高橋一行
田村伊知朗『ドイツ路面電車ルネサンス 思想史と交通政策』(論創社、2024年7月)を読む。題名の通り、ドイツの路面電車の復活を論じたものである。触発されることがあり、この本の書評をした上で、拙論を開陳したいと思う。私の言いたいことは、都内で唯一残されている都電荒川線は今後も維持すべきであるし、昨年開通した宇都宮ライトレールに続けて、各地でこういう試みが広がれば良いと思う。またそれぞれの地域にはそれぞれの地域の事情があるので、路面電車以外の交通形態の試みも検討されたら良いと思う。
本書はまず、都市交通政策及び近代思想史の文脈において路面電車の意義を考察したと書いている。ここから考えねばならないのは、第一に政策として考察するのであれば、今後路面電車はどうあるべきかということにも触れなくてはならないということである。またドイツでの知見を活かし、他国でもどうこの事例を応用するかということが考えられねばならない。
さらに思想史の観点からは、路面電車を考察したのだとすると、今や消費化社会は行き着くところまで行き、脱資本主義ということが言われている時代に、今後の社会において望ましい交通形態は何かということまで言及されるべきだろう。それはまさしく私たちがどういう社会を構想し、その中で快適に生きるかという問題であって、それこそが思想の課題であり、それは思想史の文脈から解きほぐされるべきことである。
具体的に読んでいこう。本書第一章において、近代において人は自由を欲し、移動を必要とし、交通手段が求められると著者は書く。そういう考察から出発する。移動の高速化は、人の欲望が無限化する、近代の本質に基づく。
第二章では、19世紀末から20世紀初頭に、路面電車が技術的に可能になり、各地で整備されたことが説明される。しかしそれは20世紀半ばになると、自動車のコストが下がり、まずはバスが優位になり、次いで個人の自動車が増え、路面電車は次第に廃れるのである。さらに消費化社会においては、自動車を持つことが奨励されたのである。
さらに第三章において論じられるのは、アメリカの強い影響もあって、西ドイツでは自動車産業が発達するということである。自動車が増えることで、都市構造が変化する。路面電車の軌道は町から撤去されたのである。
1970年代になると、しかし自動車が増え過ぎることに対する反省が出てくる。都市構造を見直して、これ以上の自動車の増大を押さえねばならないという意識が出てくる。またそこに環境悪化が懸念される。都市の環境破壊の大きさは次第に人々にとっての関心事となる。ここで公共の交通手段が見直され始める。このことが第四章と第五章の課題である。
そうした背景の中から、著者の言う「路面電車ルネサンス」すなわち一旦廃れた路面電車の見直しがなされていく。そのことが第六章と第七章で記述される。まずは路面電車と地下鉄のどちらが優位であるかということが論じられ、前者の方が、建設コストや営業コストなどの観点から考えても優位である。さらにまた路面電車は、バスや自動車とも共存し得るはずである。まずはそういう結論が得られる。
しかしすでに多くの都市で、自動車が中心の都市構造が完成している。多くの都市で、実際に路面電車が必ずしも復活するという訳ではなかったのである。それはとりわけ著者が事例を集めたハレとベルリンにおいてさえ、路面電車の延伸計画がすべて実現された訳ではないということにも表れている。
第八章で、路面電車についての全体像が、以上の記述で十分把握されたことが宣言される。
さて著者のために、次のふたつのことを言っておかねばならない。ひとつは、ハレとベルリンの路面電車の事例を挙げる本を後日出版するということである。またもうひとつは、本書の巻末には、本書の主張を要約したドイツ語のまとめもある。ドイツでの評価も得たいという思惑もあるようだ。
近距離の路面電車の必要性が理論的に認められつつも、実際には多くの路面電車は廃止され、それが復活するのは困難であるということは、ドイツで実際そうだったのであろうと概ね予想できるし、また日本においても、ほぼそのままあてはまるのである。昔は東京にもたくさん路面電車があった。具体的には、明治44年(1911年)に路面電車の事業が始まり、最盛期には40系統あったのである。それが車の増加とともに、車からは敵視されるようになる。交通渋滞の原因になるということだ。そのために路面電車は激減する。昭和49年(1974年)には、三ノ輪橋停留場から早稲田停留場までの荒川線のみが残り、現在に至っているのである。
しかしその後の進展の中で、理論的に路面電車が交通渋滞を防ぎ、環境にやさしいのであれば、どんどん増やすべきであるという結論に至るはずである。ところがすでに渋滞する道路に、新たに路面電車用の線路を設置することは困難である。せいぜい現在あるものを残すということが唯一可能な選択肢である。
もうひとつ考えるべきは、2023年8月に宇都宮に新しい路面電車ができたことである。これは考察に値する。「宇都宮ライトレール」は宇都宮駅東口から終点の芳賀・高根沢工業団地までの約14.6kmの路面電車である。
宇都宮のように、それなりに人口があり、新しく路線を造る余裕があった東口から、新しくできた工業団地まで、需要も見込まれるという条件が整ってはじめて、路面電車はできるである。
この二例から、日本の路面電車の今後について考察したい。
まず私自身は、14歳から21歳まで荒川区に住んでいて、中学3年生の一年間と、大学の最初の1年半くらいは都電で通学していた。そのために都電にはとりわけ強い思い入れがある。
話は簡単である。東京都内及び近郊では、実は私も含めて、必ずしも多くの人が車を持っている訳ではない。駐車場を確保するのは大変で、車を維持するには相当の費用が掛かるのである。都市部において、公共の交通手段の必要性は高い。
また山手線内であれば、地下鉄が縦横に走っているが、その外側は案外路線が少ないのである。またバスは走る時間の正確さに期待できず、その点都電の方がありがたい。
しかし東京に路面電車を造るのは無理であろう。現状維持をするのが精一杯なのである。
もうひとつのケースは、2023年に新しい路面電車を造った宇都宮であるが、こちらもかなり珍しいケースだと言わざるを得ない。つまりこのあと続々と路面電車があちらこちらに造られるという訳にはいかないということである。ここでしかし私が議論したいのは、どういう条件が整えば路面電車を新しく造ることができるかということだ。
例えば、今私は、那須にささやかな武道場兼書斎を建てて、その草庵と東京の自宅を行き来する生活をしている。そして東京ではもちろん、那須でもなるべく自動車に乗らない生活をしたいと思っている。今のところそれは可能である。草庵への行き帰りは、まずは新幹線を利用し、そこからローカル列車に乗る。昼間は1時間半に1本しか走らない列車である。そこから、つまり最寄りの駅から草庵まで、片道30分歩く。食料品店までは20分を歩く。どこかに行こうと思えば、と言っても温泉に行くくらいの話なのだが、一日に数本出ている巡回バスに乗る。那須町は路面電車を走らせるほどには人口がないから、そこは巡回バスを残し、あとは複数人でのタクシーの活用がなされていて、そういう政策は続けるべきであろう。
これは案外楽しいのである。つまり非常に不便な公共の交通手段と徒歩を組み合わせて、結構快適な生活が営める。
ここで言えることは、地方の多くの町では、路面電車を作るほどの人口と必要性を持たないのだけれども、既存の公共交通手段を極力残して、それを活用しつつ、車を使わない生活は可能だということである。
ただ一口に地方と言っても、いくつもの段階があり、日本の多くの地域は、那須町よりももっと過疎である。そしてそこでは、バス路線が次々と廃止されている。そういう実態をどう考えるのか。
まずは乗り合いタクシーの活用がある。それもゆっくり走る電動自動車が使われるべきであろう。また食糧品を車で販売する試みもなされている。ドローンによる荷物の運搬も進められるべきだろう。しかし残念ながら、この程度のことが提案されるに過ぎない。あとはすでに実践されている試みを応援していくしかない。
しかしコンパクトシティという、1990年代から注目を浴びる概念の有効性をあらためて確認し、路面電車を中心に地方の活性化をすることができるのではないか。実は宇都宮市は、意識的にこのコンパクトシティを政策として取り入れている。これは、住まい・交通・公共サービス・商業施設などの生活機能をコンパクトに集約し、効率化した都市のことである。基本的には自動車が必須の社会から、公共交通機関と徒歩で移動できる範囲に都市機能をまとめるのである。
つまり宇都宮程度の大きさの地方都市をいくつか創っていくのである。交通渋滞の解消と、老人が車の運転ができなくなっているという現状の解決案になる。
ある程度人口があって、あとはコンパクトシティを成し遂げた上で、可能ならば路面電車を走らせる。過疎化が著しい地方で、町の中心地にアパートなどの施設を立てて、そこに今までは孤立して住んでいる人々に引っ越してもらう。全国津々浦々に公共の交通手段を張り巡らせるのではなく、人びとに住居を移動してもらって、コンパクトな街を造り、そこで交通手段を充実させるのである。
こういう試みが未来社会において、より一層進められるべきだと私は考えている。こういう小さな試みが積み重なって、人びとの暮らしやすい社会が構想される。そこでは環境破壊をせず、コミュニティーが重視される。
もうひとつ考えるべきは、路面電車が可能な条件を明確にしていくことである。そして路面電車以外の交通手段も検討されるべきである。
つまり多様性が重要である。例えば今回は十分展開できないが、モノレールの利便性も考察に値する。私が念頭に置いているのは、都内日暮里駅から足立区の方へ伸びているものと、沖縄の那覇空港から首里まで作られていたモノレールが昨年、その先へ延長したというケースである。人口が多いのならば、路面電車以外に、こういう手もある。
前者について、これは日暮里・舎人ライナーと言い、日暮里駅から、足立小台を経て、見沼代親水公園駅まで走るモノレールである。2008年3月に開業した。今までも荒川区内に住んでいれば、日暮里駅や町屋駅まで歩いて行かれるし、先の都電荒川線にも乗れるが、小台からその向こうの足立区にはバス以外に公共の交通手段がなかったのである。
ここについても、私は若い頃にこの沿線に住んでいたから、その時に東京23区内でありながら、案外不便な事情を痛感していたので、このモノレールができたときは、ありがたく感じたのである。
後者について、那覇空港駅 – 首里駅間は2003年8月に開通し、首里駅 – てだこ浦西駅間は2019年10月に開業した。私は一時期、空手の稽古のために年に数度沖縄に出掛けていたから、21年前にモノレールが開通したときに、渋滞に巻き込まれて遅れることなく、帰りの飛行機に間に合うということで、観光客の間での評判が良かったことを覚えている。またそれは高いところを走るので、眺望も良く、観光名所にもなっている。それが今やさらに先に延びて、住民にも便利な足となっている。
両者のモノレールについて、本当は詳細な検討が要るだろう。前者については、見沼代親水公園駅より埼玉県川口市内や草加市内を結ぶ路線バスが運行されるようになり、両市内在住者の利用が増え、このモノレールの混雑度はひどいものがある。また後者についても、評判は良く、さらに延長すべきという議論はあったものの、採算を考えると、具体的に話は進んでいない。
つまり良いことばかりではない。しかし様々な試みは現になされているのである。
まずは危機を回避することが重要である。今回の議論においては、環境破壊を防ぐことと、人々の移動手段の確保を両立させる政策を考えることである。それとどういう条件ならば、この政策が実現できるかを確定することである。また様々な選択肢を条件に合わせて用意することも望まれる。
最後に考察すべきは、今の若者の間で、上の世代に比べて車が売れなくなったとか、車に対する魅力が失われているということについてである。これらについては、すでに様々な議論が出ているのだが、私自身の直観ではそれは至極当然のことである。モノを所有することで満足考えられなくなっているということと、車を持つことがステータスでなくなっていること、また車がなくても現実的に生活ができるのであれば、当然そうなるであろう。
敢えてこれは思想史的な問題だと言いたい。実際、自動車産業こそ資本主義の象徴である。まずは大量生産する。実際に消費できる以上にモノを生産する社会が消費化社会である。つまり最初から、必要以上に生産する。そして広告を流して、欲望を喚起し、売り付ける。これが資本主義である。20世紀において、路面電車は端的に言えば、この自動車産業に負けたのである。そして世紀末に路面電車ルネサンスを迎えて、なお自動車には勝てなかったのである。
しかし今、それはどうなのかということが、ここでの議論である。それは多様な選択肢のひとつとして、また様々な条件を整えていくことで実現可能なものになるという意味で、復活するだろう。
こういった議論に加えて、町が自然に出来上がって、人びとがそれぞれの都合で交通手段を欲するというのではなく、最初から交通手段も含めて街造りがなされるべきであろうし、現にそれは始まっているのである。
注 以上の議論は、この3月まで勤めていた大学のゼミで、学部3年生、4年生としばしば交わした議論に基づいている。以下の参考文献も、その時に担当した学生諸君が挙げたものである。本稿を「政治学講義番外編」とする所以である。
参考文献
山下祐介『限界集落の真実: 過疎の村は消えるか?』筑摩書房、2012
中山徹『人口減少と地域の再編 地方創生・連携中枢都市圏・コンパクトシティ』自治体研究社、2016
谷口守編集『世界のコンパクトシティ: 都市を賢く縮退するしくみと効果』学芸出版社、2019
村上敦『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか: 近距離移動が地方都市を活性化する』学芸出版社、2017
宮下武久『移動販売車がゆく ~買い物弱者を支える「にこやか号」奮闘記』川辺書林、2014
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x11709,2024.07.28)