進化をシステム論から考える(11)   金子邦彦(2) 

高橋一行

(10)より続く
 
 金子邦彦を読み解いて行く。後半である。ここでも、相互作用がキーワードである。
 第5章と6章では、細胞内の分子の相互作用を扱った。そこで、分子集団の分化が生じていた。このあと、第7章では、細胞がいくつか集まり、集団を作っている場合の、その集団内での、細胞間の相互作用を考え、またそれによって、細胞の集団の分化が生じることを考察する。次いで、第10章では、種という集団の中で、個体が相互作用をし、そのことによって、種分化が起きることを観察する。
 さて、第7章では、細胞の集団を作り、それがひとつの系を成し、その系の中の、その個々の細胞が持つ遺伝子は同じなのに、細胞集団間の相互作用によって、性質の異なった諸集団に分化し得ることが示されている。つまり表現型だけのレベルで分化が起きる。具体的には、以下の例では、ある酵素の活性に関して、高いものと低いものに分化するのである。
 また、この分化した集団は、相互作用する訳だから、互いに相手の集団を前提に存在している。つまり、これは、諸集団の共生でもある。
 詳しく書いて行く。
 発生の段階においては、同一の遺伝子のセットを持つ細胞が、分裂を経て行く内に、異なる成分を持つ細胞に分化することがある。つまり細胞は、多様化する。しかし、その上で、その多様化した細胞は、同じものを再帰的に生産する。この多様性と再生産の仕組みを解明したい。
 まず、同じ状態の細胞がいくつかあり、しかし細胞内部の状態のダイナミクスによって、揺らぎが増幅して行く。そして相互作用が起こり、自由度を変えることになる細胞の分裂がある。
 ここで、一個の多細胞生物の中にある細胞集団を考えるが、細胞が十分強く相互作用する場合に、以下の結果が得られるので、そうすると、多細胞でなく、単細胞でも、それを集めて系を作り、その中で相互作用させれば良いことになり、大腸菌の実験でも同じ結果が得られている。
 
 以下、次のようなモデルを作り、その上でシミュレーションを行う。
 まず、細胞を、そのもろもろの性質を捨象し、いくつかの化学成分から成るスープと考え、その細胞の状態は、各化学成分の量だけで表す。そして、その化学的成分の濃度の変化や拡散ということから、その細胞の変化や相互作用について、記述する。
 細胞内の化学成分の濃度の組を考えて、それらのネットワークがあり、外の培地から細胞内への取り込みと拡散があり、化学反応の進行により、細胞が大きくなると、細胞分裂するという、一連の変化を見て行くのである。
 すると、次の5段階が現れることが、シミュレーションの結果として、示されている。
 
① 集団内の細胞の化学成分が振動しているときは、その振動は、細胞集団で、同期していて、細胞は、一斉に分裂する。
② それがある段階まで来ると、細胞間の相互作用と細胞内部のダイナミクスの結果として、すべての細胞がそろって振動している状態は、不安定になり、その結果、細胞は同期を失い、異なる位相で振動する集団に分化する。
③ さらに細胞の数が増えると、化学組成自体が細胞によって異なり始め、化学成分の平均的な値の異なる集団に分化する。またそれによって、細胞の機能も異なって来る。
④ 分化した集団は、その性質を子孫に伝える。これによって、ある性質の細胞から分裂した細胞は、同じ性質の細胞となる。細胞の性質が決定する。
⑤ さらに細かい種類の分化が進行し、細胞種は、階層的に分化して行く。
 
 さらに次の考察をする。この細胞分化の過程は安定しているのかという問題である。
 今、細胞内の分子数がある程度以下になったら、その細胞が死ぬとか、化学物質間のバランスが崩れて、膜を維持できなくなるといったようなことを考える。つまり、細胞死を、モデルの中に含めてみる。その数値計算をしてみると、次のことが分かる。
 
i) 細胞が少数しかない段階では、細胞の状態は大きく変動している。
ii) 細胞が増えると、分化が始まり、各細胞の状態が固定され、変動も小さくなる。
iii) さらに数が増えると、初期の、変動の大きな細胞集団は数が減り、場合によっては、失われ、特定の性質を持つ細胞だけが増加して、多様性は減る。
iv) 分化して、栄養を分け合って成長する調和が失われる。すると、特定の性質を持ち、数の大きな細胞集団が死ぬ。
v) すると、数の少ない、変動の大きな細胞の割合が増え、ii) に戻る。
 
 細胞死の条件は、内部状態で与えられているが、それは細胞間の相互作用に強く依存している。つまり、ここでも、相互作用が本質だ。
 
 さて、10章の理論は以下の通りである。
 集団内の個体数が多くなると、個体間の相互作用によって、各個体の状態がいくつかの状態に分離し、諸集団を作ることが示されている。これは、そうすることで、つまり異なる状態を取って、相互作用し合うことで、集団全体が安定するからである。これは今まで述べて来た通りである。
 ここでは、生物の種の中の、個体間の相互作用を考え、その結果、集団の分化があり、それがさらに、種分化に繋がる機構を説明したい。
 まず、以下のことが言える。つまり、ネオ・ダーウィニズムでは、進化は以下のように起きる。①偶然に遺伝子の突然変異が起き、②それが表現型の変化に繋がり、③そこに、自然淘汰が掛かって、環境に適応したものが生き延びる。以上のようにして、進化が起きる。また、一般的に、ひとつの種が、異なった環境に分かれると、そこで、それぞれの集団に、上述のことが起きて、異所的分化が起きる。従来は、そのように考えられて来た。
 しかし、ひとつの種が同じ場所にいて、その中の個体間の相互作用によって、遺伝子が同じなのに、表現型のレベルで分化が起きるということが、ここで示されていて、これは、この、ネオ・ダーウィニズムの説明とは異なる。さらにまた、その後に、分化した集団内で、それぞれ遺伝子が突然変異し、種分化が完成するということを、以下に考える。するとこれは、ネオ・ダーウィニズムとまったく逆の方向に進化が起きていることになる。異所的種分化ではなく、同所的種分化が分化の基本となる。つまり、突然変異が進化を駆動するのではなく、集団間の相互作用によって、分化が起きるのだから、同所でないとならない。そして、遺伝子の突然変異は、あとから、その分化を固定するものとして現れる。
 
厳密にこのことを確認する。ネオ・ダーウィニズムの主張は次の通りである。
 
a) 生物の状態は、表現型と遺伝子型とで規定される。ここで表現型とは、外に現れた生物の性質のことである。
b) 自然淘汰は、表現型に作用する。つまり、その生物の表現型の環境への適応度によって、増殖のための競争が起きる。
c) 遺伝子系のみが、次世代にその性質の変異を伝えられる。
d) 遺伝子の変異は偶然的である。
e) 遺伝子系が表現型に影響を与えるが、その逆はない。
 
 さて、しかし、私たちは、複雑系の理論により、以上のことが必ずしも成り立たないことを確認して来ている。まず、ふたつの個体は、遺伝子は同じでも、相互作用を通して、異なる表現型を取り得る。またふたつ以上の集団が、表現型の異なる諸集団に分化することも知られている。これは、環境の差異によるのではなく、個体が相互作用を通じて、内部での微細な差異を、増幅させて、異なる状態に至るのだと考えられる。
 
 次のようなシミュレーション結果がここでは紹介されている。
 
i) まず遺伝子系が同じ集団に、表現型の分化が生じる。
ii) 次に、そこに遺伝子の変異がある。これは、当然、ランダムに生じるのだが、しかしすでに、表現型が分離している二つの集団に、それぞれ変異がある。それで例えば、ひとつの集団には、ある酵素の活性が高くなるように、遺伝子の変異があると、増殖しやすくなり、もうひとつの集団では逆に、この反応を押さえて、別の反応をした方が増殖しやすいとする。すると、それぞれの集団に、そういう変異が偶然生じた場合に、子孫を残しやすくなり、ふたつの集団では、遺伝子の状態がまったく異なって、固定して行くことになる。
iii) その結果、このふたつの集団は、表現型も遺伝子系も異なった集団となり、完全に種分化が起きる。しかも、表現型も遺伝子系も、一対一対応をしている。すると、一見すると、ランダムな遺伝子の突然変異があり、それによって、表現型が異なり、そこに、淘汰が働くという、ネオ・ダーウィニズムの主張を示す例になっているかもしれない。しかし、そうではなく、進化を駆動するのは、相互作用であることに注意すべきである。
 また、ふたつの集団が、完全に種分化した後に、それぞれ、自らにふさわしい環境を求めて、移動するということもあり得る。そうすると、そこに、異所種分化が起きているかのように見えるかもしれないが、生成発展の順番に注意すべきである。同所種分化が種分化の根本であり、異所種分化は、あとから生じているということである。
 
 このように考えるべきなのである。
 遺伝子の突然変異と自然淘汰という、ネオ・ダーウィニズムのふたつの観点は、進化に必要である。しかし、それが主たる進化の駆動因ではない。ここでは、表現型が、相互作用により、分化することが基本となる。つまり、相互作用が進化において、最も重要なものとなる。
 その上で、次のように考える。まず、環境の変化により、相互作用が強く働く状況になると、表現型が分化する。すると、遺伝子も、この分化した集団の中で、それぞれ突然変異を起こし、分化して行く。しかも、突然変異は様々なものが起き得るのだが、分化した表現型の振る舞いに関わるものが、長い年月の中では、いつかは必ず生じ、それぞれ分化した集団内で、それが作用して、異なったパターンの遺伝子の変異が進むことになる。これは先に見た通りである。
 すると言えるのは、表現型が分化しない限り、遺伝子系は分化しないということなのである。同じ表現系の集団である限り、そこで遺伝子の突然変異が起きても、それはその集団全体に広がって行くだけの話で、種分化には繋がらないからである。
 しかも、相互作用によって表現系の分化が起きる条件が満たされると、必ず種分化が起きる。しかも条件が一旦満たされれば、種分化は極めて速く進行する。これは、大きな集団内に、遺伝子変異が拡散する場合と比べて、より小さな種分化した集団内で、それぞれ違う方向に遺伝子系が進むからである。
 つまり、進化は、相互作用の条件が満たされるまでは、ゆっくりと起きるが、条件が満たされると急激に進む。
 
 以上、表現型の分化があり、次いで遺伝子系への固定があり、その結果、空間的棲み分けが起きる。これは、今まで考えられて来た進化の順序と、ちょうど逆である。相互作用の重要性を改めてここで指摘しておく。
 
 確率論を基盤とするカオス理論と、秩序形成をする自己組織性理論から、複雑系理論は成り立っていた。ここでは、分子や、細胞や、個体の相互作用によって、複雑な振る舞いをするようになり、新しい秩序形成をすることが、示されている。そのことを、モデルを作り、確率論的な計算を取り入れて、数値計算をし、シミュレーションの結果を出して行く。そのような手法で説明がなされる。
 その際、本稿第9章で示したように、方法論としては、構成的アプローチが採られ、構成可能なモデルから、自律的なふるまいが現れるのを待ち、それを記述して行く。そして系が内部構造を持つ、カオス的遍歴をし、自由度そのものが変動するのだが、その機構をうまく説明している。
また、そのことによって、同所的種分化だとか、進化がある時期に一気になされることだとか、今まで、ネオ・ダーウィニズムでは、説明が困難なことが、極めて巧みに説明される。また、先の章で見たように、生物の発生もまた、良く論じることができるようになる。
 すでに私たちは、中立説を検討し、進化発生生物学を知り、進化システム生物学の成果を検討してきた。それらは、ネオ・ダーウィニズムを克服して、新しい進化の理論になり得ている。複雑系進化論は、これらをさらに理論的に補強する。
 
参考文献
金子邦彦『生命とは何か -複雑系生命科学へ-』東京大学出版会、2009
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
(12)へ続く
(pubspace-x2857,2015.12.29)