森忠明
久しぶりにタケさんの夢を見た。大工見習いの彼が、にこにこ上機嫌で私の部屋を改装している夢だった。
四十年前、岩手県久慈市の中学を卒業したタケさんは、東京都府中市の市川七五郎(私の祖父・棟梁)に弟子入り。
小学生の私が夏休みなどに祖父の家へ遊びにゆくと、タケさんは仕事をサボって昆虫採集や魚釣りにつきあってくれた。高価な材木を間違って切ってしまい、七五郎にさんざんしぼられている場面を思いだす。
ある日、彼はかったるそうに鉋(かんな)をかけながら故郷の話を始めた。―おれの村の山には、根元の空に人が二、三人くらい入れる大木がいっぱい立ってる。親にしかられたりすると、そこに逃げこんで一晩過ごした。子どもやケモノはああいう所で暮らせるのに、大人は家なんか建てたがるんだから厄介だ—
それから間もなく、商売がえした彼は見習い部屋を出ていった。十年ほど前だったか、妻子を残して病死したといううわさを耳にしたとき、真っ赤なほっぺたのタケ少年が、巨樹のウロに座り込んでいる姿が浮かんできた。そこを、あたかも母胎のように感じている男の子のイメージだった。
ケヤキは、わが町・東京立川の〈市の樹〉だそうだが、三百六十度見回しても一本もありゃしない。昭和の終わりころ、胸高直径九十㌢もあるやつを、ブルドーザーやチェーンソーで皆伐してしまったのである。人間の度し難い金欲の犠牲。
拙宅から歩いて十五分の所に“人が二、三人くらい入れる”ウロを持つ大ケヤキが、唯一の救いとして立っている。建長四(一二五二)年当時に植えられたと伝えられるその巨樹(周囲六㍍)の下にたたずんでいると、七百年という時間や、七百年ものあいだそこを動かずに生きてきたもののすごみに圧迫され、なんだか胸苦しくなって、深呼吸の二つ三つはすることになる。
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『しろいくまとくすのき』(川島誠・作、長新太・絵、杉浦範茂・装丁、文溪堂、本体一三五九円、九六年十二月刊)は、先鋭的な仕事を続けている作者ならではの新しい寓話。
大きなくすのきの生えている森で生まれたしろいくまは、くすのきのウロをすみかにして成長する。何度目かの春、くすのきに見送られて別の土地へ旅だつ。無垢そのものだった彼も、親切ごかしに近づいてきた動物(黒と茶の二頭の熊、灰色の狼たち)や、森林生態系の破壊者(人間)との争いに巻き込まれ、心身ともに汚れてしまう。しろいくまが恥ずかしげに「ぼく、こんなになっちゃったんだ」と言うと、「きみは、しろいよ。休みなさい」とささやくくすのき。
きわめて単純な構成でありながら、ここまで深刻なジレンマや哲学的難題を提出することができるのか!
と脱帽せざるをえない。
読後、ほんとうに休神できる場所を持たない自分に気づいて、しばしりつ然となった。
(もりただあき)
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
(pubspace-x14549,2026.01.31)
