若生のり子(NORIKO WAKO)
遠い昔、メンフィスに住む友人を訪ねたことがありました
その時、目の当たりにしたどこまでもどこまでも続くコットンフィールドに、アメリカの南部の広大さと共に歴史の哀しさを感じたことを思い出します
花が終わり、まだ綿花がはじける前の季節で、青々とした綿畑が遥か遠く地平線まで続いていました
まさに時代を超えた情景、ジャズのスタンダードナンバー「サマータイム」を思い起こす景色でした
気だるい蒸し暑さの中で、青々と生い茂ったコットンフィールド・1930年代のビリー・ホリデーの歌声が聞こえてきそうでした
この子守歌の歌詞は現実とは裏腹、故に胸に刺さります
Summertime
Summertime, and the livin’ is easy
Fish are jumpin’ and the cotton is high
Oh, Your daddy’s rich and your mamma’s good lookin’
So hush little baby don’t you cry
One of these mornings you’re going to rise up singing
Then you’ll spread your wings and you’ll take to the sky
But until that morning there’s a’nothing can harm you
With your daddy and mammy standing by
「サマータイム」と言えば、わたくしにとっては、『我が青春のジャニス・ジョップリン』です
絞り出すようなしゃがれた魂のシャウトに心が共振しました
60年代後半の世界的カオスのまったき中で青春が在ったわたくし自身
「これから先どう生きていけばいいのだろう」と先の見えない白けた闇の中を当てどなく彷徨っていた70年代初頭でした
映像や写真で見聞きしていた彼女のステージは、どんどんラジカルにエスカレートしていき
少女時代の辛い孤独の過去やメジャーになった故のプレッシャーからの不安などを、自由奔放・心の底からなりふり構わず全てを抉り出すように絶叫していました
1970年10月4日、録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルの部屋で床に倒れ、誰に看取られることなくそのまま逝ってしまいました
孤独と不安故に手放すことができなかったヘロインの致死量を越えたことが原因とされています
アル中、薬中、繊細過ぎた、絶頂期の27歳
天才は、短く太く熱く燃え
死に急ぎ過ぎ
ミシシッピー川の船着き場で、積み荷の綿花倉庫や運搬船や当時をしのぶ酒場で、大きな夕日をバックに黒人の謳うブルースやジャズを聞いたりしていると
綿花農園で搾取に耐え働き人種差別と闘った黒人の過酷な歴史が否応なく感じられ、一人旅の気分と相まって、メランコリーにならざるを得ませんでした
その夜はしっぽりとその気分に浸り、見晴るかす360度の星またたく大空と漆黒の大地に包まれ酔いしれました
ふと気づくと、頬に熱いものが流れていました
ですが、それは決して人間世界のちっぽけな魑魅魍魎の悲しい涙というのではないように思えました
底知れぬ静寂に佇む
それまで日本に居て 感じたことのない境地
しみじみとこの場に遭遇した幸せ
というべき時空を感じていました
今思えば、地球、いや、宇宙に存在する実感というべきものだったのでしょう
・・・・・・・
晩秋の日本の遊歩道で見つけた
綿の花と
蕾と
弾けた綿花
わこう のりこ (Artist)
(pubspace-x4522,2017.11.23)