雪(ペンネーム)
短大を出てから4年間、がむしゃらに介護の現場で働いてきた。介護の学校を出たわけではなく、介護現場がどういうものかという知識をほとんど持たず、現場に飛び込んでいった。就職時に言えたことは、「体力とやる気がある」ということくらいであった。無鉄砲ではあったが、知識を持たず現場に飛び込んでいったことは、ある意味で、本当の現場を知るのには良かったのかもしれない。初めから、介護とはこうあるべきだという知識や理想像を持っていたならば、早いうちに現場を後にしていただろうと思うからだ。そのような私が現場で見て、感じてきたことをお伝えしたい。最初にお伝えするのは、1年間勤めた訪問入浴介護の仕事現場の現実である。
介護の仕事の現場といえば、老人ホームなどで高齢者と楽しくおしゃべりをして、ちょっとした手助けをしているというイメージが一部ではあるかもしれない。実際、私はそのようにイメージしていたところがあった。しかし、実際はそれだけはなかった。
私の最初の就職先は、介護事業を複数運営している会社で、そのうち私は訪問入浴を行っている部署に配属された。訪問入浴とは、看護師1名、介護職員2名を基本とするスタッフが、訪問入浴車で利用者のお宅を訪問し、介助が必要な人が自宅で入浴できるようなサービスである。当時の私はそのようなサービスがあることを知らず、今も介護業界以外の人に「訪問入浴を経験した」というと、伝わらないことが多いため、このサービスの知名度はまだまだ低いのかもしれない。しかし、意識して見ていると、この頃は街で入浴車が走っているのをよく見かける。
訪問入浴を始めてからは、お風呂の介助が必要なお体の状態の利用者のお宅にしか回らないため、中には介助しながら歩ける人もいらっしゃったが、ほとんどは訪れるところ訪れるところで歩くことができず、寝たきりの状態でいる要介護者を多くお見かけした。在宅で寝たきりになった要介護者を看られているお宅がこれほどまでに多く存在するのかということに私は大きな衝撃を受けた。それから後、普段町で見かける高齢者は、まだまだ元気な人たちなのであって、体が不自由になってからは出掛けられず、お家で過ごされている人も多いのだということに気づかされた。あたり前のことではあるが、自分が見えていた範囲のことが全てではなかったのだ。
日本人にとって、湯船に浸かることは日常の習慣であり、昔からの大切な文化である。長年あたり前のように行ってきた習慣が、体が動かなくなってから、簡単にはできなくなることを20代の自分には容易には想像しがたかった。仕事をしている中で、一年に一度しかお風呂に入れない人に入ってもらえたり、お亡くなりになる前に、最後のお風呂に入れてあげられたこともあった。そうした様々な状況の中にいるお体の不自由な利用者さんたちに対して、お風呂に入るための助けになることの重みや大きさを仕事の忙しさの傍らで常に心の奥で強く感じてきた。お風呂に入ることは単に体をきれいにすることだけではなく、湯船の中でほぐれた体を動かすなどすることによるリハビリの効果があったり、浸かっている間の時間に会話をすることによって心も体もほぐれたりと様々な効果がある。普段出掛けられない人にとっては、外から来るスタッフと会話を楽しみにしている人も多かったりする。
訪問入浴を行う意義はおおいにあるのだが、働いている人たちの労働環境には大きく問題があった。私が働いていた会社は、業界の中で、訪問入浴の一日の訪問件数が一番多かった。一日に10軒以上も訪問することもある。そのため、1軒にかける時間は約30分と短く、大体準備に10分、入浴時間に10分、片づけに10分という区切りで動いていた。
そのような短時間で作業をこなさないといけないため、初めてのお宅に初めて一緒になったスタッフ同士で訪問することもあり、その際は要領が悪く、チームワークも上手くいかないこともあった。また、そのような場合は事故を起こすリスクも高くなるため、アクシデントやインシデントが起こることは日常茶飯事であった。また、訪問入浴は車で移動するため、次のお宅に慣れない道を急いで行こうとするなどし、大きな事故ではないが、交通事故も起きていた。作業では、寝たきりの方をお風呂まで抱えて運ぶため、腰への負担が多く、体を壊して辞めていく人も何人かいた。自分自身も、体を壊すまでいかなくても疲労が溜まり、休みの日に何かをしようとしても意識朦朧で何もできない時期があった。
この他にも感染症対策を十分に指導されず、さらに結核を患っていた利用者さんのお宅に病気のことを知らされずに訪問し、後から関わったスタッフが検査され、陽性の疑いが出たことがあった。
「厚生労働省 介護事業経営実態調査(07年)」によると、施設系サービス以外の介護保険給付対象サービスのうちで最も利益率が高いのは「通所リハビリテーション」の15.1%で、最も低いのは「居宅介護支援」-16.1%、次いで「訪問入浴介護」-10%と、訪問入浴は非常に利益を上げにくいサービスという。このようなことから、会社は少しでも利益を上げるために訪問件数を多くしていたのかもしれない。しかし、それによる事故が起こるリスクの高さとサービスの質の低下を考えると、他の利益率が高いサービスで利益を得ることを考えた方が、よりよいサービスを無理なく、提供できるのではないかと考える。
しかし、これだけの軒数をこなしているといえども、介護士の給料は車を運転する男性介護士が女性介護士よりも多少高いとしても、基本的には低く抑えられていた。さらに、責任を負う正社員の介護士よりも派遣の看護師の方に給与が高く支払われていた。介護士の給与が低いことは訪問入浴の介護士だけに限らず、他で働く介護士にも言える。また、介護労働者と全労働者における年間平均収入を比べると、年齢差があるものの、かなりの違いがある。介護系職種で最も水準が高いのはケアマネージャー職であり、現場で5年以上経験を積むと、ケアマネージャーの受験資格を取得できる。介護士であれば年収約300万前後であるが、経験を積んでケアマネージャー資格を取得すれば、約400万円近くの収入が得られる。場合によっては、管理職となれば400万円を超えることもある。しかし、男性介護士らは他の業界の男性から比べると依然として低いため、将来の展望が抱けず、結婚を機に別の業界へ転職する者も多いという。
このようなことから、訪問入浴は行うことの意義が大きくあり、スタッフにとってもやりがいのある仕事である。しかし、一方で過酷な労働環境にあるため、長くその仕事に従事することは厳しく、それにより継続的によいサービスを提供していくことは難しいものと自分自身の体験から痛感した。訪問入浴は介護サービスの中でも特にニーズが高いものと聞くことから、多くの人によりよいサービスが提供される仕組みや労働環境の改善を強く求めている。また、この問題をより多くの人に知ってもらい、共有してもらいたいと思っている。
参考文献:編著者イノウ『世界一わかりやすい介護業界の「しくみ」と「ながれ」』
株式会社自由国民社 2009
(ゆき 「公共空間X」同人)
(pubspace-x816,2014.05.14)