師恩に泣く――『せんせい』

森忠明

 
   中学三年の遠足。真鶴岬へ向かうバスの中で、担任の土方ひじかた憲司先生(愛称ドカちゃん)は、いかにも固くてまずそうな夏みかんの皮をむきむき、まわりの生徒たちに「どうだ、食うか」とか「ひとついらない?」とか、しつこくきいたけれど誰もほしがらなかった。最後部の席にいた私は、先生のさびしそうな横顔を見てしまった。
   「それ、もらいます!」
   大声とともに手を差しだすと、ドカちゃんはニッコリ、「そうか、森、おまえは食うか」と言った。
   帰りのバスで私の隣に座った先生は「森にだけ打ち明けるんだ、ほかの者には黙っててな」と前置き、リュックの中から同人詩誌をとりだして自作の詩を見せてくれた。「喪失」という題のソネットが活版で印刷されていた。内容はむずかしくて理解できなかったが、英語科の教師が日本語でひそかに詩を作っていることに新鮮さを感じた。私はその場で詩人の弟子にしてもらった。
   卒業が迫った寒い頃、詩人が弟子の耳に口を寄せて深刻な声をだした。「きょうこそKに進路を決めさせて、ヤツから真面目に生きる約束の言葉を取るからな。森が証人になってくれ、オブザーバーによ」
   Kは「立川二中かいびゃく以来最悪の不良」などと噂されていた。でもなぜか私とは気が合った。就職希望の彼は、いろんな会社にアタックしたものの、提出した履歴書はことごとく突っ返されてきて自暴自棄になっていたのである。
   放課後、ストーブであったかくなりすぎた職員室に、太々ふてぶてしい態度で現れたK。ドカちゃんは涙ながらに説諭し激励しつづけた。突っ返されてきた履歴書を、ちょっと覗かせてもらったら、〈趣味〉の欄にKの字で「花札」と書いてあったので、笑いをかみころすのに苦労した。三十三年前の一幕である。
   去年の暮れ、Kが経営する中華料理店へ行くと、「森にとっちゃドカちゃんは文学の師匠で、おれにとっちゃ民生委員のおばちゃんみたいなもんだったな」と言った。

   『せんせい』(大場牧夫・ぶん、長新太・え、福音館書店、本体八三八円、九六年二月刊)は、園児たちと優しい保母さんとの、全人格的というか、パラダイスの住人同士みたいなつきあいを描いた傑作絵本。一人の先生が、ある子にとっては実母以上の存在に思えたり、ある子にとってはお馬さんや看護婦さんだったりする幸福な時間。
   甘く楽しい夢に似たストーリーと、長氏ならではの自由で大胆な筆つかいが“教育の源泉”といったものを考えさせ、言葉以外のコミュニケーションの大切さを思いださせる。
   秋元不死男氏の句に、〈なめくぢら師恩に泣きしことのなし〉というのがあるけれど、この絵本に出てくる先生のような「太母性たいぼせい」ゆたかな人と出会えば、なめくじだって泣くのではないだろうか。
 
(もりただあき)
 
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
 
(pubspace-x14462,2025.12.31)