鈴木望水
Ⅱ.<バビロン>との闘い
―――創造するということは、抵抗するということだ。
抵抗するということは、創造するということだ。
ステファン・エセル
ケニー・アルカナは、自らが闘っている敵のことを、<バビロン>だとか、<システム>と呼んでいる。これらは、もともとは、レゲエ音楽の世界で、<バビロンシステム>と言われているものから来ている。バビロンとは、旧約聖書においてユダヤ人たちが囚われの身となったバビロン王国のことを指す。出エジプト記では、このバビロン王国から脱出することがユダヤ人の課題であった。ところが、中南米の黒人たちに広まったレゲエ音楽の世界では、これを読み換えて、白人たちが黒人たちから収奪し、搾取を行い続ける支配構造を指し示す言葉として使われたらしい1。レゲエ音楽に起源をもつヒップ・ホップやラップにおいても、<バビロンシステム>はこの搾取・収奪の構造を象徴する言葉として謳われてきているようだ。もちろん、その言葉を口にする歌い手は、自らがおかれている日常のなかで、のっぴきならない現実に直面しており、その状況のなかで、<バビロン>を敵として闘っている。ボブ・マーリーがおかれていた現実では、黒人に対する白人の支配構造が<バビロン>であったし、日本の反原発運動のなかでラップによる抗議の声を上げていたラッパーたちにとっては、原発を推進する国家権力やその背後にある国際的な原子力マフィアと結びついた利権の構造が<バビロン>であった。同じように、ケニーのようなフランスのラッパーたちにとっては、彼ら移民たちを、社会のクズだ、ごろつきだと、貧困と絶望と荒廃のなかに追いやっている差別と搾取と支配の構造が<バビロン>であった。けれども、よくよく考えてみると、現代では、これらの個々の<バビロン>は互いに重なり合い、すべて背後で繋がっていることがわかってくる。それぞれの<バビロン>が相互に緊密に結びついて、人種も民族も関係なく富める者をますます富ませ、貧しいものをますます貧しくしていく。この大きな敵の正体は、第三世界を巻き込んで収奪しながら、国際的に展開していく資本主義の構造であることがわかるだろう。まさにこの資本主義の展開、すなわち、グローバリズムこそが、現代における<バビロンシステム>の本当の正体なのである。ケニー・アルカナが闘っている相手は、自分たち移民を取り巻く現実を作りだしている<バビロン>だけではなく、世界の貧富の差と支配の構造を造り出しているもっと大きな<バビロン>でもあった。<バビロン>の支配者たちは、自分たちのシステムの秩序を守るために、人々を監視し、メディアによって、人々の意識を支配し、惰性に貶めて、骨抜きにしてしまう。ここでは、支配者たちは、人間ではなく、資本を守るのであって、民衆の生活などは問題にもならない。世界中の至るところで、民主主義を空無化し、正義と自由を金儲けの法則に置き換えてゆく。ケニーは、こうした支配者を、「俺様が世界の秩序だ。秩序は権力によって作り出す。いくつかの国の首脳たちの政治経済団体。俺様が地球に置いた情勢だ。俺様が独裁を敷いたんだ。」(「世界の秩序/Ordre Mondial」)と、いささか陰謀論的に揶揄している。現代の資本主義は国境を越えて、国際的に展開しており、これが、いわゆるグローバリズムと言われているものである。金儲け主義の擁護者たちも、彼らの私利私欲を満たすシステムを守るために国を越えて、結束し、互いに利用し合っている。これらの擁護者たちは、さまざまな形で、政治・経済だけではなく、文化までも操作するのである。
毎年スイスのダボスで開催されている「世界経済フォーラム」は、ケニーが風刺するような「俺様」であるところの各国の権力者、経済人、御用知識人が寄り集まって、自分勝手な「世界の秩序」を決めている象徴的な集会である。このようなグローバリズムの世界的支配の流れに対して、「もうたくさんだ」と声を上げる人々が現われてきた。フランスのLe Monde diplomatique誌の1998年5月号に掲載された、イグナシオ・ラモネの記事2に端を発する「別の世界は可能だ」(Un autre monde est possible)という標語に象徴されるAltermondialisme(日本語にすると「別の世界主義」)と名付けられる民衆の抵抗運動がそれである。グローバリズムの擁護者たちが集う「世界経済フォーラム」に対抗して、2001年以降には、グローバル化に伴い、世界的に進行する格差拡大の問題を民衆の視点から考えることを目的として、「世界社会経済フォーラム」が開かれるに至っている。ケニー・アルカナも自らの闘いをこのような流れのなかに位置づけている。彼女は、この運動を支えるために、仲間たちとマルセイユで「人民の怒り」(La Rage du Peuple)を設立した。ケニーが身に着けているバンダナや衣服にある <La Rabia del Pueblo> は、この団体のスペイン語名である。
ケニー・アルカナのアルバム『セメントと美しい星との間で』は、手に取ってみると少し重い。よく調べてみると、CDを固定させているプラスチック版が捲れるようになっており、その下にDVDが添えられている。けれども、パッケージには、DVDを含むという記載は見当たらない。もちろんアルバムの値段も他と変わらない。恐らくは、いたずらっぽいケニーからのささやかな贈り物なのだろう。このDVDの表題は、そのものズバリ、「別の世界は可能だ/Un autre monde est possible」(2006年)となっている。ケニーが、マリ、アルゼンチン、ブラジル、メキシコなどを仲間とともに旅して、現地の人々に取材、インタビューをしてきたドキュメンタリー映画であり、地域の人々から収奪し、世界中の格差拡大を推し進めるグローバリズムのあり方を批判したものである。このなかに、メキシコのチアパス州におけるサパティスタの活動を取材した映像が収められている。1994年1月に、メキシコ先住民たちによって構成されるゲリラ組織「サパティスタ民族解放軍」(Ejército Zapatista de Liberación Nacional, EZLN)3が、チアパス州で一斉蜂起した。蜂起といっても、彼らの目指すところは、武装闘争による権力奪取ではなく、自由と正義を掲げた民主主義を追求するために独立・自立するということであった。このようなサパティスタの主張は、植民地支配以来、収奪され続けて、貧困層を形成していた先住民たちだけではなく、メキシコの国民や国際世論から多くの支持を集めたため、政府軍はこの反乱を鎮圧することができなかった。その後、サパティスタの先住民集落が自治を宣言し、2001年には、彼らの行進は首都にまで及んでいる。現在では、チアパス州内の5つの解放区において、先住民たちが自立的な生活を続けている。このサパティスタの中心的人物が、マルコス副司令官である。「副司令官」というのは、実は意味があって、彼が従う司令官は人民であるということから来ている。後年、ケニーがマルコス副司令官に会ったと語っているのは、このドキュメンタリー映画の取材の際であろう。ケニーは、チアパスに留まることを望んだが、マルコスは、彼女がいるべき場所はフランスであり、自分の得意なことを続けるべきだと語ったという4。この際、ケニーは、マルコスに彼女の団体「人民の怒り」について語り、音楽について話し合った。彼女の手許には、マルコスが、彼女の最初のアルバム『素描』とともにポーズをとっている写真が残されているという5。
マルコス副司令官が言ったとおり、ケニーにはラップがあるのだから、彼女のなすべきことは、フランスでラップによって人々に希望をもたらすこと、音楽で世界を変えることであった。彼女の武器は言葉である。言葉によって人々に呼び掛け、人々の意識を覚醒させ、救いだすこと。これが、ケニーが抱いた、自分の音楽に対する直観であった。ケニーは自分の曲でも、「この直観は使命を知っている。あたしは直観、ほら、あたしの両目よ。大事なのは、栄光でもお金でもない。奉仕なの。これがあたしを幸福にしてくれるものなの。」(「放蕩児の帰還」)と歌っている。だから、ケニーの音楽は、商売でも、人気取りでもない。使命を帯びたものなのであった。実際に、いつも頭にバンダナを着けて髪を覆い、トレーナー姿で現れるケニーの姿は、少年のようでもあり、官能的な雰囲気がほとんど感じられない。その点、そういうイメージを売り物にしている女性アイドルやスターとはほど遠いと言えるだろう。彼女は、「あたしは、あんたの間抜けなVIPには決してならないさ。むしろ、兄弟たちと街角にいるよ。時には、そこから、奴らの体制にひと泡吹かせに行くのさ。」(「ヴァイブと運命/A la vibe & mektob」)と歌い、「あたしは、ラジオに出ていい加減なことなんかを言わない。ショービジネスの連中と一緒になってテレビなんかにも出ない。音楽大賞もラップ大賞にも出ない。コンテストにも出ない。ファッションや広告からも遠く離れて、自分の街角にいるのさ。」(「ヴァイブと運命」)と言い放ち、資本主義の枠内の音楽産業をきっぱりと拒否する6。ケニーの「表現者の生活/Vie d’artiste」という曲は、「あんたのシステムってものには、反吐が出るのよ。あんたの夢はあたしのものじゃない。」と歌い、いわゆるスターやアイドルとしての役割を期待されることを拒絶し、「あたしは、人格の表現者よ。あたしは、自分の魂のペンなのよ」と自らの表現者としてのあり方を宣言している。スターやアイドルといったものは音楽産業のなかで踊らされるレコード会社の操り人形にしかすぎない。だから、彼女は、テレビも、ラジオもボイコットして、決して出演することはない。フランスのヒップホップ音楽業界の広告塔であるラジオSkyrockへの出演を一切拒否し続ける。自分はどんなことがあっても資本主義システムに与しないという決然たる意志と勇気こそが、ケニー・アルカナの強さとなっている。<システム>のなかに入らなければ、<システム>自体を恐れることなく批判できる。かくして、ケニーの政治権力やマスメディアに対する攻撃は、容赦のない徹底的なものとなる。
ケニーの「ケルヒャーで掃除」は、サルコジが暴動を起こす移民たちをクズ呼ばわりした発言を受けた曲だが、単にフランスの政治権力者たちを揶揄するだけに留まらず、分裂症のように矛盾したフランスの姿を痛烈に批判する。サルコジのような右翼的政治家がナチス占領時代の対独レジスタンスを称揚するとき。人権の国フランスが、アフリカに軍隊を差し向け、政策を推し進めるとき。言論の自由を掲げるフランスが、イスラムフォビアの蔓延を許す一方で、イスラエルの暴挙には口を閉ざすとき。結局のところ、フランスの啓蒙哲学者たちの人権思想は、フランスでは、理論どまりとなっている。権力者たちは、都合の悪い現実には一切頬っ被りをして、その看板文句を口先だけで称揚しているにすぎない。この限りにおいては、どんなに高邁な思想も欺瞞的に作用する。ケニーはそのことを知っている。だから、「欺瞞のイデオロギーがあたしたちを丸め込もうってんだ。ほら、フランサフリックっていうどす黒い文書を取りだして、ヴェルシャヴに聞いてみろ。」と叫ぶのだ。フランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴは、その著『フランサフリック』7によって、フランスの歴代大統領及びエリゼ宮とアフリカとの間のどす黒い利権の関係を徹底的に暴いて告発した、いわば、フランスの良心の知識人である。私たちは、彼の告発本によって、フランス政府が主導した諜報や陰謀によって、多くの良心ある人々が殺され、また、数えきれない罪のない人が虐殺に巻き込まれていったことを知る。そして、フランスという国も、アメリカに決して劣らない「テロ国家」であることを垣間見るのだ。ヴェルシャヴの言葉を噛みしめよう、「非人間的なものを阻止しようとしないならば、それでもなお人間は人間らしくいられるだろうか。」―――この曲のなかで、ケニーが、ヴェルシャヴを歌詞に引用している点は、深く留意されるべきだろう。彼女は、フランスのどす黒い権力をこき下ろすことによって、人間の良心を呼び覚まそうとしているのだ。
そして、ケニーは、先進国に搾取される第三世界のことを忘れない。<バビロンシステム>は、第三世界の血を吸って栄えて行く。ケニーの「世界の青春/Jeunesse du monde」では、「第三世界の青春と人々よ。あたしたちは、あなたたちとともに歩くのよ。あなたの闘いはあたしたちの闘いよ。あたしたちの闘いがあなたの闘いであるように。正義と自由は、地上の全ての住民たちのもの。」と歌う。つまりは、ケニーにとっては、正義も自由も普遍的な価値をもつものであった。けれども、これらをフランスの権力者たちのように抽象的な言葉にだけ留めておくのではなく、世界の至るところで、具体的に実現していかなければならない。それが、「西洋の青春/Jeunesse de l’occident」でもあるのだ。だから、彼女はこう歌いあげる。「地球の反対側に住んでいる人々の生活を考えると、あたしは不満は言えない。そして、黙っていることもできない。あたしの友達たちが言ったの。『君は幸運にもフランスに生まれたんだ。君は未来を実現して、休暇に私たちに会いに来ることができる。だから、諦めないで。夢を見ることができるのだから。』って。少なくとも、あたしはこう誓った。たどり着くまでまっすぐ突き進む。そして、あたしの言葉は武器で、めったに理解されないってことを忘れないって。あたしは路上のドラマを讃えるためにきたんじゃない。希望を讃えるの。希望を信じないといけない。あたしたちをムショ送りにしたがる連中はいるけど、希望があれば、みんな実現できる。みんなが一緒になれば大きなことができる。神様が望めば、いつか<人民の怒り>が勝つ日が来る。」と。
フランスのような資本主義先進国の華やかな繁栄が、いわゆる発展途上国と言われる第三世界の人々の犠牲のうえに成り立っているということは、そうした先進国の社会に生きる人々にもうすうすは理解されていることである。しかし、こうした事実については、自分が直接的に損害を被らない間は、無関心であり続けることができる。けれども、その事実を知っていながらも、無関心であり続ける意識には、どこかに影がつきまとってくる。その影は次第に大きくなり、無関心が転じて、地球の片側で苦しんだり、死んだりしている子供たちをあざ笑うかのように、他人の不幸を軽蔑する意識に転じていくだろう。こうした他人を顧みない傲慢な態度を、ケニーは、シニスム(Cynisme) と呼んでいる。もともとこの言葉は古代ギリシャ時代に、社会の規範にとらわれずに簡素な生活を送る犬儒派の隠遁的な生活態度を指すものであったが、現代フランス語では、他人を顧みない尊大な態度のことを指す。こうした態度は、結局は利己主義に行きつく。他人が苦しんで酷い目に遭っていても、自分が平穏でいられるうちは、いいかもしれない。しかしながら、バビロンに牛耳られている<システム>のなかでは、いつのまにか今度は自分がバビロンの犠牲者として血を吸われる側に転化する。「一人の不幸はたちまち全体の不幸となる」であろう。人の心がシニスムですっかり支配されると、もう人間ではいられなくなってしまう。そうした連中ばかりが跋扈するような、弱肉強食の<バビロンシステム>が現代の世界を貫徹していくのだとすると、やがては人類そのものの存続が危ぶまれることになるだろう。だから、ケニーは、「シニスムには墓場の匂いが漂う。さあ、シニスムから遠く離れて。君のなかにシニスムを育てるな。それはいのちとは正反対のものだ。人のなかの光を消し去ってしまう」(「シニスムが君を殺したか?/Cynisme vous a tué?」)と呼び掛ける。
このように、現代人の意識の深部にまで浸透してしまっている<システム>の価値観から如何にして人間の魂を救い出すことができるか? これが、ケニーが自らのラップに課した使命なのであった。だから、自分の武器は言葉であると何度も繰り返して歌うのだ。これは、音楽の一ジャンルを超えて、言葉の芸術である文学の課題であるともいえるだろう。<システム>の擁護者たちは、利用し合いながらがっちり組み合って、人間の自由な精神を阻む壁を造るだろう。自由な精神もそうした壁に絡め取られて支配されてしまうと、惰性と習慣とで死んだ固形物のようになってしまう。そうした<システム>の壁や凝り固まった人間の意識にどのように闘いを挑むのか? 「小さい穴。かすかなひび。どんなものにも割目裂目はつければつけられる。」と石川淳も書いている。「針の穴ほどの隙間にしても、壁にひびだよ。これはかねてのあたしのねらひにぴつたり合ふ。すべての壁にひびを入れろ。壁はひびからすこしずつでも割れてゆく。ここは奸智を小出しにして使ふところだよ。」と、これは石川淳が小説『狂風記』の女主人公ヒメに言わしめたセリフである。無論、単なる空想のセリフではない。石川淳にとっては、これは文学の営みそのものである。こうした作家の企ては、国を問わず、普遍的な営みと言えるものだ。ケニー・アルカナも、「地獄ともつかない王国を讃え、鳥かごを守るために死んで行く抑圧された人々よ。鳥かごはあたしたちの魂も何もかも囲ってダメにする。工場の色や鉄格子。壁があたしたちを取りまいて、視界は覆われる。」(「抑圧された人々/Gens Pressés」)と歌う。鳥かごはもちろん<バビロンシステム>のことである。抑圧された人々の意識のなかには、<システム>の支配が深部にまで及んでいる。そうした<システム>が張りめぐらす壁と私たちの意識にひびを入れるための武器がまさしく言葉なのであった。だから、彼女はその言葉を使って抑圧された人々に、「鎖をほどけ、魂の息吹を聞け、群れ集う連中は正しくないんだ。」と呼び掛ける。ケニーの「君のなかを探せ/Cherche en toi」という曲にあるとおり、社会が押しつけたり、世の中で流通しているような価値観ではなく、自分自らの内面の声を聴けとケニーは言う。彼女自身からして、「神様のおかげで、あたしのなかの小さな声がいつもささやいていたんだ。」と言っている。内なる声に耳を傾けるということ。自らに正直であるということ。自分自身であり続けるということは、社会や世間の常識に服従しないということだ。そのときに、見出されるのは、自分たちのような弱い立場の人々を不当に追い込んでいるものに対する「怒り」(La Rage)であるだろう。そう。<La Rabia del Pueblo>という標語が表すとおり、ケニーのラップは、<怒り>の炸裂なのだ。
<システム>に身をおかないケニー・アルカナの音楽は、インターネット時代において変幻自在である。音楽と言葉によって、「目覚めよ」と人々に呼びかける。ケニーの標的は、マスメディア、それも、テレビである。ケニーが「テレビを消せ、あいつらの低能番組を。テレビを消せ、完全に頭をやられて終わっちまう前に。」(「目覚めよ/Réveillez-vous」)と呼び掛けているように、テレビこそは、<バビロンシステム>の洗脳装置だ。この装置が映し出している虚像の「壁にひび」を入れるべく、ケニーは執拗に攻撃を仕掛ける。「真理のためのV/V pour Vérités」のClip Officielを見てみよう。夜8時のテレビニュースで、アナウンサーが、市民たちのデモ行進を活動家たちが市内の交通を妨害しているという事実を歪めたニュースを報道し始めたところ、ケニーが率いる革命集団<La Rabia del Pueblo>がテレビ映像にhackingしてきて放送を乗っ取り、お茶の間の視聴者に向かってマスメディアの欺瞞を暴き立てるという、痛快この上ない設定だ。「みなさん、あいつらの言うことを聞かないで。被害にあっていることは議論の余地もありません。メディアが言っているのは口からでまかせです。あいつらは私たちにものを言わせたくないんです。拷問やってる連中に勲章くばって。国家テロの便利な常連です。」覆面をつけて登場する集団の姿はマルコス副司令官を頭目とするサパティスタたちへのオマージュであろう。ケニーによれば、マルコス副司令官は、facebookにより、この曲のClipを共有したという。また、メディアへのhackingという反逆行為は、インターネットゲリラの先駆けと言われたサパティスタに加えて、ケニーが共鳴を表している、国際ハッカー集団<アノニマス>の運動とも通底するものがあるだろう。
ケニー・アルカナは、過去や現在の多くの偉人や同志たちと切り結ぶ。例えば、彼女の曲「市民的不服従/Désobeissance civile」は、もちろん、マハトマ・ガンジーに由来している。ケニー自身がガンジーに対する敬意を語っている。「ガンジーは強かったわ。卑小なインド人たちは軽蔑されていた。けれども、カーストとイギリス帝国でもって世界から分断されきっている国で、言葉によってみんなをひっくり返して行ったの。同情と忍耐の力ね。それで彼は型破りなことができたのよ。」と。8 ガンジーが生きた当時のインドの状況を、現代のフランスを始めとする先進国の移民や貧民を取りまく社会を重ね合わせる。なにせ、ガンジーの時代、植民地を収奪するために他国と争っていた帝国は、今では、臭いものどうしがガッチリと組み合った世界の<帝国>と様変わりして、自他の境目もなく世界の民衆を相手に収奪しているし、カーストを野蛮視しているはずの民主主義国家のなかで、やれマグレブだ、ムスリムだと差別が蔓延り、警官や監視カメラが彼らを追い回しているのだ。そういう状況において、ケニーは叫ぶ、「人間の尊厳の名にかけて、あたしたちはもうたくさんだと言ったんだ。さあ、市民的不服従だ!」と。
2010年の秋に90歳を超えた老外交官ステファン・エセルの手によって小冊子『怒れ(Indignez-vous! )』9が世に送りだされた。ステファン・エセルは、1917年にベルリンに生まれたユダヤ系ドイツ人であったが、ナチス勢力の台頭から逃れてフランスに移住した。エセルは、ドイツ占領下でレジスタンス活動を行っていたが、ゲシュタポに逮捕され、強制収容所送りになる。しかし、彼は九死に一生を得て脱走し、大戦を生き延びることができた。戦後は、「世界人権宣言」の起草にも参加し、人権派外交官として活躍した。ユダヤ人であるにも拘らず、イスラエルのパレスチナ占領政策を批判し続け、晩年は「パレスチナに関するラッセル法廷」の創設に尽力した。彼は、いわば、良心の人である。エセルの『怒れ』は、移民問題や経済的格差といった不平等の拡大を批判し、国境を越えた人権や国際正義の尊重を謳った。そして、エセルは、この小冊子を通して世界の若者に「怒れ!」と呼び掛けたのだ。この小冊子は、フランスのみならず、世界中で爆発的に売れた。
続く2011年。この年は世界史のなかで特筆すべき年と言えるだろう。前年の12月にチュニジアから始まった「アラブの春」は、民衆自身の手による民主化運動として、中東各国に爆発的に広まった。日本では、3月11日の福島原発事故をきっかけに、デモという文化が消えかかっていた風土に反原発運動のデモが激しく花開いた。スペインでは、財政的失敗の矛盾に基づく負担を全て国民に転嫁した事に対する怒りが爆発し、「怒りの人々の運動」(Indignados)がマドリードで起こり、それが大きく膨れあがった。これに連鎖する形で、ニューヨークでは、1%の富める階級に対し、「私たちは99%だ」というスローガンを掲げて、いわゆる「ウォール街占拠運動」(Occupy Wall Street)が巻き起こった。国際金融資本家たちの金儲け主義に翻弄されたことによるギリシャ財政の破綻に際して、国民たちの間に怒りが広まってデモが多発したのもこの年の10月である。まさしく、世界的な「怒り」の時代が到来したのである。
ケニーの「怒れる人々/Indignados」は、「何がしかの国家、ことさら、我々自身によって指導される政治が、公正さではなく、単なる富の分配だけに向かうときに、怒りが到来するのです。」というステファン・エセルの肉声の引用でもって始まっており、この曲は、エセルへのオマージュともなっている。ケニー自身は、2006年に「怒り/Le rage」という曲を出しているとおり、活動当初より<怒り>は彼女のラップの重要な要素であったから、特段エセルの小冊子から影響を受けたわけではない。けれども、この「怒れる人々」は、エセルの呼び掛けに応じたものとなっている。いわば、時代そのものがエセルとケニーの<怒り>を交錯させたのだ。レジスタンスとしてナチス時代を潜り抜けたエセルが、サルトルをところどころ引用して送り出したこの小冊子は、現代における<アンガージュマン>の復権を想起させるマニフェストとも言えるだろうし、他方、勢いのよいメロディーにのって、フランス語とスペイン語の歌詞とで交互に組み合わせ、「怒れるものよ、立ち上がれ、あなたの街の無名の者よ。」と呼びかけるこの曲は、現代における民衆の怒りの革命歌と言えるだろう。ステファン・エセルがケニーのこの曲を聞いたかどうかは定かではない。しかし、2013年2月にエセルが95歳で死去した直後のコンサート10において、ケニーは手にライターを掲げて聴衆にエセルへの追悼を呼びかけた。若き日にヘーゲルを読み、エコール・ノルマルでメルロ=ポンティの教えを受け、サルトルを語る、いわば、フランス最高の知性を兼ね備えたかつてのレジスタンスの闘士と、貧しさのなか、小学校で公教育を放り出されて以来、ラップだけで生きてきた現代の不良少女との間で世代を超えて結ばれたこの思想的連帯は、フランスの知性の歴史のなかでなんと豊かに、美しく輝く光景であることか。
ケニー・アルカナの意志は<バビロン>に支配された人間たちの価値観や体制を遥かに高く超えて、常に天空や月や星々といった至高の存在に向かっていたから、彼女は、仲間内や一定の集団にしか通用しない規範や道徳を大きく超えた、普遍的な正義と人権についての思想をつかみとっていた。そして、それと同じように、全く逆のヴェクトルで、彼女は地上に張り巡らされたセメントの下に深く息づく大地の鼓動を聴くのである。セメントは、大地を荒廃させる現代の資本主義の象徴である。<バビロンシステム>は、人間たちだけではなく、地球そのものをも収奪の対象としている。ケニーは、母なる大地=地球のうえに花咲く自然と生命を収奪する支配者たちを告発する。「母なる大地は売り渡せない/Terre Mère n’est pas à vendre」では、「奴ら、あなたの土地のうえで血を流し、窒息させるまで、セメントを塗り固めている。紙を作るためにあなたを破壊し、深いところまで汚染している。」と大地に語りかけ、バビロンの支配者や住民たちのエゴによって荒らされ、痛めつけられている地球を、南米の原住民信仰における大地の神であるパチャママ(Pachamama)12に見立てている。「別奏:パチャママ/Alterlude : Pachamama」は、その讃歌だ。こうした地球信仰、あるいは生命信仰は、ピエール・ラビ(Pierre Rabhi, 1938~ )の思想から強い影響を受けているようだ。ピエール・ラビは、アルジェリアからフランスに移り住んだ農民である。若き日に、セヴェンヌ山麓の荒れ果てた農地を手に入れ、電気も水道も通っていない状態から、豊かで美しい農園を作りだした。ラビの農法は、近代的な化学肥料を退けた全き自然農法である。彼はその農法によって、アフリカのサハラ砂漠やパレスチナに自律的な農業経営の普及を行った。農業エコロジーを通じて自然と交わろうとする彼の思想は、単に農業分野に留まらず、近代産業文明への根源的な批判を提示し、深く生命や地球そのものへの畏敬を表明している。地球から生み出された人類は、自分たちが地球を支配していると思い込み、大地に勝手な線を引き、地球の限られた資源を汲み尽くそうとしている。発展を盲信する人間たちのために地球は病んでいる。限りなき経済成長という盲信を棄てて、今こそ自立的な農業を中心とした生活に変えるべきだ。「木や草が美しく花開くために、木や草に養われる動物たちがよく育つために、そして人間が生きるために、地球をほめ称えなければならない。」これが、ピエール・ラビの思想だ11。
ケニーの「大地への回帰/Retour à la Terre」は、こうしたラビの思想に呼応した曲と言えるのかもしれない。けれども、この曲はケニー独自の深く静かな省察を漂わせている。「宇宙意識、永遠の星。眠られない子供よ、父母の子供よ。真理が埋もれているのは、単にコンクリートの下だけではない。大地は生きている。大地は大地自体のものだ。空々が許すかぎり、その息吹は私たちのなかに生きている。幾世代にもわたって、太古の争いと同じことを繰り返している間も。摩天楼は創造主と競うことを望む。密告者が群れ、傍観者はジェットに乗り、当事者は何もしようとしない。皆が家族のなかにあっても孤独を感じるまで孤立している。」と、現代の文明の病理を表現している。大地に、国境が線引きされ、摩天楼が林のように聳え立つなか、人々はばらばらになってしまった。「大地へ帰ろう」というケニーの叫びは、私たちが身に着けた鎧を破って、人間の本性に立ちかえること、私たち自身になるということだ。だから、「ばかになろうよ、尊厳を持とうよ、私たちであろうよ、自由になろうよ。」と歌う。これは、都市のコンクリートに埋もれた地球を取り戻すということだけではなく、現代の文明が私たちの内面を侵食することによって疎外されてしまった意識の深部にある魂を回復しようとする問いかけなのだ。
大地や地球、そして、天空に輝く月や星々と並んで、太陽もケニーのラップの世界の重要な象徴である。「五番目の太陽/Cinquième Soleil」は、メキシコにおいて栄えたアステカ文明の太陽崇拝の神話から採られている。アステカでは人身御供を行って太陽を祀った。その宇宙創成観では、4つの太陽の時代を経過し、5番目の太陽の出現を待っているのが現在である。ここで、5番目の太陽を出現させるためには、多くの戦争をして犠牲者を捧げなければならない13。ケニーのこの曲は、このようなアステカの神話を正確に反映したものなのかどうかは分らないが、現代の混乱した世界を越えて、第5の新しい太陽の時代を生みだして行こうという問いかけとなっている。ケニーは、2006年頃にメキシコのチアパスに滞在した際に、メキシコ先住民であるサパティスタとの交流のなかでこのアステカの神話を知ったのかもしれない。
2012年に、ケニー・アルカナは、「万物は太陽を廻る/Tout Tourne Autour Du Soleil」を世に送り出す。この曲を収めたアルバムも同じ表題が銘打たれている。おそらくは、この曲が、ケニーがこの時点でたどり着いた境地を表すものなのだろう。これまでに、人生のどん底で絶望と苦しみのなかを潜り抜けてきた彼女が、その果てに見出した希望を謳い上げている。深い内省と強い勇気と優しい慰めに満ちたこの曲は得も言えずに美しい。言葉とリズムが一体となって、生命の泉から水がほとばしるように、聴く者たちの心を打つ。あえて、原詩の一部を掲げ、その拙訳を添えて味わおう。
La vie m’a dit “Sèche tes larmes, le Ciel ne se venge pas
Reste toi, soit forte ou le monde te changera
Accroche-toi à ta flamme et transmute la fable
Relève-toi vite à chaque fois que ce monde te fait un croche-patte
Ne cultive pas la haine ou elle te mangera
Guéris car si tu es mal en toi-même ce sera pareil autre part
Si tu cherches un coupable, regarde-toi dans la glace
Ta réalité tu la fais, elle n’est rien d’autre qu’une question d’octave”
(いのちはあたしにこう言ったんだ、「涙を拭いて。天は仕返しなんてしてこないよ。
君自身でありつづけよう。強くならないと、世の中が君を変えてしまう。
君の炎を絶やさずに弱さを変えなさい。
世の中が君の揚げ足をとっても、すぐに立ち上がりなさい。
憎しみを腹にため込んではいけない。さもないと、憎しみは君を食ってしまう。
君自身の内部が悪いのだったら、他の部分も同じだから、治そうよ。
自分の罪を探すんだったら、自分を鏡に映してみようよ。
君の現実は君が作っている。現実は、単なるオクターヴの音程の問題なんだ。」)
「いのちはあたしに言ったんだ」(La vie m’a dit)と繰り返されるように、生きているということを対象化してこそ、初めてその意義や価値を見出すことができる。惰性で漫然と流されるままにその日を送っていても、生きるということにめぐり会うことはできない。そして、「放蕩児の帰還」と同様に、ここでも、内なる憎しみを他に変換して克服することが、ケニーにとって重要な課題であったことがわかる。自分を取りまく現実は、実は自分自身の反映でしかない。憎しみをため込む前にそのことを考えたほうがよい。どんなに不快な現実でも、音程を変えれば、違った調子に響くはずだ。だから、幸福は自分の眼差し次第なのだ。
Elle m’a dit “Ne juge pas, évite les poncifs
Canalyse tes analyses car tes pensées te construisent
Ne banalise jamais, tout est unique, médite ça
Et si tu ne sais où aller, recueille-toi le Ciel te guidera”
(いのちはあたしにこう言ったんだ、「決めつけてはいけない。月並みにならないで。
思考が君を作っているのだから、君の分析を誘導しなさい。
決して平凡になってはいけない。皆が比類がないということに思いを巡らしなさい。
もし行先が分らないなら、瞑想しなさい。天が君を導いてくれる。」)
賢く生きるということ。それは、周囲に流されることではなく、自分自身の力で筋道をたてて考えて、人生を上手く誘導していくことだ。そして、それは自分自身を平凡な存在ではなく、かけがえのない存在だと捉えることだ。時には、いろいろなことを分析して、時には瞑想する。人生を導いてくれるのは、自分を取りまいているありきたりの価値観ではない、もっと高い存在だ。
La vie m’a dit qu’elle était plus grande que tout ce que l’on croit
Abondante, on l’imagine austère
Elle m’a dit “ma puissance est en toi
Fais le vide et retrouve-la, fais le vite et retrouve-toi”
Lumière divine oui plus grande que tout ce que l’on voit
Enfant oublié de notre Terre
Elle m’a dit “Le soleil est en toi et tout tourne autour du soleil”
(いのちはあたしにこう言ったんだ、「いのちは人が思っているものより偉大だ。
人はいのちを豊かで、素朴なものだと思っている。」
いのちはあたしにこう言ったんだ、「いのちの強さは、君のなかにある。
心を空にして、その強さをみつけなさい。すぐにそうやって、自分を見つけなさい。
崇高な輝きも、そう、人が見ているよりものより偉大だ。
私たちの大地の忘れられた子供よ。」
いのちはあたしにこう言ったんだ、「太陽は君のなかにある。そして、万物は太陽を廻る。」)
万物は太陽を廻る――地上におけるすべてのものは地球の自転とともに、太陽の周りを廻っている。自分たちの価値観を中心に考えている人間たちは、日々の生活のなかで、自分たちの周りを太陽が廻っていると思い込んでおり、実は太陽の周りを廻っていることを日常的には気づいていない。バビロンの住人たちに、地球への回帰を呼びかけたケニーが、さらに、その地球すらも、太陽の周りを廻っていることを示すために、この曲名を採ったのだろう。太陽は、そうした人間中心主義の愚かしさをひっくり返すことを可能とする象徴である。けれども、「太陽は君のなかにある」とケニーが言う場合はどうだろう。太陽こそは、生命の源とも言えるだろう。自分自身の内なる声を聞くことによって、生命の輝きを見出し、その根源に立ちかえるということ。その根源の象徴が太陽である。だから、生命の根源を見失った日々の日常の現実をひっくり返し、本当のいのちの輝きを見出すこと。これが、ケニーがこの曲に込めた真意であろう。
La vie m’a dit “Ose-moi, reconnais-toi en l’Autre, car l’Autre est un autre toi”
(いのちはあたしにこう言ったんだ、「あえて、他人のなかに君を知れ。なぜなら、他人は、もうひとりの君だから。」)
謎めいた言葉であり、さまざまな解釈がなされ得よう。けれども、この意味を解き明かすために、哲学者たちの学説を持ち出すことはやめるとしよう。そういうもの識りの解釈学は、それこそ、ケニーの美しい曲を平凡化して台無しにしてしまうことだろう。ケニーは、そんなものに頼っていないのだから。ケニーのこの言葉は、過酷な現実での他者とのかかわりのなかで、彼女が経験してきたことに基づいている。だから、この言葉の真意を理解するためには、私たちも現実のなかで他者と向き合ってこの言葉を噛みしめてみるしかない。ケニーから私たちへ向けた宿題である。
ケニー・アルカナは、2012年12月に5枚目のアルバム『万物は太陽を廻る』を出した後に、2013年の春から夏にかけて、フランス各地及びブリュッセル、ローザンヌなどを飛び回ってコンサート・ツアーを行った。彼女は、2005年に最初のアルバムを出して以来、8年間を彗星のように駆け抜けたが、このツアーの後に表舞台からぱったり姿を消し、およそ3年にわたって沈黙を続けることになる。おそらくは、戦士には休息が必要なのだろう。
【注】
1 鈴木孝弥「政治と宗教を包摂した〈バビロン・システム〉との闘い」(『ボブ・マーリー』[文芸別冊] 河出書房新社、2012)参照
2 「もうひとつの世界は可能だ」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年5月号の特集)の序文、日本語版サイトには2008年2月3日に掲載
3 サパティスタ民族解放軍については次の文献の全てまたは一部を参照した。――イグナシオ・ラモネ『マルコス ここは世界の片隅なのか』湯川順夫訳、現代企画室(2002年)/山本純一『インターネットを武器にした「ゲリラ」』慶應義塾大学出版会(2002年)/太田昌国他『グローバル化に抵抗するラテンアメリカの先住民族』現代企画室(2005年)/マルコス、イボン・ル・ポ『サパティスタの夢』佐々木真一訳、現代企画室(2005年)/アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチジュード(上・下)』幾島幸子訳、日本放送出版協会(2005年)/石黒馨他『グローバルとローカルの共振』人文書院(2007年)/清水透『ラテンアメリカ 歴史のトルソー』立教大学ラテンアメリカ研究所(2015年)/伊高浩昭『われらのラテンアメリカ万華鏡』立教大学ラテンアメリカ研究所(2016年)
4 マルコス、イボン・ル・ポ『サパティスタの夢』の訳者である佐々木真一は、20歳前後にチアパスのサパティスタ自治区を訪ねたときの体験を語っている。佐々木は、あるメンバーに「自分に何ができるのか」という問いを発したところ、そのメンバーは、「くにに帰ることだ。自分の場所で、自由、正義、民主主義のためにたたかいなさい。」と答えたという。(同書336頁を参照)
5 StreetPress : “Keny Arkana ou la vie sauvage” 17/06/2016
6 言うまでもないことだが、このケニー・アルカナの態度は、煮え切らない態度を取り続けた果てに、すっかり商業主義に塗れたノーベル文学賞を受けとってしまったボブ・ディランの態度ではなく、「賞と名のつくものはジャガイモひとつだって受け取らない」と言って、ノーベル文学賞をきっぱりと拒否したジャン=ポール・サルトルの態度に繋がるものである。本稿執筆時に、ボブ・ディランのノーベル文学賞決定の報が入って来たので、このことを特に記しておく。
7 フランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴ『フランサフリック』緑風出版(2003年)
8 Reporterre : “Keny Arkana : « Sans un effort de bienveillance, la guerre civile nous attend »” 17/06/2016
9 Stéphane Hessel : Indignez-vous !, Indigène Editions, 2010(邦訳は、ステファン・エセル『怒れ! 憤れ!』日経BP社、2011年)
10 例えば、2013年3月30日のリヨンでのライブ。
11 ピエール・ラビ『良心的抵抗への呼びかけ』四明書院(2015年)
12 Histoire des Religions, tome III, Encyclopédie de la Pléiade, Gallimard, 1976, p.737, p.809, p.881
13 ダビッド・カラスコ「メソ・アメリカの諸宗教―都市と象徴」(ミルチア・エリアーデ『世界宗教史7』第40章 ちくま学芸文庫)
【備考】
本稿では、文中に引用した原曲名を、You Tube上のケニーの曲とリンクさせて、読者が容易に視聴できるように配慮した。また、引用した記事等のうち、インターネット上に掲載されているものも、同様にリンクさせて、読者が参照し易いようにした。
(すずきのぞみ)
(pubspace-x3928,2017.01.23)