西兼司
一、第二次世界大戦は遠い過去
来年は戦後70年の年である。「改憲」を党是としている自民党はもちろん、野党も含めて現「日本国憲法」の賞味期限切れをはやす声は一層強くなるだろう。それに対抗しようとしていわゆる「護憲」派の人々の活動衝動も強くなるものと予想される。憲法公布70年の再来年、憲法施行70年の明明後年まで、ここ両三年は日本国憲法をめぐる社会的対立関係がひとつの頂点に達するものと考えられる。
しかし、どれほどの人が現在の常識となっている憲法理解を自分自身で反省したことがあるのだろうか。現憲法の章立てを全て言える人はどれ位いるのだろう。第三章の表題を言える人はどれ位いるのだろう。まして、憲法制定経過を考えて憲法に向き合った人がどれ程いるのだろうか。更に言えば、「憲法が切り捨てたもの」、「憲法の限界」を考えている人はどれ程いるのだろうか。
私は、8月15日の玉音放送が為されたことを持って、終戦を記念する行事を毎年繰り広げる人々を観るにつけて、「敗戦国人民の洗脳の深さ」、敗戦の傷の深さによる無意識の「タブー形成衝動の強さ」などを苦々しく思う。7月26日にトルーマン、チャーチル、蒋介石の連名で発表されたポツダム宣言の受諾を、日本が連合国に伝えたのは8月14日であった。中立国ソ連が対日参戦活動を開始したのは8月9日(モスクワ時間8月8日、この日、ソ連はポツダム宣言に参加をしている)であった。降伏文書署名による敗戦の明確化は9月2日であった。理屈の上では9月2日までは戦争は続いていたから、千島、樺太へのソ連による戦争行為は合法なわけである(一部、9月2日以降も戦争行為は続けられた)。朝鮮半島(9月9日総督府降伏文書調印)も台湾(10月25日総督府、中華民国台湾省長官と降伏文書交換)も満州(8月18日皇帝退位、ソ連満州国未承認の為1946年4月までソ連による軍政支配)も、実質的には昭和20年8月から戦争に巻き込まれたのである。8月15日は、14日深夜天皇とNHKが2種4枚のレコード録音を行い、近衛第一師団の妨害があったにもかかわらず、無事、臣民に対して「堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かんと欲す」「確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操を強くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらしむることを期すべし、爾臣民其れよく朕が意を体せよ」と謂う趣旨の「終戦の皇恩の宣揚」放送をした日という以上のものではない。
「リメンバー・パールハーバー」という掛け声が米国人の戦意高揚に役立ったのは事実であろうが、宣戦通告なき攻撃に怒ったアメリカはその後、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、グレナダ戦争でも、湾岸戦争でも、ユーゴスラビア解体戦争でも、アフガニスタン戦争でも、イラク戦争でも「宣戦布告なき違憲の戦争」しかしてこなかった。今また、「イスラム国」を相手に戦争を仕掛けているが、これも「愛国者法」の継続など改憲に等しい「違憲合法論」に依拠した攻撃である。
日本国本土人が戦争被害者面をするのも偽善だし、アメリカが正義を体現しているというのも嘘である。というよりも、日本が戦争に負けて東亜・太平洋戦争が終わったのはもう70年前のことである。戦争に最も深い関わりをした昭和天皇も25年前には死んでいるし、今年は「昭和天皇実録」も発表された。日本が負けて、連合国と称するものが勝ったという事実を利用する者がいるのは当然であるが、二世代以上前の過去である。敗者日本は自前で戦争を組織してこなかったが、勝者たちはアメリカを筆頭に連綿と戦争を組織し続けてきた。利権分配戦参加資格を有していたからであろう。
当たり前のこととして、ごく少数の当事者を除いて東亜・太平洋戦争は歴史の中の出来事であり、他人事であろう。多くの日本人に東亜・太平洋戦争の、戦前、戦中、戦後について主体的に考えさせようとしても、それは無理というものである。発掘されていない事実があったりすることは当然であろうが、それは無限にある。歴史の作業としても、今に連なる利害関係の継承につながる作業としても、遣られて良い事であるが、それが人々の精神形成に何事かの影響をもたらすと考えるのは、錯覚である。
二、世界戦争勝利規定力の劣化
しかし、ここから私の歴史意識に関わる話しであるが、歴史が過去の事実を整理して、過去の意味を現在と未来に対して継承させるために編まれる物である以上、当事者以外に観念的な負債(道義的責任)を負わなければならない者など出て来る筈がない。「意味」を産む為に遣る作業だから、一面では「負債を負わせるために歴史を編む」作業がなされることはあるだろうが、そうした歴史編纂作業は立場によって全く逆転しうるもので、受け入れるのも拒否するのも「政治的駆け引き」の類である。通常、あらかじめの「正義」などと謂うものがあろう筈もないし、正義は「戦争の結果」として歴史編纂作業によって作られるものであるくらい、自明のことである。そして、こんな恣意的な歴史作業はしばしば木を見て森を見ない小さな作業に陥る。
「侵略は悪だ」というのは「国連」(United Nations 連合国)に加入していなければ出て来る筈のない(1974年12月14日国際連合総会決議3314)話であって、日本人であるならば、武田信玄が掲げたという「侵略すること火の如く」で有名な「風林火山」の旗の話のほうが遥かになじむ筈なのだ。これも孫子の文言の一部を旗にしたもので使用頻度は不明だが、日本語としては主体的な使用法としていささかも「悪」の印象はなく、行為としては「火の如く」が「是」であろうことは了解出来ることである。
実際、古代から「都市国家」には「主権」と並ぶ侵略の根拠たる「領土」などと謂う空間を囲む「国境」は存在しなかった。侵略の代表のように思われている遊牧共同体も、本拠としてのオアシスと別の共同体のオアシスとの間は、茫漠たる空間であった。農業という生業が特殊に「土地の占有」にこだわり、占有権をより強い暴力集団の頭領から安堵してもらうことを通じて、「所有」という観念を形成してきたのであった。所有を安堵した範囲が頭領にとっての「領有」空間である。「領土」などと謂うのはその延長上のものであって、辺境の「所有者共同体」(多くの場合、氏族、部族)が寝返れば、領有空間が変更することは自明のことであった。武力で攻め込んで領有空間を変更することは当然あるが、それ以上に寝返らせることが、侵略の基礎手段であった。
こうした世界史の中で、たまたま現代の覇権に繋がっている欧米の国際法の出発点にウエストファリア条約(1648年)が「主権の尊重を確認」して国家の縄張りを「領土」として確認した。ここで、戦争に代わる平和的紛争解決手段が幾重にも整えられ、「国境」の存在感が高まったが、神聖ローマ帝国内(主としてドイツ)に300もの領邦国家が認められた際の国境に過ぎない。たかだか、現在のドイツ、フランス、ベネルクス三国、スイス、スエーデンを巻き込んだ、謂わば、神聖ローマ帝国解体戦争(プロテスタントのカトリックとの対等権をかけた宗教戦争)の後始末である。
また、パリ不戦条約(1928年)が国家間の決闘戦争を否定し、制裁戦争を肯定しているからと言って(ただし、「侵略」の規定はしていない)、どこに普遍性があると謂えるのかである。その後も、1974年12月まで国際法的には「侵略否定の論理」は確認されてこなかった。その国連総会決議であっても、だれが認定できるのかは確認されておらず、従って決めることが出来ない「安全保障理事会」が認定する体制である以上のものではない。
だから、「侵略の過去」を「民族の負債」であるかの如く若い人に語るのは、作為あっての「詐話」である。そんなことを言う位なら氏族、部族までは歴史的に形成されてきたものだと謂えても、「民族」(言語や宗教の同一性などを担保に、部族よりも上位の統合単位であると主張する主観的集団)などと云うものは近代国境国家人民を取り纏める為に現在進行形で形成されている陽炎のような神話だ、と教えて上げる方が余程意味がある。
国境が不変の空間仕切りでないことは誰でも解っている筈だ。千島・樺太交換条約を抜きにして日露間の国境はあり得ないし、ポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約がそれを無視しているからと言って、それが道理であるか如何かとは関係ない。琉球併合の過程も琉・清条約原本を明治日本政府が騙し取るなど、「詐取」作業を抜きにした併合ではない。琉球が主権行使をしていた事実証拠、主権国家として認められていた事実証拠を滅却したから、清国など諸外国に対して、過去の歴史的経過を都合よく粉飾して「併合通告」出来たのだ。大日本帝国は侵略をしながら空間を拡大したのであって、これは南シナ海で現在、中華人民共和国が行っている作業と同じことである。
アメリカ合衆国もそのようにして拡大し、ロシア帝国もそうだった。アラブ諸国やアフリカ大陸諸国の国境線が地図上にひかれた直線であるのも、その空間に居住していない別の利害関係者が居住当事者の知らないところで行った作業の結果であろうし、人民といわれる住民がそれに拘泥できようはずもないことは当然のことである。2013年2月には旧スールー王国(14世紀から1898年、アメリカ領フィリピンに滅ぼされるまで存在)軍400名がスルターンの末裔ジャマルル・キラム三世に率いられてマレーシア・サバ州に攻め込んだが敗北壊滅している。スールー王国の再建は儘為らぬまま、バジャウの人々の生活は続いていくが、それでも再蜂起の根拠は歴史に刻まれた。フィリピン、マレーシアの国境線が書き換えられる基盤は作られたのである。
そんなことより直視しなければならない問題があるだろう。環境問題の中心としての「人口問題」はどうなのだ。人口問題は、(1)、人口爆発の問題であり、(2)、劣悪環境下での人間生活必然化の問題であり、(3)、結果が必然化する、巨大人口移動の問題であり、(4)、人口移動に伴う新旧文化集団の対立の問題であり、(5)、文化的対立であるだけに調停方法はなく、軍事的衝突が恵まれた環境下(先進国と成長力の勢いのあるBRICSなど)で普遍化する問題であり、(6)、そうした空間では監視社会化が進んでおり、ゲリラと精神の病とが結合して進まざるを得ない問題であり、(7)、軍事的衝突の継続の中で文化集団の文化も変容を免れることはできず、総括的文化から狭隘なイデオロギー集団化が不可避だという問題であり、(8)、そうした中から生まれてくる新しい共同体は、近代的なイデオロギーを完全否定するだろう、と謂う問題群である。
これは歴史編纂の問題ではないが、これまで継承されてきた第二次世界大戦戦勝体制の一部をなす歴史観を全面的に否定せざるを得ない、新しい問題群の一部である。必然的に、現在の国境線の書き換えは避けられない。木ではなく、森に当たる景色である。
事実、国連と政治的に訳されている「連合国」は、戦争を戦うために生まれたのに今や戦争的事態にはほとんど機能しなくなっている。「対テロ戦争有志連合」諸国が戦争請負会社と連携しながら、有志連合側の死傷者を極小化するために無人飛行機からの爆撃攻撃を主力戦闘手段とするに至っている。そのことによって、「国連」は機能せず、国連脱退が起きないのは圧倒的な加盟国数の威力に依拠する「数の力」頼みという事態が現出している。「パクス・ロマーナ」のひそみに倣えば、「連合軍による平和」も寿命が尽きつつある(正確には朝鮮戦争の時も含めて、「国連軍」は組織出来たことがない)のだ。
根拠なき幻想に大勢の人々を呪縛しておくよりは、解り難い「われら連合国の人民は、 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した」(国連憲章前文・西暦1945年6月26日・サンフランシスコ署名・51か国)という連合国の「われらの力を合わせ、共同の利益の場合・・・武力を」用いる、と謂う傲り昂ぶった宣言が破産していることを確認することの方が、余程意義深いことであろう。
三、「資本主義の時代」も遠い過去
「国連」の時代は破産していると言ったが、終わっていて、しかし、清算されていないのは「資本主義」も同じだ。丁度100年前に勃発した第一次世界大戦と称されるものによって資本主義の時代は終わったのだ。資本主義の最高の発展段階が何であるかについては人それぞれに意見があるだろうが、私は「国民経済」を単位として対内的には共同体を取り壊しつつ、対外的には関税障壁を超えて交易によって、資本利潤を確保して行くのが外形的な「資本主義」の姿だと考えている。勿論、生産過程、分配過程で労働者に対する、搾取、収奪が成され続け、資本利潤の本源がそこに有ると謂うことは当然の前提である。それらの事実を前提として、関税障壁などがあろうとグローバルスタンダード貨幣としての「国際金本位制」が採用されることによって、資本が「世界を相手に利潤の追求をできる舞台」の完成に向かって、世界を回し続けたのが、「資本主義の時代」と言って差し支えなかろう。
資本主義が「商品―貨幣―商品」という価値の変態過程を採って、社会を組織して行くことは常識であるが、これが本当に力を発揮して旧来の共同体や経済過程の外にある経済外強制を解体したり、自らの内に組織するためには要になる「貨幣」に、共同体にも経済外強制にも必要とされる普遍的な質が要請される。それが経済学的には、「蓄蔵貨幣」、「支払い手段」、「世界貨幣」という「貨幣としての貨幣」が備えている能力であろう。貨幣自身が持つ全世界の諸物に対する商品に転換させ得る力である。使わなくて良く、何時でも使えると謂うこの力があるから、商品経済を必要としていない共同体にも、経済外強制(蟠踞する暴力集団)にも貨幣を先導者として商品経済は入って行けたのであった。資本主義の時代は、「資本」は「労働力」という人間力に依拠し、「資本主義」という世界を資本の力で組織して行く傾向については、「実物貨幣」の時代を作り得る可能性(「貨幣としての貨幣」の力)に依拠していたのである。
「国民経済」の枠が資本運動の舞台としては小さすぎるから、周辺空間や遠い植民地を確保して特権的な権益空間を確保しようとした衝動に駆られた資本主義を「帝国主義」と謂うのだろう。結果的には金準備をなしえて国際資本間競争に出ていける強い国民経済を組織しえた、この「帝国主義」が資本主義の最高の発展段階に為ってしまったのではないだろうか。
そうした強い資本主義国同士が更なる権益を求めて、衝突するのが「帝国主義戦争」であり、更なる再編成を行うに当たって全ての帝国主義国が参戦したのが、「第一次世界大戦」であろう。オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国に対するのはフランス共和国、大英帝国、ロシア帝国、イタリア王国、アメリカ合衆国、大日本帝国、セルビア王国、中華民国、ベルギー、ギリシャ、ポルトガル、ルーマニア王国、インド帝国などなどである。
結果、戦争中に「ロシア革命」が起こり、モンテネグロ王国がセルビア王国に併合され「ユーゴスラビア王国」が出来、戦後には「ドイツ革命」によるドイツ帝国の解体、「チェコスロバキア」独立に伴うオーストリア=ハンガリー帝国の解体、イギリス、フランスによる占領と「トルコ革命」の中でオスマン帝国も崩壊した。初期、枢軸国側についていたガージャール朝「イラン帝国」もレザー・ハーンのパフラヴィー朝に席を譲った。
そして、経済的には、莫大な戦費負債に耐え兼ねたフランスによるルール地方の占領、そのことによるドイツのハイパーインフレ、過大な賠償金に耐えかねたドイツ経済の低迷、経済破たんしたオーストリアへの賠償請求の放棄、アメリカの経済覇権の確立、英仏を中心とした国際ブロック経済圏の指向、革命ロシアの干渉戦争下の苦境、といった事態を迎える。29年世界恐慌まで、明らかに世界経済の重心は移行しつつも、相対的安定期・慢性不況期も含めて不安定と縮小が基調である。世界市場に対応する「国民経済」という枠組みが壊れてしまい、世界貨幣としての「金本位制を放棄」し、資本主義を支える基盤である労働力再生産(消費)の舞台である「家族」、「家計」を大きく壊してしまったのが、第一次世界大戦の結果(戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1000万人、負傷者は2200万人と推定されている)である。正確には、「第一次世界大戦という結果そのもの」である。
第一次世界大戦という結果は、帝国主義秩序の破産である。資本主義の時代は終わったのだ。戦後処理もできなかった。勝者の打撃も大きく、賠償決定でももつれた。1918年11月18日の休戦協定後、ケインズ(イギリス)が算出したドイツの可能賠償額20億(純金換算1万4645トン=1ポンド・金7.322645435グラム×20億ポンド)から40億ポンドという計算に対し、19年6月のベルサイユ条約では、占領軍費用として200億金マルク、400億無記名債券を発行したうえで、賠償金総額はのちに賠償委員会で決定ということで、20年6月ブーローニュ会議で暫定2690億金マルク、21年5月、正式確認で1320億金マルク(純金換算4万7256トン=1金マルク0.358グラム×1320億金マルク、13年ドイツGNPの2.5倍)を30年間で支払うという過酷なものであった。この純金換算高、4万7256トンというのは、現在の世界主要国中の公的機関の金保有高総計が、ここ10年以上2万5千トン前後を推移しているのと比べて極めて巨大であることが理解できよう。この困難な交渉ごとの過程で、ドイツは約一兆倍(14年7月から23年11月までの間のマルクの下落)に達するというハイパーインフレに見舞われた。ドイツに課した莫大な賠償金がふんだくれなかったのは勿論、「国家社会主義ドイツ労働者党」もこの困難と混乱を奇貨として台頭した。
アメリカの時代は、米大統領ウイルソンが提案した「国際連盟」が成立するその時(1920年)にアメリカが国際連盟から逃げ出して成立するような、覇者なき覇権の時代として始まったのだ。英、仏、日、伊が常任理事国で、1926年には敗戦国ドイツが常任理事国に加わるというのだから、「戦勝規定体制」が作れなかったことは明らかである。決定的には、「金本位体制」が第一次大戦初期に放棄されたまま、戦後、再建が追及されるものの結局、「実物貨幣」制度は各国単位では放棄されたことである。「帝国主義」として、自国資本主義=「国民経済」を以って世界再編を図ることは、資本主義の貨幣システムとして放棄せられたのだ。
29年恐慌以降、「国家社会主義」を標榜するいわゆる全体主義諸国と、「ソビエト社会主義」を標榜するいわゆる計画経済国と、管理通貨という名目貨幣を使い福祉国家を標榜するいわゆる「国家資本主義」諸国の時代が始まったのである。「国家社会主義」も、「ソビエト社会主義」も名目貨幣を使っていたことに違いはない。名目貨幣とは、マルクス経済学でいうところの「価値」から切り離された「価格」だけを表示する通貨のことである。大事なことは「実物貨幣」を使わなくなったために、「貨幣としての貨幣」の機能を果たす「貨幣」がない時代での、「商品―貨幣―商品」という生産活動と、流通と分配がなされることになったが、そこでは経済外強制を後ろ盾とする以外に外部体制を変革する手段がなくなった時代が始まった、と謂うことである。国家(ソビエト連邦も、大祖国戦争と称するものを組織したのだから「国家」だ)なくして、国民経済も、資本運動も不可能な時代が始まったのだ。
それから、100年、「資本主義の時代」は遠い過去である。
四、迷走の百年の産物と幻想
この百年、「資本主義」に対する「社会主義」、「共産主義」というものが、資本主義の時代の後の時代を作る核心的な概念だと考えられた歳月があった。マルクス・レーニン主義と言われるものを信奉する人々は、その中の主流で、共産主義が理想で、社会主義はそれに至る過程で現出せざるを得ない、主体的意思に引き摺られる過渡期の傾向であり、スタイルであり、体制であり、状態であるとした。左翼反対派(新左翼とも呼ばれる)からは「スターリン主義」と指弾される現実の「社会主義」は、しかし、理想としての「共産主義」を明確に豊かに語ることが出来ずにイメージとしての理想を人々に喚起出来ず、失望を置き土産として歴史の舞台から消えた。残存する「社会主義国」は、ソビエトも、コンミューンも標榜しない国号だけの社会主義であって、実態は「国家資本主義」である。
「社会主義」を標榜しない国々は「資本主義」国だと謂うことに為っているが、そんなことはない。「価値貨幣」を媒介しない「価格通貨」に依存していればこそ、ファイナンス(融通)の筋さえつけられれば、戦争でもないのにべら棒な国債発行が出来るのだ。国家なくして名目貨幣なく、国家なくして会計制度なく、租税なくして決算期なく、相続税なくして法人必要なし、と謂うこと位は自然人としての資本家は解り切っていることだ。資本運動の主体たる資本家にとって、「貨幣としての貨幣」(富の蓄積手段)なく、自分の事業から掴み金を出すことが出来ず、自分以上に税務署の下請けである会計士、税理士が金銭出納を把握しており、死んでもなお搾り取るために法人化を勧められるというのでは、税金というショバ代を国に納めるために商売をさせられているとしか言いようがない。資本家も国家の奴隷に等しい位置を与えられているに過ぎないのだ。
資本主義が破滅したから、20年の戦間期を経て、第二次世界大戦を齎し、第二次世界大戦中に、「ヤルタ・カイロ体制」とは別に、経済体制としても「ブレトンウッズ体制」と謂う名目貨幣体制が準備されていたのだ。ブレトンウッズ体制はそれでもドルによって、最小限の金との兌換(実物貨幣の保障)が紐づけされていた。しかし、それも71年7月の仏ド・ゴール大統領の金兌換要求を切っ掛けに、8月のニクソンショック(金ドル兌換の停止)に追い込まれる。
この後始末として72年からスミソニアン合意に基づいて採用された新しい国際名目貨幣(通貨)体制が、「変動相場制」である。この変動相場制は名目貨幣制度を前提に考えた場合には、「価値尺度」、「流通手段」としては、それが全世界を対象に、「完全変動相場制」として実現されるならば、極めて優れた制度である。全世界各国が完全変動相場制を採用すれば、経常収支、資本収支、外貨準備増減の赤字、黒字は通貨変動によって、かなり短時間で平準化される。慢性的な赤字国も、黒字国も生じない。黒字国は通貨レートが上がり、赤字国は通貨レートが下がることを通じて、全世界での生活水準は平均化の傾向を確保することができる。また、富の蓄積も、名目通貨であることによって基本的には不可能となる。デリバティブの余地も狭く(制限しやすく)、勤勉な者にも怠惰な者にも差ができにくく、能力有る者と能力無き者の平準化も可能な、停滞(安定)的商品経済を組織する水路が開けるのである。それこそ、「世界革命」に依って、「世界プロ独」が実現していれば「世界社会主義通貨体制」にはふさわしいようなシステムである。
だが、現実には多くの国が、ドルに自国通貨をペッグ(固定通貨とする)したり、変動幅を管理したりして、世界的には参加国も決して多いとは言えない、「管理変動相場制」として実現してしまった。そのことで、リスクヘッジの為のデリバティブを必要不可欠なものとして、通貨売買を巨大な市場として育て、各「国による不換通貨の発行」や「銀行による信用の創造」とは別の、管理主体のない信用(価格)創造空間の形成・膨張を不可避としてしまった。「国家資本主義」が「国際不完全管理変動相場制」にぶら下がる世界システムが出来ているのである。
70年代からの原油価格の暴騰、資源価格の高騰、アメリカの宇宙戦争構想、アジア小四龍(韓国、台湾、シンガポール、香港)の勃興、中国の改革開放政策の成功、東欧諸国の破滅からの回避、ソ連解体後のオリガルヒ先導によるロシア再建、IT革命の進行、中国の腐敗と共存する成長、BRICS諸国の台頭、G20の台頭など巨大なムダ金(価格表示)が存在しなければ不可能な事態の基盤ができたのである。この国際不完全変動相場制が、過剰資本の最大の源泉であり、途上国の発展の基盤であり、世界恐慌の基盤であり、全世界のサービス産業拡大の基盤であり、冒険的過剰投資の基盤であり、貧富の格差の極大化の基盤である。
「民主化」幻想の基盤、「人権」幻想肥大の基盤、「平和」志向幻想の基盤を保証してきたのである。全世界でこんなに凄いこと(酷いことと素晴らしいことは表裏一体)が拡大再生産されつつあるのに、幻想に浸って、民主主義、人権、平和尊重を唱えていれば何とかなると考えることが、許されることだろうか。愚禿親鸞は理路を突き詰めながら新たな規矩を定めた。愚者人民は虚実定かならぬ中で功徳念仏を唱えていれば成仏出来るとでも思っているのだろうか。
資本主義の時代の後に、「国家資本主義」の時代が来て、更にその後に、「国際不完全変動相場制」にぶら下がる「国家資本主義」の時代が来たということそのものが驚きだが、この時代は「国際不完全変動相場制」という「虚」によって保障されているという意味で、本質的に極めて危うい。貧富の格差の巨大化と謂う様な自然人の反発を生むシステムだという意味でも然うだが、何よりも人間の間に秩序を作り得ないという弱点を持っている。現在のシステムでは、人は、「誰をどのような理由で尊敬、軽蔑できるのか」基準が次第に不分明にならざるを得ないのだ。金の亡者を軽蔑できる時代は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で過ぎてしまった。しかし、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代には「勤勉ではなく消費が美徳」にさせられてしまったし、現在では、地方の保守層ほど「水商売など、我が子が就いてはならない」とは言えなくなってしまっている。第一次産業、第二次産業と比べて、全世界で、第三次産業従事者が圧倒的で、実業に対する虚業という蔑視もできないのだ。
真の意味で、「幻想が持てない時代」が実現し、そして壊れそうなのだ。
五、次の時代へ―何から始めるべきか
次の時代が、国際不完全変動相場制の時代の破滅の上に、当然、「国連体制」の破産の上に、一度は大きな世界戦争として実現された上で、提供されることは多分間違いないだろう。無力な草草の民である我々にその準備は不可能である。
戦争に中立などという立場が可能なのは、自分が力を持っていて、自分に手を出せば、手を出した側が強力な敵を増やし、そのことで不利になることが明白なときだけである。無力な人間は、逃げるか、一方の側に使われるか、ひっそりと目立たないように息を潜めているよりほかはない。殺されないように延命手段を図るのが第一である。生き延びてこそ、次の時代の生きる余地の確保が可能なのだ。
しかし、当たり前のことだが、戦争主体が見逃してくれる可能性は運任せである。そして、戦争が終わっても時代の気分が荒くなるだろうことも容易に想像できることである。そこにしか、延命したうえでの生きる条件づくりの余地はないのだ。
とするならば、延命しながら新時代の道徳秩序作りをして行くことである。人類が現在に通じる宗教・道徳律をほぼ完成させたのは紀元前5世紀前後の宗教革命の時代である。その後の顕著な事実の上での変化は、モンゴル帝国による世界史の統合と、ポスト資本主義(管理通貨制度以降)の時代になってからの使用価値のない商品(価格)生産物の氾濫と、世界交通が顕著に盛んになったことと、信用貨幣による人口爆発の巨大化と、電脳仮想空間の共有という錯覚の蔓延だけであろう。事実の上での変化は大きいといえば大きいだろうが、思想問題としては必ずしも大きくはない。
宗教革命の時代の人類の思想の欠陥が、現在に至る人類史の成功と失敗を規定しているのだ。それを確認し、克服するアイデアを交換し、事実の上での大きな変化と思える要素をどう道徳律に組み込んでいくかを考えて行けば良いのだ。
そんなつもりの一端として、まずは身近なところから、「戦後国体論」を考える第一歩として、「戦後国権論」を次回から語ってみたい。
以上
(にしけんじ)
(2014年12月04日22時01分に修正したものを掲載しました。――編集部)
(pubspace-x1332,2014.12.04)