森忠明
ハードボイルドな詩を書くS女史は、世界を股にかける旅行家であり、容赦のない論客でもあるので、涙などとは無縁かと思っていたら、先日、喫茶店で突然ポロポロと流しはじめたから驚いた。話をきくと、二十四歳の長女が介護人として勤めているホスピスの月給が安すぎること(十三万円)、痴呆の患者に噛みつかれたりぶたれたりしてアザが絶えないこと、大小便の処理がつらいこと、ストレスで髪がほとんど抜けてしまったこと――等々を早口で語り、しきりに涙をぬぐった。女傑も子を思えば弱くなるのだろう。
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死期が迫った人の看護のむずかしさは私も少しは知っている。八十歳の祖母が手遅れの子宮癌で入院したのは、私が大学二年の晩秋だった。幼い頃から可愛がってもらったその恩返しのつもりで、完全看護をすることに決めた。当時の我が町にはホスピスなんてものは存在せず、母も腎臓病で無理がきかなかったからだ。
最初に入院したのは立川中央病院産婦人科の八人部屋。祖母以外はこれから子どもを産もうとする若い女性ばかりで、みんな明るく、テレビのコント55号に大笑いしたりしていた。かえりみて不思議なのは、男子禁制のはずの部屋に寝泊まりできたことである。私はよほどマジメな男に見えたのだろうか。不思議なことはもう一つあった。祖母はどうしてなのか昼食時間になると大きいほうの便意を催すのだ。私は掛け布団の下側をめくり、おまるを尻の下に置いて布団を元のようにする。昼食をとりながらメロドラマの批評をしていた七人の産婦が黙りこみ、憎悪にみちた視線を一斉に向けてくる。鼻をつまむ者もいた。入院して五、六日たった時、事務長が私を呼び、苦情が出ている、個室もふさがっているので他の病院を探してくれと言った。
「生理現象のせいでほっぽりだされるわけ? そんなの病院と言えるかよっ」
と私は吠えた。
祖母は昭島市の竹口病院に移った。クリスマス過ぎの真夜中、小さいノックの音がした。開けてみると副院長が立っていて、
「たいへんですね。こんなの読まれますか」
ささやくように言い、古い女性週刊誌を差し入れてくださった。この優しい名医のおかげで、祖母はさほど苦しまずに息をひきとった。死ぬ三、四日前、大きなため息をつき、「出世前の男に下の世話までさせちゃったな」と淋しそうにほほえんだ。
表現はよくないが、彼女は自分の焼きが回った姿を曝すことで、孫に人生の奥義を伝え、人間としての焼きを入れてくれたのだと思っている。
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『ヒース咲く丘のホスピスから』(レナーテ・ヴェルシュ・作、松沢あさか・訳、吉川聡子・装画、さ・え・ら書房、本体一三三〇円、九六年四月刊)を読んでいるうちに、身につまされ、感動して目が潤んできた。掛け値なしに傑作。名訳である。
夏休み、ウィーンの少女ニッケル(十五歳)は、祖母の見舞いにイギリスのホスピスをたずねる。人手が足りないことから患者の世話の手伝いをはじめた彼女は、人間の生死について真剣に考えるが、絶体絶命の人々にどう対処すればよいのか分からない。ドイツ文学(作者はオーストリア在住)の教養小説に登場する老隠者のような科長さんの助言によって、知識や態度を深めてゆくニッケル。しかし、同病の者の死に何故かハシャグ患者たちを許せず、心が乱れる。その時、もう一人の助言者、メエという名の掃除係の女性の言葉は貴い。「みんながまるで、ほっとしたように見えても、薄情だからと思ってはだめよ。こんなにおだやかに死んでいくこともできるのだということを、目の前に見た気持ちの現れなのだから。こうして、少しずつこわさが消えてゆくのだから」
(もりただあき)
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
(pubspace-x12029,2024.09.30)