東日本大震災 、2011年3月11日、14時46分 、マグニチュード9.0

 

若生のり子(NORIKO WAKO)

 

死者数1万5900人、行方不明者2520人(25年度)

被災3県で今だに53人の方のご遺体の身元が特定できていません

 

 

宮城県石巻の鯨大和煮、数十トンも在る鉄製の巨大タンク(高さ10m直径9m)が300メートルも流され横倒しになりました

 右下の乗用車の大きさと比べてください、如何に津波の威力が凄まじかったかが解ります

木造住宅、小さなビルなどはひとたまりもなく破壊されたことが容易に理解できます

震災の象徴的な存在として保存を求める声もありましたが、被災者の心情を配慮した結果撤去されました

 

 

さようなら原発

1000万人アクション

 

 

 

 

 

 

反原発、反改憲

 

 

 

キャンパスから原発を止めよう

 

 

 

老若男女の普通の人たちもたくさん参加していました

 

 

骨組みだけが残ったの宮城県南三陸町防災対策庁舎の無惨な姿

周囲は、びっしりと住宅がひしめいていた町並みでした

瓦礫の山で跡形もなく根こそぎ、津波が猛威をふるいました

(撮影は1年後でしたので、瓦礫はある程度片付けられていました)

 

3月11日午後2時46分大津波警報が発令されました
防災対策庁舎2階にある危機管理課職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクで呼びかけました

「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」
「高台に避難してください」「逃げてください」

防災無線が30分も続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあリました
「もう駄目だ。避難しよう」
上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れました
同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ていたので、てっきり屋上へ逃げたと思っていました
ですが津波の後、屋上で生存が確認された10人の中には遠藤さんの姿はありませんでした

防災無線の必死の呼び掛けが、多くの人々の命を救ったのです
山内猛行さん(73)は防災無線を聞き、急いで高台に逃げました
「ただ事ではないと思った。一人でも多くの命を助けたいという一心で、呼び掛けてくれたんだろう、有り難く感謝しかない」
遠藤さんの声は、住民の記憶に刻まれています

最後まで防災無線で町民に避難を呼び掛けて、
行方不明になっていた遠藤未希さん(24)とみられるご遺体が志津川湾で見つかりました
ご遺体は4月23日、志津川湾に浮かぶ荒島の北東約700メートルの地点で捜索隊が発見しました
<5月2日 河北新報>

 

わこう のりこ (Artist)
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