「1945年1月28日、ウィーン」(フルトヴェングラーとナチズム)

積山 諭

 
  二度目の世界大戦で人類の殺し合いが世界中で生じた時に〝音楽の都〟では不安の渦中で指揮者とオーケストラ、聴衆が精神と心を共振させながらコンサート会場で強烈な時空間を共有していた。ナチス・ドイツはウィーンを手中に収めながら断末魔の時を迎えている。日本もドイツも戦争は最終局面に至ろうとしている。阿鼻叫喚は洋の東西に満ちていたことは史実を辿れば明白だ。
  多くのユダヤ人、指揮者ではクレンペラー、ワルターも亡命している。ハンナ・アーレントもパリを経由し米国に亡命した。指揮者も故国を去る段取りを済ませていた。そこで演奏された作品はセザール・フランクの「交響曲ニ短調」。かつてレコードでは別の録音で馴染んだ。指揮者はフルトヴェングラー、オーケストラはウィーン・フィルハーモニーである。フルトヴェングラーには珍しいフランス音楽だが、ドイツ風の重厚な響きが横溢している。不安に満ちていたであろう、〝音楽の都〟で聴衆と気分を共にし、将来を模索するにはドイツ音楽と共に適う作品で、フルトヴェングラーらしい選曲だ。それを聴けば歴史の或る時の音楽の響と咳(しわぶき)が我が身に届き気持ちが引き締まる。この時の回想はフルトヴェングラー夫人が語っている(『人間フルトヴェングラー エリザベット夫人にきく素顔の巨匠』 朝日文庫 1993年 志鳥栄八郎)。1984年に音楽の友社から発刊された時に読んで以来。先日古本で購入したので再読し実に面白い。フルトヴェングラーと敗戦間近の当時のドイツ、ウィーンの雰囲気がエリザベット夫人の生々しい回想で甦るようだ。間一髪、フルトヴェングラーは、ナチスの追及を脱しスイスの家族の元に辿り着く。その直前の記録が残る幸いを感謝しよう。
  フルトヴェングラーの戦争責任については丸山眞男も責任ありという論説を書いていた。しかし裁判で無罪になり復帰したことは幸いと私は思う。戦後のフルトヴェングラーの録音を聴けば、録音技術の向上で稀有の指揮者の演奏のいくらかなりともを録音で体験、実感できるからだ。戦中の録音は時代の空気をも伝えている。戦火のなかで音楽を演奏し聴く行為は平和な日常での行為とは異なるはずだ。それを音を介して聴きとるのだ。もちろん、そこには聴く側の思い入れと先入観があろう。しかし演奏が指揮者、演奏者によってまったく異なるものであることは共通経験といってもよいはずだ。
  フルトヴェングラーは、史実を辿ればナチとの確執が確認できる。丸山にしてもそこから責任ありと判断したのだろう。エリザベット夫人の話にしてもフルトヴェングラー側に立っての話である。それを勘案してもフルトヴェングラーが優れたユダヤ人演奏家たちをナチスから守ったことは事実である。ワルターもメニューインも多くのユダヤ人音楽家たちがそれを証言した。その歴史の一コマが平和な時代とは隔絶した様相を呈することをフルトヴェングラーという人と履歴のなかから痛感する。或る人の日常は他人とは異なる。同様に歴史のなかでの人の日常は現在とも異なる。しかし人という生き物はそこに時空を超えて共時的な何物かを享受する。それはまた異なるテーマで考察しなければないけれども。
 
(せきやまさとし)
 
(pubspace-x6858,2019.07.20)