ケニー・アルカナ あるいは、革命の詩聖女 Ⅲ<テロ>後の世界を生きる

鈴木望水

 
 
Ⅲ.<テロ>後の世界を生きる

―――力は、腕力からではなく、不屈の意志から生まれる。

マハトマ・ガンジー

 
 
2015年、パリで2つのテロ事件が起きる。言うまでもなく、一つは、1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃事件である。イスラム風刺で名を馳せる「シャルリー・エブド」紙の編集部が襲撃され、編集長をはじめ12名が犠牲になった。さらに、同時的にユダヤ食品店が襲われ、人質4名が殺害された。実行犯2名はアルジェリア系移民のフランス人兄弟で、特殊部隊との銃撃戦の果てに、射殺されている。事件後の1月11日には、パリにおいて、オランド大統領、ドイツのメルケル首相に加えて、対立しているはずのイスラエルのネタニヤフ首相及びパレスチナのアッバース大統領、さらには、フランスが軍事介入しているマリのケイタ大統領などが、手を取り合い先頭に立って、「表現の自由を守れ」と「反テロ」の大規模デモ行進を行っている。
そして、もう一つは、11月13日のパリ同時テロ事件だ。パリ11区にあるバタクラン劇場やカフェ、10区のレストラン、そして、18区のサン・ドゥニにあるスタジアムが襲撃され、130名が犠牲となった。実行犯は、10名ほどいるようだが、ベルギー人に加えて、複数のフランス人が含まれている。いずれも、移民出身者のようである。このテロ事件を受けて、オランド大統領は、「緊急事態宣言」(État d’urgence)を発した。これによって、期限付きで、デモや集会の開催が制約され、警察権限が強化されることになった。
これらの二つのテロ事件は、いずれもイスラム国(IS)が犯行声明を出しており、国際社会でもイスラム国の犯行であると認知されている。オランド大統領は、二つの事件の直後に、原子力空母を派遣して、イスラム国攻撃を目的とするシリア空爆を行っている。そもそも、フランスを含めたヨーロッパ、米国、ロシアのシリア空爆によって、2015年という年だけに限っても、パリの同時テロ事件前の10月までに、テロとは何の関係もない1万8千人以上のシリア市民が犠牲になっている。ところが、国際社会は、パリのテロ事件だけを取り上げて騒ぎ立てた。もちろん、人間の命の問題は数の比較で表現できるものではないだろう。けれども、この大きな不均衡を隠すことは、明らかに許容の範囲を超える欺瞞である。そして、比較の片方が、自由・平等・博愛という普遍的価値観を掲げるフランスであるという点から、この欺瞞はよりいっそうくっきりと浮き彫りになるのである。東京に住んでいる私ですら、街中で、マスメディアで、インターネット上で、そして、SNS上でと至るところで、フランスの三色旗が欺瞞的に作用するのを見せつけられて、うんざりさせられたものである。けれども、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件の場合は、ノーム・チョムスキーなど僅かな例外を除いて、米国の識者やマスメディアが対テロ戦争支持の一色となったことに比べると、今回のパリ同時テロ事件直後のフランスの言論界の状況はいささか事情が異なっていたようだ。何人かの知識人たちは、フランスのおかれている状況を冷静に分析し、これまでにフランス政府がとってきた政策を批判しており、マスメディアもこうした記事を掲載している。私が目にしたいくつかの例を挙げておこう。
10月15日付のLibération紙電子版において、アフリカ学者のジャン=フランソア・ベヤールは、今回のテロ事件は、1970年代以来およそ40年以上にわたってフランスがとってきた誤った中東政策の「返って来たブーメラン」だと論じている1。パレスチナ問題の放置、トルコのEU加盟の見送り、石油王との癒着など。これらの政策が、中東におけるイスラム原理主義者の過激化を促進し、フランスに対する敵意を増幅させてきたと批判している。
また、Le monde紙電子版は、翌16日に、社会学者のエドガール・モランの意見を掲載している2。モランは、この事件はもはやテロと言ったものではなく、戦争がパリの内部に食い込んできたものだと言っている。そして、イスラム過激派のテロリストの凶悪さを非難するのであれば、自分たちを特別扱いするのをやめて、彼らと自分たちの双方のテロ行為を非難すべきだと主張している。テロを克服するためには、中東の平和確立が不可欠だ。フランスは、シリアのアサド大統領を排除することに拘るべきではなかった。シリアの殺戮を避けることを大前提とすべきだった。アサド一人を退けるのに、一体どれだけ多数の犠牲者が必要なのか? フランスは、対立する米国とロシア、シーア派とスンニ派の調停役を買って出るべきだったのだ。モランは、そのように述べて、フランスのとった誤った中東政策をテロ事件の原因に結びつけて批判する。そして、彼は、過激派によるテロを克服するためには、シリアだけではなく、フランス国内の<郊外>にも平和をもたらすべきだとしている。
さらに、Libération紙電子版は、16日付で、哲学者のエチアンヌ・バリバールの見解を掲載している3。バリバールは、フランスは、実のところ、2001年9月11日の米国同時多発テロ以来、戦争状態におかれていたと主張している。この戦争は、従来の戦争と全く違っており、ノマド的にして、多形的であり、かつ、非対称的で定義し難いものである。ただ、はっきりしているのは、今日では、地中海の両岸(即ちヨーロッパと中近東)の民衆が、<人質>に取られているということだ。今回のパリ同時テロ事件の犠牲者たちも人質だったのであり、国家テロや狂信的なジハード主義者や外国の空爆にさらされるアラブ世界の人々も同じく人質なのであった。こうした異常な戦争状態を回避して、平和(勝利ではない)を確立するにはどうすればよいか? バリバールは、3つの提案をしている。一つは、各国の一方的な主権の主張によって有名無実化している国連の権威と国際法の実効性を回復すること。二つ目は、国境や宗教や利害を超えた市民的な対話を、タブーを設けずに、公的な場で促進させること。そして、三つ目に、そうしたことを実現するためにも、ヨーロッパが重要な役割を担うべきであるということを提案している。
余談だが、二度にわたるパリのテロ事件については、日本の専門家はよりいっそう冷静にして、かつ、大胆な分析と推論を行っていることも記しておく。中東学者の板垣雄三は、イスラム国とは、米欧が、イラク戦争とシリア内戦の過程で作りだした「欧米製のお化け」だと指摘している4。すなわち、シリアのアサド政権を引き摺り降ろしたい米国、ヨーロッパ、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールが、シリアに介入し、その反対勢力に資金と武器を提供して、肥やしてきた。そして、その反対勢力の内ゲバと離合集散の過程のなかで現れてきたのが、イスラム国である。ところが、今度は米・欧・アラブ諸国の有志連合は、自分たちが肥やしてきたイスラム国と戦うと言い出した。「反テロ戦争」を継続し、米国を中心とする軍産複合体が潤う絶好の機会である。しかも、この有志連合にイスラエルは入っておらず、イスラム国の台頭で最も得をしているのがイスラエルであると言われている5。イスラム国によるパリの二つのテロ事件は、パレスチナ問題への国際社会の関心を逸らすタイミングで起きていると板垣は指摘している。イスラム国をめぐって、全体の淫靡な関係性のなかで、各国が持ちつ持たれつ互いに利用し合っている。だから、欧米対イスラムだとか、文明や宗教の衝突だとかを持ち出して、単純な二項対立を作ることは、板垣に従えば、仮象であり、欺瞞にしかならないのだ。
他方、ヨーロッパには、ネットワークのように張り巡らされた武器密輸組織があると言われている。旧ユーゴを中心としたバルカン半島やウクライナにばらまかれている膨大な違法火器を供給源として、こうした火器が密輸組織の手を経由して、ヨーロッパ内の各種地下組織にいとも簡単に武器が供給されるらしい。これらの武器密輸組織にとっては、儲かればそれでよく、宗教や信条や思想の相違などは全く関係がない6。モランがパリに戦争が入り込んできたと言っていることや、バリバールがフランスは戦争状態におかれていると指摘しているのは、こうしたことからも言えるのだろう。
私には、パリ同時テロ事件やイスラム国について、これ以上語る知識も能力もないので、この辺で止めておく。しかし、事件の実行犯が移民出身者であったという点から考えて、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国では、世間からの差別や警察当局からの抑圧によって疎外された日々を送っている移民たちのなかから、イスラム国の策動に乗って、テロ行為に走る者がこれからも現れる可能性がある。だから、エドガール・モランも指摘したとおり、テロリズムを克服するためには、こうした移民たちが追いやられている<郊外>の問題を克服することは不可欠の前提なのである。
 
さて、ケニー・アルカナは、2013年の春から夏にかけてのコンサート・ツアーを終えた後に、公に姿を見せなくなった。2013年の終わりあたりだろうか、ケニーは、メキシコのチアパス州のサパティスタ解放自治区に向かったのだった7。彼女のチアパス滞在は、当初は数週間の予定だったが、結局のところ丸1年にわたる長期滞在となり、2014年12月にマルセイユに戻った。そこへ、年が明けてシャルリー・エブド紙襲撃事件が起こり、さらに11月にパリ同時テロ事件が起こる。ケニーは、これに引き戻される形で、音楽の仕事に取りかかった。そして、翌年の2016年5月に6枚目のアルバムを世に送った。題して、『緊急事態宣言/État d’Urgence』である。このケニーの復帰を彼女の支持者は大いに歓迎したようであるが、このアルバムの公表直後は、一つの左翼新聞が、「ケニー・アルカナの新型爆弾」と題して報じただけだったようだ[1]。ところが、しばらくすると、あたかもこの「新型爆弾」が炸裂するかのように、次々と多くのインターネットメディアにケニー・アルカナのインタビュー記事が掲載されるようになったのだ。これらのメディアは、L’Obs誌とL’Humanité紙を除けば、大きなメディアではない。ケニーは大手マスメディアを嫌って、ボイコットしているから、これは当然なのであるが、ケニーを取材したメディアは、恐らくは、パリのテロ事件についてケニーが何を考えているのかに強い関心を持っていたのではないかと思われる。移民たちの声を代弁している彼女の存在が、それくらい重要なものとして注目されているのだ。また、ケニーにとっても、このような多くのインタビューに応じることは異例のことである。けれども、恐らくは、パリのテロ事件を受けて制作したこのアルバムに込めた想いを、公の場で自分の言葉で語ることに意味があると考えたのだろう。どのインタビューにも丁寧に応え、何度も繰り返し自分の意見を語っている。
 
まず、2015年11月のパリ同時テロについて、ケニーはこう語る。

「2015年11月のテロで、私は動転したわ。私だって、何度もパリのテラスに行ったことがあるし、バタクランで歌ったもの。でも、それと同時に、他の人たちだって10年以上にわたって戦争を被っているのよ。パリの犠牲者だろうが、中東の家族みんなだろうが、巻き込まれるのはいつも罪のない人たち。それに加えて、全体にわたって集団主義が起きてきているでしょ。私は、政府が私たちみんなを内戦に駆り立てているんじゃないかって思っているのよ。」[2]
「テロの残酷さにショックを受けたわ。私だってバタクランで歌ったこともあるし、カフェのテラスで飲むわ。人がこんな野蛮なことができるってことに動転させられた。それで、私たちのなかに、不満や怒りがでてきているのかしら。明らかに、テロリストたちは、彼らのやったことに責任をもっているわ。私たちのほうは、憎しみや集団主義では何の解決にもならない。社会的にも政治的にも、私たちの社会のモデルが問題になっているのよ。」[8]

 
集団主義(communautarisme)というのは、テロ後に、国家や社会集団が重視されるようになった状況を語っているのだろう。通常、移民問題の文脈の中では、この言葉は、自分が属している集団に引きこもる傾向を言うらしい。ケニーはマルセイユとパリを比較して、次のように言う。

「マルセイユでは、郊外だとか、フランスのある地区のように、排除されているっていう感情はないと思うわ。いつもみんなが混じり合っているもの。北の地域も街の中心と同じ歴史ね。小さいとき、パリに家出していたんだけど、着いたときにはびっくりしたわ。集団主義を目の当たりにしたの。一方にアンティル人たちがいるかと思えば、他方に、アフリカ人たちがいて、あっちにはマグレブ人たちがいる。『彼に話すな、こっちに話せ』とかって。マルセイユでは、みんな出身なんか問題にしないのよ。」[4]

こうした集団主義が、移民問題の下地となっており、今回のようなテロを引き起こす原因となっているのかもしれない。集団のなかに引きこもると、他の集団と会話をする機会をもたない傾向が生じる。それに加えて、フランスはかなり個人主義的傾向が強いという一面もある。その悪い面において、他人は関係ないという態度が取り得よう。そうすると、他の集団や他者と対話をしなければ、自分と異なる価値観を理解し合うということはできなくなる。

「シャルリー・エブドのことを言う人たちもいれば、11月13日のことを言う人たちもいるけど、確かなことは、今はみんなが恐怖のなかにいるってことね。私たち、いつも犯罪者を探していて、分断と憎しみのなかにおかれて、完全に集団化しているのよ。」[3]

 
パリの同時テロ事件以後、移民たちの社会のこの集団化と孤立の状況に、さらに国家への帰属意識の強化の雰囲気が覆いかぶさってくる。

「暴力がエスカレートすればするほど、国家や警察や政治の暴力を正当化する過剰な治安偏重の法律が作られる。もちろん、私は、そういう法律で、もうデモなんかできないってことは理解しているし、私たちの受ける暴力が合法的だといつも思われているわ。でも、もうちょっと高度な暗号解読をするなら、私は、ぜんぶ利用されているんじゃないかって思っているの。からくりがあって、政府のゲームを演じさせられているんじゃないかしらって思うのよ。」[3]

 
パリ同時テロ事件後に国家や政治や警察による暴力が正当化される。しかも、こうした傾向は世界的な傾向でもある。

「国内的な視点は国際的な視点と結びついているわ。自由を制限する法律と戦争でだんだん悪くなってきている。いやいやイスラムとの関係でみんな区別するっていう苦しさがあるの。9.11後の世代って、人種差別のなかで育ったのよ。」[6]
「世界がだんだんと暴力的になってきている。9.11の事件以降、政治的な自由の圧殺や過剰な治安偏重がちょっといろんなところに出てきちゃって、世界は大変なことになっているわ。こんな風なことが続いたら、私は戦争以外にないと思うの。フランスだって、政府が私たちを、そんなことに駆り立てているじゃない。そうなったら内戦よ。私たちの政治が攻撃的で、狭隘なのよ。私はそれを言いたかったの。主張することによってではなくって、表現者としての私の声でもって。人々が型を破ることを考えてくれるといいと思っているの。私としては、別の見方を打ち出したいの。」[7]

 
だから、ケニー・アルカナにとっての「緊急事態」は、こうしたフランスだけでなく、世界における、憎しみ、恐怖、分断といった雰囲気を指すのであった。
 
 

「憎しみが立ち込めているでしょ。それに、集団主義。メディア。治安法。私はこういう雰囲気全体に応えたかったの。みんながやっていることが、私たちを内戦に駆り立てているんじゃないかって思うわ。世界でも同じ。いたるところに戦争があるじゃない。厳しい時代ね。それで、平和と人間性について語るべき緊急事態だと思ったのよ。それにいくつかの問題提起もね。」[4]

 
これが、ケニー・アルカナが、休息から戻ってアルバム『緊急事態宣言』を出した動機である。この表題も、話題性を狙って、状況に便乗して売り込もうという商業主義とは無縁である。なぜなら、このアルバムは無償なのだから。誰もが専用ウェブサイトにアクセスをして、このアルバムを無償で入手することができるのだ。これは、音楽の世界にすっかり浸透した商業主義へのケニーのひとつのantithèseでもあった。ケニーがこのアルバムを「平和への讃歌」(Hymne à la paix)とも名づけることができたと語っている([3][5][6][7])とおり、このアルバムには、彼女の深い想いが込められている。これまでのケニーのラップの特徴だった怒りと抵抗はかなり後退して、彼女の祈りや優しさが前面に出てきている。このことを指摘されると、ケニーは、「私も成長したのよ」と笑ってこう答えている。

「10年前に、私が『怒り』を作ったときは、怒りは眠っていたし、物事が硬直していたわ。この昏睡状態と惰性から抜け出すためにも、私は反逆と怒りを語ったの。今は暴力がたくさんあるでしょう。フランスで怒りと反逆をより多くばらまくと、待ち受けているのは革命ではなくて、内戦なんじゃないかって私は恐れているのよ。・・・・恐怖を取り除くためには、愛と心が必要なの。抵抗することはとても大切だわ。だけど、傍らに何も打ち立てられなかったら、役に立たないじゃない。」[6]

 
ケニーの柔軟な知性としなやか感性が感じられる。実のところ、ケニーの<怒り>と<愛>は決して互いに矛盾したものではない。彼女を理解するうえで重要な曲である「世評のかげで」の歌詞に「怒りは愛からやってくる。けれども、それは無力に留まる。怒りは愛へともどらなければならない。」とあることに注目しよう。ケニーの<怒り>は、彼女が一次的に抱え込んでいた負の感情である<怒り>や<憎しみ>を変換した正の感情である<愛>、すなわち、「救済」に由来している。この二次的な<怒り>は、高次化され、かつ、普遍化されたものであるが、しかし、この<怒り>だけでは世界は変わらない。この<怒り>にもう一度<愛>を添えなければならないとケニーは考える。これが、この「世評のかげで」の歌詞の真意だ。『怒れ』を世に問うて若者たちに呼びかけたステファン・エセルが、もしパリの二つのテロ事件の後まで生きていたら、どのような発言をしただろうか? 興味深い仮定であるが、残念ながら、私たちはもうエセルの声を聞くことができない。パリのテロ事件後の世界をどう生きるか? ケニーは逃げることなく、表現者としてこの課題を引き受けた。そして、彼女なりに懸命に考えて出した答えが、この『緊急事態宣言』なのである。
 
このアルバムを代表する曲はおそらく「人類はたったひとつ/Une Seule Humanité」であろう。ケニーが<人類>という言葉を持ち出してきたのは、先ほど述べた「集団主義」(communautarisme)という現象が蔓延しているという背景があるからだろう。集団主義は、人々が属している個別の集団に閉じこもってしまうことを言う。このような閉じた意識から人々を解き放つために、<人類>という、もっと普遍的な開いた意識をケニーは対置させるのだ。

「私にとっては、人間性だとか、人類について語ることは大事なことなの。違いなんてことはほとんど重要じゃない。社会環境だとか、出自だとか、人はどうでもいいことで自分を識別するの。私は、それ以前に、私たちみんなを結びつけていて、もっと尊いものを問題にしたいの。それが人類よ。要するに、ひとつの人類。ひとつの惑星。たったひとつの運命。・・・・・・それで、私がこういう言葉を使うのはね、私が語りかけるのが人間だからなの。木々じゃないわ。木々は意識の問題をもっていないから、自分を忘れるなんてことなかった。動物たちだって、自分が何かをしっているわ。でも、現代では、人類はもう人間的なものですらなくなっているのよ。」[10]

 
この発言のとおり、ケニーが<人間性>や<人類>を強調するのは、彼女が人間主義者だからなのではない。彼女はこうも語る。

「私は自分を西洋で言うところの人間主義者(humaniste)だとも考えていないの。この言葉は、全てを人間に従わせるでしょ。誰かに一度言われたことがあるんだけど、アマゾンの半分を壊滅させたのは人間主義者たちだったんですって。人間たちに必要だったからでしょ。とすると、私は人間主義者じゃないわ。私はね、<生きもの主義者>(vivantiste)よ。生きているものを支持するの。」[3]

 
人間主義者たることを拒否しているのは、この言葉の価値観が人間中心主義に基づいているからだ。「母なる大地」を信奉するケニーには相いれない立場だ。自分の考えをどう定義してよいかわからずに、苦し紛れに、妙な造語を持ち出してくるところが微笑ましい。時おり、ケニーは、反グローバル主義者なのか、無政府主義者なのか、エコロジストなのか、あるいは地域擁護主義者なのかと、政治的立場を問われることがあるが、彼女は苛立って、こう答えている。

「なんとか主義者(istes)っていうレッテルは、私はみんな嫌いなの。私は人間だっていいたいの。人間主義者(humaniste)じゃない。人間(humaine)なのよ。」[7]

 
ケニーが、閉じた集団や共同体や国家の意識の鎖を次々とほどいていって、<人類はたったひとつ>という境地にたどり着いた時に、ケニー自身も、社会的ないしは政治的な立場や集団を超え出て、ひとりの裸形の人間になったということなのだ。こうした人間としてのあり方は、ケニーの活動に大きく影響を与える。例えば、フランスにおける警察権力の暴力的行使にどう立ち向かうか。

「私は、時おり活動家の友人たちとそのことを話したの。その人たちは、他のところでも、私のことを大のお人好し扱いするんだけどね。けれども、私は、警察署のなかに入っていって、意識を高める活動をするべきだったんじゃないかって思うの。警官たちに、どうして私たちの闘いが正しいのか、どうしてそうしたことが彼らや彼らの子供たちに関係があることなのかっていうことを説明して、意識を高めるのよ。警察署のなかに行って議論するの。だって、彼らがそれぞれ職務中でバリケードに向かいあっている時だったら、ちょっと難しいでしょう。・・・・・・というのもね、この闘いって、政治的・社会的であるだけでなくって、人間のものでもあるからなの。だから、あなたの本当の敵はどこにいて、あなたの仲間はどこにいるのかってことを知る必要があるの。もちろん、ポリの連中から暴行されているときに、憎しみを持つっていうのは当然よ。私の場合ね、13歳のときに、初めてタバコ屋に入ったときに、あいつら、数時間にわたって私のことを殴ったのよ。それで、私は怒った。けれど、それで復讐しようと思うか、あるいは、物事を変えようと思うかじゃない? 恨みを押さえて、その感情を一般的でみんなのためになる利益の方へと変換させないといけないのよ。」[3]

 
ここでは、二つの重要なことが語られている。一つ目は、警官に対して、警官という立場を外して、人間として語りかける努力をするということ。ケニーにとっての闘いは、政府や警官と移民や市民や学生といった社会的な立場や役割の競合といったことを超えた、人間の営みに関するものだということ。すなわち、人間そのものが問題になっているのだということである。それから、二つ目は、ケニーのラップの歌詞に時おり出てくることであるが、恨みや憎しみといった負の感情を、愛や非凡なものといったもっと高い正の価値のものへ変換(transmuter)するということがここでも語られている。ケニーが自覚的にこうした変換という意識操作をやっているということがわかる。この場合は、警官からの暴行によって個人として抱いた恨みの感情を、社会全体にかかわる問題として一般化することができるかどうかという話だ。示唆に富む、極めて深い問題提起ではないだろうか。
 
フランス政府が発した緊急事態宣言は、その後も延長を重ねて、現在に至っている。そんななかでも、フランスでは二つの大きな政治的な戦いが行われている。一つは、以前より続けられている、ナント近郊のノートルダム・デ・ランドの空港建設に反対する住民運動が大きくなっていることだ。ケニーはこの運動を支持している。

「フランスは小さな国よ。いったいいくつの空港を置きたいのよ。空港なんて、もうナントに一つあるじゃない。あそこには、すごいエコシステムが維持されているのよ。家族たちや農民たちみんなのことや景観について語ることもしないで。それに、財政の問題だってあるわ。納税者が必ずしも欲しくないと思っているものにお金を払って、得するのは一つの企業だけだわ。その企業が、納税者の税金のなかに戻ってこないんだったら、国がその企業に補助金をあげていることになるじゃない。単に地方の住民投票だけの問題じゃないのよ。」[3]

 
以上の発言は、2016年6月の終わりに行われた、空港建設をめぐるこの地域の住民投票の直前に行われている。この住民投票の結果、55.2%で建設賛成派が勝っている。日本と同じようにフランスも、恐らくは、地域の利権に関する複雑な構造が伏在しているのだろう。
もう一つの政治運動は、フランスで2016年の春くらいからパリを中心に各地に広がった<Nuit debout>である。日本語に訳せば、「夜立ち運動」といったところか。労働法の反対を目的としたもので、いろいろな政治闘争が収斂したものであり、多極的で中心がないといった現代的な性格を帯びた運動である。2012年の「怒りの人々の運動」以来の大きな動きである。「あなたは、このNuit deboutにひとつの希望を見出しませんか?」という質問に対して、ケニーは躊躇なく答える。

「ええ、もちろんよ。私たちは、こんなふうに多数で抵抗しているときに、まさしくこの人類ってものに触れるの。怒りの人々の運動のとき以来、こうした抵抗のあたらしい形があるのよ。そこでは、運動は固定される必要もないし、政治や労組の代表に私たちの小さな力をあげてしまう必要もないの。私たちが手段や人々の集会や言葉のやりとりを創りだすの。お互いに表現したり、聞き合ったりすることを学ぶのよ。私たちの小さな力を取り戻して、水平的なものを打ち立てていくってことがとても大事なの。これって、10年前はなかったことよ。だから、希望だと思うわ。意識の覚醒や物事の新しい見方がある。より連帯的だし、水平的ね。とても肯定的なことだわ。」[3]

 
しかし、この運動が政治的な制度に行きつくことをケニーは否定的に見ている。スペインの「怒りの人々の運動」の担い手たちが、左翼政党Podemosを結成し、彼らの代表たちを代議士として国会に送り出した。Nuit deboutもスペインのPodemosの路線を歩むべきかという問いに対しては、ケニーははっきりとこう述べている。

「ダメよ。Nuit deboutが制度化されたときには、失われてしまうわ。あとは、運動が、政党とキャンペーンと金の論理のなかに入っていってしまう。」[7]
「個人的には私は反対よ。私は、変革は底辺から為されるって、いつも言ってきたわ。バビロンと戦うために、どうしてバビロンの手段を使う必要があるのかしら。」[3]

 
ケニーの活動家としての面目躍如たるものがある。現代では、世界的に見ても、代表制というものに疑問がもたれる傾向が強くなってきている。人民が、選挙という名のもとに、自分たちの小さな権力を代議士に預けてしまったときに、人民主権は盗まれてしまう。代議制民主主義というものが、資本主義と結び付いた疑似民主制にしかすぎないというカラクリをケニーは経験と感性からしたたかにも見抜いている。福島原発事故以来、日本において、脱原発運動が広まり、国内世論の大多数が脱原発に傾いていたなかで、運動の担い手たちが、2012年12月の衆議院選挙に自分たちの代表を代議士として送り出そうとして、ものの見事に自民党・公明党に大敗し、その挙句の果てに、<バビロン>の最も従順な使いっ端たる安倍政権が誕生したことを私たちは思い起こしておこう。なぜ、そうなるのか?8 今や<選挙>という瞞着装置をこそ深く疑うべきなのだ。ちなみに、2017年のフランス大統領選挙の予想について、質問されて、ケニーは答えている。

「知らないわよ。そんなものでは決して何も変わらないでしょ。『投票は、主人の鞭を緩めることだ』って、私のとても好きな皮肉なの。」[3]
「描かれた候補者が並んでいるのを見て、私は本当に考えなくなってしまうのよ。マリーヌ・ルペン、ニコラ・サルコジ、マニュエル・ヴァルス・・・・投票がほんとにやっかい。こういうときは、私は、特に、白票や棄権に興味があるのよ。」[7]
「私は、投票で物事が変わるなんて、本当は全く信じていないの。コリューシュ9が『もし投票で何かが変わるなら、とっくの昔にそいつは禁止されていただろうさ』と言っていたとおりよ。でも、その時代、その人たちは民主主義を本当に信じていた。私はね、政治によって物事は決して変わらないだろうって思うの。今日、国民の政治なんてものはもうないわ。ペストかコレラかを選ぶなんてうんざりよ。来年、投票するかどうかなんてまだ分らない。」[2]

 
ペストかコレラかの選択というのは、大統領選の候補者たちのことだ。こういう候補者たちの政治キャンペーンをケニーは仮装行列(cette mascaraed- là)と呼んでおり、こうしたキャンペーンに参加する気はないと言い切っている。そんなものが真の民主主義とは何の関係もないということをケニーはよく知っているのだ。それでは、ケニーにとって、政治や社会を変えるとはどのようなことなのだろう。ケニーは私たち市民の行為は日常的であるべきだと言っている[3]。そして、さらに、彼女の曲「人類はたったひとつ」に込めた想いをこう語る。

「私が言いたいのは、本当の闘いは内面的なものであるということよ。あなたは反逆して、国をひっくり返すことができるかもしれないけれども、そんなことで物事が決まってきたんじゃないってことを歴史は私たちに教えているわ。システムのイメージに囚われている限り、何も変わらない。まず、自分を解放して、まっさらにするの。反逆するのは役に立たないことではないわ。けれども、反逆の果てに解決はない。反逆と革命とを混同してはいけないの。」[10]

 
それでは、革命の方向性はどんなものであるか? ケニーは、資本主義の<システム>を切り崩していけるのは経済的な自立生活(autonomie)と自主管理(autogestion)だと主張する[8][9][10]。これは、彼女がチアパスに足を運んでサパティスタやピエール・ラビの思想から学んできたことなのだろうが、フランスでも、大地に帰るというということで、30人程度の小さな集落を単位に、自立的な生活圏を築くという運動が起きてきている[3]。そして、ケニーは、こうした変革の可能性の前提として、サパティスタから借りてきた「全体革命」(la révolution totale)という言葉について語る[3][10]。それは、彼女に従えば、「物事を変えようと望む前に、自分自身が変わることを学ぶこと」[3]である。いま必要なのは、政治革命や社会革命だけではなく、人間の意識そのものの革命が必要だ。つまり、資本主義によって植えつけられている価値観から人間を解放するという営みが必要なのだ。それを可能とするのは、人間の想像力の革命である。

「今、多くの人に、あなたの夢見ている家ってどんなものかって聞いてごらんなさい。彼らがもっているイメージはみんな同じよ。庭付きだとか、プールだとか。でも、私は、ちがうでしょって言いたいの。あなたの本当の夢の家、あなたの魂に響く家よ。みんなそれぞれ、調子も色調も違っているのに、夢の家がみんな同じなんてありえないわ。林のなかの野の家とか、隅のない家とか、あるいは、半分洞窟の家とか、わからないけれどね。でも、あなたの想像力の根底まで行ってみて。」[5]

 
現在の資本主義に基づく消費社会のなかで生活をしている人々は、すっかり<システム>が作り出すイメージによって魂の深部まで浸食されてしまっている。これをケニーは、「想像力の中毒症状」(les imaginaires intoxiqués)と名付けている[5]。

「想像力の中毒症状を解毒するなかで、私にとって、必要なのが、精神性(spiritualité)という言葉なの。これはぜんぜん教条的なものでも、宗教的なものでもないわ。みんな「精神(spirituel)」という言葉を神秘的なものってとらえるけれど、単に「精神(esprit)」ということばの形容詞でしょ。私たちの型全部から自分を解放するために、自分自身を見つめて、自分自身を掘り下げていくことなのよ。」[3]

 
ケニーの言葉と音楽は、中毒化された想像を排除していって、彼女のこのような精神性(spiritualité)、つまりは、魂の状態(état d’âme)から創り出されたものである。だから、彼女の言葉と音楽は、想像力の中毒症状から人々を解き放つためのものなのであった。すなわち、彼女のラップは、rap politiqueと呼ばれるけれども、それは一面的な見方だ。彼女のラップは、単に政治のためだけのものなのではなく、まさしく芸術を通して、人間の価値観を根底から変えようとする、「全体革命」のためのものなのであった。だから、ケニーがマスメディアをボイコットするのは当然のことである。人々にものを消費させるために、日々、画一的なイメージで人々の心を洗脳して、人間の生き生きとした想像力を中毒化してダメにしているのはマスメディアなのだから。ケニーの『緊急事態宣言』のなかに収められている「心配しないで/Ne t’inquiète pas」という曲は、企業とマスメディアが作り出す消費社会のなかで、スマートフォンに現を抜かす現代人の愚かしさを辛辣に風刺している。また、他の曲「平和の努力/Effort de Paix」では、イラク戦争においてプロパガンダの役割を果したメディアを告発している。ケニーは、インタビューでもマスメディアについて、こうぶちまけることを忘れない。

「みんな、ありもしない大量兵器のことを語ったけれど、たくさんの人たちが殺されたわ。この説を真っ先に取り上げていたのはメディアじゃないの。最低限でも責任はあるし、少なくとも間違いだったのよ。・・・・・・プロパガンダをやってたメディアはどこなの? 背後を見てみなさいよ。ラガルデールだとか、ダソーだとか、武器の製造会社がいつもいるじゃない。だから、間違いなくそいつが戦争を推進したのよ! 武器を売ったのに違いないわ!」[5]

 
政治にほとんど関心をもたない人たちを動かすことがあなたの目的なのかと問われて、ケニーはこう答えている。

「私は、すべての人間たちに語りかけるわ。年齢も、おかれている環境も、宗教も関係ない。私が時おり政治的なメッセージを伝えたいのは事実よ。でも、結局のところ、私の音楽は、世界についてのひとりの人間の視点でしかないの。私はおかしいんじゃないかって思うことを主張するし、大事だって思うものを支援するわ。」[7]

 
彼女は、前に述べたとおり、自分のことを「人格の表現者」(l’artiste de personne)だと言っているが、他方、「人民の表現者」(une artiste du peuple)とも呼んでいる[9]。けだし、人間たちのなかにあって、人間として、自分の魂からあふれ出る言葉を他の人間たちに伝えていくということなのだろう。ケニーは表現者の役割を少し控えめに「心に、いいもの、ちょっとした慰めをもたらそうと努めること」と語っている。フランス政府の「緊急事態宣言」が続くなか、特にイスラム系の移民たちのおかれる立場はいっそう微妙で、複雑になりつつあるのだろう。そうした移民たちが、取り締まりや差別や締めつけの対象とさせられる状況のなかで、イスラム国が便乗して、移民の若者たちの怒りや憎しみといった負の感情を巧みに利用して、彼らをテロ行為に差し向けるといったことが大いに起こり得る。そういうなかで、移民といる彼らと同じ立場で、彼らに語りかけ得るケニー・アルカナの存在はますます重要なものとなってきている。「善意の努力がなければ、内戦が私たちを待っている」[3]とケニーは言っている。移民たちにせよ、それ以外の人々にせよ、怒りや憎しみで硬直した人々の心に、ケニーは、こう語りかける。「さあ、子供のように、軽やかになろうよ。羽のように、軽やかに。そよ風のように、軽やかに。人類はたったひとつで、同じなんだ。みんないっしょ!」(「人類はたったひとつ」)と。
 
ケニー・アルカナのラップの詩句は、決して、その時代の消費者の感性に模して造られた平板で無機的なプラスチックの小片の寄せ集めではない。ケニーの詩句のイメージのひとつひとつは、相互に浸透している。一つの曲の世界は他の曲の世界に呼応し合って、ひとりの表現者の人格の「感情と精神のプリズム」[9]を通して、それぞれが有機的につながり、熱い血が通っている。どれかひとつを聴いてみても、ケニー・アルカナの魂の息吹ψυχήを感じることができる。私たちは、このような稀有な個性をもった表現者を、スターやアイドルのようにとらえてはならない。むしろ、同じ時代の歴史を歩むなかでめぐり会った、かけがえのない、ひとりの友人と考えるべきだろう。
それにしても、ケニー・アルカナは、表舞台から姿を消していた間、2013年終わりから1年間をメキシコのチアパス州で、サパティスタや先住民たちとともに生活したわけだが、この決して短くはない時間をケニーはどのように過ごしたのだろうか? 彼らとの自立生活のなかで、ケニーは、改めて太陽と大地の神話について思いをはせていたのかもしれない。あるいは、彼女は、家出を繰り返していた子供時代より路上で眠ることを覚え、今でも時おり戸外で眠ることがあるというから、ラカンドンの森林のなかで、夜な夜なハンモックを吊って眠りながら、風に吹かれて、ホラチウスの詩句から採った曲「いのちを摘もう/Cueille ta vie」を口ずさんでいたかもしれない。自由のために闘う詩聖女は、風のように自由だったのだろう。だから、人は彼女のことを「風の娘/Fille du Vent」と呼ぶのだ。
 
【注】
1 Libération : Jean-François Bayart, “Le retour du boomerang” 15/11/2015
2 Le monde : Edgar Morin, “Pour que cesse la lutte armée en France, il faut gagner la paix au Moyen-Orient” 16/11/2015
3 Libération : Etienne Balibar et Catherine Calvet, “Sommes-nous en guerre?” 16/11/2016
4 『DAYS JAPAN』2015年3月号「特集 イスラム国」及び『現代思想』2016年1月臨時増刊号所収「壊れゆく世界、悪あがきの交錯、イスラームの未来」を参照
5 例えば、『選択』2015年12月号所収「パリ「聖戦」テロにほくそ笑む国々」を参照。また、『DAYS JAPAN』2016年1月号掲載のインタビュー記事において、元レバノン大使の天木直人はイスラム国がパレスチナ問題に言及しない不自然さを指摘している。
6 『選択』2015年12月号所収「「無防備都市」欧州テロの裏構図」参照
7 伊高浩昭『われらのアメリカ万華鏡』(立教大学ラテンアメリカ研究所)によれば、2014年正月にサパティスタ民族解放軍蜂起20周年の記念行事があった。ケニー・アルカナは、この行事に参加したものと思われる。
8 日本の脱原発運動の担い手たちが目指すべきだったのは、衆議院選挙に自分たちの代表を送ることではなく、もう一つの運動の流れとして存在していた「原発国民投票」制度を実現することだったはずである。これが実現すれば、ケニー・アルカナが言う「私たちの小さな力」を胡散臭い国会議員に譲ってしまうことなく、国民が政策の意志決定に直接参画することが可能なのである。
9 フランスの喜劇俳優Coluche(1944-1986)のこと。
 
【引用一覧】
[1] Révolution Permanente: ” ‘Etat d’urgence’, la nouvelle bombe de Keny Arkana est sortie ! ” 28/05/2016
[2] Booska-p : “Keny arkana : « je n’ai jamais voulu me plier aux règles »” 14/06/2016
[3] Reporterre : “Keny Arkana : « Sans un effort de bienveillance, la guerre civile nous attend »” 17/06/2016
[4] StreetPress : “Keny Arkana ou la vie sauvage” 17/06/2016
[5] La Relève et La Peste : “Keny Arkana « Aujourd’hui, on a envie d’être debout. Ma lutte, elle est humaine »” 18/06/2016
[6] L’Humanité : “Keny Arkana : « On a besoin d’amour pour soigner les peurs »” 24/06/2016
[7] L’Obs : “Le gouvernement nous pousse à la guerre civile” 28/06/2016
[8] Le Club de Mediapart : “Keny Arkana: «L’autonomie signifie déséquilibrer le système»” 11/07/2016
[9] Madame Rap: “INTERVIEW – Keny Arkana : « Je suis pour les droits de tout le monde »” 25/07/2016
[10] Le Ravi : “Keny Arkana : « Ne te télé-réalise pas, réalise-toi! » 20/10/2016
 
【備考】
ケニー・アルカナのラップの歌詞を引用するにあたっては、インターネットサイト「Genius」(http://genius.com/)に掲載されているものに依拠した。また、ケニーの歌詞に、匿名者によって付されている優れた注釈も大いに参考にしたことを付記しておく。
本稿では、文中に引用した原曲名を、You Tube上のケニーの曲とリンクさせて、読者が容易に視聴できるように配慮した。また、引用した記事等のうち、インターネット上に掲載されているものも、同様にリンクさせて、読者が参照し易いようにした。
 
 
(すずきのぞみ)
 
(pubspace-x3932,2017.01.25)