老いの化粧――『ふっくらふしぎなおくりもの』

森忠明

 
   福岡市薬院生まれの書家木山稔氏は大学時代の友人だ。
   三島由紀夫氏に可愛がられていた彼が「花ざかりの森」初版本を大事そうに抱えて、スクールバスから降りてくる姿が懐かしい。私は「そいつを売り払って、うまい酒でも飲もう」などとそそのかす悪い学生だった。文豪が木山青年と二人だけの折に、しばしば口にしたのは、
   「おばあさんを大切にしろよ」
   ということだったときいて、正直拍子抜けしたのだが、よく考えればそれ(おばあさん)は、日本の「伝統」や「歴史」の別名であり、文豪が単におばあちゃん子だったためではないことが分かる。
   前回、私の祖母の末期を記したのがきっかけで、おうなの意味というか、老いた女性が持つ力について思いをめぐらしている。

   娘が生まれてから七年の間に、一番印象的だったのは、よちよち歩きの娘に寄せる老女たちのまなざしの優しさだった。まさしく眼施、目によるほどこし。慈愛にみちた視線は、ヘッポコな”親業”への無言の励ましのようだった。生後三カ月の時、乳母車にのせて夜祭りに行くと、ネクーレス(ネックレスが正しいのでしょうが店の看板にそう書いてあった)売りの大柄なおばあさんが私をにらんで言った。
   「そこのパパ、なんでそんな小さい子をこんなホコリっぽいとこに同伴すんのっ。だめよ、早く家で寝かせなくちゃ」
   頭をさげてパパは反省。厳しいけど親切なネクーレス屋さんは八十歳近くだろう、皺が目立ったが、しっかり化粧をしていた。
炭太祇たんたいぎの句〈物がたきおいの化粧や衣更ころもがえ〉を想起した。
   子宮癌で死ぬ直前まで、私の祖母も毎朝鏡をのぞき、身だしなみを整えていた。そして「森よし(祖母の名)はこなくてよし、と閻魔さまも言ってるよ」などと下手な洒落をとばし、自分に活を入れていた。無学な人だったが、一言も弱音を吐かず、最後までヤケを起こさず、他者を意識していた気魄に、身内ながら敬意を表した。
   「だれかにちょっと役立つうちは長生きしたいな、一分一秒でも長く」
   現在七十四歳の愚母は斯く語る。みっともない生への執着と嘲笑することもできるし、他者に帰依きえする麗しい心と善意に解釈することも可能。彼女はまた「孫の成長をもっと見たいから死にたくない」とか「この齢まで一度も生きてるのがいやになったり飽きたりしたことはない」とか言い切る。芭蕉の句(うろおぼえで恐縮)に、子どもや生活に飽きたと申す人には花もなし、というのがあったはず。とすれば、我が老母には未だいささかの花が残っているわけである。

   『ふっくらふしぎなおくりもの』(佐藤さとる・作、岡本順・絵、ポプラ社、本体一二〇〇円、九七年三月刊)を読み、見事な絵を楽しんでいるうちに、祖母が夜ごと語ってくれた昔話と、その時の幸福感を思いだした。それと大分県の民話(餅を矢の的にしたバチあたりな長者の没落譚)も思いだした。
   「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」で始まるオーソドックスな、動物の恩返し物語だが、おばあさんの性格に特異な設定があり、いろいろ考えさせられた。
   正月の鏡餅を分けてもらったネズミが、そのお礼に若返りの方法をおじいさんに教える。おばあさんも喜ぶだろうと思ったのに、彼女はきっぱりと言う。「またわかくなって、もういちどとしをとりなおすなんて、ごめんです」
   人間が餅を作るまでの労苦を知っているらしいネズミもえらいけれど、夫婦愛の何たるかを暗示するおばあさんもえらい。古女房の魅力をおじいさんに再認識させた、ということがネズミの最大のおくりものなのだろう。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(当初の掲載文に編集のミスによる誤字がありましたので、訂正致しましたーー2024.10.31、編集部)
(pubspace-x12119,2024.10.30)