石塚正英
はじめに
かれこれ40年以上が経過しているが、ポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」指導者、ノーベル平和賞受賞者、ポーランド第2代大統領のレフ・ワレサ(ポーランド語で「ヴァウェンサ」)は、1981年5月、のちに「特別インタビュー ワレサ大いに語る」と題されて公開されることとなったインタビューに応じた。それはほどなく、グダンスク〔海洋出版所〕編/工藤幸雄日本語版監修『ノーベル平和賞に輝くワレサのすべて』(学習研究社、1983年)という翻訳書に収められた。本稿は、同書の幾箇所かに関するコメントという体裁で執筆した読書ノートである。引用文中の太字および下線は引用者による。「/」は改行を示す。
一 読書ノート
〔引用1〕――ストライキという言葉をあなたはあまり使わなくなったが。
「われわれがとっているストライキの形は十九世紀、二十世紀のものだ。そういったストライキは根絶しなくてはならない。このことは必ず書きとめておいてくれよ。何かほかの方法を考え出さなくてはだめだ。私はある考えを持っている。別にそれに固執してはいないが検討の対象として提案している。みんなもほかの解決方法を考えてほしい。
ストで仕事を放棄することはわれわれを破産に追い込む。それより、もっと効率よく仕事をして、つくったものをわれわれのために使う――そういうやり方はどうだ。警告ストを決定する。あらかじめ年金生活者とか保育園とかと相談して、何台くらいの自動車が必要か決めておく。そして、ストライキ中につくられた自動車はすべて無料で配る。われわれは自分たちのためだけに働くのだ。政府には何もやらない。国内は何ひとつ悪くならない、何も無駄にならない。われわれはもっと働き、いちばん困っている人たちに品物をやる、国は栄える。つまり、何も失うものはない。ほかに例をとろうか、石炭を掘り出すと、われわれの車が炭坑からまっすぐ農民たちのところへ持って行く、[ドルかせぎに外国へ積み出すための]港にはやらせない」
――考えそのものはすばらしい。ただ、少しばかり空想的な……。
「もっといいのを考え出してくれ。みんながしあわせに、そしてもっと豊かになってくれればいいんだ。しかし仕事をしなければ豊かになれない。だから働いて豊かになろうじゃないか。ろくな政治もできず、法を破壊し、約束を守らない政府なんかなくてもしあわせになれる。われわれはわれわれだけでやっていける、経済で苦しむことはないんだと連中に教えてやろう。組合にとってストライキのつぎに重要な問題、それが政治的行動の抑制だ。政党をつくろうという人間はすべて、組合を破壊しようとする人間だ」
――公式プロパガンダの考えだな。あなたは組合の攻撃的な政治性について非難されないよう慎重になっているのか。罠があるかもしれないから、もしものときのためにアリバイを……。
「それもある、しかし[「連帯」のなかには]政党を結成しようという試みがある。なぜそんなものが必要なのだ。そんなことをするくらいなら労働組合を二十もつくろう。いずれにしろ、いまあるこの組合は分裂してしまうんだ」
――確かにそうだ、しかしそう言わずに何年か様子を見てみようじゃないか。現在必要なのは、たとえそれが交渉での切り札の役割しかないとしても、一千万人の力の結集だ。
「話にならん。何年もたったら組合は十五にもなってる。私が将軍なら、五十個師団を兵役解除して、[兵隊あがりの連中を]ほとんどが急進的な人間とそのシンパで占められている工場で働きにいかせる。そのうちKKP(「連帯」全国調整委員会)には少佐連中が入ってくる。十五の組合が主導権を握るようになる。ところがほかの組合では、それぞれが自分の出版物を持ち、お互いに好き勝手にふるまい、つばを吐きかけ合って、不和が広まっていく。こういうことはいまの単一組合のなかでさえありすぎるほどある。
しかしそうなる前に、われわれはすべての人々にとって平等な、本当に社会主義的な協力関係を固めるだろう。鉄道員は自由に往来できる、しかし鉄道で働いていない人間は自由に往来できない、そうなってはいけない。炭坑夫は石炭を掘り出す、だから石炭を1トン余分にもらう。これが社会主義か? 炭坑夫にはなれない、しかし私はソーセージをつくろう……共同の財産だ、分配は平等、かつ公正でなければだめだ」 49-52頁
〔コメント1-1〕ストライキ――19世紀から現代にいたるストライキ史を問題とする場合、我々は何よりもまず、1830年代から1848年までのヨーロッパに注目したい。
19世紀前半の労働者運動は、その主体の近代性・前近代性を問わなければ、ヨーロッパ諸都市のここかしこに存在した。それはまた、19世紀のみならず18世紀においても、すでに垣間見られる。イギリスでは、ブルジョワ革命を経た一八世紀になって、ロンドンの裁縫職人やリヴァプールの船大工、ノッティンガムのメリヤス編工、マンチェスターの織布工が、賃金闘争を闘いぬく中で、「団結(Combination)」の輪をひろげる。また、 1756年グロースターシャの織布工のように、自己の生活圏維持のため、織元に対し全面的なストライキに突入する局面もみられた。
ただし、これらの賃金闘争はどれもみな、いわゆる職人、熟練労働者によって担われていた。19世紀に大量に登場してくる未熟練労働者は、当分のあいだ未組織のままである。その意味から熟練工の賃金闘争はある種の閉鎖性を帯びており、守旧的な側面をももっていた。だが一方この閉鎖性は、職人たちの団結に不可欠の前提でもあったわけで、これがなかったなら、新興ブルジョワジーに対する強力な闘争は組めず、ストライキを敢行するだけの精神的紐帯を確保しえなかった。
だが、19世紀になると、このような熟練工たちは、より強く<資本‐賃労働>関係に結びつけられていく。それによって、従来の、組織された労働者運動である職人組合運動とともに、それ以外の、未組織ではあるが等しく資本の重圧にあえぐ未熟練労働者の運動が、労働の世界にくいこんでくる。これら双方の労働者群は、1830年代から1840年代にかけてイギリスで、渾然一体となって新興ブルジョワジーに対峙することになる。
チャーティストの時代に出現した、一面に合法性をそなえ、かつまた広汎な賃金労働者を主体としたストライキは、むろんイギリスにおいてこそ大衆運動となりえた。しかし同時代のほかのヨーロッパ諸国では、そうはいかなかった。1830-40年代のフランスやドイツでは、そうした団結の自由は制限ないし全面的に禁止されていた。また、労働者といっても、なるほど<資本‐賃労働>に組み込まれつつあったにせよ、フランスではアルチザン(artisan)が、ドイツではゲゼーレン(Gesellen)が、すなわち熟練工たる手工業職人が中心であって、彼らの運動にはイギリスの労働者運動以上に、熟練工なるがゆえの閉鎖性がつよく付着していた。そうした事情から独仏の労働者運動は、公然とした、横に組織化された大衆運動になることはまずなく、あったとしても偶然的だったということになる。
だがそれでも、1830年代から40年代にかけて、イギリスに引き続いて産業革命期に入ったフランスとドイツでは、賃金闘争を軸とする労働運動がここかしこで表面化していた。結社の自由が制限されている以上、労働者は思うように闘争団体を形成しえなかったものの、フランスでは七月革命を契機としてはげしいストライキのうねりが起こる。ドイツでも1834年にザクセンの工業都市ケムニッツで、ストライキとロックアウトの攻防戦が展開される。そして倍増しの弾圧がその後を襲う。
ここにいたって明確に言える点は、1830年代後半から40年代にかけての労働者運動は、<資本‐賃労働>の大枠を前提とせず、その破壊こそを最大の目標としていたのであって、その手段が合法化でのストライキ→ゼネ・スト、非合法化でのストライキ→叛乱、ないし誓願→叛乱だったということである。したがって、当時のストライキと叛乱とは、同じ目的を遂行するにあたっての別様に表現された手段であって、イギリスのストライキにも、かの大枠の破壊という叛乱の芽が、つねに本質として内在していたのである。だからこそ、ある意味では「ストライキにも勇気が必要だし、暴動の場合よりももっと大きな、それどころかしばしばはるかに崇高な勇気が、はるかに大胆で、かたい決意が必要であることは、わかりきったことである」(エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」、『マルクス・エンゲルス全集』第2巻、大月書店、1974年、460頁)。
19世紀の革命家マルクスとエンゲルスは、1848年革命の経験から、ストライキに関して、先進国・後進国を問わず、<資本‐賃労働>の枠が存在するところそれはつねに労働者階級の解放=革命の武器であると確認することとなった。だが時代の動きはそうならなかった。それまで労働者の自律の圏を求めてきた当のストライキ運動に、かすかなカーブが認められるようになり始めた。そのカーブというかズレは、実は1840年代中葉のイギリスですでに生じていたのだが、しかしヨーロッパ全土をゆるがした1848年革命ののちに、英仏でいっそう明白に確認できるようになった。そのズレとはほかでもない、<資本‐賃労働>の枠を破壊しようとせず、かえってこれを承認し、その範囲内で労使協調をはかり、その前提に立って物取り闘争たるストライキを打とうとする方向のことである。1830年代に小ブルジョワ共和主義者の多くが夢想していたような、賃金は労働の契約どおりに支払われるべきという前提、すなわち<資本‐賃労働>は健全に保たれるべきという前提に立った労働者運動が、19世紀後半から幅をきかせてきたのである。
このような、資本の安全弁のごとき労働組合が打つストライキは、ひとえに労働の契約を労働者に有利に決定することを目的とするだけである。したがって、この行動にはもはや労働者の自律の圏を求める声は聞かれず、叛乱の芽は摘み取られ、革命へのステップとしての意義なども消滅していった。そしてこんにちの謂わゆる先進工業諸国では、このズレてしまったほうのストライキ運動こそが本流を成している。だが、1840年代に根をもつようなストライキ運動は、<資本‐賃労働>から生まれる諸矛盾が露骨に発現してくる時代や国々では、たえず有力なままでこんにちにいたっている。
〔コメント1-2〕政党、なぜそんなものが必要なのだ――イギリス議会政治史をひもとけば、ピューリタン革命(1640年代)後の1670年代に政党が形成されたとある。それはトーリー党とウィッグ党に代表される。両者とも、むろん、その後のイギリス議会政治を支える二大政治勢力であって、地主層や商業資本家層の利益を代表する支配的、抑圧的政党である。イギリスに労働者階級の利益を代表する政党が本格的に登場するのは、上述の全国憲章協会(1840年創立)が初めてである。ところで、この全国憲章協会を嚆矢とするイギリスの労働者政党は、トーリーやウィッグと違って支配的、抑圧的政党でないと言えるか。残念ながら、時と場合によりけりなのである。すなわちイギリスの労働者階級は、1884年に第3次選挙法改正で青年男性と30歳以上の女性による普通選挙権を実現したが、その年から翌年にかけて開かれたベルリン会議にイギリスも列席したことで、イギリス労働者階級はこぞってアフリカ分割に加担するイギリス帝国の国民に統合されたのである。かつてイギリス国内で海外植民地を要求した人びとは地主階級と商業資本家層だったが、同国に普通選挙権が確立するに及んで、いまや労働者層も結果として、海外植民地民衆に対する支配階級(支配民族)を構成することになったのだ。歴史的事実は動かしがたい。1884年~85年にビスマルクの主催でアフリカ分割の列国会議が開かれ、これに参加したイギリスは、さっそく1885年ケニアでの植民地建設に着手しているのである。象徴的に表現すれば、この時以来イギリス国民としてのイギリス労働者――彼らの要求を吸い上げるイギリス労働党――は、植民地諸民族を収奪する帝国主義権力を保守党(支配層)と分有する、一大勢力となったのである。
議会政党とは、そういうものである。出自が社会主義であれ共産主義であれ、いったんそれを議会内勢力と位置付け、その範囲内で政権獲得を目指せば、もはやその政党は当初保持していたであろう結社の側面を完全に喪失してしまう。どの政党にもすべて結社的側面があるわけではない。王党や保守党のごときは、当初から結社の側面はない。また、チャーティスト運動の渦中から出現してきた全国憲章協会は、それが議会政党を目指したかぎりで結社の側面をしだいに削ぎ落としていった。これに対して、フランス秘密結社運動の渦中から出現してきた共産主義者同盟は、むしろ政党の側面を全然保持していなかった。これは結社そのものである。共産主義者同盟員は、同盟員(結社員)としてでなく、各地の労働者党の構成メンバーとして政党にかかわるのである。
政党は、それを支持する基盤や大衆組織、大衆運動を前提とする。だから、その基盤や運動が階級を意味すればその政党は階級政党となり、それが国民を意味すればその政党は国民政党となる。しかし、それは言葉のレトリックでしかない。それはちょうど、民主主義とか多数決とかいうルールが往々根回しや裏工作の隠れ蓑であることと似ている。国民政党を名乗る議会政党は、つねに、階級的ないし部分的利益を代表するのみである。議会内の一翼を構成する政党(party)というのはもともと部分(part)を意味しているので あり、それを当然のことと見做している。政党は、ある意味で閉ざされた集団でしかない。政党はけっこう陰謀の巣窟となる。党内民主主義はむしろ党内派閥(多数派)工作に利用されやすい。それに対して結社は、最初から誰かれを代表するわけでなく、議会等何らかの一部を構成するわけでもない。結社を構成する個々人は階級とか国民とか、そういったある集団の代表などではない。共産主義者同盟を例にして述べれば、この結社は共産主義の実現という理念なり原則なりに賛同する者が自発的(ボランタリー)に結集してできているだけのことであり、この理念なり原則なりに賛同する者には大きく開かれた集団なのである。結社内は、ある意味で一目瞭然なのだ。理念に対立が生じれば、結社は自らの責任において分裂するのみである。その点からすると、もし何ものをも代表しない政党があったとすれば、それは結社と呼びかえるべき、ということである。[政党と大衆組織]というヒエラルヒーを生み出すことのない、政党に集約されることのない運動こそが近未来社会を想像できる。
〔引用2〕「われわれはきわめて危険な時期にさしかかっている。ここ数年のことを考えてみよう。世界中で、共通性のある驚くべき現象が新しく現われてきた――ポーランド人のローマ法王、『連帯』、アメリカの新しい大統領、フランスの新しい大統領。だれもこのような新しい〝力関係〞を予言できなかった。世界中に希望に満ちたニュースが現われた。もし幻滅に終わったらどうだ? もし世界中でばらばらにはじまったこの運動が互いに出会いもせず、新しい力をつくることもできなかったら、そのときはどうなる? 無秩序、混乱、つかみ合い……それがいちばんこわい」
――善と悪。人間の中にはこのどちらが多くあるのだろう。
「善のほうだと思う。しかし、まったくあたりまえの人間とは何か、それがわれわれにはあまりにもわかっていない」
――善とは〝あたりまえ〞の中にあるのか。
「それが価値の基本だ。正直、あるいは真実といったようなあたりまえのスローガンの意味合いを思い出してほしい。われわれはあまりにものを多く持ちすぎている。いろいろな道具、機構、コンピューター……。そういったものの助けをかりて、生きるということから目をそむけている。いままでわれわれは、なるべく多くを成しとげ、なるべく多くのものを手に入れようとしてきた。ひとつの方向だけに進みすぎたのだ。そうしてわれわれは平衡感覚をなくしてしまった」
――ありがとう、レシェク(レフ・ワレサ―引用者)さん……。約束の八分間をあまり超過したくないので、これで……。
「話に夢中になってしまった、みごとインタビューに引きずり込まれたな」
――本当にありがとう。お元気で。
「こちらこそ」53-54頁
〔コメント2-1〕きわめて危険な時期――「われわれはきわめて危険な時期にさしかかっている」と警告する、ヴァウェンサのこのインタビューは1981年5月末ごろに行われたという。その警告を2026年4月初に読み直してみて、私はまっさきにドナルド・トランプの常軌を逸した暴挙、破壊的大統領令乱発に思いが至った。2026年4月1日公開のオンライン版『沖縄タイムス・プラス』には以下の記事が社説「トランプ氏のイラン演説 破壊と殺害 繰り返すな」として掲載された。「戦争終結を宣言するのでもなく、軍事作戦の成果をひたすら強調するだけ。世界が注視した演説だったが、何一つ新味がなかった。/トランプ米大統領は1日、イラン情勢についてホワイトハウスで国民向けに演説した。/米国内では、トランプ氏の岩盤支持層からもイラン攻撃を批判する声が広がり始めている。/保守系のFOXニュースが3月25日に発表した米世論調査では、登録有権者の64%がトランプ氏のイラン対応を支持しないと回答した。/トランプ氏は演説で「戦略目標はほぼ達成している」「作戦は速やかに完了する」と語った。/一方で、今後2~3週間のうちにイランに対し「猛攻撃をかける」と宣言し、「石器時代に戻す」とまで言ってのけた。/一国の大統領が圧倒的な軍事力を背景に、主権平等の国際社会では考えられないような「ならず者」の言葉を使って、平然と脅迫する始末。/イランが事実上封鎖するホルムズ海峡への艦船派遣に応じていない同盟国に対しては、原油を輸入する各国が輸送路の安全を確保しなければならないと強い不満を表明した。/事前の相談もなく、一方的にイランを先制攻撃したにもかかわらず、自分たちで処理せよというのは筋が通らない。/今やトランプ氏は、軍事で圧倒しつつも政治で追い詰められているのではないか。1日の演説は焦りの表れのように見えた」。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1809283)
〔コメント2-2〕生きるということから目をそむけている――「われわれはあまりにものを多く持ちすぎている。いろいろな道具、機構、コンピューター……。そういったものの助けをかりて、生きるということから目をそむけている」と警告する、ワレサのこのインタビューは、ずばり、2026年現在の野蛮な物欲社会を予言している。そう、いまどきは野蛮の全盛期である。
ヨーロッパが用いる「野蛮」という語は、ギリシア語の「バルバロイ」にその起源を発している。ギリシア人は、自分と違った言語を話す人びと、理解不可能な民族をそう呼んだのである。ギリシア人によってバルバロイと呼ばれた民族の中には、例えば彼らがゼウス神を受け継いだ先進文明民族エジプト人がいる。古代のエジプトでは、自然や動物が聖なる存在であって、それを人間とは同等・同質のものだった。ところが、その文明を受け継いだギリシアでは、はやくも自然は人間から区別され、人間によって観察され加工される対象となった。つまり聖なる存在でなくなり出したのである。
さらに時代が下って、ゲルマン・キリスト教的中世においては、自然はもはや人間の支配を受ける客体にまで貶められるに至った。中世キリスト教世界は、神─人間の関係では神中心主義だったが、その下位におかれる人間─自然の関係では、はっきりと人間中心主義だったのである。そしてルネサンス期にはいると、この二つの関係のうち前者は清算され、人間は聖なるものの保護を自ら捨て、露骨に自然を単独支配するようになった。
こうして成立した構図こそ、近代科学主義を支える精神構造なのである。それは、ルネ・デカルトとフランシス・ベーコンとを経て今日に至るや、極端なまでに科学の細分化を推し進めた。その結果、もはや誰にも「人間の存在とその使命」に関する「全体観」を掴むことはできなくなってしまった。この事態はまた、自然と人間とからの「聖」の排除過程と軸を一にしている。
ところで、『野蛮(La Barbarie, Paris, 1987)』(山形頼洋・望月太郎訳『野蛮―科学主義の独裁と文化の危機』法政大学出版局、1990年)の著者ミッシェル・アンリは、文化と科学との関係を語るに際し、生と聖とを文化の内実とみ、その内実を破壊するものとして科学を捉えている。彼が警告的に述べる“文化の破壊”とは、したがって裏返せば「唯一可能な知」の増幅を指す。そのことを象徴的に表現すれば、「科学の暴走と人間の破壊」となる。だが、ここで著者が「科学の暴走」と言う時、それは何と主体性を欠いた表現であろうか。「暴走」とは、何か或る主体によって発せられた力が、その主体によっては制御不能となった状態を言うのだとすれば、それは人間の暴走でなくてなんであろうか。
人間の暴走という、この状態からは古代ギリシア人の「野蛮」観が連想される。古代ギリシア人は、同時代のシリア人やエジプト人が雑婚をし、人身御供をしているのを見て野蛮と感じたが、その意味は、奴らはみだらなことをしている、残酷なことをして平気だ、ということでなく、根源的には、我々ギリシア人には全く理解不能なことをしている、ということなのだ。かつては自らもそうしていたことを、すっかり忘却している。つまり、彼らは異邦人の世界に入れば全く主体性を確立できないのだ。「野蛮」とは、そのようなものだ。
ミッシェル・アンリは、現代の世界に生じている「新たな野蛮」を問題にするが、それは、具体的には、科学に対する、これを築き上げた人間の制御力能の問題だろう。そうであるならば、その問題を克服する可能性は、生と聖の再認識いかんにかかってくる。自然を客体とみ、人間を主体とみる転倒した近代的な構えでなく、科学を介して自然を己の内に日々取り込んではじめて生存し得る人間という根源的つまり野生的にして脱近代的な構えが前提とされるべきである。このような相互的・交互的な構えは、神なくして自ら聖なのであり、これこそが今日の野蛮を乗り越える精神構造なのではなかろうか。
二 自主管理社会主義の思い出―読書ノートを綴り終えて
この期に及んでノートを執る気になったきっかけは、チェルノブイリ原発事故当時の反核思想を再読する過程で、吉本隆明「ポーランド人への寄与」(『吉本隆明全集19 一九八二―一九八四』晶文社、2019年)に目が届いたことである。その中にこう記されていた。
〈連帯〉の運動のいちばん根底には、生産社会機構を各企業レベル、また農村レベルまで貫いている国家官僚の専制を、各企業のレベルと各農村のレベルで切断して、すくなくともこの地平では党国家官僚を含まない自主的な労働組合や、自主的な農村組織を認めよという欲求があった。そうでないと生産社会機構にはいっていけば労働者は、まったく官僚専制の袋のなかにとじこめられ、どんな無理な要求にも批判や論議なしに服従しなければならない。ただ官僚が善良な好人物か有能な人材であることを期待するほかないことになる。(中略)〈連帯〉の運動は個々の企業や、地域の企業の労働組合連合から発祥した。そして生産社会機構としての国家を上から一貫してつきとおしている党官僚の専制を、すくなくとも企業内の労働組合の共通の地平では排除し、生産機構内部での労働者の利益を防衛する自主的な組織をつくろうとする欲求からはじまっている(245-246頁)。
こういう記述に接すると、私はよくプルードンを思い出す。1980年代にプルードンの著作を読んでつくった読書ノートから引用してみる。「所有とは何か」(『プルードン I』、三一書房、1979年)からである。
生産物は生産物によって買われる。一切の交換の条件は生産物の等価であるがゆえに、利益は不可能であり、不正である。この経済の最も原初的な原則を守るとよい。そうしたら、貧困、贅沢、抑圧、悪徳、犯罪、飢餓等がわれわれの周囲から消え失せるであろう。(中略)自由な協同社会(アソシアシオン)、すなわち生産手段における平等と交換における等価とを維持することに限られる自由こそは、それだけが正しく、それだけが真実である、可能な社会の唯一の形態である(299-300頁)。
1980年代のわが読書ノートをめくると、もはや物故された研究者の論文がずらっと並ぶ。2026年のこんにち、プルードン研究は新陳代謝しているのだろうか。今回メモしたワレサ著作は1983年の刊行だから、これもまた40年ほど昔の刊行物である。そうであるからとて、1968年頃から同時代の政治思想・社会思潮に関心を持ち出した私にとって、私にとっての現代史は未だに過去となってはいない。ワレサなど古い人だ古い理論だとバカにしてはいられないのである。
むすびに
本稿を執筆しているきのうきょう、アメリカ大統領のドナルド・トランプの異常行動が全世界の政治・経済・文化を混乱に突き落としている。ホルムズ海峡のトランプ海峡への改称など、ムッソリーニもヒトラーも考えなかった領土欲を隠さない。その間隙を縫って欧米をはじめ世界各地に軍事国家と独裁国家が登場してきた。日本も同じ道を邁進している。そのような頃合いであるからこそ、私は20~21世紀の同時代人であるワレサを通して、19世紀の先駆的社会思想家であるプルードンに立ち返り、何がしかを再学習したいと思っている。
(いしづかまさひで)
(pubspace-x14964,2026.04.06)
