シャカリキにならずボチボチ行けばよい

森忠明

 
いまも引きずっているもの
 
  こんど、小五の教科書に載った『その日が来る』という作品は、二年ほど前に書いたものです。子どものころの失敗談といったものを、ぼくにしては毒っ気なく、多少ノスタルジックに素直に書いたものなんです。教科書に、ということで、いささか人畜無害なものになってしまったかな、という気はしています。
  ぶきっちょな物書きなものですから、自分の体験してきたことを土台にしないと、一行も書けないところがありますが、小さいころのことで二〇年、三〇年とこだわり続けてきたモチーフとか、現実界の事柄ですと、割と自信をもって書けるんです。
  少年時代のことでも、すでに完結したイメージといったものでなく、三七歳にもなるいまもなお引きずり続けている、自己の不甲斐なさといったものを書きとめておきたいという気持ちがあるのです。もう克服してしまった場面というのでなく、いまなお大人になりきれていない部分、そういったものを幾つか、心覚えのように、ちょっと“劣等倒錯”を売りものにしているのかなという気もありますが、書きつづけているのです。
  少年時代というものをぼくは完了形の特異な世界とは考えていないで、いま言ったように、現在もそのころの古傷を引きずっていて、暗礁に乗りあげてしまった気分というか、不如意な感じというか、そういうものがありまして、それを書くことで今後の方向をさぐりたい。書くことでかならず道が開けるとか、めでたい生き方が手に入るとか思うのでなく、何というか自分が生きて在ることを信じることぐらいできるのではないか、とそういう気持ちなのです。
  この作品の中では、お父さんが「何事も練習しだいさ」と言っていますが、しかし、実際にはいくら練習してもものになるものと、ならないものがあるわけです。けれど、せめて絶望しきっていない人間としてはそれぐらいは言わなければ、と判断して言わせたのです。ぼくとしては、もしこの続篇を書くとすれば、練習したけど結局だめだったというニュアンスの濃いものに持っていってしまいそうな気がしています。
 
“登校拒否”のハシリだった
 
  そんなふうですから、ぼくの書くものは希望がないとか、敗北主義だとか、いろいろ批判をされます。ダメな子といいますか、何をやっても水準に達しない、“何をしてもアウトの子”、そうした要素でぼくが成り立っていますので、それを書くしかないわけです。そんな姿勢でも、プロ評論家の批評と違って、学校の先生方や子ども達は手紙でずいぶん励ましてくれているということもあるのです。
  励ましのおかげでこういった、ささやかなかそけき歌、リルケの「どのみちすべてが過ぎるんだ。果敢はかない歌を作ろうよ」ではありませんが、“はかない歌としての児童文学”、というと卑屈な感じになりますが、そうではなくて、“いとけなき日のものの哀しみ集”といったひそやかなアルバムを作っておきたいという気持ちが、持ち続けられるのだと思います。そんなわけでぼくの作品は、ある意味では自分の楽しみ、一種の自己満足で書いているともいえるんですが、しかし、自己満足でやっていく以外にないではないかという気もしているのです。
  子ども達がぼくの作品をどう読んでくれるか。どう読んでくれてもいいのですが、強いていえば少年の悲しみといいますか、喪失感といいますか、はじめは自転車を盗られ、野球ではヘマばかりといった日日幻滅をふかめて傷ついていく少年のゆれ動く心や無力感といったもの、ドジな少年の味わう生活気分といったものが分ってもらえればうれしいです。とくにハリキリ過ぎの子どもなどには、多少でももののあわれが分ってもらえ、シャカリキにならずにボチボチ行けばいいんだということをさとってもらえたらありがたい。
  しかし、ある意味では非常に非教育的な作品であるかもしれませんね。元気な子どもが主人公ではないぼくのこんな作品を教科書などに使っていいんですか、という気持ちもあります。
  子どもは憂鬱な気分に沈むことも多いですし、虚無感によって身動きできなくなったりもしますから、自分よりも深手を負ってる主人公をみて、一息いれてもらいたいんです。その願いがかなえば非常に教育的な作品といえるでしょうね。
  ぼくは小学校時代、五年、六年と登校拒否をしているんです。昭和三四、五年ですから、登校拒否のハシリなんです。いや、別に学校や先生が悪いわけでも、親が悪いわけでもなく、何故、この世に生まれてきたんだろうみたいな亡羊の嘆がありまして、暗鬱な気分で、どうしても学校へ行く気がおこらず、それよりもその時間、原っぱでぼんやりしていたほうがいいという気持ちで、はじめは祖父と、後には自分ひとりで、一年半近くあちこちの温泉などへいって学校を休んでいたんです。
  そうやって、小学五、六年でドロップアウトするまでは、本当によく遊ぶ子だったのです。本好きな文学少年などではなく、もういたずら小僧で、徹底的に遊んで、そうして五年生になって“空白の魔力”とでもいったものに魅入られてしまって、精神科の医師にもずいぶんご厄介になったのです。
  いまの子は、本を読まない読まないといわれていますが、当時のぼくと比べればおそろしく読んでいます。そんなに読んでいいのかな、本など読むより遊んだほうがいいのではないか、もっとやることあるんじゃないか、と思うくらいです。もっと基礎体力を作ってからとか、前青春期を過ぎてからでもいいんじゃないか、と思うんです。
 
少年時代の悩みの日々
 
  ぼくの登校拒否というのは、いまのそれと少し違って、大げさにいえば形而上学的な悩みといいますか、実存主義的な暗黒といいますか、自分の存在の位置といったようなものが全くわからない、ということから来ていたんです。例えば、先生に聞くとすれば、「ぼくは何故発生したんですか」といったような質問になってしまうことなんです。
  とにかく、ひとりで自然の中へ入って、自然に慰謝されながら、「何故、あんなに一生懸命になって、ランドセルなんぞ背負って学校へいかなきゃならないんだ」という疑問をかかえこんで、答をみつけなければ何もできない、時間が動かない、といった苦しい状態だったのです。はじめ、ぼくの作品は少年時代をノスタルジックに振り返ったものといいましたが、それは甘美なノスタルジーではなく、非常に悪夢の部分があり、あの頃には二度ともどりたくないという感じがある。何故二度ともどりたくないのか? あの悪夢はどんなふうに変質してきたのか? そのへんを大人になったいま、ちゃんと整理し直そうというのが、いまやっていることなのです。それをやってからでないと他の文学ジャンルには行けないという気持ちがあるのです。
  小学校時代、先生に「お前は欲がない、欲がない」とよくいわれました。勉強に対する意欲がない、集団生活が嫌いで協調性がない、と。ぼくは、校舎の昇降口を入ったとたんにかぐ下駄箱特有の匂い、あるいはホコリっぽい放課後の掃除の時間、そういうものがすごく嫌いだったんですね。潔癖症というか、キタナガリ屋だったというのか、勉強以前に学校という建築物がイヤだったのです。
  ぼくは、小学生のころからスローモーでした。一年生のときのこと、帰りの時間がきて、みんなランドセルに教科書や学用品をしまって、「先生、サヨウナラ」をいうために立っています。でも、ぼくは朝、登校してきたときの通りにランドセルにしまわないと気がすまない子なのです。「森くん、はやく立って」と、先生にせかされて、一瞬ビクッとあせりますが、「四十何人のクラスみんなにぼくを合わせるよりも、みんなをぼくに合わさせちゃおう」と、そういう傲慢な気持ちが当時からありました。居直るというか、相手を自分のペースにまきこんでしまうほうがいいという、非常に傲慢な性向がずっとあります。
  しかし、文学とか芸ごとはもともと独善的でモノマニアック(偏執的)で、多少変質的な部分が売りものの一つなのですからそれはそれでいいのだと思っています。
 
大事な人との“出会い”
 
  先生についていいますと、ありがたかったのは、「私が担任の間、きみは登校したりしなかったりだったが、中学、高校へ行ったならば、きみはきっと自分の感性の能力を生かしてさらに大きな人になるだろう」と、通信らんに書いてくれた先生がいたことです。
  自分の担任期間だけでなく、先のほうまで見て心を配ってくれる先生というのは、そうはいないと思うのです。自分の教えた間は目に見える向上はなかったが、しかし五年後、十年後の先まで見てくれた愛情というものを、その先生から感じるんですね。その後、中学・高校時代も学校へ行くことは苦痛でしたが、詩を教えてくれる先生がいたり、絵が好きで、美術だけはいつも五段階評価の「5」をとっていましたが、その先生がかなりヒイキをしてくれました。
  それと中学・高校では六年間、学校新聞をやりました。当時、もう勉強勉強で部員のなりてなどいないので、一人でやりつづけ、高校卒業のときは、校長が「森は赤点だらけだが、新聞で高校生らしい活動をしてみんなに活を入れてくれたんだから」と、本来は落第のところを卒業させてくれました。
  その後、高校生向けの雑誌に載ったぼくの詩を、寺山修司さんが認めてくれて、「出てこい」といって下さって、やがて寺山さんのもとで戯曲のようなものを書いたりして、いまこうしてこんなぼくがあるわけです。
  中学・高校時代、詩を教えてくれた先生がいたり、そのあとでは寺山さんのような人がいたり、ぼくのような落第生、不出来な生徒を芸ごとをからめて支えてくれた人びとの恩というものを強く感じています。
 
初出:『小五教育技術』一九八六年五月号・小学館
 
(もりただあき)
 
(pubspace-x6867,2019.07.26)