高橋一行
高橋源一郎が昨年末に『ぼくたちはどう老いるか』という本を出した。老いについての、彼の文学論と彼自身の体験談は参考になる。
以前私は、日本には「老い」の本が多いと書いた(注1)。実際、本屋や図書館に行くと、夥しく「老い」に関する本が出ていることが分かる。しかしこの高橋の本と、次回取挙げる予定の、こちらも昨年出版されたの内田樹の『老いのレッスン』という本は、やはりその中でも別格と言うべきであり、ここで取り挙げたいと思う。
高橋は1951年の生まれである。私よりも少し年上で、その仕事はいつも私に刺激を与えてきた。『さようなら、ギャングたち』という小説が群像新人長篇小説賞の優秀作に選ばれたのが1981年である。それは吉本隆明から高評価を受けたはずだ。翌年、単行本化される。さらに1984年に彼は『虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)』を刊行する。
ちょうどそのころ私は小説家になりたくて、最初の大学を中退して、アルバイトをしながら一日小説を書いていた。そして私は、高橋の小説に衝撃を覚えたのである。やられてしまったと思った。そののちは、結局何を書いても彼の物まねにしかならないような気がした。そういうこともあって、私は小説家になることは断念して、大学に入り直して物理学の勉強を始めたのである。私が20代の半ばの話である。
その後の高橋の活動は目覚ましいものがある。いつも私に、私もそういうことをしたいと思わせる仕事をしてきたのである。そして今回もそうである。
以前私は「老いの解釈学」というシリーズを連載している(注2)。そして今、この高橋の本を読んだので、再び「老い」について書きたいと思うようになった。かねてから私は、私小説を書くように論文を書きたいと言っているのだが、今回も、この本に触発されて、私自身の老いについても書きたいと思う。
まずこの本のひとつの章では、耕治人の小説が取り挙げられている。私小説作家として知られている人である。まずは、この耕の小説を読む。そして久しぶりに私は私小説を読んだと思う。私小説の醍醐味を味わうことができたのである。これは愉悦と言っても良い。
今回、私が最初に読んだのは「天井から降る哀しい音」という短編で、これはまもなくふたり揃って80歳になろうという夫婦の話である。主人公は売れない小説を書き続けている。極めて貧しい生活を強いられている。そこへ妻の痴呆の発症という出来事がこの夫婦を襲う。妻は買い物に行って、買ったものを忘れて帰って来る。また煮物をして鍋を焦がす。毎回料理をする度に、鍋が黒焦げになって、新しいものを買ってもすぐにまたやられて、焦げ付いた鍋がいくつも台所に積み重ねられている。妻は何十年もの間、夫の食事を作り続けてきて、呆けてもなお食事を作ろうとする。そういう夫婦の日常が描かれる。
先に書いたように、私は20代半ばに、小説家になることを諦めて別の道に進んで、そこで職を得て生活して行くことができた。それは幸いと言うべきで、しかしあの時夢を捨てず、一途に小説を書き続けていたら、どうなったかと思う。この小説家の姿は、私のあり得たかもしれないもうひとつの人生である。
つまりこの作品を読んでいる間ずっと、これは20代前半の私が自分の将来像として描いたものなのではないかという思いを禁じ得なかったのである。当時私は、将来は世界中を放浪したいとか、幾つも夢を持っていたが、しかしいつになっても小説が売れないとしたら、ずっとこのまま貧乏暮らしをするしかなく、すでに私は結婚していたから、働いて生活を支えてくれている妻からずっと不満を言われ続けて、歳を取っていくことになるだろうと思っていたのである。
ひたすら小説を書き、あとは妻の作ってくれた食事を取る。そうして気付いたら、何十年も経ってしまった。そこで突然妻が痴呆になり、その日常が壊れる。小説家は夫婦関係を反省せざるを得なくなる。
耕治人は80歳近くになって、実際にそういうことを体験し、私はしかし観念的には、20代に前半に、将来そういうことになるかもしれないと思ったのである。
続けて耕は「どんなご縁で」という小説を書く。妻の痴呆は悪化する。ヘルパーに家に来てもらって、家事を手伝ってもらったり、デイホームで妻を風呂に入れてもらったりする。しかし妻の痴呆はどんどん進み、徘徊もするようになる。便を漏らすこともある。
さてあるとき、主人公が妻の身体を拭いていると、「どんなご縁で、あなたにこんなことを」と妻は呟くのである。妻は夫を認知できない。主人公はそこであらためて、妻と知り合ったいきさつを思い出し、長い結婚生活を振り返る。
そしていよいよ妻は老人ホームに入ることが決まる。同時に主人公は医者から癌が悪化していて、直ちに入院するようにと言われるのである。
耕が晩年に書いた三部作と言うべき小説の最後のものは、主人公の入院生活の話である。これが絶筆になる。私小説なので、実際の話なのだろう。「そうかもしれない」という題だ。主人公=小説家=話者の末期の癌の闘病記でもある。
主人公は妻のことを思っている。彼女は老人ホームでどんな生活をしているのだろうか。するとそのとき、病院に入院している主人公のもとへ、老人ホームにいる妻が、人に連れられて見舞いに来る。しかし妻は夫を認識できない。付き添いの人から、この人が「あなたのご主人ですよ」と繰り返し言われて、妻は「そうかもしれない」と答えるのである。この言葉が小説の表題となっている。
小説家は自覚している。この日が妻とこの世で会う最後の日なのである。「そうかもしれない」という言葉が、主人公と妻の人生の最後に交わされた言葉なのである。
私はこれは、恋愛小説ではないかと思う。耕は淡々と、生じている事実を描く。高橋はそれを「老い」の小説だと思って、取り挙げる。しかし私には、これは長く夫婦であったふたりの最後の関係を描いた物語なのである。私自身のことを考えると、私自身は小説を書いていた時分にはもう結婚していて、そしてそのまま数十年の時が流れたら、こんな夫婦になるかもしれないと当時は思っていたのである。
今、私たちはこの夫婦がともに、このあとまもなく亡くなったことを知っている。最後の三部作が、この小説家の代表作になったのである。
それまでの耕の作品で唯一売れたのは、彼が63歳の時に書いた「一条の光」であろう。それは出版社で嘱託の仕事をしながら小説を書く主人公の、貧乏生活と妻への思いを描いたものである。そして80歳になろうというときに、これらの小説を書き始めたのである。
以上が私の耕治人論である。繰り返すが、彼の小説を読みながら私は、昼間妻が仕事に出掛けている間、一日部屋で小説を書き、夕方はアルバイトに出掛け、夜は時に妻と駅前の飲み屋で待ち合わせて、ふたりで酒を飲んだ、21歳の私の姿を思い出していたのである。
高橋源一郎は次のように書く。
まず耕治人は私小説作家である。私小説は、主人公が見て理解した範囲の世界を描く。他の登場人物の内面に立ち入ったりはしない。この小説では、主人公の老いが描かれる。そして私小説作家こそ、「この世界に存在する「老い」を定点観測する義務を負うことになる人間なのである」と高橋は書く。
また高橋は、今や日本の80代後半の夫婦では、その三分の二が夫婦のどちらかが認知症になっていること、また女性の方が認知症になる率が高いというデータを挙げる。
そして私たちの人生は記憶によって出来上がっていること、つまり、ここに存在している「私」は、今までの記憶の集合体であるとも書く。そして認知症はその大切なものを失うということを意味する。
小説家は日々記憶を失っていく妻の姿を描き続ける。私たちの誰もが辿るであろう運命を、当事者として克明に描く。それが「自らの「生」を描き続けてきた作家の責務である」と高橋は言う。
耕治人の最後の原稿、つまり「そうかもしれない」の最後のものを受け取ったのが、高橋の担当の編集者だったそうである。その編集者の話では、耕は、その最後の原稿を取りに来た彼を、病院のベッドの上で正座して迎え、深くお辞儀をして、原稿を渡したのだそうだ。言葉の世界で生きてきた小説家は、すべてを書き尽くした。そして言葉の世界を離れ、妻のいる方へ向かって正座をしたのである。
高橋は、小説家と老いに焦点を当てて、耕治人論を展開する。私はどうも自分に引き寄せ過ぎていて、長い夫婦生活に力点を置いて、読み込んでしまう(注3)。それはもう私自身、耕のこのような作品を書きたかったからで、しかもそれは、80歳の私が私小説を書くという体裁を取った、しかし実際には20歳を出たばかりの私の空想の産物として書きたかったからなのではないか。
私は私小説が好きである。15歳のとき、太宰治にはまった。このことも以前書いたことがある(注4)。もっとも彼を私小説作家と呼ぶのは適切ではない。太宰には明確に虚構を創ろうという意志があり、題材を歴史に求めたものもある。多様な題材を活用し、多面的な作風を駆使して、ストーリーテラーとしての才能を発揮したのである。しかし彼には私小説的な作品もあり、私が魅かれたのは、そういう一群の小説である。要するに、酒に溺れ、女にだらしないという、自らの生活を描いたものだ。
先に書いたように、私は高橋源一郎のせいということもあって、20代半ばで小説家になることを諦め、その後は大学に入り直し、学習塾を経営し、予備校講師も務め、36歳になってからは、大学から毎月給料がもらうようになり、退職するときには退職金がもらえ、今は毎月年金がもらえる。極貧の生活ではない。
そして私はどうも極貧でないと私小説が書けないように思っている。あるいは太宰治のような自堕落な生活をしないとならないと思っている。そのどちらも今から私ができるはずもなく、そうすると私が今から私小説を書くことはできないのである。
また私が耕治人になれないのは、耕はずっと小説を書き続け、そうして死ぬ間際になってついに傑作を書き上げることができたということであって、私のように、別の道で生きてきた人がいきなり小説を書いたところで、優れた小説が書ける訳ではない。つまり今後私が80歳になって、こういう小説が書ける訳ではないということである。
高橋源一郎は耕治人論を書いた後、自らの弟の話を、その本の最後の章で書く。これはある意味で、高橋の私小説のようなものになっている。それは「弟の死」という題でも良いし、高橋自らがつけた章題の「「トシちゃん」が亡くなった」といったものでも良い。
この「トシちゃん」は、俊二郎という名の、高橋源一郎より3つ年下の弟である。兄、つまり源一郎の方は秀才で、高橋家、特に祖母から可愛がられていたが、弟は病弱で、家族から軽んじられていた。結局弟は自らが亡くなったあとは、高橋家の墓に入るのを拒否して、桜の木のもとに散骨してほしいと言い残すのである。
小説家である兄は、弟と高橋家の墓について話をする。高橋の母も、死後、高橋家の墓に入るのを拒否し、その骨は今でも小説家の仕事場に置いてあるのだそうだ。高橋は近い内に高橋家の墓仕舞いをしようと考えているのである。
こういう死と墓が切実な問題として現れてくるのが老いである。そして先に高橋自身が書いたように、老いを記述するのに最もふさわしい形式は私小説なのである。
以下、私の体験を書く。
私も弟の死を経験している。「老いの解釈学」の第一回に私は次のように書いた(注5)。つまり「レヴィナスに従って、他者とは死者だということで、私にとって死者とは誰かということを考えてみる。すると2年前に急死した弟のことがまず真っ先に思い浮かぶ。彼はある日、心臓の痛みを訴えて、救急車で真夜中に病院に運ばれる。翌日手術をすべく、胸を開いたら、もう手の施しようがないという事態になっていて、さらにその翌日の未明に亡くなったのである。前兆も何もなく、外見は健康的で、忙しく働いている最中の出来事である。
体質も体型も瓜ふたつの、5年年下の弟の死は、私に衝撃を与えるには十分過ぎるものである。なぜ私ではなく、弟が先に死ぬのかという問いは、葬儀の間ずっと私を襲い、その後もこの2年間ずっと私から離れない問いである。しかし「体質も体型も瓜ふたつの、5年年下の」という条件が付かなくても、人の死は、本来的に、なぜ彼または彼女が死に、それは私ではなかったのかという問いを私に突き付けるのである。老いとは、私にとって、そういう問いがいくつも蓄積されていくことを意味する。そして蓄積の結果、それが閾値を超えれば、人は一気に老いるが、その老いは不可逆的なものである。」
弟の死を考えることはまた、私の子ども時代の記憶を辿ることを意味する。それで、ここで私の子どもの頃について、少々話してみたいと思う。
まず、私の父は恐ろしい程に経済観念のない人だった。日銭を稼ぐと、その日の内に飲み屋で使ってしまう。月末になって、母から生活費を要求されると、サラ金から借りてくるのである。そのことが母にバレると、「俺は遊ぶ金を借りたのではない。生活費を借りたのだ。悪いことはしていない」と開き直る。子どもの頭でも、父親の言い訳は最悪のものに思える。つまり遊ぶ金を借りた方がまだましで、それは遊ぶのを止めれば解決する訳で、むしろ生活費を借りていたのでは、事態は絶望的である。毎月借金は膨れ上がるばかりである。案の定、借金が返し切れなくなると、私たちは夜逃げをし、一家離散という事態になる。
父母は、私が中学生の時に一旦離婚し、高校生のときに復縁し、しかし大学生のときに再び離婚して、以後互いに会うことはなくなった。私も父方の親戚と縁が切れた。父が今どうしているか、まったく知らない。
多分私たちの生活が最も苦しかったのは、私が中学3年生のときである。トタン板のベニヤでできた荒れ果てたアパートに母と弟ふたりと私は住んでいた。私は夜になると、受験勉強がしたいので、毎晩上の弟を殴って寝かせていた。一方、下の弟は素直に私の言うことを聞いたので、こちらは可愛がっていた。私たちは一時期は生活保護を受けていた。そして安い借家を求めて、東京の下町地区を転々と引っ越した。
私は高校を卒業するとすぐに家を出た。ひとり静かに勉強をする空間が欲しかったからである。そして間もなく結婚した。上の弟も、大学は地方に行き、卒業後もそこで就職した。下の弟は、しばらく母と一緒に暮らし、やがて結婚して、子どもが生まれると、家を出た。母も父と離婚してから、頑張って働いて、小さな家を購入していた。私たち兄弟に孫ができると、小遣いをくれる程度の余裕はあった。
私たちが子どもの頃は余りに貧乏で、私はあまり良い記憶がないのだが、私も下の弟も大人になって、それぞれ働いてある程度の金ができると、それぞれ家族を作り、家も建てて、そうして年に数回、それぞれの家族を連れて母の家に集まった。寿司を取り寄せ、あるいはすき焼きなどを用意してもらって、酒を飲むことができた。それは楽しい思い出である。皆酒飲みばかりで、とりわけ弟と私はそうで、まずはビールを何本も飲み、その後は日本酒を一升空け、さらに焼酎を飲んだ。それが私にとっての、母と弟の記憶である。
母は79歳で亡くなった。私は母が21歳のときに生まれているので、それで母が死んだとき、私もあと21年は生きられるだろうと漠然と思った。
母の墓は下の弟が造った。母が死ぬと、結局一番母と住んだ期間の長かった下の弟が墓を建てることになったのである。そして私は、母の墓前で、私はあと20年余り生きて、そのあとは兄弟は順に母のもとに行くことになるのだと思ったのである。
しかし一番先に亡くなったのが、下の弟で、彼は結局その母のために建てた墓に入ることになった。ふたりが一緒に眠っている墓に参って、さて私自身の墓はどうするかと思う。母と弟の墓に入れてもらう訳には行かない。これは今後ゆっくりと考えていくことになる。
先にも書いたように、弟の死が私にこの「老い」のシリーズを書かせるきっかけになった。高橋源一郎もまた、弟の死が、この本を書かせる大きなきっかけとなっているのだと思う。そして今、その高橋の本を読んで私は、この身体論の中で、老いについて再び書きたいと思うようになったのである。
高橋のこの本は、鶴見俊輔の「老い」のノートに大半のページを割いている。私は鶴見には、個人的に恩義を感じている。私は大学院生のときに書いた短い論文が、彼に評価されて、『思想の科学』に掲載されている。鶴見はヘーゲルが嫌いで、あなたのヘーゲリアン的な発想は評価しないがと断った上で、しかし好意的に私の論文を読んでくれた。そういうこともあって、私は翌年専任教員になれたのである。
高橋が取り挙げている鶴見の『もうろく帖』を私は入手できず、代わりに私は彼が編集した『老いの生きかた』を読んだ。これは面白いもので、鶴見は結構「老い」については拘って、幾つかの文章を残している(注6)。
また高橋の本には、以下の話もある。そのどちらも私が「公共空間X」のサイトで取り挙げているものだ。まずハルノ宵子の吉本隆明の痴呆の話がある(注7)。それから有吉佐和子の『恍惚の人』も取り挙げられている(注8)。どちらも家族の視点から痴呆老人を見ている。
また私は痴呆についてさらに知りたいと思って、幾つかの論稿を書いている(注9)。また小島信夫についても書いた。小島も私小説作家と呼んで良いと思う。晩年、段々と痴呆が進行している中で、彼は小説を書いていたのではないかと私は思っている。
さて、以下は今の時点で、私に書ける私小説である。と言うより、雑感と言うべきものである。
私の家には飼い猫がいる。15歳の牝である。
猫はテーブルに上りたいのだが、一気に飛び上がる脚力はもうなくなって、まずは椅子の上に乗り、そこからテーブルに移る。最近は、その椅子に上るのも一苦労で、前足と後ろ足で蹴り上がることができないので、前足の爪を座布団にしっかりと引っ掛けて、前足で引っ張るような感じで、何とか椅子の上に這い上がる。
こんな感じでは、飼い猫でなければ、とうに餌を取ることができなくて、死んでいるのだろう。動物にとって老いは、人間に飼われている場合だけに限られている。つまり老いは、人間と人間に飼われているペットのみの特権である(注10)。
この猫は生まれて間もなく我が家に拾われて、ずっと家の中で過ごしてきた。あまり外に出たいという好奇心はない。前に飼っていた牡猫は、こちらが油断すると、外に飛び出して、数日帰って来ないことがあった。時に近所の猫と戦って、傷だらけになって帰って来ることもあった。牡と牝の違いか、それとも単に個性の問題か。
老女となった猫は、気付くと、胡坐をかいて座っている私の横に身体を寄せてくる。段々と人恋しくなるようだ。すッと私の隣にきて、そこで座って、じっとしている。こうして私たちは一緒に歳を取っていくのだと思う。
猫と過ごしていると、老いは惨めなものではなく、残酷な事実でもなく、恩寵として祝すべきものであると、これはつくづくそう思うのである。
注
1 本サイト「老いの解釈学 第9回 日本ではなぜ老いの本が多いのか」(2025.2.19)。尚、今回は、サイトのURLは省略した。
2 「老いの解釈学」は全17回、2024年11月16日から2025年6月8日まで掲載された。今回は、その続編という意味合いがある。
3 「老いの解釈学 第14回 性」(2025.4.29)。しかし性行為をすることだけが性ではない。妻の看病をすることもまた性のあり方のひとつだと思う。
4 「老いの解釈学 第1回 リヨンでレヴィナスを読む」(2024.11.16)に書いた。
5 注4と同じ。
6 『もうろく帖』は元々書店での販売をしておらず、出版社に直接注文するしかないものであったが、問い合わせたところ、これももう売り切れで、入手できなかった。
7 「老いの解釈学 第15回 小説の中の認知症(2)」(2025.5.5)。
8 「老いの解釈学 第4回 映画の中の認知症」(2024.12.23)。
9 「老いの解釈学 第7回 小説の中の認知症(1)」(2025.1.16)、「老いの解釈学 第10回 ぼけと利他とアナーキー」(2025.3.7)、「老いの解釈学 第15回 小説の中の認知症(2)」(2025.5.5)。
10 「老いの解釈学 第16回 生物学の教える老い 政治学から考える老い」(2025.5.25)。
参考文献
耕治人『一条の光 天井から降る哀しい音』講談社、2007
高橋源一郎『ぼくたちはどう老いるか』朝日新聞出版、2025
鶴見俊輔『老いの生きかた』筑摩書房、1997
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x15716,2026.07.11)
