田村伊知朗
(その一)から続く
2.後期近代における公共交通の復権
1920年代以降、自家用車の一般化が開始されて以後、公共交通は戦間期、戦後直後の混乱期を除いて衰退の一途をたどった。個人化された交通が1970-80年代まで進展したことにより、公共交通の経営状況は悪化して
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いった。同時に、自家用車が都市中心街の機能を破壊するようになった。
この状況のなかで、公共交通という大量輸送手段が市民的公共性において再認識された。中心街における自家用車の氾濫は、道路におけるその渋滞を意味していただけではない。それは、戦後の西側資本主義国家における政策判断そして文化的背景が横たわっていた。この現象に対する批判が、後期近代において市民的公共性において現れた。「ここで顧慮すべき側面は、以下の二つの重要な環境研究である。すなわち、第一に、コストの外部化を許可する支配的な社会的かつ政治的な前提である。第二に、歪曲されたコスト知覚の社会心理的かつ文化的に深く根付いた現象である」。1 自動車中心主義という思想が、上昇する社会的に外部化されたコストを顧慮していないという疑惑が生じた。
自家用車の使用によるそのコストを公共的領域へと排出するメカニズムが、解明されねばならない。このような認識が交通政策者だけではなく、市民の意識においても支配的になった。外部化されたコストが公的領域を浸食することによって、都市住民自身もそのコストを担わねばならない。そのコストが、公的領域から私的領域へと流出してきた。それは、都市住民の即自的意識において問題化し始めた。
この市民意識の変容は、後期近代における市民意識の幸福感の変容と関連していた。1950-60年において自家用車の所有は、市民の幸福度を図る指標の一つであった。自動車を所有することは、高い社会的地位を表現していた。それは、祭壇における神を意味していた。2 しかし、1970-80年代における自家用車は、大量生産された大量消費財にすぎなくなった。もはや社会的地位を表す所有物ではなくなった。むしろ自家用車の普及による負の側面が、意識されるようになった。「幸福度と自然的資源に対する要求が上昇したことにより、西側産業社会はその発展の影の側面を敏感に知覚した」。3 もはや、自動車の所有による幸福度の上昇よりも、公共性に対するその侵害をより意識化した。
次に、1970-80年代において自然的紐帯から原子論的に解体された諸個人が、新たな公共性を形成し始めた。諸個人が、自らによって意識化された公共性に対して帰属意識を持ち、それに対して責任性を明確にし始めた。初期近代における公共性と異なり、後期近代におけるそれは、自然的共同性に前もって埋め込まれているわけではない。「普遍性の圏域を構成することが、独立した問題になる。社会的統一体はあらかじめ前もって与えられておらず、むしろ産出されねばならない」。4 公共性は、市民意識において新たに産出されねばならない。
諸個人の責任対象が自然的共同性から新たな公共性に移行した。「諸個人が人格として問題に対して責任ある態度を取り、諸個人自身による問題解決への寄与が有効であることを自覚していることである。このようなことが、行為準備の前提に属している」。5 諸個人が問題の大きさと諸個人の寄与の小ささを認識したうえで、自己自身によって設定された公共的空間において責任主体として振舞う。このような行為前提が、コンディリスによって明らかにされた後期近代における都市住民の意識を規定する。このような行為規範が公共性という概念をより明確に意識化させ、このコンテキストにおいて公共交通の存在意義を浮上させた。
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公共性すなわち公共交通に関する意義が、市民意識において認識された。「公共性が1980年代初頭において、持続的に交通政策を影響づける交通規定要因になった。1950-60年代の交通政策は、もはや受容不可能である」。6 公共性を実現することが、公共交通政策の中枢になった。この公共性という概念は、それを支える主体としての市民と関連している。
注
1. D. Klenke: Nahrverkehr im Automobilzeitalter: Fragen aus der Sicht der Sozial- und Wirtschaftsgeschichte. In: Hrsg. v. H. L. Dienel u. B. Schmucki: Mobilität für alle: Geschichte des öffentlichen Personennahverkehrs in der Stadt zwischen technischem Fortschritt und sozialer Pflicht. Stuttgart 1997, S. 30.
2. Vgl. D. Klenke: Bundesdeutsche Verkehrspolitik und Umwelt. Von der Motorisierungseuphorie zur ökologischen Katerstimmung. In: Hrsg. v. W. Abelshauser: Umweltgeschichte. Umweltverträgliches Wirtschaften in historischer Perspektive. Göttingen 1994, S. 182.
3. Ebenda, S. 184.
4. P. Kondylis: Planetarische Politik nach dem Kalten Krieg. Berlin 1992, S. 133.
5. J. Blatter: Umwelt und Öffentlichkeit, a. a. O., S. 26.
6. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss. Städtische Verkehrsplanung seit 1945 im deutsch-deutscchen Vergleich. Frankfurt a. M. u. New York 2001, S. 381.
3.専門知と全体知の媒介
交通政策が、都市総体という公共性のコンテキストにおいて考察された。この背景には、知の存在形式に関する後期近代に特有の問題が横たわっている。すなわち、専門知と全体知が乖離しているということが、万人によって意識された。専門知に対する盲目的信頼が、市民間において喪失した。もちろん、ここで問題にしている全体知は、近代という時代総体に関する知ではない。都市の構造あるいは地域内の公共的人員交通の総体に関する知である。
都市交通の政策担当者の専門知が、自家用車の渋滞解消だけを目的にしており、都市全体の知と無関係に存在している。専門家の専門知が、素人の全体知と乖離している。合理的であればあるほど、専門知は素人の全体知と矛盾する。特定目的を追求する行為は、部分的合理性しか追求しない。交通に関する専門家は、道路と駐車場を拡張することによる反作用を顧慮しない。一般化すれば、専門知は全体知と矛盾する。専門知は精微であればあるほど、それだけ細分化される。細分化された部分知は、全体知と無関係に存在し、後者と矛盾する。専門知と全体知の乖離は、後期近代において極限まで増大した。
伝統的には、哲学者と政治家が素人による全体知を代表してきた。「社会的な総体連関の場合、問題はより困難になる。伝統的に少なくとも、哲学者が総体的連関の理論に適合してきた。しかし哲学者は、実践の領域をずっと以前から政治家に委ねてきた」。1 哲学者が普遍的全体知を担い、政治家が実践的全体知を担ってきた。政治家が、この全体知を少なくとも実践的領域において代表してきた。
専門知は、素人知すなわち利用者の知によって加工されねばならない。専門家によって行使される技術的合理性は、人間的な生活世界における知覚によって変形されねばならない。2 公共交通の政策を企画している専門家ではなく、その環境世界に住む利用者の視点が、政策担当者の思想パラダイムに反映されねばならない。公共交通の政策担当者とその利用者は、後期近代において同一ではない。「都市計画と交通計画の問題を決定しなければならない人間は、公共交通とりわけ路面電車の非利用者に属している」。 3 公共交通の専門家は公共交通を利用しない。もちろん、専門知と普遍知は分離されている。後期近代においてこの分離は必然である。しかし、この分離は媒介されねばならない。住民の普遍知は、それだけでは専門知に対抗できない。
したがって、交通専門家ではなく、素人である政治家が、市民的公共性に基づいて専門知に対抗する。「政治家と、関係する市民による経済的かつ社会的連関に関する固有の判断は、学問的言説によって代替されえな
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い」。4 市民的公共性から逸脱した専門知が、再び前者によって加工されねばならない。つまり、専門化することによって細分化された専門知が、全体知あるいは世界観的知によって加工されねばならない。近代社会は両者を分離した。「世界観的に有意義なものとして承認された知と、ますます、客観的に支配的な知識形式になる実践に関わる自然=技術的学問との間に分裂が生じる。この分裂がとりわけ深くなる」。5 専門知と世界観的知の分裂は、近代に特有なものである。しかし、後期近代においてこの分裂が分裂として認識される。ある水準において、この分裂を媒介しようとする傾向が生じる。
交通問題に関する全体知によれば、第一義的交通手段は、歩行という人間の原初的能力そして公共交通である。動力化された個人交通は、交通政策的配慮によって領導的地位から排除されるべきであろう。「自動車交通の縮減という急進的概念は、自動車交通の面積をできるだけ排除しようとする。多様な機能を持った生活空間が、道路において生成すべきである」。6 個人化された交通をある水準において阻害することが、公共的な交通政策の課題になる。
このような政策は、個人の自由を侵害することにつながるのであろうか。公共性という概念を交通政策へと導入することによって、無制限の自家用車の使用という自由を抑圧することにつながる。たしかに、ある水準において個人的自由は制限される。しかし、無制限の自由という概念はそもそも妥当しえない。「どのような生活領域においてであれ、限界なき自由は自然法則的に存在しえない。したがって、自由が無意味なほど使用される場合には、自由を制限することが自由社会における理性的行為から発生する」。7 無制限の自由ではなく、その抑制が自由社会によって要請されている。
都市の公共性総体に適合した交通政策が構想される。「自動車は、都市に適合したプログラムにおける第一義的な交通手段ではない。むしろ、都市内交通における主要な役割は、公共的な人員交通に与えられるべきだ」。8 1950-60年代において、交通とりわけ個人交通が都市を規定していた。対照的に、1970-80年代において、都市における公共性が交通を規定していた。公共性という要因が、交通政策担当者の意識を規定する。
公共性あるいは公共的利益という理念は、数字によって提示されえない曖昧性を含んでいる。しかし、個別的事象、ここでは道路における渋滞の解消を解決するためには、交通技術的な対処療法ではなく、その上位概念が必要とされる。「現実的に真摯に、新規の実践的課題を求めよとする場合、より上位の表象つまり洞察力を必要とする」。9 この洞察力が、個人交通から公共交通への転換という理念である。この洞察力が獲得されて初めて、下位的な個別的基準が構築される。
あるアポリアがここにおいて発生する。どのようにして、市民が洞察力を獲得するのかという問題である。この問題に解答を与えることは、近代思想史におけるあらゆる問題が解決されることになろう。しかし、ここでの特殊な領域、交通政策の領域において、次のような暫定的解答を与えることはできよう。この洞察力が具現化されるためには、交通政策計画者が哲学者と同様な全体知を獲得し、同時に政治家と同様な具体的実践知を獲得しなければならない。このような稀有な条件下において初めて、公共性が現実化され、公共交通が復権する。
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注
1. W. Goldschmidt: ‚Expertokratie‘ – Zur Theoriegeschichte und Praxis einer Herrschaftsform. In: Hrsg. v. H. W. Heister u. L. Lambrecht: „Der Mensch, das ist die Welt des Menschen…“ Eine Diskussion über menschliche Natur. Berlin 2013, S. 189.
2. Vgl. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 19.
3. K. Thiele: Die Massenverkehrsmittel in der Planung großer Städte. In: Hrsg. v. Deutscher Bauakademie: Verkehr und Stadtplanung. Berlin 1958, S. 79.
4. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 370.
5. Th. Mies u. D. Wittich: Weltanschauung. In: Hrsg. v. H. J. Sandkühler: Europäischen Enzyklopädie zu Philosophie und Wissenschaften. Bd. 4. Hamburg 1990, S. 785.
6. B. Schmucki: Der Traum vom Verkehrsfluss, a. a. O., S. 164.
7. K. Klühspies: Ökologischer Stadtumbau. Gedanken zur Fortschreibung des Stadtentwicklungsplanes München. München 1991, S. 6.
8. H. Schröder: Dringendes Gebot. Schaffung eines stadtgerechten Verkehrs. In: Verkehr und Technik. Bd. 8. 1971, S. 359.
9. W. Wolf: Die autofreie Stadt. Autowahn am Beispiel der Stadt Marburg an der Lahn. Geschichte, Perspektive und Alternative. Köln 1993, S. 167.
注釈
本稿は、「後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第66巻第2号、2016年、61-72頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
同時に、『田村伊知朗政治学研究』http://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/04/post-b246.htmlにおいても掲載されている。
(たむらいちろう: 近代思想史専攻)
(本稿の掲載にあたっては、初出の掲載様式を踏襲しています。初出の際のページ番号は――各頁の末尾に――[64]等で表示し、頁が変わった箇所で改行しています。したがって文章は――読点がない限り――前頁から続いています。:編集部)
(その三)に続く。
(pubspace-x3138,2016.04.13)