高橋一行
英語帝国主義という言葉を、私はしばしば使い、自分自身の英語の苦手なことから来る、劣等感と英語への憎しみをそこに込めて来たが、今、それは考え直す時期に来ていると考えている。英語ができないのなら、アメリカに来るなと言われたり、それでもプロフッェッサーなのかと馬鹿にされたりという経験をアメリカで持ち、一方で、日本に来て、この国は英語が通じないと怒っている、傲慢な、英語を母語とする人を何人も知っている。英語帝国主義という言葉は、そういうときに、私の感じる、言いようのない苛立ちの、その矛先を明示する最も適切な言葉であったのだ。
しかし、この数十年の世界の潮流を見ると、そこで起きていたのは、英語の帝国主義化ではなく、フランス語とドイツ語の、帝国主義的地位からの転落である。つまり、数十年前まで、明らかに世界の中心はフランスにあるとフランス人は考えていたし、哲学を学ぶのなら、ドイツ語だと、世界が思っていた。私は、ヘーゲルについての質問を、あるドイツ人にすべく、長い手紙を英語で書いたら、ドイツ語で書き直せと突っ返された経験がある。それは古き良き時代の話だということもできるし、今や、そういうドイツ人は、あまりにも偏屈として片付けられるだろう。昨年から、うちの大学はフランスにたくさんの学生を送り出しているが、使用する言語は、英語である。あのプライドの高いフランス人でさえ、それは仕方のないことだと考えている。大学内で、第二外国語として、フランス語とドイツ語は、長らく特権的な地位を占めていたが、今や、スペイン語や中国語や韓国語やタイ語の履修生の方が、圧倒的に多い。つまり言語は多様化している。そうすると、英語帝国主義と人が言うとき、それは、フランス語やドイツ語に親しんでいる人からの、自らの立場を奪われた、妬みのようにも思えるのである。
一方で、興味深い現象は、言語が多様化すると、英語の使われる比重は高まる。つまり、先に書いたように、人々は、ドイツやフランスに行くにも、また、韓国やタイに行くにも、英語を使う。しかし、それでは、英語帝国主義は、ますます隆盛になったと考えるべきなのかというと、そうではない。フランス語とドイツ語が、その帝国主義的地位から滑り落ちると同時に、英語もまたその地位から落ちたと考えるべきである。私には、中国人やインド人が話す英語が聞き取れないと、正直に打ち明けてくれたアメリカの友人がいるし、また、10数年前、私が家族でアメリカに滞在していた時、妻と一緒に通っていた英語教室の先生は、世界中から集まって来る移民の生徒たちの話す英語が理解できなかった。それは、気味が良いと、私は正直に思う。つまり英語は今や、アメリカ人のものではなくなりつつあるのである。
それはまた逆に、アメリカ人にも良い影響を与えている。今まで、アメリカ人にヘーゲルは理解できないだろうと思われたが、しかし、一部のアメリカの研究者は、熱心にヘーゲルに取り組んでいる。あの難解なヘーゲルのドイツ語の悪文を、英語で説明しようと、苦労している。そういう現象は、今までなかったのではあるまいか。
このことがまさに、グローバリズムなのだと思う。
私は今、ピケッティーという、パリの経済学者の書いた、『21世紀の資本論』という本を英語で読んでいる。今、異常なほどに売れていて、多分、近い内に、邦訳も出ると思う。この本は、最初、フランス語で出版された。その時は、全然売れない本であったのだが、しかし、著者とは別の人が、それを英訳して、売り出すと、爆発的に売れた。本の内容については、いずれ書きたいと思っているが、要するに、格差が時代とともに増大しているということを、実証的に示した本である。しかしここで書きたいのは、その内容ではなく、この本が売れていという事実についてである。グローバリズムとは、英語を母語としない人たちが、国際的に活躍できるようになることであるということを実感する。
さらに私は、英語を母語としている人たちには、これからあなた方に残された仕事は、英語以外の言語で書かれた仕事の中で、優れたものを探して来て、それを英語に訳して、世界に広めることではないかと、これは、皮肉でもあり、本音でもあり、そういうことを言いたいと思う。
しかし、私の本は、誰も英訳してくれないから、自分でやるしかない。そう考えている。
こういったことに敏感な思想家は、ジジェクである。実は、この文章を書いていて、途中で、私の言いたいことをジジェクが言っていることに気付いた。彼は、スロヴェニアに生まれたユダヤ人で、地元の大学を出た後に、フランスに行き、そこで、ドイツ観念論についての博士論文を書き、今は、ロンドンにいて、英語の本を大量に書きまくっているのだが、彼は次のように言っている(『ジジェク、革命を語る』原文は韓国の出版社が編集したインタビュー集で、2013年に出ており、邦訳は青土社から2014年に出た)。つまり、私が先に書いたように、まず、ポストモダニズムの犠牲になったのは、フランス語とドイツ語であり、そのことについては、あらためて注意すべきなのだが、しかし次いで、英語がグローバルな支配的な言語になって、その結果、英語という言語そのものが失われた。つまり、ポストモダン資本主義は西欧の特権性を失わせた。今、私たちは英語を通じて、韓国の映画や、チベットの探偵小説を知っている。人口30万のアイスランドの、ある作家は、その本が英訳されて、ドイツやフランスで数百万部売られている。グローバル化とは世界のアメリカ化のことではなく、逆に、アメリカを世界のトップの座から落とすことだというのが彼の主張である。
これはほんの数十年前なら、例えば、リトアニア生まれで、ロシア語を母語としていたユダヤ人のレヴィナスは、ジジェクと同じく、フランスに行って、ドイツ哲学を学ぶのだが、その論文を、終生、フランス語で書いたのである。だから、一般には、レヴィナスは、フランスの哲学者であると思われている。しかしジジェクは、イギリスの哲学者ではなく、かつての社会主義の国家出身の哲学者であり、そのことにこだわっていることは、ジジェクを知る人なら、誰でも知っている。そして今は、インターネットの隆盛な時代であって、彼の訛りの強い英語を、聞くこともできる。レヴィナスとジジェクの違いは、まさに、フランス語と英語が、ともに、その帝国主義的地位から滑り落ちたことを、示している。
という訳で、私は、一時期挫折していたのだけれども、ここのところ、再び、英語で話したり、英語で文章を書こうと思うようになっている。覚悟は決めなければならない。
そこであらためて思うのは、英語を話したり、書いたりすることは、それは他者になることだということである。
母語でさえ他者であるという、本質なことは、ここでは触れない。さしあたって、母語ならば、自在に言えることが、外国語では言えない。そして言語は、思考そのものだから、その精神に対する支配力については、当然警戒する必要はある。つまり、単純なアメリカ人の文章ばかり読んでいれば、思考回路は単純になってしまう。文章は、先達の文章を読んで、つまり、私の場合は、多分、10代の後半で、森鴎外の歴史ものや、葛西善蔵の私小説を読み耽って、それで私の屈折した思考が出来上がっているものだから、それを、英語で表すのは不可能だ。しかし、私には、今までに、読み耽った英米の小説はない。
では何を読むべきか。アメリカのヘーゲリアンの文体も、まだ、熟読に耐えられるものではない。バトラーの英語も難解すぎて、まねをする訳には行かない。唯一、アメリカ人なら、ローティーの文章は読みやすく、また、非英語圏出身で言えば、先のジジェクは熟読の価値がある。または、マラブーや先のピケッティーなど、本人ではなく、良質の翻訳家によって英語に訳されたものも、参考になる。かつて私自身が、10代でそうしたように、そういう英文を、暗記するほど読み、自分のものにしていく。
そうしたところで、なお、思想を外国語で語るのは、絶望的に困難である。それは、ひとつには、物を書くときには、同時に、その言語を耳にし、口にして、少なくとも文章を音読し、耳で確認しなければならず、それをするためには、少なくとも日本語が通じない環境に出かけて行くことが必要だ。自らに、日本語で思考したり、日本語で物事を解決するのができないことを悟らせる、そういう環境にいないとならないということである。
それで、しばしば外国に行くしかない。そうして、英語を話すときに、私は性格が変わる。例えば、ヨーロッパでは、電車は時刻通りに来ない。列車が遅れて、しかし、乗り換えの際、接続の列車は待ってくれない。あるいは、切符の自動販売機は壊れているし、窓口で切符を買おうとすると、人がたくさん並んでいて、買えず、仕方ないので、切符を買わないで、列車に飛び乗れば、車掌が来て、法外な罰金を取る。あるいは、不法移民に間違われて、警察官に取り調べを受けたりもする。観光客の少ない、移民の多い町だと、レストランに入って、明らかに差別されて、私にだけ、注文を取りに来ない。あるいは、逆に、観光地化された所で、日本人だと分かると、ぼられる。そういうときに、私は早口で、文句を言う。とにかくまくしたてて、常に自己主張しないと生きて行かれない。攻撃的にならざるを得ない。
それは演技である。本当の私はそうではないのだけれども、と思いつつ、そのように振る舞う。しかし外国にいるときは、それが、つまり、普段の私と異なる、他人のように振る舞うこと自体が、実は本当の私に他ならない。
英語で文章を書くときもそうなる。そこでは、自己韜晦はできないし、回りくどい表現もできず、控えめに言っていると、通じない。それで、ストレートに結論を言うことになる。それはしかし、それで、良い経験だと思う。それは自分の文章ではないという思いがあり、しかし同時に、それもまた、まぎれもなく、私の文章だ。
ただ、悲劇はいくつもある。アーレントの親友であった、哲学者のヨナスは、アーレントと同じく、ドイツ語を母語として、教育を受け、その後、アメリカに亡命し、英語で論文を書くのだが、死期が近いことを悟って、残された時間で本を書くには、ドイツ語しかないと思い定めて、ドイツ語で、大著を書く。しかし、長く母語を離れていて、そのドイツ語は、回りくどく、読みにくい。つまり彼は、アーレントのように、英語で書き続けることもできず、しかし母語のドイツ語でも、物を書けなくなってしまっていて、本当に苦労して、やっと、母語で、本を書いたのである。これは他人ごとではない。ヨナスと自らを並べて論じるほどの傲りはないが、しかし、彼のドイツ語は読んでいて苦しい。悲しくなって来る。
たかはしかずゆき 哲学者
(pubspace-x1097,2014.09.08)