別れの言葉――『アンネがいたこの一年』

森忠明

 
   月刊誌「詩学」に“ねながれ記”という題でエッセイを書かせてもらっている。
   広辞苑には〈寝流―海獣などが水面に寝たまま流れること〉とある。波まかせの放胆な感じが好きだし、他力本願の私にぴったりなので借用したわけだが、親友のKは「森が死んだら“ねながれ忌”に決まりだな。毎年命日に集まって、寝転びながら森を偲んでやるよ」などと憎まれ口をたたいた。
   Kは早大を出て放送作家になった。三十年以上のつきあいになる。
   先夜、彼から久しぶりの電話。近くの病院からだった。
   「報告するのが遅れてすまないけど、オレ、二週間前に直腸がんの手術をしてさ、きのうまで九度五分の熱と痛みでうなってたんだ。医者が言うにはかなり進行しててヤバイらしい」
   私はツバをのみこみ、
   「だいじょうぶだよ。うちの親父なんか六十の秋に大腸がんで大手術。『あと一年の命』のはずが二十年後の現在はオートバイをぶっとばしてるぜ。生還の記なんか書いて、もうけてくれよ。そこの病院には、銃弾をいっぱいくらった長官を助けた医者もいるんだろ」
   胸のどきどきを自覚しつつそう言うと、Kは淡々とした口調で、
   「オレは人が死ぬシナリオもずいぶん書いてきたし、死にぎわのカッコイイ言葉をいくつもひねりだしてきたのに、いざ自分が死ぬ段になったらぶざまなこと言いそうで心配だ」
   「こっちより長生きして“ねながれ忌”をやってくれなくちゃ」
   「そのつもりだけど、二十一世紀は見られそうもねえや。森に電話しててこう言うのもおかしいが、最後に頼りになるのはやっぱり女房だけだな。おまえも奥さんを大事にしといたほうがいいぞ」
   話し中、彼がもう死んでしまったかのように錯覚。彼と一緒に行った旅先の景色や、共に観戦したプロ野球のナイターが頭に浮かんだ。Kよ許せ。
   バカなことを口走りそうなので、まだ見舞いに行っていない。

◆

   『アンネがいたこの一年』(ニーナ・ラウプリヒ・作、松沢あさか・訳、さ・え・ら書房、本体二二〇〇円、九七年五月刊)を読んで三日たった今も沈痛な思いと文学的感銘は消えない。六年生の新学期、ザビーネ(十二歳)のクラスにアンネ(十四歳)が上の学年から下りてくる。白血病治療のために進級できなかったのだ。二人の少女はすぐ仲良しになる。しかし学級父母会は死の影が濃いアンネを忌避。ザビーネの母も「あんたたちには病気とかそんなことでなくて、できるだけ楽しいことばかり考えていてほしいのよ」と叫ぶ。
   あずかりしらない運命に翻弄されながらも、少しずつ死を受容してゆくアンネの一言一言が胸にくいこむ。「みんなで楽しかったね」。それが少女の別れの言葉だった。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x16179,2026.10.31)