チェルシー・シーダー『新左翼の女子学生たち』(1・上)

高橋一行

 
                             
本稿は、Chelsea S. Schieder著、Coed Revolution : The Female Student in the Japanese New Left, 1957-1972の内容を要約して、紹介するものである。本書は、間もなく、アメリカの出版社から出る予定だが、英語の大部のもので、日本の読者には読み解くのが難しいと思われ、ここに、著者の了解を取って、その抄訳と解説を掲載して行きたい。本書は、序章と、6つの章、及び終章から成り立つ。序章は割愛し、第1章から始める。
なお、本文は、極力、原著者の記述に即し、紹介者の主観は、注として随時、入れてある。
 
第1章「善良な市民と怒れる娘たち 新左翼の女子学生の道徳的権威」(上)
 
 本章は、木下恵介監督の映画『女の園』(1954)の一場面の描写から始まる(注1)。女子学生たちは、徹底した束縛をする大学経営陣に対し、抗議のために集まって、彼らを封建的と詰る。やがて、彼女たちの歌声が広がる。この映画は、1950年代の映画ファンに、民主的な市民として女子学生のヴィジョンを与えたのである。
 1945年の終戦以降の民主的改革の中で、女性は投票権を獲得し、共学の権利を得る。戦後の日本人にとって、女子学生は、新しく、純粋な政治的主体の可能性を表している。本章では、小説や映画や新聞、また、1950年代後半のデモの証言の記述を、女子学生の姿を通じて、市民参加と活動の新しい基準の構築を描くために使う。
 1950年代後半に、女子学生が、民主主義の象徴として際立っているという虚構は、左翼運動の展開を背景に理解されなければならない。この時期、学生運動は、既成の左翼政党から離脱した。共産党から分かれて、新左翼ができたのであるが、それは政治的分裂であるだけでなく、文化的なものでもあった。
ここで、戦後の左翼運動を簡単に紹介しておく。1947年1月に、皇居前広場で、大学40校から3万人の学生が参加して、学園民主化を中心に議論があり、自治会連合の呼び掛けがなされる。翌1948年9月に、145の大学の代表250人による、「全日本学生自治会総連合」(全学連)が結成される。結成は、日本共産党の指導の下に行われている。
 また、この間、女性の参政権を巡っての運動もある。終戦直後に、市川房江らによって、衆議院議員選挙法の改正が求められている(注2)。それは同時に、平和な民主主義を希求するものでもあった。
 女子学生が戦後日本で、「市民」となったのは、女性をリベラルな平和主義の政治運動に結び付けるイデオロギー的文脈の中においてである。女子学生は、政治的領域に入って行っただけでなく、共学の政策に従い、高等教育という、かつては男性だけの空間に入って行ったのである。後の章で見るが、1960年代初め、女性を重要な社会的制度に参入させることは、人々の想像力の内部に、様々な不安材料を産み出した。しかし、戦後すぐに、女性の政治的純粋さという主導的な理想は、戦後の若者の政治活動の道徳的権威とともに、まさに安保反対運動の中で示されたように、女子学生の活動家に、とりわけ「純粋な」政治的主体性を与えた。
 戦後の学生運動の左翼的性格は、戦争の結果として、道徳的権威についての理念に依拠している面もある。表面上は党派に所属しないように見えて、実は、戦後の日本共産党に入党した学生が、全学連の支配権を獲得して行く。戦前から引き続いて、学生の間に、マルクス主義への一般的魅力があっただけでなく、日本の軍国主義に共産党が抵抗したという歴史が、多くの学生を魅了した。共産党は、戦時に、抵抗したために、牢屋に入れられていたり、亡命していた男女によって占められていた。帝国主義と軍事主義に抵抗した強い意志を持った個人というモデルを探す人にとって、共産党員は、生きた見本であった。
 しかし、戦後の日本共産党は、戦前のマルクス主義運動の党派主義から逃れることができず、1950年代後半に、全学連内部における、日本共産党の指導とメンバーとの間の緊張は、頂点に達した。1956年の武力闘争路線の放棄という党の決定は、大学を捨てて、地下に潜って、革命を扇動しようと考えていた真面目な過激派集団を幻滅させた(注3)。この時の衝撃を描いた小説が、柴田翔の『されどわれらが日々-』である(注4)。また、このような国内の動きとともに、様々な国外の動きがある。1956年には、スターリン批判に端を発した、ハンガリー動乱がある (注5)。かくして、学生運動は、日本共産党から離れ、ソビエト至上主義からも離れて行く。
 
 1950年代後半の共産党に対する批判を描いたふたつの小説を、以下に挙げる。どちらの小説も、女子学生が主人公で、硬直した左翼に対する、著者の批判をうまく小説の中で伝えている。
ひとつは、『偽証の時』で、作者は大江健三郎であり、小説執筆当時、東大の学生である(注6)。もうひとつは、倉橋由美子の『パルタイ』で、作者は当時、明治大学の学生であった(注7)。東大も明大も共学である(注8)。ふたりとも、評論家平野謙の激賞を受け、文壇にデビューした。平野は、日本共産党を、「政治の優位」として批判した、左翼である(注9)。
これも平野謙が指摘していることだが、大江健三郎の、この時期の作品には、女子学生がしばしば登場する。新制の、つまり共学になった大学が舞台である。これは倉橋由美子の場合も同じである。
そしてこのふたりとも、既成の政治団体に属せず、小説の中の女子学生は、共産党主導の学生運動に対して、不安を持ち、しかし、ドグマティックなイデオロギーの偽善と柔軟性のなさに対する、個人の、つまり女子の身体の優位性を確証して行く。
 
 「偽証の時」から見て行こう。実際に起きた、スパイの告発、リンチ(注10)、偽物への成り済ましの事件に基づいて、この小説は、ニュースで報じられた事件の背後にある、動機や緊張を解釈するのに、文学の力を最大限活用している。大江の、この物語は、東大で、共産党に入党している学生の集団によってなされたスパイ事件に基づいていて、この事件は、1950年代の前半以来、しばしば大手新聞で報じられてきた。1954年、共産党の学生活動家が、学生スパイだと言われた男を、東京都立大学と東大の寮で、一か月半、拘束した。実際の事件は、7人から8人の集団でおこなわれ、その中で、女性はひとりであった。
 この1954年の学生に監禁事件についてのメディアの報告は、この女性が、攻撃的であったと報じているが、大江は、この物語を、とりわけ、女性の視点から物語ることを選び、彼女を、監禁者としての役割に対して、板挟み状況にあると描いている。この女性主人公は、戦後の、政治的に純粋な若い女性の理想を体現している。そして大江の肉感的な文体は、彼女の考えを、この出来事の具体的に表された体験に結び付ける。
物語は、女子学生が縄の結び目をほどこうとしたときに、指に感じる感覚の描写から始まる。この結び目は、間もなく分かるのだが、「贋学生」を縛るためにロープをしっかりと結ぶことでできるものだ。語り手は、決してその名前を明かさないのだが、この「贋学生」をT大学の学生運動に対するスパイだとして、捕まえた学生の集団のひとりである。T大学とは、間違いなく、東大のことである。「贋学生」は、女子学生が、彼に食事を与えようとしたときに、彼女の掌に噛み付く。物語は進行して、「スパイ」は逃亡し、中心的な役割の学生は警察に捕まり、学生と教員は共謀して偽証し、「贋学生」の証言を無効にしようとするのだが、女子学生のただれた掌は彼女を苦しめる。
語り手の女子学生にとって、肉体の痛みは、「贋学生」監禁の彼女の役割を常に思い起こさせるものなのだが、男子学生たちエリート集団は、監禁した「贋学生」の告発を無効にすることによって、自分たちの名誉を守ろうとする。女子学生の語り手が、寮の壁の物理的変化に気付き、また、学生と教員の証言が変化しているとき、彼女の肉体は、「贋学生」の監禁の現実を忘れさせはしない。自らを守るためのアリバイを作り出してしまう心配は、彼女の掌の痛みによって、中断される。その痛みのために、彼女は夜眠れないのである。
学生たちは、警察と裁判官たちを説得して、「贋学生」は正気ではなく、自らはまったく責任がないと自ら自身にまで思い込ませようとする。実際には有罪のはずの学生リーダーが、保釈されると、彼らは彼を囲み、無実を宣言するのである。
しかし女子学生は、彼女の掌の傷がまだ完全に治っていないことに気付く。自らを祝するスピーチを聞きながら、彼女は、自分が加害者の事件は起こらなかったと思い込もうとする。しかし、彼女の掌には、贋学生から噛まれた傷が残っていて、そこから血が滲み出る。彼女の掌の傷は、彼女も共謀していた、あの事件の詳細を忘れさせない。
彼女はついに、贋学生が、かつて彼を捕まえた学生たちに謝っているのを聞くことに堪えられなくなる。そして、監禁事件についての真実を叫ぶ。学生たちは、掌の噛まれた傷を、暴力の証拠として提出する彼女に対し、笑って答える。彼女ひとりが、群衆の中で、真実を語ろうとするが、その声は掻き消される。大江が示唆しているのは、若い女性以外、制度と、その中に包囲された男子学生は、真実に奉仕しないということだ。大江は、女子学生の主人公と、男子学生や大学教員が犯罪を包み隠そうとした自己中心的な手続きとを対立させて提出している。
 
倉橋由美子の「パルタイ」は、パルタイ(これは共産党のことに他ならないのだが)に対して、またその組織とそれに専念する男子学生のドグマティックな柔軟性のなさに対して、急速に幻滅を感じる女性の話者を主人公にする。この小説はたちまち評判になり、その成功のために、倉橋は、彼女の同世代の声の代弁者として、公の舞台に進出する。大江の「偽証の時」と同じく、倉橋の女子学生は、男性の中の唯一の女性である。倉橋の小説も、若い女性は、個人的で、家族や家庭生活との関わりを持たない。
単に性別と職業でしか区別されない諸個人の間での、緊張や誤認を表現することによって、倉橋の物語は、戦後日本の、個人の行動の支配的なイデオロギーを反映しているだけでなく、サルトルの実存主義哲学の影響も反映している。彼女の学部の卒業論文は、『存在と無』についてであった。大江の小説と同じく、「パルタイ」の中で、主人公の女子の体の身体性は、女性として、周囲の男性と関係を決定している。政治的身体的な感性を通じて、彼女は、パルタイに忠実なパートナーが、個人としての彼女の関心に耳を傾けることができないことに気付く。彼が愛好するのは、制度的な手続きなのである。
女子学生の主人公は、パルタイに入るために、「経歴書」を書かねばならず、しかし自分の過去を整理して、パルタイに入るために、過去を幼児時代から再現することができない。彼女は、パルタイに入るための必然性を書かねばならないという恋人と言い合いをする。彼女は抵抗する。
 
私は過去からぬけだして、未来へと身を投げたいとおもう。私はパルタイを選び、パルタイによって、私の自由を縛ろうと決意した。ここには何の理由づけもなく、何らかの因果関係が私の決意を導き出したのでもない。その決意がパルタイに受け入られれば充分ではないか。しかしあなたは反対した。あなたは私の議論を直感主義という名で呼んだ。それは危険な思想だというのだった。
 
彼女は、パルタイに、何らかの必然性があったから入党しようとしたのではなく、関わりを求め、自らの自由を束縛しようとした。彼女の選択を肯定する際に、明らかにしたことは、参加の歴史的な偶然性であった。彼女は、自らを、必然性を伴った、ラディカルな主体としては見ていない。パルタイに参加する彼女の決心の偶然性を認識することで、彼女の政治活動を肯定し、彼女の個人史の物語を、議論の俎上に載せることは拒否する。恋人は、彼女の入党には、パルタイが承認しうるような、客観的な「必然性」というものが必要だと言い、しかし、彼女にとって、パルタイが重要なのは、彼女の個人史へのつながりではなく、彼女の個人史からの完全な中断なのである。過去とは完全に異なった、未来に対する彼女の願いは、戦後の日本社会における若い女性の、政治的可能性の、痛烈な喚起なのである。女性がここにいることが、過去の、男性優位の、政治的社会的制度からの完全な中断なのである。
女子学生の主人公が、パルタイに加入するという物語に加えて、彼女は、他のふたりの男との性的欲望をうまくさばいて行くのだが、その仕方もまた、彼女の左翼活動の経験を明らかにする。彼女は、まず、「労働者」を誘惑し、その結果、妊娠するのだが、その子を「処分」しようと一方的に思っており、そこに、彼女の個人の欲望の第一次性が確認できる。彼女は、中産階級の自らと、「労働者」とのギャップを、「私は種を異にする動物同士が偶然に出会い、その場で交わりでもしたような」と感じている。ふたりの身体的結び付きは、階級を超えることを可能にする親密さを生まない。
対照的に、「地区委員会」の大物であるSは、「私を<物>として眺め、自分の欲望を隠そうとしなかった」し、彼女の気を引くために、自分の地位を利用しようとさえした。Sとの経験は、若い女性に、権力を持った男が、私利私欲のためだけに行動するということを確証させる。「労働者」と同志と、ふたりの男との出会いにおいて、欲望のヒエラルヒーは、理想に勝るのである。
彼女の恋人が、「革命」の必然性に対する把握が不十分だと言ったとき、彼女は、彼の議論に激しく反応する。
 
「革命」は、私の外にあるなにかではない。もしも「革命」がそういうものだとすれば、外にあるものの「必然性」がどうやって私の自由、私の選択に関わって来るというのか。「革命」は必然的だからパルタイに入るのではなく、私は「革命」を選びたいから入るのだ。そして私は自分自身の自由を拘束することによって、いっそう自由になることを選ぶのだ。私の参加が「革命」を必然的なものにする。
 
 倉橋の小説の主人公は、「革命」の中心は、個人の意志と行動にあると力説する(注11)。そして最後に、主人公は、パルタイが非人間的な制度で、メンバーの必要性によって運営されているのではなく、その不可思議な必要性に従って、人々を消費するものだと断言するのである。倉橋の物語は、まじめな女子学生の理想を描こうとする。彼女は、男性登場人物を描くことで、パルタイの非妥協的態度と偽善を表現し、女子学生を、独立した性格の批評家として描いている。
 
注1
舞台は、京都郊外にある、良妻賢母型女子育成を教育の理想とする女子大学である。そこに、高峰秀子演じる新入生が入学するが、寮生活に苦痛を感じている。また、岸恵子が扮するテニスの得意な学生や、久我美子が、はまり役とも言える、金持ちの親を持ち、しかし、本人は過激思想を奉じる学生を演じていて、彼女たちとの交際が描かれる。
 しかし女子学生たちに対する強い束縛と、それに反抗する学生、さらには、その学生に対する厳しい処罰があり、大学側の学生切り崩し作戦もあり、その中で、主人公は、自殺をする。学生は立ち上がって、集会を開き、大学と対立する。
 
注2
 1945年12月には、女性の国政参加権が認められ、1946年4月の戦後初の衆議院選挙で、女性議員39名が誕生している。
 
注3
 日本共産党は、1951年10月の第五回全国協議会(五全協)では、軍事武装革命路線を決定したが、1952年10月の総選挙で議席を失うと、方針転換をし、1955年7月の第六回全国協議会(六全協)で、武装革命路線を、極左冒険主義として、それを批判し、捨てた。これが多くの学生に衝撃を与え、国外の潮流の変化もあり、その後の学生運動の方針転換を決定付けた。
 
注4
 六全協による日本共産党の路線転換に、武装革命を信じてきた学生たちは、思想基盤を失う。革命を捨てて、現実の社会の中で出世をする者もいるが、結局、生きる意味が見出せず、自殺をする。また、主人公が学部時代に運動を通じて知り合った女子大生は、主人公と性的関係持った後に、自殺する。さらに、主人公の幼馴染の婚約者も、運動とともに過ごした自らの学生生活を思い出し、しかし、最後は、自殺未遂をする。多くの者が、悩みの中に彷徨っている。柴田翔の感傷的な筆致は、多数の読者を獲得し、芥川賞も受賞したが、活動家からは、酷評された。なお、本論文では、この小説は、注で扱われる。
 
注5
 1956年2月、ソ連共産党第一書記フルシチョフは、3年前に死去したスターリンを、激しく批判し、彼の行った粛清の実態を暴露した。それは夥しい数の国民、党員を処刑し、または強制収容所に送ったというものだった。
その後、ポーランドの反乱があり、続けて、ハンガリー動乱がある。1956年10月、権力の座にあった、スターリン主義者に対し、市民が反発し、そこにソ連が軍事介入し、銃撃戦となる。さらに国民から支持されたナジが首相になっていたのだが、その後、ハンガリーが中立国化を宣言すると、それに対し、ソ連は再び軍隊を送って、ナジは処刑される。
 
注6
大江健三郎(1935 – )。1957年、五月祭賞受賞作として小説「奇妙な仕事」が『東京大学新聞』に掲載され、『毎日新聞』で平野謙から激賞される。また、同年『文学界』に「死者の奢り」を発表し、学生作家としてデビューし、「偽証の時」などを次々に発表。「死者の奢り」は芥川賞候補となったが、この回は開高健の『裸の王様』が受賞した。
デビューの翌1958年、自身初の長編小説『芽むしり仔撃ち』を発表。同年、「飼育」で芥川賞を23歳で受賞。これは1956年の石原慎太郎に続いて当時最年少タイでの受賞である。
 
注7
倉橋由美子(1935年 – 2005年)。在学中の1960年、『明治大学新聞』に小説「パルタイ」が発表され、明治大学教授の平野謙が『毎日新聞』文芸時評欄で取り挙げる。「パルタイ」は、『文学界』に転載され、芥川賞の候補となった。同大学大学院に入学すると同時に作家活動を開始する。文学界や新潮などに短編作品を次々と発表する。続いて『夏の終り』で芥川賞候補となった。同年、短編集『パルタイ』を上梓し、翌年女流文学者賞を受賞。1963年田村俊子賞受賞。新世代作家として石原慎太郎、開高健、大江健三郎らと並び称せられ、特に作風や学生時代にデビューしたという共通点のある大江とは比較されることが多かった。
 
注8
東京大学は、1876年に公布された帝国大学令によれば、女子の入学を禁じている訳ではなかったが、入学資格が高等学校卒業生に限られていたため、現実には女子に入学する道はなかった。戦後の1948年、新学制による学制改革により、女子も希望する大学へ入学可能となった。
明治大学は、早くから、女子に門戸を開いていたが、しかし別学である。1929年、女子部を設置し、後、明治女子専門学校に改称、さらに、1950年、短期大学部に吸収され、それは、2006年3月まで続いた。しかし、これとは別に、大学が共学になったのは、やはり、戦後の、学制改革の後である。
 
注9
平野 謙(1907年 – 1978年)。1957年から、死去まで、明治大学の教員であった。「政治と文学 / 『政治の優位性』とはなにか」は、『新潮』に1946年10月に掲載されている。共産党批判をし、プロレタリア文学の論争の先陣を切った。
 
注10
原注に曰く、リンチは、英語のlynchから来ていて、日本の左翼運動の記述には、きわめて頻出する。それは、対立する党派のメンバーに対して、または様々な違反に対してなされる超法規的な懲罰である。英語のlynchは元々、絞首刑を意味するが、しかし実際に絞首刑に至ったのは、私(原著者)は見たことがないとある。
しかし、その後、公共空間X同人の西兼司氏から指摘があり、連合赤軍事件では、2名が、首を絞められて殺されたという事実があるそうです。
 
注11
この小説の主人公が、妊娠しているために感じる嘔吐は、サルトルの長編小説『嘔吐』の主人公の感覚に、何がしか関係しているかもしれない。しかし、いずれにせよ、倉橋や大江の小説の登場人物の感覚は、実存主義のものである。
 
参考文献 著者自身が挙げているもので、紹介者も参照したのは、以下のものである。
『全学連各派 -学生運動事典-』社会問題研究会編、双葉社、1969
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x1504,2015.01.15)