浦上玉堂――「私」が溶解していくその世界

相馬千春

 
 浦上玉堂を久しぶりに想い出したのは、森忠明さんの新著『空谷跫音録――ともきたる』を拝見したときです。
 
 「夫(か)の虚空(キョクウ)に逃(のが)るる者は……人の足音、跫然(キョウゼン)たるを聞きて喜ぶ」(『荘子』徐無鬼)というのが、「空谷跫音=クウコクノキョウオン」の由来。
 他方、浦上玉堂の画には<世俗を逃れて、山奥に住む逸士のもとに、朋がたずねて来る>という情景が描かれているものが実に多い。
 それで「空谷跫音」で玉堂の画を想いうかべたわけです。
 

「山雨染衣図」


 

「山雨染衣図」の左下部分


 
 人物は「山水」の中にじつに小さく描かれているのが常ですが、それでも「点景の人物極めて小にして、これを望むも猶お文人逸士なるを知る」(田能村竹田の玉堂評)、そう言われるだけの存在感が人物にはあります。
 
 さて「空谷跫音録」では、森さんが菅茶山の「黄葉夕陽村舎」(現・広島県福山市神辺町)を訪ねたときのお話も載っている。
 

「駅前からタクシーで記念館へ向かいだしてすぐ、息をのんだ。[十一月末の―引用者]窓外の風景が、まさに「黄葉夕陽村」そのもの。山というより小高い丘の、武蔵野の雑木林に似た木々の黄葉が、すでに傾いていた陽を浴びて、まぶしく黄金色に輝いていたからだ。……二百年後もその風景がそこにあること。当然なのだろうが私にはひどくうれしく感じられた。」(『空谷跫音録』(翰林書房)p.188)

 
 浦上玉堂も二百余年前、「黄葉夕陽村舎」に菅茶山を訪ねているのですが、森さんの描写は玉堂の画、「山紅於染図」を彷彿とさせます。
 

「山紅於染図」


 
 山陽道に茶山を訪ねる玉堂の心象風景はこの画の如くだったのではないかと、つい想像してしまう。それで九月に森さんを「公共空間X」の合評会にお招きしたときに、いささか押売り的に玉堂と「山紅於染図」のことをお話ししたのです。その時は<次に玉堂のことが話題になるのは、いつのことやら……>と思っていました。まもなく浦上玉堂とその子、春琴・秋琴の大規模な展覧会が開催されることを、そのとき私はまったく知らなかったのです。
 
 玉堂の画の話を続ける前に、玉堂本人のことをちょっと紹介しておきましょう。
 浦上玉堂(一七四五~一八二〇)は、元は備中国鴨方藩の武士。若くして藩主池田政香の側近として重用される。政香とともに儒学思想による理想的な政治を目指すが、政香の病没で挫折。玉堂はその後も出世するが、次第に文人としての傾向を強め、五十歳で脱藩。以後、玉堂は文人として琴、詩、画の世界に生き、各地を旅しては文人墨客と交わりを結ぶ。
 こう書くと、脱藩後の玉堂は「好事家」になってしまったように思われるかもしれない。しかし玉堂が儒教的志を捨てたと考えるのは、いささか早計で、その画の老荘的な趣も儒教的志と表裏の関係にあるのかもしれません。杉本欣久氏は次のように言われています。
 

「[儒教的志は]特に画においては直接的に表現されることは稀であり、かえって老荘的境地が表出されることも少なくない。老荘における自適の思想は、儒家の行き過ぎた道徳主義や礼教主義のアンチテーゼとして成立したものであり、儒教と表裏の関係にあるがゆえに切り離して考えることはできない。」(杉本欣久「浦上玉堂の山水画と作画精神」 )

 
 さて今回、玉堂の画に接してどうだったか、と尋ねられるならば、
<玉堂の画に相対すると、画の中に引き込まれ、「私」というものが画の中に溶け込んでしまう、そういう経験をすることがある>
と、そう答えたい。
 「画の中に引き込まれる」という経験は他でもあり得るし、それは構図などの技巧にも依るでしょう。じっさい玉堂の「溪声書声図」などは、縦長の画面の下端ぎりぎりに、近景が緩い角をなしていて、それが人を引き込んでいるようにも思えます。
 しかし引き込まれた「私」が、画のなかの世界に溶解してしまうというのは、また別の問題です。なぜそういうことが起こるのか、――溶解する「私」も検討が必要だが、それはさて措き――その根拠を画に求めるとしても、文人画にも東洋思想にも昏い私にはよく分からない。それで以下で述べることは、「思い付き」の域を出ません。
 
 文人画の主要な画題に「山水」があります。山は陽の気を、水は陰の気を表している、と言われるように、山水画は「気の思想」に裏打ちされています。では「気」とはどの様なものか、小倉紀蔵を引用しましょう。
 

「この宇宙はすべて一気から成り立っている。その一気に対して、違う視点から記述すれば陰陽の二気になるし、また別の視点から記述すれば木火土金水の五行になる。/気は単なる物質ではない……。バイタルな生命力を有した物質である。/花も、人も、雲も、机も、鬼神も、すべては気なのである。/すべては「気の海」から生まれてくる。」(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』(ちくま新書)p.121)
「それ[気]は別の言葉でいえば「自然」であるが、この自然には、生命力という永遠不滅のエネルギーがそなわっている。その根源的なエネルギーを全体としてとらえ、それと一体化することに邁進するのが、儒教的な世界観である。ここには、道家的な世界観も混入している。この意味で儒教と道家は同じ方向性にある。ホーリスティックな世界観である。」(同上、p.122-3)

 
 そうであれば、なるほど山水画の世界は、それ自体が一つのたましい・生命(いのち)であり、それが私のたましい・生命と共鳴しているのかもしれません。
 しかし私が他ならぬ玉堂の画に共鳴するのは何故か。
 私のたましい・生命と共鳴する玉堂の画とは何なのか、それはどのような思想に裏打ちされているのか、玉堂の思想は大陸の「気の思想」と同じものなのか。
 
 大陸の「気の思想」について、小倉はさらに次のように言います。
 

「私の考えでは、「気の思想」というのは、物を極端に抽象化したエリートの哲学者たちの世界観である。」(小倉前掲書、p.226)
「荘子のように、現実は決して平等ではなく、差別はあるのだけれども、その差別に拘泥をしてはいけないと考える世界観を支えているのも、気の思想である。/表面上の差異や対立は相対的なものであり、その根底には真の実在としての絶対的な道があるのだ、と荘子はいう。/このようなタイプの思想は、決して基層民衆の世界観ではありえないし、……完全に哲学的エリートの思想である。」(同上、p.228-9)

 
 玉堂の思想もそのような「気の思想」であると言われるかもしれない。玉堂は元エリート武士なのですから。しかし老境の玉堂の画を見る限り、私には、玉堂がそうした思想を逸脱するものを内包していた、と思われてなりません。
 
 玉堂に大陸的な「気の思想」を逸脱するものがあるとしたら、それは玉堂の画にどのように表れているか。
 私は、まず「山」の描き方にその逸脱を感ずる。
 例えば「山澗読易図」。この画が「気の思想」に裏付けられているのは、画題からも構成からも明らかでしょう。しかし同時に、この「山」には(いわば過剰な)生命力が溢れ出ていて、山自体に「気の思想」という主題を押しのけるだけの存在感がある。
 

「山澗読易図」


 
 次に人工物、橋や船や建物などの描かれ方。橋も船も建物も人工物的な形は崩されて、生命的な曲線が与えられています。
 

「密林軼雲図」部分


 

「夕陽映松帆図」部分


 

「夏山雨意図」部分


 

「山水図(飛騨山中作)」部分


(「山水図(飛騨山中作)」は李楚白の峰廻路轉図の構図を写しているが、建物の屋根のラインなどは、玉堂の画のもののほうが『崩れて』いる。)
 
 しかし、こうした山の『生命』や人工物の『生命』の描写は、大陸の「気の思想」においては――以下で小倉が指摘するように――アニミズムに属するものと見做されるのではないでしょうか。
 

「アニミズムでは、自然そのものに対する畏敬もあるが、それだけでなく特定の石や樹木などの個別性に対しても、強烈な畏敬ないし愛着の念を抱く。だが儒教にはそのようなメンタリティはない。あくまでも普遍的な自然一般、宇宙全体という全体性がまず、重要なのだ。/儒教的観点から見れば、個別のモノに特別な生命力や呪術的な力を認めるのは、下等な認識能力である。/孔子は、アニミズムや(自らの出自に深く関連する)シャーマニズムを、ヒューマニズムたる儒家は遠ざけなくてはならないと規定したのである。だから中国でも朝鮮でも、個別の事物や物体に畏敬の念を抱く宗教は社会の底辺に追いやられている。日本でシャーマニズムとアニミズムが合体した神道が公的な宗教の位置を占めているのとは、まったく異なる様相である。」(小倉前掲書p.123-4)

 
 しかし私は<玉堂は「気の思想」を捨てて、日本的なアニミズムに回帰した>と言いたいのではありません。むしろ次のように言いたい。
<玉堂は、大陸の「気の思想」を受容しつつもその思想から逸脱し、むしろ個々のモノの生命を抑圧から解放することによって、普遍としての自然の表現に真の生命をもたらしたのではないか>と。
 
 しかし「思い付き」を述べるのもいささか度を越したようです。拙論はこの辺でお終いと致しましょう。
 
 さて、展覧会のほうは、12月に入って展示替えがあり、私はようやく「山紅於染図」に巡り合えました。
 展示室の出口近くにあったその画、解説に曰く、「なだらかな山々の連なりが、玉堂の生まれ育った山陽の温和な風景を思い起こさせる」と。
 <茶山のもとへ行く玉堂を連想したのも、そんなに見当違いではなかった?> そう思うと、一寸うれしくなりました。
 
(そうまちはる: 公共空間X同人)
 
(pubspace-x3799,2016.12.27)