誇り高き男――『ま・い・ご』

森忠明

 
   〈うちから歩いて十分ぐらいのところに、立川児童相談所があって、ミユキはそこの施設でくらしていた。ぼくのお父ちゃんとお母ちゃんが、どうしてみなしごをあずかろうとしたのかというと、お母ちゃんが赤んぼうを生めない病気になったためと、森家のしあわせを、気のどくすぎる子に分けてやれると思っていたからだ〉
   これは拙作「へびいちごをめしあがれ」の冒頭部分。一九五六年のわが家の出来事を如実にしるした(つもりの)物語である。
   姉が六歳で病死したあと、「忠明をひとりっ子のままにしておくとワガママ者になるから、弟がわりか妹がわりをあずかって育てるべきだ」。両親はそう考えたらしい。
   ミユキという女の子は二歳になるかならないかのころ、八王子市で迷子になっていたところを保護された。そして小学一年生のとき森家に来た。二年生だった私は、その淋しげだけれど上品で美しい顔かたちの少女を大歓迎、できるかぎり優しく親切にふるまった。しかし彼女は打ち解けず、いつも無表情。近所の子とおままごとをしても「ミユキちゃんとお葬式をやってるみたいでヤダ」とか言われて仲間はずれ。
   私の両親は惑いをつのらせ、都心のデパートやレストランにつれてゆき、サービスにつとめたが、捨て子の傷ついた心をあたためることはできなかった。
   二子玉川園の遊園地に行ったとき。スピーカーから西部劇「誇り高き男」の、なんだか物悲しいテーマ曲が流れていたのを覚えている。彼女と二人でビックリハウスなるものに挑戦した私は、恐怖のあまり泣きわめいた。小さな彼女は、前後に大きく振れるイスに端然と座し、叫びも泣きもしなかった。年上の男の醜態を笑ったりもしなかった。
   恥ずかしい姿を見られて、誇りがズタズタになってしまった私は、以後、ミユキをうとましく思いはじめた。ひどくいじめたわけではないが、ある夜、彼女は家出して施設へ帰ってしまった。達者ならば現在は四十七、八歳か。森家の至らなさをおわびします。

   『ま・い・ご』(岸川悦子・作、狩野ふきこ・絵、農文協、本体一二三八円、九七年七月刊)は、昭和二十年の敗戦を中国で迎えた少女の薄幸な、短い一生を描いている。
   八歳のえみちゃんは、ソ連軍におびえながら逃避行をつづけるうちに、両親や兄と離ればなれになってしまう。餓死寸前のえみちゃんを助けてくれたのは、リンという名の中国人のおじいさんだった。
   「わたしの孫、日本兵に殺された」
   と言いながらも、リンさんはえみちゃんを大切に養い守ってくれる。怨恨や憎悪をこえて、残留孤児の世話をしてくれた中国人のことを知るたびに、私は“真の慈悲”というものを教えられ、その背景たる道教などの深々とした思想や、中国四千年の誇り高い国民性に思いをいたすわけである。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x114389,2025.11.30)