近きにありて――『江戸時代・人づくり風土記45宮崎』

森忠明

 
   生まれ育った東京・立川市のことを、自分で悪く言ったり書いたりしているくせに、他所の人に悪く言われると反発心が湧いてくるのだから勝手なものだ。
   古くは伊藤整氏が「立川駅は汚くて切符を買うだけの所」と記し、山口瞳氏は「立川駅の便所が汚いのは乗降客の質が低いからだ」と週刊誌に書き、石原吉郎氏は「立川駅のホームの吹きさらしで、けっしてうまくない駅弁をたべ」と日記にしたためている。この駅弁を作っているのはN亭という老舗で、そこの長男は小学時代からの友人だ。かれのかわりにちょっと弁護させてもらうと、石原吉郎という詩人はその時、どんなに美味な物を食べてもうまくない心境にあったのである。私は石原氏のファンであるから、少しは事情が分かる。

   日野啓三氏も私の好きな作家だが、「断崖の年」(中央公論社)の一部分に、こういう文章がある。
   〈—立川でまた乗り換えると、家を出てから合計一時間も乗っていないのに、日ごろ男が知っている東京と違った世界に来ているのを感ずる。乗ってくる人たちの体の動きに無駄がある。会話の語尾がたたみこむように切れない〉
    “体の動きに無駄がある”とは具体的にどんなふうなのか、“語尾がたたみこむように切れない”とは如何なる喋り方なのか、判然としなかった。ちょうど地元の公民館で講演することになっていて、出かけてみると聴衆に高齢の方が多かったので、二つの疑義について御教示をあおいだ。語尾の件について立川の本村ほんそんたる柴崎町に長年住んでいる方が、懇切に説明してくださり、納得がいった。しかし“動きに無駄がある”点については皆さん苦笑されるのみ。中年の女性が手をあげて「日野さん自身だか小説の主人公だか、どちらにしても都会生活者から見ればわたしたちには無駄が目立つんでしょうけど、できれば余裕と言ってほしかったです」と発言。皆さんうなずいておられた。
   昨夏。やはり地元のロータリークラブから”自然と環境を考える絵本”を作ってくれと頼まれ、舞台となる柴崎町近辺を取材したのだけれど、私の記憶ちがいや怪しげな知識ばかりが明らかになり、郷土史家の三田鶴吉氏に憫笑された。三田氏は本業は花屋さんだが、立川のことなら何でも知っている。氏の研究活動を見ていると「ふるさとはきにありて思ふもの」と言いたくなる。
   十年くらい前だったか、拙作「きみはサヨナラ族か」を読んだ鹿児島県大口市の大坪君という高校生が、作中の舞台立川とはどんな町か、わざわざ見物にこられた。そして開口一番「立川って、なぜこんなに地面が赤いんですか!」
   なぜなのか、まだ三田氏にきいていない。

   『江戸時代・人づくり風土記45宮崎』(野口逸三郎・監修、大石慎三郎他・執筆、農山漁村文化協会、本体四二八六円、九七年二月刊)は興味津々の本だった。かねて尊敬する二人の詩人、嵯峨信之氏と故重清しげきよ良吉氏の出身県についての大冊子だからだ。
   この歴史学と民俗学の書を、私は文学的に読みすぎたかもしれない。たいへんな質と量なので毎日少しずつ楽しんだ。親切な脚注と図版のおかげで分かりやすい。
   第四章の〈町、村、家の暮らしと文化〉、第五章の〈地域おこしに尽くした先駆者〉が面白く勉強になった。「三百もの民謡が伝わる民謡の宝庫」(原田さとる氏執筆)における労作唄についての論考と、「日講にっこう古月こげつ」(青山幹雄氏執筆)における名僧紹介を読むうちに、九十五歳の今も現代詩をリードしている嵯峨氏の人間性豊かな作品や、少年詩の最高峰におられた重清氏の爽快な人柄と通底するもの――南国宮崎ならではの”澄明なる精神”といったものに触れることができた。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x11886,2024.08.31)