例外の快楽――『あまのじゃくのてんこちゃん』

森忠明

   高校に入ると、現代国語担当のS先生は”純文学至上主義”で、推理小説は文学じゃないというふうなことをのたまった。カチンときた私は授業中に松本清張(たしかカッパブックス)ばかり読んでいた。ある日、教室の通路をゆっくり歩いてきたS先生は、私の本に目を近づけた。体罰くらいは覚悟していたのだが、
「清張はおもしれえよなあ」
   と言ってほほえみ、「その長髪、もつとブラシをかければ艶がでるぞ。僕も森ぐらいの頃にはフサフサだったんだ」とつづけた。生徒たちは爆笑。三十代後半なのにずいぶん禿ていたからである。
   卒業の翌年、十九歳の秋にS先生から電話がきた。「きみの好きな松本清張が明日うちの高校へ講演にくるよ」。私は親友の有明(この欄の13回目に書いた男。二十四歳で事故死)をさそって拝聴に行くと、清張氏は同じ日に講演依頼のあった早大と東大を断り、奥多摩の小さな高校を選んだとのこと。嬉しい天の邪鬼ぶりだった。しかも、地元の寺社を案内してくれればノーギャラでよいとおっしゃったそうだ。
   講演後、二台のハイヤーに分乗した作家、S先生、校長、教育長、有明、私などは、阿伎留あきる神社と大悲願寺へ向かった。神社の畳に正座したS先生が「うちの学校のOBです」と清張氏に紹介すると、やはり正座していた氏が両手をついて深く頭を下げたので驚いた。なぜなら肩書に長のつく大人には会釈程度のあいさつだったからだ。
   そして同社に伝えられていた太占ふとまにの鹿の骨や絵巻物について詳しくレクチャーしてくれた。昭和四十二年、ちょうど三十年前のその日のことは全集の三十四巻目に収録されている。
   “さりげない反骨”というか”美しいヘソマガリ”というか、私はそういう奇特な性情の人に救われ生かされてきたと思う。

   「森の本は虚無的なので生徒に読ませたくない」という多数意見に逆らい、拙作を国語教科書に載せた光村図書のK氏もかなりの天の邪鬼だろう。「森の作品が教科書に採られたと聞いたか読んだかしたときには、びつくりした。誰が編集者なのか知らぬが、大した見識だと感心した」(皿海達哉氏「飛ぶ教室」第39号)そうだけれど、K氏が悪評を買うのではないかと私は寒心に耐えなかった。
   「小四の息子にあなたの本を読ませたら面白いと言うんで決めたんですよ」とK氏は言い、道徳的な物語を書いて有名になった作家が急にキャバレー嫌いになり、気取りだしたことを残念がるのだった。
   まわりの野球少年がみんな巨人軍の帽子をかぶっていた時代、西鉄ライオンズと東映フライヤーズのファンで、豊田選手や土橋投手のブロマイドを大事にしていた私も、相当のひねくれ屋だった。ロラン・バルトの言う〈例外の快楽〉を密かに味わっていたのである。

   『あまのじゃくのてんこちゃん』(アニタ・ジェラーム・作、おがわひとみ・訳、評論社、本体九七一円、九六年十二月刊)は幼いネズミの女の子。母ネズミのオリエンテーションを無視して、ことごとく反対の行動をとるが、すごく可愛いので憎めない。それらの奇行は本能的衝動に支配されているように思える。しかし、クールで知的に描かれたてんこちゃんの目をよく見ると、生まれ出たこの世を確実に認知しようとしていることが分かる。退屈な日常と概念に意識的に揺さぶりをかけながら、真の合理性やバランスを求めているのだ。
   K氏の天の邪鬼は単なる気分転換のためではなく、業界の内的再調整を論理的に考えた結果だったはずで、てんこちゃんのあまのじゃくも非社会的な自己中心の産物ではない。
   高学歴の母親ほど子どものしつけを学校に依存しないそうだが、てんこちゃんのママはオックスフォード出かもしれない。慈愛と自信をもって一人娘をしつけている。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x11172,2024.03.31)