超人の自殺 ――『テッサのお金もうけ』

森忠明

 
   七月二日。散歩の途中、七夕の飾りつけが目についたので、五色の短冊に書かれた願いごとの数々を拝見した。
   〈おおきくなったらかきごおりやさんになって おかねもちになりたい かずや〉
   というのがあり、クスクス笑ってしまった。私も小学一、二年生の頃〈かねもちになれますように〉と書いた記憶があるからだ。保育園時代の私は、彦星と織姫星が天の川の真ん中へんで会うなどという話が信じられず、〈おねがいはありません〉と書いた。すると、まだ生きていた姉(六歳で病死)が「つまらない奴」というふうなことを言い、弟の頭を平手でぶった。
   天の星々は、その神力を信じていない男を金持ちにしてくれるはずがない。あれから四十余年、ずっとぴいぴいしてきた。
   たしか四歳のとき、母に連れられて駅前の店へ行った私は、商品の菓子や惣菜類を片っぱしから口に入れた。すべて無料だと思っていたのである。びっくりした母のヒステリー声と、タダじゃないことを知ってびっくりした自分のことをよく覚えている。この世はお金がないと生きていけないのだ、と分かった瞬間の、悲しみに似たゆううつ感は今日まで胸底にある。
   中国の韋荘の詩に〈少年長抱少年悲—少年とわにいだく少年のかなしみ〉なる一節があるけれど、私の一生は金に縁のない悲しみの連続となりそうだ。

   一九五九年六月十六日、人気テレビ番組「スーパーマン」の主役、ジョージ・リーブス氏四十五歳が自殺した。顔写真付きの新聞記事を見た日のショックは、少年時代の悲しみの一つとして消えずにある。借金を苦にしたスーパーマンが、ビルから飛び降りて死んだという風聞を真に受けた小五の私は、虚構と現実のちがいを知りつつも、金力と飛行力の無いヒーローに失望落胆。人生の実相を鼻に押しつけられたようで息苦しく、長い不登校の近因となった。
   きのう、図書館ヘリーブス氏の記事を確認しに行くと、他の役にありつけないことを悲観してピストル自殺、とあった。悪漢の銃撃など平気の平左でいるシーンを、ほろにがく想起。
   超人の死に滅入っていた私の横の席には、美少女学級委員、Yさんが座っていた。彼女の成績はオール5で、「月刊投資相談」とかいう雑誌をひらき、景気がどうの銘柄がどうのと教えてくれるのだがチンプンカンプン。自己嫌悪に陥った。
   先月、数学者の藤原正彦氏が「現在アメリカの一万八千の小、中学校で株式投資の勉強をしている(略)。これが間違い。目的はともかく、このため算数や国語の基本学力がガタガタになっている」と発言されているのを読み、そうだろうなあと思った。過ぐる年、路上で遇会したYさんは美しくほほえみ「貧乏なデザイン会社勤め」と言った。

   『テッサのお金もうけ』(マーガレット・マーヒー・作、幾島幸子・訳、岩波書店、本体一三〇〇円、九七年三月刊)は、ニュージーランドの小さな町に住む女の子三人、男の子二人の五人のいとこたち(十歳前後)による“金もうけ大作戦”物語。
   中心人物のテッサは新聞の金融欄を愛読し、将来は会社の重役になることを夢みている。だからといってビジネスの成功者が人生の勝利者だなんて考えない。なのに彼女の母はロマンティックな女の子を望み「あんたはどうしてそうなのかしらねえ」などと心配する。ひねこびれた少女みたいだが、老人たちの幸福を思う優しさを誰よりも持っていて、かれらを助けるためのバザー(テレビ局主催)に参加。いとこの協力を得て目標の百ドルを稼ぎ、そっくり寄付する。それが自然で、良い子ぶった感じが少しもしないのは、慈善や博愛を当為とするお国柄ゆえだろう。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x12651,2025.01.31)