雪(ペンネーム)
1月17日、土曜日の昼過ぎ、東京の空は澄みわたっていた。国会議事堂の周辺では、なぜか赤いものを身に着けた女たちが・・・。
「『女の平和』国会ヒューマンチェーン」に参加する女たちだ。
この「女の平和」は、北欧、アイルランドの女たちが1970年代、地位向上を求めて赤いストッキングをはいた運動をモデルとしている。
何故、今、日本で「女の平和」なのか―。発起人の横湯園子さんは次のように言う。
「いつの間にか、政治が戦争への道へと動き出していた。日本をアメリカといっしょに海外で「戦争ができる国」に変えようとする集団的自衛権の閣議決定など、なぜ、殺し合いをさせるのか。なぜ、緑の地球を壊すのか。なぜ、命を愛おしむ声が届かないのか。
どうしたら平和を願う声が届くのか。悩み、問い続けた。私の戦争の記憶を記したい。・・・幼い頃の私は母の手を決して離さない泣き虫だったそうだが、母子をねらうグラマン機のパイロットの笑っている目、累々とした焼死体の中にいるかもしれない母親を探し歩く少年、終戦直後の食糧難などを覚えている。
・・・憎しみによる愛国心を煽って戦争をする為政者たちの手段は今も昔も変わらない。集団的自衛権の名によって日本が「戦争ができる国」になるなんてとんでもない。どうしたらよいのかと眠れない夜を過ごす人も多いのではないか。死者もまた、平和を願っているはずで、時に風の音となり雲間の光となって、時に「女の平和」の文字となって、私たちに語りかけているのではないか。」
この訴えに共感して呼びかけ人になった女たちは300人を超え、ネット上ではフェイスブックや個人ブログなどからも参加が呼びかけられた。
私はこの行動の情報を新聞で知り、自分の目で見て感じようと赤いマフラーを首に巻き、カメラを持って出掛けた。
行く前まではそれほど多くは集まらないだろうと思っていたのだが、「国会議事堂前」駅に着いた時には、すでに赤いものを身に着けた女たちがあちらこちらにいた。
そして、駅を降りた途端、道なりに多くの女性たちが並んでいた。集まった女たちは予想を大きく上回り、その数なんと7000人!にも及んだ。女たちの鎖が二重、三重にもなって国会を取り囲んだ。この数は、危機感を強くもっている女たちがこれほどまでいるということだ。そしてそこにいなくても、心を同じにしている女たちはもっともっといるのだ。
会場では、様々な女たちがマイクを握りしめて国会に向かって怒りの声を訴えた。その一人、ある高齢の女性作家は、ステージが国会を背にして設置してあるにもかかわらず、「国会を背にして話すのは悔しいので・・・」と言われ、今までの人とは反対の向きになり、国会に向かって訴えかけた。その行動が、その人の思いの強さとなって表れ、言葉よりも強く心に響いた。
ステージの近くにはたくさんの報道陣も集まっていた。男性記者の中には、女たちと同じように、赤い帽子に赤い手袋を身に着けて懸命に取材する人も。私は思わず、くすっと笑ってしまった。この人も女たちと心を同じにしているのだ。
スピーチが終わり、1回目のチェーンをつくる時、私が女たちの間に入り込むと、自然とすぐ隣の人が手を繋いでくれた。そしてシュプレヒコールが始まると、腕を大きく振り上げた。「女たちは人を殺しあうのはイヤです!」「安倍政権にレッドカード!」
シュプレヒコールが終わると、いま手を繋いでいた人が、「あなたの手、冷たいねえ」と声をかけてくれた。―笑みを浮かべながら、そして私をねぎらうように。
わたしもほほえみ返した。
戦争に向かう流れへのたぎる怒りとともに、女たちの強さと温かさが、私の心に残った。
<参考・引用>
http://tamutamu2011.kuronowish.com/onnanoheiwa.htm
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf%20chirashi/yobikakenin.pdf
(ゆき「公共空間X」同人)
(pubspace-x1516,2015.01.30)