トクヴィルとウェーバーのアメリカ観 -宗教とナショナリズム(3)-

高橋一行

(2)より続く
 1831年、フランスの古い貴族の家系に生まれたトクヴィルは、アメリカを訪問し、そこでは、人々が際立って宗教的であり、しかし、それが、民主主義を促進していることに気付く。これは驚くべきことである。なぜなら、祖国フランスでは、宗教が、民主化を邪魔しているからである。しかしそれにもかかわらず、フランスは、今後、共和制が確立されるだろう。つまり、自分が属する階級は、没落するであろう。そういう予感の中で、彼は、『アメリカのデモクラシー』を執筆するのである。
 さて、1904年、今度は、ドイツの社会科学者ウェーバーが、アメリカを訪れる。そしてトクヴィルと同じく、そこで人々が、日常生活の隅々まで、宗教的であることに気付く。さらに、それが、資本主義を促進していることに気付く。彼はすでに、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書き始めていたのだが、しかし、その体験は、著書の後半部に活かされる。
 それから百年が経って、私は、家族とともに、1年あまりを、アメリカで過ごす。2001年のことである。そしてすでに、トクヴィルやウェーバーという先達の本を読み、頭では分かっていたのに、目の前で、アメリカは神の国だと叫ぶ人たちを見て、驚愕する。9.11の翌日である。そして、そのままアメリカは戦争に突入した。アメリカでは、民主主義と資本主義と戦争が、宗教と密接に関わっている。しかし、残念ながら、私は、まだ、そのことについて、まとまった考察をしていない。それから10数年が経ってしまった。
 
 以下に、詳しく見て行きたい。
 トクヴィルは、1805年に、ノルマンディーの由緒ある貴族の家に生まれる(注1)。革命の後のことであり、また、多感な時期を、ナポレオンが失脚し、ブルボン朝が王政復古をした時代(1814-1830)に過ごす。大学を卒業した後は、裁判所の判事修習生になる。そして、1830年の7月革命の後に、アメリカ旅行を決意する。
理由はいくつかある。まず、この革命は、トクヴィルのような、旧貴族階級には、大きな打撃を与えるものであった。次第に没落することを実感していたはずなのだが、しかし、この革命で、旧王朝との決別は、決定的なものになる。そして、トクヴィルは、古い環境から飛び出すことを選ぶ。
 当時まだ、民主主義は、支配者層に、否定的にしかとらえられていない。しかしアメリカにおいて、平等で民主化された社会が作られているということは、ヨーロッパで知られており、それは、ヨーロッパの未来を示していると考えられた。トクヴィルは、貴族制がフランスにおいて、すでに滅亡したのに、まだ新しい民主主義社会が到来しないことに、危機感を持つ。新しい時代を作らねばならない。それは同時に、貴族の彼にとって、自己否定を意味するが、しかし、時代の流れは必然的である。
 さらに、トクヴィルの旅行好きということを挙げておくべきだろう。実際、彼は、このアメリカ行きの前には、イタリアに出掛けており、その後も、ヨーロッパ各地へ、また、アフリカへも、出掛けている。旅行は、見知らぬ国の実情を、身を以って知るだけでなく、それは自己省察を可能にする。人は己を知るために、旅に出るのである。
かくして、トクヴィルは、1831年に、客船に乗って、アメリカを訪れ、9か月余り滞在し、その経験を基にして、『アメリカのデモクラシー』を書く。
 以下、その著書から、ランダムに拾っていく(注2)。
「合衆国に到着して、すぐに私が目を奪われたのは、この国の宗教的な様子であった。滞在が長引くにつれて、この新しい事実から、大きな政治的帰結が導き出されていることに気付いた」(以下、すべて第1巻第2部第9章から拾った)。
「イギリス系アメリカの大部分に住み着いたのは、ローマ法王の権威から脱し、その後、いかなる宗教的上位者にも服することのなかった(プロテスタント諸派の)人々である。彼らはだから、新世界に、民主的かつ共和的と呼ぶほかはない種類のキリスト教を持ち込んだ。このことは共和政を樹立し、政治に民主主義を確立するのに、著しく、好都合であろう。原理からして、政治と宗教は一致しており、以来決して離れたことがない」。
「合衆国には数えきれないほどたくさんの宗派がある。・・・そして合衆国のあらゆる宗派は、キリスト教としての大きな一体性の中にあり、キリスト教道徳はどこでも同じである」。
「私は宗教の精神と自由の精神が、我々(フランス人)にあって、常に反対方向に進むのを見て来ていた。ここアメリカでは、両者は親しく結び付いていた」。
「アメリカ人はキリスト教と自由を頭の中でまったくひとつのものと考えるので、彼らに、一方を他方なしで思い浮かべさせるのは、ほとんど不可能である」。
「18世紀の哲学者たちは、単純極まる説明によって、信仰は着実に弱まると説いた。宗教の熱は、自由と知識の増大とともに、否応なく、消えると言ったのである。残念ながら、(ここアメリカでは)事実はこの理論に一致しない」。
トクヴィルの言うことは、明瞭で、簡潔だ。そして私が驚くのは、トクヴィルの見たことが、基本的に今日においても、アメリカの特徴となっていることである。アメリカは変わっていない。
 
 一方、ウェーバーは、1864年、企業家の祖父と政治家の父、宗教的に敬虔な母の下、ドイツのエアフルトに生まれる。そして、1903年から、著名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下、『倫理』)に着手し始め、その翌年に、アメリカに出掛ける。そしてその体験を基にして、『倫理』とよく似た題の論文「プロテスタンティズムの教派と資本主義の精神」(以下、「教派」)を書く。これは、1906年に、別の題で、雑誌に掲載され、さらに書き直されて、同年に、別の雑誌に載り、さらに大幅に書き直されて、1920年に、『宗教社会学論集』第一巻に収録されている。この『宗教社会学論集』第一巻には、その第一部として、大部の『倫理』があり、第三部として、さらに大部の『世界宗教の経済倫理』が収録され、その間に、この短い「教派」が第二部として、収められている(注3)。
 さて、このアメリカ体験、及び「教派」の意義を先に書いておくと、まず、ウェーバー本人が書いているように、それは、『倫理』を補うものとして書かれている。『倫理』は、西欧近代資本主義の精神が、プロテスタンティズム、とりわけカルヴィニズムの禁欲的生活態度から来ていることを分析している。禁欲的と言うのは、自ら目的や価値を設定して、それに向かって、自覚的かつ自律的に進んで行くこと、それを邪魔する欲望を自ら押さえ付けて、勤勉に働くことを意味する。
 ここで、『倫理』の説明を簡単にしておく。上述の禁欲は、かつては、修道院で培われたものであるが、それが、ルター以降、世俗化する。つまり、普通に働いている人が、その職業の中で、日常的に、禁欲的態度を示すのである。そしてそれが、資本主義の形成に繋がるというのが、その骨子である。
 そしてウェーバーは、具体的に、世俗的禁欲的プロテスタンティズムを見て行く。その担い手として、彼が挙げるのは、①カルヴィニズム、②そのカルヴィズムの中から出て来て、ドイツのルター派と結合してできた、敬虔派(ピエティスムス)、③イギリス国教会の中の純粋派が、後にアメリカに渡って、独立の勢力となった、メソジスト、④ウェーバーの言う教派(ゼクト)型バプティスト、以上の4つである。
ここで、ゼクトとは、教会と対をなす概念で、教会が、その中に生まれた人をすべて包摂するのに対し、ゼクトは、意識的に、信仰告白をする人々によって、結成される団体のことである。そこにおいて、人々は、自らが、ゼクトの有資格者であることを、日常生活の実践を通じて、確証しなければならない。そして、そのゼクト型の団体として、『倫理』で扱われるのが、バプティストである。彼らはイギリスのピューリタン革命を経て、アメリカに渡るのである。そして、その彼らの行動が、ウェーバーを驚かす。
 つまり、世俗的禁欲的プロテスタンティズムの行動様式は、16世紀以降の、歴史的事実として、ウェーバーが見出したものなのだが、しかし、彼は、アメリカに来て、それが目の前で展開されていることに気付いたのである。しかも、西洋の禁欲は、神の前で、自らの禁欲倫理を証明しようとするものであるのだが、ここアメリカでは、さらに、社会において、仲間の前で、それを日常的に証明しているのである。
 第二に、この「教派」は、安藤英治が書いているのだが、帰国後に執筆した『倫理』の第二章の構想に大きな影響を与えている(注4)。とりわけ、第二章第一節の最後に、バプティストが詳細に取り挙げられているが、これは、アメリカ体験がなければ、書けなかったであろうと思われる。アメリカで、彼は、最も厳格なキリスト教徒が、最も有能なビジネスマンであるという具体例を目の当たりにする。そして目の前にある、現実の禁欲精神を、過去の歴史へと、追体験的に構成したのが、『倫理』なのである。
 第三に、ウェーバーが旅好きであることは知られていて、そして実際、その旅行から、多くのものを得ている。つまり、書籍の上だけでなく、実際に、歩いてみて回ることで、得られるものが多いのである。特に、ローマに出かけたときは、そこに彼は、古代を見出している。先のアメリカ体験と同じく、目の前の現実から、過去の歴史を追体験的に構成して行く。それがウェーバーの手法である。
 具体的に、「教派」の内容を見て行く。アメリカでは、様々なキリスト教の宗派があるのだが、仕事の取引をする場合、特に信用が必要な場合は、必ず、その宗派が問われる。その具体例として、ウェーバーが挙げているのは、鼻の病気で、耳鼻咽喉科に診察を受けるために来た人が、「私は、某街にある、某バプティスト教会に属する者です」とまず自己紹介するという話である。これは、診察代の心配をしなくても良いですよという意味なのだそうである。実際、厳しい宗派であれば、その教団に加入するのに、厳しい品行調査があり、紳士としての倫理的資格が要求される。それにパスすれば、銀行は金を貸すし、商売は、保証されているのである。そういう具体例が、この短い論文の中で、生き生きと描かれている。ウェーバーの他の著書がそうであるように、夥しい注があり、本文より、むしろその注にある具体例が、面白く、つまり主張するところは、ごく簡単なことに過ぎないのだが、その例証の豊かさに、彼の面目が現れている。
 
 補足的に、二点触れておく。まず、国家と教会の分離について、ウェーバーは、「教派」論文の最初に説明している。国家は信仰に関わらない。そのことは徹底している。しかし、それにもかかわらず(と言うべきか)、国民の信仰は厚く、強力なのである。
 このことは、トクヴィルの記述においても、同じである。つまり、人民主権は、アメリカにおいて、徹底している(1-1-4)。かつて、宗教がすべてであるという時代があって、そこから、国家に主権を移すのに、理論的にも現実的にも、苦労し、その上で、さらにそこから、人民主権へと移すのに苦労しているフランスから見て、それはあまりにうまくでき上がっている。そこでは、国家と教会は分離し、聖職者は政治に直接は関わらないのに、国民が宗教的であるという理想もまた、実現されている。
 もう一点は、結社についてである。ウェーバーは、アメリカの民主主義は、砂のような諸個人の集まりではなく、自発的な諸団体の集まりとして、成立していることに、「教派」で、言及している。先に、ゼクトと言った。つまり、大人になって、自らの意思を表明して、結社に加わり、そこの成員であることに、日々誇りを感じる人々の集まりから成り立つのが、アメリカなのである。
このことを、トクヴィルもまた、強調する。「アメリカ人は、年齢、境遇、考え方のいかんを問わず、誰もが絶えず、結社を作る」(2-2-5)と、トクヴィルは言う。「新たな事業の先頭に立つのは、フランスなら、いつでも政府であり、・・・合衆国では、どんな場合も、そこに結社の姿が見出される」(同)。さらに、「政治目的で結社を作る無制限の自由が日々行使されている国は、地上にひとつしかない。この国はまた、市民が結社の権利を、市民生活の中で持続的に行使することを思い立ち、・・・成功した世界でただひとつの国でもある」(2-2-7)。
 
注1
ここは、高山裕二『トクヴィルの憂鬱 –フランス・ロマン主義と<世代>の誕生-』(白水社、2011)を参照した。
 
注2
『アメリカのデモクラシー』(松本礼二訳、岩波文庫、第一巻(上)(下)、第二巻(上)(下)、2005-2008)を使った。
 
注3
私の持っている、『宗教社会学論集』第一巻の原著は、以下の通り。Gesammelte Aufsätze Religionssoziolgie I, Verlag von J.C.B.Mohr, 1922. なお、『倫理』の訳は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳、岩波文庫、1989)を使った。また、「教派」の訳は、『ウェーバー 宗教・社会論集』(安藤英治訳者代表、河出書房新社、1968)に収められている。
 
注4
安藤英治『ウェーバー歴史社会学の出立』(未来社、1992)を参照した。
 
(4)へ続く
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x1553,2015.02.06)