番台の賢者――『さよならわたしの本屋さん』

森忠明

 
   われながら無趣味でツマラン男だと思っている。古本屋めぐりとラグビー観戦ぐらいしか楽しみがないのである。
   地元には気の利いた古書店がないので、週に一回は電車に乗って東京八王子市の佐藤書房というところへ行く。半年に二、三回は西早稲田の古本屋街を歩く。
   佐藤書房の店主が私に声をかけてくれたのは四年くらい前だった。
   「お客さん。失礼ですけど、お客さんみたいに本好きの人はめったにいませんね。本当の本好きでしょ。ほら、ここんとこ読んでみて」と、番台から差しだした本は長崎県諌早市出身の作家、野呂邦暢氏のエッセイ集「小さな町にて」(文藝春秋)だった。指示された部分にはこう書いてあった。〈私は一人で町に出るとき、H書店にはあまり寄らなかった。店の奥に座っている主人の顔が、なんとなくうとましかったからである。浅黒い肌をした顔に一重瞼の細い目が光っている〉。
   たいていの客は店主をうとましく気ぶっせいに感じて、店主の近くに置いてある本までは見ないものなのに、お客さん(私)は毎回すみからすみまで見てゆく―ゆえに「本当の本好き」との判定であった。
   佐藤書房の店主はロマンスグレーの好男子で、少しもうとましくない。たいへんな学識の持ち主だし、ユーモアあふれる人物だ。
   「二人の娘がおりまして、ひとりは看護婦見習い、もうひとりは栄養士志望です。長生きさせてもらえそうでしょ」
   そこまでは笑顔だったが、後半は淋しげにしゃべった。「残念なことに二人とも、このオヤジの商売を小学生のころから嫌ってまして、今までに一度もここに来てません。女ってのは古い物がイヤなんですかね」
   先週も店内をくまなく見せてもらい、町内の出来事や世界情勢、および形而上学的な問題まで、小一時間もレクチャーを受けてきた。そして今宵は、あの日に買った「小さな町にて」を再読する予定。

   『さよならわたしの本屋さん』(ペーター・ヘルトリング・作、岩永昭子・装画、田尻三千夫・訳、さ・え・ら書房、本体一三三〇円、九六年十月刊)の舞台は現代のベルリン。十一歳の少女イエッテは、東西ドイツ統一後の混乱や、両親の離婚に心を痛めながらも、生得のおおらかさでさまざまな人間と交流している。本屋を営む二人の老人、トプフさんとプレシュケさんと仲よくなったイエッテは、彼らの高い教養と品位に尊敬の念をいだく。
   クリスマス前の土曜日。彼らが演じてくれた童話の影絵芝居に大喜びするイエッテ。しかし、心ない者が〈性的虐待〉のうわさを広め、彼女と老人は青少年局の調査を受けて深く傷つく。静かに閉店して去ってゆくトプフさんの、やり場のない悲しみに共感せざるをえない。「小説本来の機能は卑小な日常性のなかでの壮大な悲劇である」(丸谷才一氏)ことを示す傑作。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x15291,2026.05.31)