのである(角田 p.14)。そして政治において、カエサルが剛、キケロが柔で、文章においては、カエサルが簡勁で、キケロが艶麗であると言い、しかも両者の偉大さの輝きはそれぞれ相手の偉大さがあってのことであるとも言う(同 p.15)。
さて角田の本でキケロの偉大さを確認した上で、実際にキケロを読んで見ようと思う。キケロの『老年について』という本を読む。
その要旨は次の通りである。
まず彼は、老いが惨めとされる4つの理由を挙げ、そのひとつひとつに反論をしていく。そして結論として、哲学と知恵によって、老境こそ精神は充実すると説くのである。老年は知性や思慮深さが最も輝く時期になるとキケロは説く。
その老年が惨めとされる4つの理由と、それに対するキケロの反論を確認してみよう。
まず老人は一般には、社会活動から遠ざかると思われている。しかしキケロは、老人は肉体的な力ではなく、思慮、知恵、権威をもって国家や社会に貢献できると言う。若者のような行動力はできなくとも、重要な役割を果たせるのである。
第二に、老人は肉体が弱くなると言われる。それに対して彼は、老人の肉体が衰えるのは、若い日の不摂生が原因であると言う。若い時から節制し、自分の持ち合わせた力に応じた活動を続ければ、老いてなお、十分に充実した生を送ることができると言うのである。
第三に、老人は快楽を享受することができないと言われる。それに対しては、老人は食欲や性欲などの肉体的な快楽から解放されて、理性に満ちた精神的自由や、学問の探求という純粋な喜びを味わえると言うのである。
第四に、老人は死が近付いていて、それに怯えていると言われる。しかしキケロに言わせれば、死を恐れるのは魂が滅びると考えるからで、しかし魂は不滅であると考えれば、死は苦しみではなく自然な安息であり、むしろ次の段階への旅立ちであるということになる。
以上のように、キケロは老人が惨めであるという世間の説を批判し、麗しき老後を迎えるためには、若い内から哲学を学び、理性的で徳のある生き方をすることが必要だと言う。知性と学習を怠らず、活動的に生き、若者に対しても自らの知恵を分かち合うことで、周囲から愛されるはずだと考える。老いは、経験と知識が最も発揮される完成の時期であるとキケロは主張する。
このようにキケロの言うところをまとめてみる。しかしどう考えても、実につまらない話ではないか。
ラテン語で読まないと、その名文を味わえないのかもしれない。しかし翻訳でも十分にその主張は伝わり、そしてその言っていることはどうにも凡庸である。先の角田がキケロをあれほどにまで褒める、その気持ちが私には分からない。今から2100年前にこれだけのことが書かれたのは凄いことなのかもしれないと思うが、しかし中身は余りに俗っぽい。
岡本裕一郎はその「老い」論の中で、この論稿を「権力にしがみ付く老人政治家の正当化」だとか、「老害そのもの」だと言っている(注1)。実際この本は、60歳を過ぎた元老議員であるキケロが、元老院の権威の強化を目論んで書いたものなのだ。そういう歴史的な背景を考えると、これは単に凡庸という話ではなく、有害だということになる。この本は、「老人政治家がいかにして権力を手離さないかの理由について強く主張したもの」なのである(岡本 p.31f.)。
老人の正当化は見苦しい。まして権力を握っている者の正当化は有害である。しかし人は自らを正当化しないと生きていかれない存在である。岡本から「有害」だと言われると、さすがにキケロが可哀そうになり、少しく弁護したいという気持ちも出てくる。
この著作の執筆の時期については、詳細は分からないのだが、カエサル暗殺(BC44)の前だとされている。この時期に、キケロは膨大な量の著作をものしている。そしてカエサル暗殺後は、キケロの周りも慌ただしくなる。キケロはカエサルの養子オクタヴィアヌスに裏切られる。そしてついに、カエサルの部下だったアントニウスの放った刺客によって彼は殺されるのである。BC43年のことで、キケロ63歳である。
キケロはカエサルの独裁を批判していた。カエサルの「力」の政治を批判し、言論の力に依拠しようとする。そして哲学に回帰する。しかしキケロのその膨大な著作が、当時活かされた訳ではない。おまけにカエサルと対立したポンペイウスの側に与したため、ポンペイウスが謀殺され、カエサルの独裁体制が確立すると、キケロの政治的立場は完全に失われる。
その後カエサルが暗殺されると、キケロは再び政治の舞台に戻るべく、オクタヴィアヌスに味方して、アントニウスの批判を始めるのだが、先に書いたように、オクタヴィアヌスに裏切られて、キケロはアントニウスに売られてしまい、ついに殺されてしまうのである。
しかしキケロの、この著作を書いた晩年の、彼の政治的立場を考えると、この著作で老人である自らを正当化したというのではなく、カエサルの武力政治を批判して、哲学的な思索の重要性を指摘したという風にも読める。また古代ローマの60歳はすでに十分に老人であると思われるのだが、しかし彼は結局、この著作を書いたあとすぐに暗殺されていて、つまりキケロは、本人の意識としてはまだ肉体的にも精神的にも活動期に、いきなりその生を奪われたのである。「老年について」書くにはまだ早過ぎたのではないか。
だから老いについての本であると思うと、これはただ単に凡庸な著作に過ぎないのだけれども、『老年について』は哲学と政治を結び付けようとしたものであると考えると、この凡庸さが重要になってくるのではないか。先の角田が、キケロなくして、ヨーロッパ市民社会は誕生しなかったというのは、事実としてその通りであり、そのこととキケロのつまらなさは矛盾しないのではないか。
ローマについて何か書こうとして、話が思わぬ方へ展開した。ローマはどうもギリシアほど面白さはないということは、以前から先入観として私は持っていた。そしてそれは、実際ローマに関する本を幾冊か読んでも、覆されない(注2)。しかし如何につまらないにせよ、ローマは偉大であったことに変わりない。このことをもう少し考察したい。
さて、ヘーゲルはキケロを評価していない。このことは『歴史哲学』、『法哲学』、『哲学史』からヘーゲルのキケロに関する文言を拾ってくれば、すぐに分かることだ。しかし酷評しているというのでもなく、ただ単にキケロを凡庸だと思っているのだろう。
先ず『歴史哲学』を見ると、そもそもローマに対するヘーゲルの評価が低いことが分かる。ヘーゲルはギリシアへの憧れが強過ぎて、ローマを悪く言うのは、その反動なのではないかと思う。引用をしてみよう。
まずその著作は、上巻が「序論」と「第一部 東洋世界」から成り立ち、下巻に行くと、「第二部 ギリシア世界」、「第三部 ローマ世界」、「第四部 ゲルマン世界」と続く。その第二部の冒頭においてヘーゲルは、「ギリシアにやって来ると、直ちに故郷にいるような気分になる。そこに精神の土台がしっかりとあるからです」と言う。それは「世界史の青年期になぞらえる」ことができるのである(p.8)。続けて、ギリシアは個人を生かすような共同体です」とも言う(p.11)。また「ギリシア精神の基本性格を成す美しき個人」というような言い方もする(p.34)。
それがローマになると、「ローマの国家目的は、個人の共同生活を国家のために犠牲にすることにある」と批判する(p.96)。「抽象的な国家や政治や権力を具体的な個人の上に置き」、「そこには具体的で内容豊かな精神生活はなく」、そこにあるのは「精神と心を喪失した世界」であるとか、「剥き出しの支配力」だと言われるのである(p.97f.)。因みにヘーゲルは一般に国家主義者だと思われているから、このようにギリシアを個人が生き生きとしているという理由で褒め、ローマを国家が強すぎるからと批判するのは、多くの人に意外だということになるかもしれない。
さて一方で、ヘーゲルはカエサルについては随分と好意的である。ヘーゲルはそもそも英雄が好きで、「カエサルは、軍団と優れた天分に支えられた英雄」だということになる(p.148)。『歴史哲学』は歴史についての本だから、歴史的な英雄であるカエサルについては、結構好意的な記述があるのである。
一方キケロについては、「ローマの共和制が長持ちできないなどとは考えなかったので、いつもその場限りの弥縫策を探し求めた。国家、特にローマ国家の本質について、彼には何の意識もない」と言う(p.149)。歴史において、カエサルほどの現実的な力を持たず、文人として政治に参加しただけの人物についての評価は低いのである。
また『法哲学』では、キケロはその人生における小さなエピソードが取り挙げられて、論評されることになる。ローマにおいては、実は離婚が多く、婚姻については恣意的な法の運用がなされているとし、キケロでさえ、礼節について美しいことを言っておきながら、金目当てで前の妻を追い出して、新しい妻を迎えようと算段をしたと言うのである。ヘーゲルはこれだけしか言っていないが、キケロの前妻は多額の借金をしたことが知られていて、そこはキケロを弁明し、また今までの話に繋げれば、この持参金目当てで結婚した二度目の妻ともうまく行かず、また前妻との間にできた娘の急死もあり、キケロは自らの不運を嘆き、そのことが「老い」論を書かせたと言われている。
さて、決定的なキケロに対する評価は、『哲学史』にある。この著作は翻訳本で3巻からなる。まず上巻に「序論」があり、その後の3分の2はギリシア哲学が論じられ、さらにその中巻も丸々ギリシアに充てられる。そして下巻になってやっと、中世と近代の哲学が展開される。するとこの本の中には、ローマ哲学がどこにもないことになる。つまりヘーゲルの意識では、そもそもローマに哲学は存在しない。
もっとも中世哲学の最後の方に少しだけ、ギリシア哲学が研究されたことが記述される。そしてキケロについては、その「古代研究」のひとつとして、ごくわずかに論じられている。
それは「キケロの通俗哲学」という題の節においてであり、そこでは、中世末期に古代哲学が読み直される。その中でキケロもまた読み直されるのだが、しかし「その哲学は、思索を深めるという点では価値なきもので」あり、「一般教養」だとか、「通俗哲学」であるとだけ書かれている(p.117)。
このヘーゲルのキケロ観を受け継いだのが、シュベーグラーである。彼は、その翻訳で600ページ近い分厚い『西洋哲学史』の中で、ローマについては、たったの1ページしか割いていない。彼はヘーゲル学派と呼んでも良い人で、ヘーゲルに忠実な立場から見ればそんなところだろう。「ローマ人は哲学の発達に何ら独創的なものを加えなかった」とシュベーグラーは書く。それは「混合主義、折衷主義」であり、「独創性や整合に欠ける」と彼は続ける。「ローマの最も重要で影響力の多い哲学的著作家キケロ」の「通俗哲学」は「哲学を一般教養へ導き入れたという意味では、これをあまり悪く言うことはできない」とも言う(p.241)。キケロはヘーゲルやヘーゲルの弟子によって、哲学者の内に数えてもらっていないのである。
さて私はここで、キケロの膨大な著作を読まずに、『老年について』一冊だけで彼を批判しようとしているのかもしれない。しかし膨大な量の著作がある思想家を理解しようとしたときに、一冊の本を選んで、それを熟読してみるのは、その思想家に近付く良い方法である。そして今ここで、私はヘーゲルとヘーゲルの弟子のキケロ評価を見ることで、私のキケロについての論評の裏付けが得られたのではないかと思う。
ただここで考察すべきは、かくも通俗的な哲学を持つローマが、しかしなぜ偉大なのかということと、またその偉大さと通俗哲学の持つ繋がりである。
私はかつてローマを訪れ、多少の観光をしたことがあって、ローマの街の雰囲気を気に入っている。そしてかつての記憶を辿れば、ローマと言うところは、現代の街の中に古代の痕跡が至るところにあり、古い石の壁を現在もそのまま使っている。個人の家の壁の一部が、2千年前の遺跡であるというようなところはいくらでもある。
また私はヨーロッパの街のあちらこちらを尋ねているから、ローマを歩くと、ここはそれらの街がここから造られたところの、その礎になっているということを実感している。ここは紛れもなく、ヨーロッパ発祥の地なのである。パリもロンドンもウィーンも、ローマ時代にその基礎が造られ、ローマの痕跡を今に残す。
また私は2年前にリヨンに滞在したが、そこにはローマ時代に造られたコロッセオがあり、また街中の至るところにローマの遺跡があることに驚いた。しかしローマから地中海を陸地伝いに渡航し、ローヌ川を遡れば、リヨンに到る。リヨンとローマはそれほど離れてはいない。実際、ローヌ川沿いには、いくつも古代ローマの遺跡を今に残す街がある。
すると問題は、ローマと言うところは、その哲学が詰まらないのに、街全体は面白く、かつそれが今のヨーロッパ文化を創っているというところにあるのである。
それはなぜか。ひとつには、ローマの土木・建築技術が優れているということが挙げられる。それは巨大なドームや、高いアーチ橋や水道橋の建設を可能にしたのである。また「すべての道はローマに通じている」と言われるように、征服した広大な領土を結ぶ「アッピア街道」などの道路網を整備し、物流と通信のネットワークを構築したのである。
もうひとつ、ローマが優れていたのは、法と統治システムである。つまり、ローマ法を整備して、今日のヨーロッパ法体系の基礎を創り、そのことによって、多様な民族と広大な領土を統治するシステムを創ったのである。また征服した属州の有力者にもローマ市民権を与え、被征服民をローマに組み込むシステムも築いている。
すると、私にとってのローマとは、建物とローマ帝国という統治システムのふたつを指すということになる。このふたつがヨーロッパ全体の基礎を創った。ヨーロッパはローマの遺産である。
しかしここでその哲学が通俗的であることが重要である。ギリシアの独創的な哲学を世に浸透させ、それを分かり易く普及させた。現実的な土木建築の技術と、法・政治システムとに拠って、ヨーロッパの基礎を創り得たのは、その凡庸な哲学が人々の間に普及したことが与っているのではないだろうか。
そこにキケロの功績は大きなものがある。ヘーゲルから如何に悪口を言われても、ギリシア哲学をヨーロッパに広めたのは、キケロの努力の賜物である。現実的な力でローマは世界を制覇した。哲学はその力を支え、その力とともに世界に広がったのである。
先のキケロの『老年について』をもう一度読み直してみよう。すぐに気付くのは、次のことだ。つまり社会的に遠ざけられ、肉体的に衰えてなお、食欲や性欲を持ち、死を恐れつつも、老いていく自らの身体を愛おしみ、老いの境地を享受する、そういう身体性がキケロにはない。つまりキケロの文章には身体がない。あるのはきれいごとだけで、そこには老人の情念がない。
それはどう見ても、殺される直前まで権力にしがみ付いていた老人の姿に過ぎない。そこには「老い」について語る余裕がない。
しかしヘーゲルの言葉で言えば、「美しき青年」の時代であるギリシアの文化的遺産を吸収して、土木技術と政治・法システムという力でヨーロッパを創り上げたローマは、まだ「老い」を語れるほど成熟していないのである。あるいは、「老い」を語れる個人を生み出し得なかったのである。
注
1 岡本裕一郎については、本サイト「老いの解釈学 第5回 プラトンとアリストテレス」(2024/12/28)で扱った。それを読んでもらったら、「老い」についても、ローマよりもギリシアの方が、その考察が優れていたということが分かるだろう。
2 例えば私は塩野七生を読んでみた。しかしどうも私は古代ローマに魅力を感じない。
参考文献
ヘーゲル, G. W. F.,「法の哲学」藤野渉他訳『ヘーゲル 世界の名著44』中央公論社、1978
—- 『歴史哲学講義(上)(下)』長谷川宏訳、岩波書店、1994
—- 『哲学史講義(上)(中)(下)』長谷川宏訳、河出書房新社、1993
キケロ, M. T.,『老年について 友情について』大西英文訳、講談社、2019
岡本裕一郎『「老い」の正解 世界の哲学者が悩んできた』ビジネス社、2023
シュベーグラー, A., 『西洋哲学史(上)(下)』谷川徹三他訳、岩波書店、1939
塩野七生『ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず(上)(下)』新潮社、2002
角田幸彦『キケロ―における哲学と政治 ローマ精神史の中点』北樹出版、2006
(たかはしかずゆき 哲学者)
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