耐える力――『雪あらしの町』

森忠明

   一九六二年。中学二年生の私は学校新聞の編集長になった。その役得?で自作の詩のようなものを毎号掲載した。それらは今、スクラップブックの中で薄茶に変色。「基地の子」という題の、こんな拙いのを自信満々で載せたのだった。
   〈よく考えたら/ぼくの友だちはみんな/お父さんかお母さんのどっちかが/外国人だ/Bくんのお父さんは韓国人/Mさんのお父さんは白人オフィサー/Yくんのお父さんは黒人兵/Kさんのお母さんは中国人/つまりBくんとKさんは/ユーラシア大陸の代表/MさんとYくんは/北アメリカ大陸とアフリカ大陸の代表/あとオーストラリア大陸と/南アメリカ大陸と/北極と南極から/この二中に転校してくる子がいたら/立川は世界になる(以下略)〉
   現在の立川市も外国人が目立つ。インドのパトラ氏、トルコのヤマン氏、中国の黄氏は、私より正しい日本語でつきあってくれる。幼児のみぎりより、いわゆるハーフ諸君と交際し、心理的にも物理的にも侵害を受けなかったせいだろう、彼らへの偏見や差別意識は持たずにきた。

   私の小中学時代は日本人同士の差別があらわだった。母がPTAなどで仕入れてくる”情報”は「O君とM君とT君とは遊ばせないほうがいい」とかいう低次元のものばかり。貧困家庭だから、ストリッパーの息子だから、博徒の祖父がいるから、というのが理由だった。天性のつむじ曲がりである私は、OMT三君とみっちり遊んだ。
   中一の夏、O君は新聞配達をはじめた。ある日、彼は色黒の顔をくもらせて言った。「国立病院の結核病棟も配ってんだけど、もし肺病がうつっておれが死ぬと、母ちゃん一人になっちゃうわけ〉
   その時のことは「信州しなのの」という小品に、こんなふうに書いた。
   〈「国立病院のさあ、肺結核病棟だけ新聞配ってくんねえかなあ。給料の四分の一は払うぜ。おっかねえんだ、あそこだけは。おれ、肺病がうつりやすい体つきなんだってよ」「おれだっておっかねえよ」とたじろいだ。でも現金収入はみりょく的だった。おれが配りきるまで、あいつはコンクリート製の遺体置場のかべにもたれて口笛をふいていた〉
   以上は事実であるが、分け前をもらった記憶がない。あれから三十六年。O君は空調設備会社の社長になっている。スキューバダイビングの名人にも。「パラダイスみたいな海の底でさ、貧乏人扱いされた昔を思いだしたりするんだ」そうである。
   創業したばかりの頃、彼から名刺をもらった私が「ほう、株式会社万象ばんしょうか。いい名前だな」とほめたら、破顔一笑「やっぱり森は作家だ。バンショウって読んでくれたのはお前だけだよ。しゃれたクラブで酒飲んでると『あ、マンゾウの社長さん、しばらく』だもんな」。

   『雪あらしの町』(ヴァジニア・ハミルトン・作、掛川恭子・訳、岩波書店、本体二〇三九円、九六年七月刊)の訳者によるあとがきを先に読んだら〈”家族”の持つ力、ハミルトンはそれを見せたかったのかもしれません〉とあり、本の袖には〈肌や髪の色がちがう、父親がいない、母がナイトクラブのダンサー…だから、みんなはわたしを避けるのかしら〉とあった。
   その解説とキャッチフレーズから階層差別を受けている少女のレジスタンスと、少女を支える家族愛の物語だろう、ぐらいに考えた。しかし、よく読むと、差別や家族論以前の問題――流刑地としてのこの星、といった存在学的な重い小説であることが分かった。
   雪原をさまよい、ホワイトアウトに進退きわまる十二歳の少女ブレアや、盲目の伯母や、狂人めいたホームレスの父などに、作者は幸福な春など用意しない。苛酷な人生に耐える力。それの強化法をサジェストするのみ。現代アメリカ児童文学の精華。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x11498,2024.05.31)