高橋一行
帰国している。今回から第二部に入る。
日本に戻って、あらためて驚いたのは、老いに関する本が多く出版されていることだ。本屋や街の図書館に行くと、その手の本で溢れている。
「あらためて」と書いたのは、酒井順子の『老いを読む 老いを書く』をすでに読んでいて、おおよそ状況は知っており、またネットでアマゾンを覗くと、大体のことは推測できるからだ(注1)。酒井はその本の「はじめに」において、ある本屋のエッセイコーナーを見ると、何とその8割が「高齢の著者による、老いをテーマとした”老い本”」であると書き、「老いスター」と言うべき人たちの本がずらっと並んでいるという、自らの体験を書いている。私は酒井の本をフランスに送ってもらっていたので、つまりそのことは知っていたのだが、実際に本屋で私自身が、何冊も老いの本が並んでいるのを見ると、やはり驚くのである。「60歳からは人生を楽しめ」とか、「70歳からはやりたい放題」とか、「80歳からの幸せ」といったタイトルの本がそこに見出されたのである。
この酒井順子の本は、2024年の時点の、日本に出ている老いの関する本をほぼすべてまとめたもので、そこに老いに関するテーマはほぼ出尽くしている。まさにこれは集大成と言うべきものである。
彼女はまず、日本文学の中の老いの扱いについて触れた後、現在、人は100歳まで生きることになりつつあるとして、その私たちが抱える問題を整理する。
まず日本では、定年を迎えた際に感じる危機感を扱った本はたくさん出ている。定年退職は、ある意味で生前葬である。多くの人はそこで人生が終わってしまったと感じる。その危機をどう克服するのか。対処の仕方に関する本はたくさん出ている。
またその際に男性と女性の性差は著しいものがある。多くの場合、男性はまずは戸惑いが先に来る。それから何とか自らを立て直そうと努力する。老いの本が売れているのは、そういう男性にとって、何か指針が必要だからであろうと思われる。多くの本が、男性に、これからは自由に生きていくことを勧めているのである。一方、女性の場合は、生活をもっとシンプルにしていきましょうというメッセージのものが多いと、酒井はまとめている。あるいは歳を取って、なお少女の気持ちを持ち続ける女性もいて、そういう女性の体験談も良く売れている。
さらにはどのように、ひとり暮らしをしていくのか、おしゃれはどうするのか、料理はどうするのか。そういうことを論じる本も多い。中には田舎に引っ越す人もいる。
それからお金はいくら必要か。配偶者に先立たれたらどうなるのか。そもそもどのように人は死を迎え入れるのかということを扱った本が出ていて、そして最後の章は、タブーとされている「老人と性」がテーマで、こういう話を扱う本が、今や多数出ているのである。
さて私がまず書きたいのは、これら老いの本がたくさん出ていて、多くの人がそれを読んでいるというのは、日本に特有の現象であるということである。少なくとも、先日まで私が滞在していたフランスの本屋に、老いの本が並んでいるということはなかった。すると、まずなぜ日本において、こういう現象が生じるのかということが問われるべきである。
もうひとつ書きたいのは、私のこのシリーズも、その老い本のひとつだと思われるかもしれない。すでに十分過ぎるほど論じられているのに、さらに私が何を目指しているのかということは、きちんと書いておく必要があるだろう。
前者から書く。老い本が夥しく出版されているのは、フランスには見られない現象であると書いた。まずなぜフランスに見られないのかということから問いていきたい。
簡単に言えば、日本の社会は今なお、男を中心とした社会であり、そこで男性はひたすら働き、女は家を守るというのが望ましいとされている。もちろん、そういうモデルは今や崩れつつあり、また私は崩してしまった方が良いと考えているのだが、しかし今なお、多くの人がそこに縛られている。それが歳を取ると、男は強制的に仕事を辞めさせられて、そこで何をして良いか分からなくなり、また女も夫が一日家にいて、それを鬱陶しいと思う。そこでどうすべきかということが論じられるのである。しかしフランス人はそもそも最初から、自由気儘、勝手に生きているから、老後にこうしろ、ああしろと人から言われる必要はない。
日本人の男性が会社を中心に生きているということを象徴しているのが、飲み会である。若い人はそうでもなくなったが、ある程度の歳の人であれば、飲み会というのは、仕事の関係者と飲み屋に行くことを意味している。
しかしフランスには、まず飲み屋はない。あるのはレストランとブラッセリだけである。そのあたりのことを、以下少し書いていく。
まずレストランが開くのは夜7時半からである。かなり遅い。そしてその時間になると、お歳を召しているが、きれいに化粧した女性と、正装して背筋を伸ばした、こちらも相当の年配と見られる男性のふたり組が入っていく。傍から見て素敵な夫婦であると思う。レストランは基本的に、このように夫婦で来ることが多い。もちろん若いカップルもたくさんいる。
つまり会社の帰りに、男だけでつるんで居酒屋に行くという風習はフランスにはない。先輩が後輩に酒を強要するという飲み会も見たことがない。仕事上の接待で酒を飲むというのも、私が知らないだけかもしれないが、聞いたことはない。人間関係はすべて水平である。縦社会ではない。レストランには、夫婦か、あとは友だち同士で来る。
ブラッセリだと、大体夕方から、食べ物はほとんど注文せず、一杯のビールを友だち同士で、ちびちびと飲んでいる。彼らの主たる目的は、友だちとでおしゃべりをすることである。酒を相手に注いだり、注がれたりということはしない。
また人は組織で動かない。会社の中での仕事も、個人個人の判断でなされる。上司の顔色を窺ったり、後輩に威張ったりということは、あまり見掛けない。
さらに彼らの一年間は、夏休みを中心に作られている。夏は一か月間、仕事を休む。これが人生の一番楽しい時期である。その後は、10月下旬に万聖節が来て(ハロウィンはその前夜祭である。伝統的にはその万聖節の翌日に、先祖の墓参りをするのが風習である)、そこで夏が終わり、季節は一気に冬になる。その時期は街全体がクリスマスの準備をする。このクリスマスが冬至の頃にあるのは大きな意味がある。暗く寒いこの時期をどう楽しく過ごすか。ここに先人の知恵が詰まっている。人々は、仕事を早々と終えて、夜の街を楽しむのである。
そのクリスマスが終われば、あとは日々春が来るのを待つことになる。そうして4月になって復活祭が来れば、夏はもうすぐである。
ここで私が言いたいのは、季節によって働き方が異なるということである。夏休みの他にも、このような行事毎に、人は長期の休暇を取る。
日本では、季節の推移を感じるが、しかし一年中仕事に追われ、季節によって働き方を変えるということはない。そして気付くと定年を迎え、それでやっと仕事から解放される。
私がここで言いたいのは、日本では、飲み会も含めて、日々の生活がすべて仕事中心で、仕事関係の付き合いしかないということになり、そうであると退職後の生活設計が大変だという話である。フランス人のように、季節毎に十分な休暇を取って、個人の生活を重視していると、老後も生活を変える必要はない。つまり退職してどうするかと悩むことはない。定年後は、サラリーマン人生を止めなさいとか、老後を楽しもうという類の本を買ってくる必要はないのだろう。
別に私は、日本人にフランス人のようになりなさいと言うつもりはない。ただまったく異なる原理で動く社会がそこにあるということが言いたいだけである。
一言誤解がないように言っておけば、社会システムとしては、日本人には日本のシステムの方が住みやすいということがある。例えば、私がリヨンに滞在しているときに、水道の蛇口から水が漏れる、wi-fiが故障して使えない、部屋の電球が切れて、特殊な電球だから、自分では直せないということがあり、それぞれ修理してもらうのに3週間掛かったのである。日本ならすぐ次の日に直してくれるだろう。
これはどういうことかと言えば、私のアパートの場合、まず何かあると不動産屋に連絡し、そこから大家に許可を取って、修理業者が来てくれるという仕組みだが、その三者の誰かが長期休暇を取っていれば、その間に仕事は進まない。また会社が組織で動かず、個々人の裁量に任されていて、最初に修理に来た人が自分では直せないとなると、翌週に別の人が来て、その人はもう一度最初からやり直しで、私に何を直すべきか聞いてくる。前の人と連携が取れていない。そしてやっと器用な人が来てくれると、修理が完了する。
そういうシステムの社会が住みやすい訳ではない。効率は恐ろしいまでに悪い。
しかしひとたび、働く側の立場になってみると、人は組織の中で急かされずに、好きなように働き、のびのびと生きている。
さて、そこで本稿はしかし、あなたも勝手に自由に行きなさいというアドバイスをすることを目的とせず、また私が如何に気儘に生きているかを自慢するつもりもない。つまり私のこのシリーズは、個人として、人が老後をどう生きるべきかということについてアドバイスすることを目指してはいない。私にとって、老いは個人の生き方の問題ではない。
それでは本稿は何を目指しているのか。つまり、ややもすれば、私のこのシリーズも、世に夥しく出ている老い本のひとつで、屋上屋を架すというものになるか、または何匹目かの泥鰌を狙っているのかと勘繰られそうだ。私はここで予防線を張っておきたいと思うのである。
まず私は、自分自身が老いたと感じたときに、そもそも老いとは何かということを追求したいと思ったのである。これが本シリーズを書き始めた第一の理由である。
またその際に、老いを論じている何人もの思想家の説を参照したいと思った。そして老いを通じて、その思想家の考えが見えてくるということに気付いたのである。具体的に言えば、第一回のレヴィナス、第二回のヘーゲル、第三回のマラブーと、この3人については、長年私がその思想の解明に取り組んできたのだが、ここで老いというテーマで見直すと、実に良くそれらの思想が整理されることに気が付く。
さらにまた、第五回のプラトンとアリストテレスに、ランシエールを加えて、また第六回のフーコーとドゥルーズも、老いという観点でその思想を振り返ってみると、あの難解な思想がずいぶんと分かり易くなるのではないか。
本シリーズでは、あとは映画と小説を取り挙げ、また永井荷風という、自らの人生をひとつの小説の様に仕立て上げた人物のことを書いた。そこでは個別の生を細かく見ていくことで、老いという普遍的な問題に迫ることができると思うからである。
以上が、今までのまとめである。
その上で、社会制度として、老いをどう迎えるべきかということを考えたいと思っている。またそのことは主題として扱っていないが、今後取り組むべき課題である。つまり私は、個人個人がどう生きるかということは問わない。それは基本的に好きにすれば良いのである。しかし人が好きなように生きて行かれるための制度が創られれば良いと思う。
このふたつを論じるのが本稿の目的である。
私は自分の生き方が、ひとつのモデルになると思っていないし、また私は医者や宗教家ではないので、こうすべきであるということを言うつもりもない。ただ、上記の理由から、私の実際の経験をたくさん書いておきたいと思うのである。それが老いという普遍的な問題の解明に役立ち、そこから社会制度としてどうすべきかということが論じられると思うからである。
という訳で、以下、再び私自身の経験を書く。
すでに書いているが、私は定年よりも5年早く職場を辞めたが、同僚の反応には様々なものがあった。まず親しい人たちからは、「馬鹿か、お前は」と言われる。これはむしろありがたい反応である。私の職場は70歳まで給料が下がることなく、仕事が続けられる。つまりこの5年間は、楽して高給が保障されている。それを辞めるのだから、「馬鹿か、お前は」と言われるのは当然である。そこで私は、「そうなんですよ、馬鹿なんですよ。でもやりたいことがあるから」と答えるのである。
それほど親しくない人からは、「もっと良い仕事が見つかったか」とか、「別の大学に移るのか」と言われた。これに対しては、大学の教員ほど楽な仕事はないし、またうちの職場ほど、いい加減な仕事で給与がもらえるところは、そうはないと答えることにしていた。実際本心でそう思っている。そしてそういう反応しかできない人たちを可哀そうだと思うのである。
また何か病気を患っているのかとも言われた。実際多くの人は、病気になっても、それをひた隠しにし、人に弱みを見せないのである。私もまた、病気を悟られない内に黙って辞めていくという美徳の持ち主だと思われる。しかし実際に、もし病気ならば、うちの職場は病気で休む権利は保証されているし、仕事を減らしてもらうこともできる。治療費を稼ぐためにも、辞めることはない。
私は実際、いくつか病気を持っているが、しかし退職後に、誰も知り合いがおらず、医療に繋がる術を持たないまま、渡仏して、孤独に耐え、何とか四か月半を過ごした。また帰国して、すぐに居合の稽古を再開した。その程度には健康である。
因みにフランスに、リヨン大学研究員として赴任したが、そこで給与は出ていない。ボランティアで仕事をしたと言うべきか、完全な趣味なのだと言うべきか。
そして、こういうことも自慢話をしているつもりはなく、私自身、勝手気儘に生きていきたいと思ったのである。老いの根本的な問題は、老人は残された時間が若い人に比べて、格段に短いということで、やりたいことをすぐに始めないと、もう生涯それができなくなるかもしれないということなのである。
私は、老いとは何かという問い掛けと、多様な老いの実践を可能にする制度の確立に向けて、提言をしたい。その制度は簡単に言えば、各人の勝手気儘な生き方を保証するものであれば良い。それだけで良い。そのためにいろいろな生き方をここで書いておきたい。
注1 酒井順子『老いを読む 老いを書く』講談社、2024
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x12718,2025.02.19)